わずかな逢瀬と弱音
舞台上に皇太子である月城が現われたので、紅玉と蘇芳は揃って跪いた。
「十の御社配属神子補佐役、紅玉よ、面を上げよ」
「はい」
月城の許しが得たところで紅玉は顔を上げた。
「実に大胆且つ面白い戦略であった。今年の最優秀賞に相応しい。これからも神子の為、神の為、神域の為、その知恵を存分に使うがよい」
「殿下の御心のままに」
そうして勲章が手渡される。
「……迷惑をかけてすまんな」
「え?」
「そなたの我儘、聞くのを楽しみにしている」
小さな声で囁かれると、月城はすぐに離れていった。
「素晴らしい戦いを見せてくれた紅玉と蘇芳に大いなる賞賛を!」
皇太子が叫ぶと、会場からも拍手が沸き上がる。
紅玉と蘇芳は揃って深々と頭を下げた。
すると、幽吾がそっとやってきて言った。
「お疲れ様。他のみんなはもう戻っているから、二人も持ち場に戻っていいよ」
拍手に送られながら、紅玉と蘇芳は舞台を降りた。
やがて拍手が鳴り止むと、月城が演説を始めたようだった。
ようやっと人目から逃れられてほっと息を吐く。
しかし、これからそれぞれの場所へ帰らなければならない……。
紅玉は水晶の元へ。
そして、蘇芳は桜姫の元へ――……。
(……どうしましょう……もう少し一緒にいたい……)
だけど、一緒にいればいる程、寂しさが募ってしまう。
「紅」
「っ!」
「少しいいか?」
「はい」
紅玉は努めて平静に蘇芳と向き合った。
「本当は袴を引き裂いた件に関してじっくり説教したいところなんだが、時間があまりないから……」
「あら」
真っ先に怒られると思っていたので意外だと思ってしまったが、蘇芳が寂しげな瞳で紅玉の手を握ってきたのでハッとする。
「……弱音を、吐いてもいいか?」
蘇芳も同じ気持ちでいてくれる事が嬉しくて……蘇芳の下がり眉の顔が可愛くて……紅玉は思わず笑みを浮かべてしまう。
「はい、勿論です」
両手を広げれば、蘇芳がぎゅうっと抱き締めてくる。
久しぶりの温もりと香りに、紅玉は思わず胸を高鳴らせた。
「……帰りたい……十の御社に帰りたい……貴女の傍にいたい。いてほしい。いられないことが苦痛だ……寂しくて堪らない……」
ポツリ、ポツリと弱音を吐く蘇芳の背中を紅玉は優しく撫でた。
「わたくしも……同じです……蘇芳様のお側にいたい。いてほしい……嘘だとわかっていても……噂も聞いてしまって不安で……」
蘇芳は思わず抱き締める腕に力を込めた。
「俺が愛するのは生涯貴女だけだ……! 真名に誓って!」
「ふふっ、わかっております……でも、不安なの……」
思い出すのは、この国の至高の姫君と蘇芳の並び立つ姿……。
「抗えない力で蘇芳様を奪われてしまうような気がして……怖いの……」
瞬間、紅玉の身体が力強く引き寄せられ、気付けば唇に口付けられていた。
「んっ……ふ……っ!」
久しぶりの甘い感触に紅玉は酔い痴れた。
蘇芳もまた夢中で紅玉の柔らかい唇を味わう。
何度も何度も、口付けては離し、食んで、味わって、重ね合う……。
その間も身体はぎゅっときつく抱き合ったままだ。
やがて二人の頬が熱く真っ赤になる頃、理性を総動員させて唇を離した。
額と額を合わせて見つめ合えば、蕩けた互いの瞳が見える。
「俺の存在を……貴女の体に刻み付けられたらよかったのに……!」
蘇芳はまたぎゅっと紅玉を抱き締める。
「不安にさせてすまない……必ず……必ず貴女の元に帰るから……信じて待っていてくれ」
「……はい」
身体を離し、紅玉の頬を一撫でする。
「愛している……紅」
そうしてやっと紅玉から手を離すと、蘇芳は背を向けて去っていった。
紅玉も切なさを必死に隠し、蘇芳に背を向けて歩き出す。
頬を伝う涙を一拭いして……。
*****
桜姫の元へ戻ってくると、桜姫は大変ご機嫌斜めだった。
「遅かったわね、蘇芳」
「大変申し訳ありません」
帰ってきて早々、憂鬱になってしまう。
更に追い討ちをかけるように真珠が耳打ちをする。
「あなたが勝たなかったから、姫神子様は大変ご機嫌斜めです。責任を取ってご機嫌を取ってください」
「……はっ」
思わず溜め息を吐きたくなってしまいそうだ。
すると、真珠は蘇芳の顔を見て言った。
「……蘇芳、口を拭ってから姫神子様の元に行きなさい。口紅が付いていましてよ」
蘇芳はハッとして口を拭うも即座に気付く。
紅玉は普段から口紅を使わない人だと。
真珠のハッタリに気付くも、もう遅かった。
「蘇芳、命令です! 私の傍から離れないで!」
「っ!?」
カッとなった桜姫が強い口調で命令を下したのだ。
「聞こえなかったのですか!? 私の傍にいなさい! これは命令です!」
「…………はっ」
蘇芳は素直に従う他なかった。
水晶の元へ帰ってきた紅玉は空や鞠やつるに出迎えられながら、そっと蘇芳がいる皇族神子席の方をチラリと見た。
七の神子の傍にピッタリとついて立つ蘇芳の姿に、チクリと胸が痛くなるも……蘇芳の言葉を信じて、紅玉は平静を装って前を向いたのだった。
*****
「これにて『夏の宴』を閉幕とさせて頂きます。出場者の皆様、お疲れ様でした。またどの神子様もお帰りにはお気をつけて」
進行役の幽吾が告げれば、会場中が一気に動き出した。
帰り道につく者、後片付けを始める者――辺りは一気に騒がしくなった。
「お兄様!」
そして、この者も宴が終わった瞬間、月城の元へ駆け寄っていた。
「何用だ? 桜」
「お兄様、お話がございますの。近い内にご予定は空いていらっしゃいませんか?」
「…………」
月城がチラリと桜姫の後ろを見やると、蘇芳がぴったり付いていた――無表情で。
「……明後日ならば会って話すことができよう」
「ありがとうございます! お兄様!」
桜姫は誰もが魅了される愛くるしい笑顔を見せて、頭を下げた。
「皆、ご苦労であった。私は一足先に失礼する」
月城を他の皇族神子達は頭を下げて見送った。
月城がいなくなると、桜姫は喜びにくるりと回る。
「ああっ、明後日が楽しみだわっ!」
「ようございましたね、姫神子様」
くるくると舞う桜姫に真珠はにっこりと微笑んだ。
「ええ! これでやっと、私は完璧な姫神子となれるのだわ!」
桜姫は夢見心地のようにうっとりとした表情を浮かべる。
「真珠、ありがとう! あなたのおかげよ!」
「あなた様はこの国に幸福をもたらす桜色の神力を持つ特別な姫様でございます。誰よりも幸せになるべき権利があなた様にはございます。この真珠はいつだって姫神子様のお役に立ちましょう」
「うふふっ、嬉しいわ、真珠! あなたに出会えて本当に良かったわ!」
「私もですわ、桜姫様」
手を取り合って喜びを分かち合う桜姫と真珠――その光景が一瞬、紅玉と水晶の姉妹に見えてしまって……。
(ああ…………帰りたい…………)
蘇芳は寂しさが募るばかりだった。
**********
その夜、十の御社では「夏の宴」の話で大盛り上がりだった。
「それで先輩、袴を急にビリビリって破いたっす! でも、俺はその後鞠ちゃんに目を塞がれちゃって最後まで見れなかったっす……先輩の勇姿、ちゃんと見たかったっすー」
「ソラにはシゲキがツヨーイデース」
「うみゅ、お姉ちゃんのおみ足、あれは善きだった」
空や鞠や水晶から聞く話にうっとりとするのは女神達。
「きゃあああっ! 紅ねえ、大胆すぎ!」
「紅ねえ、男前過ぎ!」
その一方で憐れんだ顔をするのは男神達。
「蘇芳……哀れな……」
「同情するぜ……」
紫もまた呆れ顔だ。
「紅ちゃんさ……公衆の面前で破廉恥な真似は止めなさい。蘇芳くんがかわいそうでしょ」
「あら、蘇芳様に勝つ為にはあれくらい大胆な戦略では勝てませんわ。正攻法では到底敵いませんもの」
「そりゃそうなんだけどさ……」
そんな紅玉と紫の会話を聞き流しながら、狛秋は「夏の宴」が終わった直後にあった事を思い出していた――。
「まったく……身の程知らずの〈能無し〉には大変困ったものです。空気を読まず姫神子様が授けるはずだった勲章を掠め取ってしまうのですから。あなたもそう思うでしょう? 狛秋」
にっこりと微笑みながらそう語るのは、かつて同じ御社で働いていた真珠だ。
聖女と呼ばれる彼女の毒の言葉に狛秋は「はい」と頷くしかなかった。
以前こそ、真珠の言葉を疑いもせず全面的に同意できたであろう。
しかし、十の御社で暮らす内に紅玉がどれほど優秀か分かったし、人望も厚く、当初嫌な態度を取っていた自分に対しても平等に接してくれる……。
相手の事を知らずに決めつけるのは恥だと思い知ったばかりだ。
だからこそ、聖女と呼ばれる真珠の言葉は毒であるということもわかった。
そんな内心をひた隠しながら狛秋は尋ねる。
「真珠様、姫神子様は……」
「ご心配は及びません。あの神域最強に責任を取らせて精一杯姫神子様を慰めていただきますから」
「そう、ですか……」
遠目から見ても桜姫の御機嫌が芳しくない事はよく分かった。
だから、こうして「夏の宴」が終わってから真珠に会いに来たのだ。桜姫の様子を伺う為に……。
しかし――。
「狛秋、あなたは心配しなくても結構ですのよ」
「え」
そうして紡がれた言葉に狛秋は――…………。
「狛秋様?」
狛秋はハッと我に返った。
気づけば紅玉がじっと己を覗き込んでいた。
「どうかされましたか? どこか具合が悪いのでは?」
「あ、ああ、いや……問題ない、大丈夫だ」
「…………?」
そそくさと料理を運ぶ狛秋に紅玉は首を傾げるしかなかった。
<おまけ:紅玉が十の御社の席に戻ってきた時の話>
空「先輩、おかえりなさいっす!」
鞠「サイユーシューショー、Congratulationデース!」
紅「ありがとうございます」
つ「紅ねえ! 袴を繕いますからこちらに! まったく、なんて破廉恥な真似を!」
紅「ありがとうございます、つる様。ですが、安全ピンで留めていますし、後は帰るだけですから御社に戻ってから自分でやりますわ」
つ「そんな破廉恥な状態で帰るだなんて許しませんわよ!!」
紅「大丈夫ですわ、この程度」
水「……うみゅ、まるでもっと破廉恥な事をしてきたような口振りだのぉ」
紅「……えっ!?」
狛(あ、顔が真っ赤になった……)
水「……うみゅ……なるへそ。そういうことか」
紅「ちっ、違います! 違いますからっ!!」
つ「けしからん! もっとおやりなさい!!」
紅「つる様!?」
空「……ねえねえ、鞠ちゃん。どうして『けしからん』なのに『もっとやれ』なんすか?」
鞠「それは、オトナのジジョーなのヨー」
空「う?」