夏の宴
本日は夏本番をすっかり迎えた葉月の一日。
朝から照り付ける太陽が眩しい。
さて、本日は神域の神子達や神々が楽しみにしている「夏の宴」だ。
会場である「卯の門広場」にはすでに神子や神々をはじめ、多くの職員達も集い非常に賑わっている。
神術で夏の暑さが抑えられているはずだが、それ以上に会場は熱気で溢れ返っていた。
そんな会場を見回しながら、空と鞠は思わず呟く。
「毎年思うっすけど、『夏の宴』って人気行事っすね」
「Yeah、very very hotデース」
「夏の宴」は舞や酒を楽しむ華やかな会ではなく、三年前の新人同士の模擬戦をきっかけに毎年開催されるようになった職員同士の武闘大会である。
神域管理庁の精鋭達が力を競い合う唯一の場。
勿論女性職員も出場しているが、出場に名乗りを上げるのは圧倒的に男性職員が多い。
即ち神域管理庁の男性職員達の勇姿がたくさん拝める行事なのだ。
そして、当然ながら武闘大会と言うこともあり、力のぶつけ合い、技のぶつかり合いが多発する。
故に何が起きるかと言うと、激しい技に耐え切れない服が破けて、肌蹴て……。
「うみゅ、所詮神子もただの女子ってことだよ」
「「???」」
「あと女神もな」
水晶がチラリと視線を向けた先にいたのは、淡い黄色の果てしなく真っ直ぐで地面に着きそうな程長い髪とキリリとつり上がる大きな黄緑色の瞳を持つ女神のつるだ。
「あっ、あたくしは勝負に勝って仕方なく、仕方なく来ているだけですわっ! 誰が好き好んでこんな破廉恥な大会を観に来るものですかっ!」
「いや、別に破廉恥を目的にしている訳じゃないからね」
手に「夏の宴」に関する写真が載った冊子を持っておきながらよく言えたものだ、この破廉恥女神め。
「は~い、皆様、お待たせしました~」
そこへやってきたのは軽食を持った紅玉と狛秋だ。
「うみゅ! ポテト!」
「ポテトも大事ですけど、暑いですから水分もしっかり摂ってくださいまし」
水晶や空と鞠とつるにも飲み物を渡した。
「紅ねえ、去年はどういった試合内容でしたの?」
「『夏の宴』の武闘大会のルールは毎年変わるのですけれど、去年は鉢巻の取り合いでしたわ。神術、武器何でもありの」
「な、何でも……!」
ごくりとつるの喉が鳴る。
「ちなみに去年は紫様が出場なさいましたわ」
「うみゅ、ソッコーでハチマキ取られて爆笑だったわ~」
「……何故蘇芳を出場させなかったの?」
「蘇芳様、神域最強と言われてただでさえ目立つのに、これ以上目立つのはお嫌らしくて……ですから、毎年『夏の宴』には紫様が参加されて蘇芳様はお留守番でしたの」
紅玉の言葉を聞いて狛秋も思い出す。
「夏の宴」が武闘大会になって以来、神域最強の姿を一度も見た事がなかった。
そして、それに桜姫が毎年残念に思っていた事も……。
「狛秋様」
「っ! ああ、何だ?」
「わたくし、そろそろ出場者集合場所に行きますわね。後の事はよろしくお願いします」
「わかった」
すると、空と鞠が心配そうな顔をして紅玉に近寄った。
「先輩、本当に出るっすか? 俺が変わるっすよ?」
「ベニちゃん、ムリしないでくだサーイ」
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですわ。行って参りますわ」
紅玉はふわりと微笑むと、階段を降りていった。
紅玉が見えなくなるまで見送った空と鞠だったが、その顔から不安が拭いされない。
「今年に限って出場者がくじ引きで決まるなんてあんまりっす……」
「ヒドイデース……」
「……ここ毎年出場する顔ぶれが決まっていたらしく、今年からくじ引きで決めるようになったそうだ」
「うみゅ、運も実力の内ってやつね」
「もうすでに戦いは始まっていますのね……ごくり」
確かに、今年から出場者の公平化の為にくじ引きになったのは本当だ。狛秋はそれを知っている。
そして、十の御社に限ってはそのくじ引きに操作がなされていた事も知っていた。
思い出すのは十の御社に来る前に真珠から告げられた言葉だ……。
「〈能無し〉を『夏の宴』に出場させる?」
「いいえ、狛秋。違います。出場することになるのですよ」
「…………なるほど、わかりました」
「物分かりが良くて助かります。基本的に彼女は公の目に晒される事を避けますからね。ここで一度理解させなくてはなりません。」
「何をですか?」
「勘違いをしてはならないと。あなたは所詮不幸を招く〈能無し〉でしかないのだと。身の程を弁えなさいと」
それはそれは美しい微笑みで真珠はそう言った。
あの時は「なるほど」と納得した狛秋だったが、十の御社を知り、紅玉という人を知った今となれば…………。
「狛秋さん」
「っ!!」
回想に浸っていた為、不意に名前を呼ばれ狛秋は思わず身体を揺らしてしまった。
「狛秋さん、もしかして出場したかったんじゃないっすか?」
「え……ああ、いや、これは個人的興味なんだが、紅玉の実力をこの目で見るのが楽しみだな……」
「Oh、イガイデース。マリ、オドロキトドロキデース」
狛秋の挙動に空も鞠も気づかなかったようで狛秋はほっとしていた。
しかし、そんな自分を水晶がじっと見つめていた事には気が付かなかった……。
*****
戦場となる卯の門広場に設置された舞台にはすでに結界の神術が張られている。
これから激しい戦闘となる事を予感させた。
毎年、武器や神術が飛び交う激しい地になることを紅玉も嫌と言う程目にしてきているのだから。
淡く輝く薄い光の幕を通り抜けるとそこには大勢の出場選手達が集まっていた。
ほとんどがあまり馴染みのない顔であった。
しかし、よくよく見てみると、知り合いもたくさんいた。
「おーい! 紅玉!」
「実善さん」
やや柑橘色を混ぜた黒い髪と橙と黒が混じった瞳を持つ実善は二十二の神子護衛役であり、紅玉の同期だ。
気心の知れた仲の人間がいて紅玉はほっとする。
ただでさえ漆黒の髪にヒソヒソと陰口を囁く者もいたのだから。
「十の御社からはお前が出場だったんだな」
「はい。もしかして、御社配属の出場のほとんどが神子補佐役か神子護衛役から選ばれたのでしょうか?」
「いや、どうも本当にランダムのくじ引きっぽいぞ。打ち拉がれているのは大体生活管理部」
実善の言葉に周囲を見渡せば、打ち拉がれている人間が結構おり、紅玉は本当に出場者選びがくじ引きだったのだと察した。
「紅玉さんに実善君!」
「「すもも先輩」」
現れたのは一部に薄桃色が入った黒髪と橙色の瞳を持つ女性。名をすももといい、二十七の神子補佐役であり、二人にとっては先輩に当たる人物だ。
「あなた達がいて安心したよ。この子を私一人で対処するのが大変で」
「「あ」」
すももの視線の先を辿れば、すももにしがみつくようにして打ち拉がれている女性職員がいた。
そして、その人物は、紅玉と実善どちらとも面識がある。
「あらあら、篠さん……お顔が真っ青ですわ」
「二十五の御社の出場者がよりにもよって超ネガティブ思考の生活管理部とは……」
二十五の御社の生活管理部こと篠。
しっかり結い上げた髪の下半分が水色。眉は完全に下がっていて、濃い紫色の瞳から涙が溢れて今にも零れ落ちてしまいそうだ。
「ムリぃ……絶対ムリMAX……っ……もうやだ御社帰るぅ……っ」
訂正しよう。
決壊したように滝のような涙が流れていった。
「篠さん、せめて御社の名誉の為にもとりあえず出場だけはしましょう? ねっ?」
「ひっぐ……ムリぃ……ダメムリMAX……っ!」
「今年もただのハチマキの取り合いっこだけかもしれないぞ? がんばろ、なっ?」
「やだあっ、御社がえるぅ……っ!」
紅玉と実善が必死に宥めるも篠は首をブンブン振ってイヤイヤするばかりだ。
「そんなことを言うな、篠! 二十五の御社の名誉のためにもともに戦おうではないか!」
そんな声が響いた瞬間、紅玉達の目の前から篠が消えた。
否、消えたのではなく浮き上がったのだ。
ふと上を見上げてその理由に気づく。
「まあ! 大瑠璃主任!」
「よっ! 紅玉に実善にすもも」
篠を持ち上げていたのは、前髪の一部が瑠璃色に染まった髪と、爽やかな青い瞳を持つ男性。
神子管理部艮区の主任の大瑠璃。紅玉の直属の上司である。
今日も眩い程のさっぱりとした笑顔だ。
「篠、御社配属職員として、またみぞれの為にも君の頑張りを見せなければならないぞ」
「うっ、うっ、うぅっ……!」
大瑠璃の言葉に紅玉は思い出す。
(そう言えば、二十五の神子のみぞれ様って大瑠璃主任の幼馴染さんでしたわ)
紅玉もまた幼馴染の神子がいたので、大瑠璃から直接その話を聞いた事もあったし、二十五の神子のみぞれは水晶と非常に仲が良く交流もよくしているので、みぞれの方からも大瑠璃の話をよく聞いていた。
ふと周りを見渡せば見つけた――ふわふわの飴色の髪と向日葵のような鮮やかな黄色の瞳を持つ二十五の神子であるみぞれの姿を。
目が合えばみぞれは苦笑いでフリフリと手を振ってくれる。
その意味合いは「頑張れ」ではなく、「篠をよろしく」であろう。
「ムリムリムリぃ……! こんな大勢の人の前で何かしろだなんてダメ絶対ムリMAX……!」
「大丈夫だ! 観客はみんなじゃがいもか玉ねぎだと思えばいい。みんな新鮮で美味しそうで俺は腹が減ってきたな」
「いや無理なのは人前だからかよ。武闘大会が怖いんじゃないのかよ」
「そして、大瑠璃主任、少々想像が豊かすぎです」
「この二人……足して二で割りたい……」
緊張しすぎの篠と緊張感無さすぎの大瑠璃の姿に、実善も紅玉もすももも呆れて溜め息が出てしまう。
「兄貴、朝御飯ちゃんと食べたのか?」
「ああ! しっかり食べたぞ」
「まあ、陽煇君!」
いつの間にか傍に立っていたのは耳の横辺りだけ竜胆色に染まったほぼ漆黒の髪と、わずかに茶色が混じった漆黒の瞳を持つ若き少年。日に焼けた健康的な肌が印象的な大瑠璃の弟である陽煇だった。
紅玉が驚いたのはまだ十代の陽輝がこの場にいる事である。
「陽煇君……まさか四十六の御社の代表ですか?!」
「はい、くじ引きで選ばれました! 頑張ります!」
「うっわ……今回、陽煇が最年少か? いじめられないように気を付けろよ」
実善の言葉に首を振ったのはその陽煇自身だった。
「いや、最年少は俺だけじゃなくて……」
「紅お姉様ぁっ」
可愛らしい声が響き振り返ると、紅玉は抱き付かれていた。
「紅お姉様っ、お会いできて嬉しいですぅっ!」
「亜季乃ちゃん!?」
紅玉は流石に目を剥いた。
そこにいたのは猫柳のような色の真っ直ぐな肩程の髪と漆黒混じりの金色の瞳を持つ遊戯管理部所属の可愛らしい少女、亜季乃だ。年齢こそ陽輝と同い年だが、その容姿は実年齢よりも圧倒的に幼く見える子だ。
「遊戯管理部代表のくじ引きで私が選ばれたのですぅ。精一杯頑張りますぅ!」
「「「いやいやいやっ!!」」」
笑顔の亜季乃の一方で青褪めたのは紅玉と実善とすももだ。
「亜季乃ちゃん! 即刻棄権なさい! 直ちにです! さあっ!」
「つーかよくあの妹溺愛猫じゃらし三兄弟が許したな!?」
「そもそも今年の『夏の宴』の準備組は何を考えているのよ!?」
すももの言葉に紅玉は思い出した。
今年の「夏の宴」の準備組にあの男がいた事を……。
「あははははは」という未だに瞳の色がわからない男の笑い声が頭の中で響く。
「おのれ……っ! 幽吾さんっ……!」
「まったくだよっ!」
同意するような怒鳴り声とともに現れたのは轟だった。
どうやら神域警備部からの代表の一人らしい。
「ホント何考えていやがるんだアイツ! ぜってぇ面白いからとかしか考えてねぇぞ!!」
「いや、轟なら優勝候補間違いないだろ」
実善が首を傾げると、轟は怒りを更に露にする。
「俺様達の部署で代表に選ばれたのは俺様じゃねぇっ! 諷花だ!!」
紅玉は目眩を覚えた。
轟の婚約者である諷花は一時生命の危機に脅かされたことがある程、身体が弱い。武闘大会参加なんてもっての他だ。
確かに轟の部署に諷花はいる……事務職員として。
いるにはいる。間違いはない。だが……。
「轟さん……よくぞ婚約者様を守りました。貴方を尊敬致します」
「何がなんでも阻止する気だったけど、あの天海がぶちギレたって言えばわかるだろ?」
優しい心を持ち、どちらかと言えば気が弱く怒ることがほとんどない天海が激怒したなど異常事態である。
流石の幽吾も悪ふざけが過ぎたようだ。
「『夏の宴』が終わったらお仕置きしに参りましょう~」
「おう、いいな! 俺様も付き合うぜ~!」
ふふふ、あははと笑っているのに笑っていない。
凍りつくような恐ろしさを湛えた紅玉と轟の笑顔に実善は悪寒を覚えていた。
「十の御社の神子補佐役!」
そんな呼ぶ声が聞こえたと思えば、紅玉は手を掴まれていた。
振り返ると、そこには漆黒混じりの灰色の髪と瞳と、良く鍛えられた筋肉を持つ神域警備部坤区第三部隊所属の砕条だった。
「あら、砕条様。ご機嫌よう」
「ここであったが百年目! 俺と付き合ってもらおう」
「あらあらあらあらぁ。いつまで続くのかしら、そのお話」
蘇芳の遠い親戚でもある砕条は幼い頃より蘇芳に激しい対抗心を燃やしており、何かにつけては蘇芳に勝つと豪語し、その為に紅玉を口説いているのだが……その心理は色恋に燃えた男と言うより、人の物を奪って自慢したがる小学生男児である。
「蘇芳が負けを認めるまで一生付きまとうぞ! 俺は!」
「しつこそうですわ」
「しつこいぞ! 俺は!」
「自分でお認めになるとは流石です」
「第一に貴様と蘇芳は別れたのであろう?」
「…………」
「「バッカ!!」」
轟と実善が慌てて砕条を押さえるが、時すでに遅い。
「蘇芳と桜姫の婚約が公ではないが水面下で進められていると風の噂で聞いた。ならば俺はその間に蘇芳の女を奪い取って今日という今日は蘇芳に勝つ!!」
「バカ砕条!! さすがの俺様にもこれはわかるぞ! 空気読め!!」
「轟に言われるなんておめぇ最低だからな!!」
「実善ぃっ! それどういう意味だぁっ!?」
「…………」
紅玉が会場を見渡せば、彼はそこにいた。
輝くような黄色の髪に黒混じりの紺色の瞳を持つ、まるで絵本に出てくる王子様のような容姿を持つ男性職員の星矢。
砕条と同じ隊所属の隊長であり、砕条の義弟でもある星矢が、その場で土下座をしていた。
紅玉は溜め息を吐く他なかった。
その時、辺りがざわめき出す。
会場もどよめく。
大瑠璃も、陽輝も、すももも、篠も、亜季乃も、実善も、砕条も、轟も驚いていた。
そして、紅玉も――。
現れたのは、大和皇国の至高の姫君こと桜姫。
そして、彼女に並び立つのは、筋骨隆々の屈強な身体と鮮やかな蘇芳色の短い髪と金色の瞳を持つ、まさに仁王か軍神かという存在。
「必ず、私の為に名誉を持ち帰ってきてくださいね」
「はっ」
桜姫に見送られて舞台上に立ったのは、「夏の宴」だけには決して顔を見せず、決してその武闘大会に出ようとしなかったその男――。
「蘇芳様……!」
ほんの数日会わなかった蘇芳のその顔はまさに憤怒の仁王と同じ表情だった。
口を真一文字にし、太い眉をつり上げて、その金色の瞳には鋭さしかない。
ギロリと睨まれた瞬間、実善は背筋が凍りつき、轟は冷や汗をかき、砕条に至っては息をすることを一瞬忘れた。
そんな蘇芳と紅玉の目が合う。
思わず息を呑む程の鋭さに紅玉は身体を強張らせてしまうが、同時に思ったのは……。
(なんて凛々しいお姿……)
改めて自分の恋人の素敵な一面を見られて、またどんな形であれ久しぶりに会えて、嬉しくて……紅玉は思わず微笑んでしまっていた。
その瞬間、蘇芳の瞳が僅かに揺れた……。
「は~い! れでぃ~すあ~んどじぇんとるま~ん!」
間延びした声が響き渡り、出場者達の前に降り立ったのは地獄の番犬に跨がった幽吾だった。
「大変長らくお待たせしました~! 第三回夏の武闘大会を開始したいと思いま~す!」
待ちに待った楽しみに観客の神子や神達が一気に沸き立つ。
「幽吾さーん! その前に亜季乃ちゃんを棄権させてくださいましー!」
「わっ、私も御社帰るぅっ!」
「ヤロテメ幽吾! 悪ふざけも大概にしやがれ! ぶん殴るぞ!?」
「今回の大会はと~っても特別で~す!」
無視だ。華麗なる総無視だ。
「なんと、今回の大会で最も活躍した人には最優秀賞が贈られ、皇族神子様から勲章を授けられま~す」
その一言に会場が一気にどよめく。
皇族神子から勲章を賜る事など名誉でしかない。
しかも今までの「夏の宴」ではそのようなことはなかったので、今回が初めての授与となるだろう。
滅多に恵まれる事のない栄誉を手にできるかもしれないという事もあり、出場者から興奮が伝わってきた。
「それでは続いてルール説明です。使用する武器は何でもアリです。武器珠に収納している武器を全て使っても構いません。飛び道具もアリ。神術も勿論可です。ただし――」
そう言うと、幽吾はパチンと指を鳴らす。
すると、出場者達が立っている舞台が徐々に上へ上へと上がっていく。
やがてガタンと音を立てて止まれば、円形の舞台の周囲がぽっかり空いていた。
「舞台周囲は場外となっており、場外に落ちたり放り出されたりしたらその時点で失格です。舞台上で転倒などでは失格になりませんが、動けなくなったら強制終了です。その場合、地獄の番犬が即座に回収し、医務部の治療部隊のところまで運んでくれます。どうぞ安心して競技に挑んで、思う存分怪我してくださ~い!」
幽吾の声は実に楽しそうである。
その一方で、場外側で待機している医務部の職員達は非常に緊張した面持ちだ。
それを見た紅玉は、ふと首を傾げた。
かつて聞いた焔の話では、宴に参加したがる職員が多いと聞いていたはずなのに、どの医務部の職員もそのような雰囲気ではないのだ。
(何やら……嫌な予感です……)
そして、その予感は的中することになる。
「さて、ルール説明はここまでにして早速試合を開始したいと思います~!」
「おい! その試合方法はどうやるんだ!?」
「集団で無差別に戦って勝ち抜けばいいのか!?」
どこかの神域警備部職員が叫べば、生活管理部の職員達が「ひぃっ!」と震え上がった。
「いやいや、そんな野蛮なことはしませんよ~。今回の武闘大会は力だけでなく、知恵や判断力やその他の能力も競ってもらいます」
そして、幽吾は再びパチンと指を鳴らす。
瞬間、轟音を響かせて舞台上に現れたのは地獄の門だ。
しかし、それの大きさがいつもの人が通れる程の大きさではなく、遥かに大きなものである。
扉が開き、舞台に一気に流れ込んでくるのは冷気とおどろおどろしい空気……。
そして、門の向こうから現れたのは、太い腕と足、鋭い爪と牙と角、ギロリと光る瞳、体型はまるで横綱、人間の数倍もある非常に巨大な鬼神だった。
「それでは、この鬼神君を倒してください! 試合開始~!」
「「「「「ぎゃああああああああああああああああ!!!!」」」」」
出場者達全員から阿鼻叫喚が響き渡った。
一方で紅玉は頭を抱えた。
「ああ、もう幽吾さん……! 何て言う無茶振りを……!」
「おっしゃあっ! 俺様がぶっ飛ばしてきてやるよ!」
「あ! 轟、一人で突っ込むなって! おい!」
実善が止めるのも虚しく轟は鬼神に立ち向かっていってしまう。
「ったく、猪突猛進なんだから……どうする? 紅玉?」
紅玉は深呼吸をして、すぐに頭を切り替える。
周囲を見渡せば、実善の他に、すもも、大瑠璃、陽煇、篠、亜季乃、砕条がいた。
(これだけの人数がいれば……)
紅玉は即座に決断する。
「考えがあります。一緒に来ていただけますか?」
「ああ、勿論だ!」
大瑠璃は真っ青になって固まっている篠を脇に抱え、陽輝はいつの間にか召喚していたシロウに亜季乃を乗せていた。
「一旦鬼神から距離を取りましょう」
暴れている鬼神から紅玉達は安全な場所へ一旦非難する。
「亜季乃ちゃん」
「はいですぅ」
「確か、貴女の異能は――」
走りながら、紅玉は作戦を全員に話していった。
<おまけ:医務部の呟き>
舞台上に現れた巨大な鬼神を見た瞬間、医務部の職員は諦観の境地にいた。
「今年は一段と忙しくなるぞ~~。覚悟しておけ~~」
「「「「「うい~~っす」」」」」
「焔の治療薬の準備は~~?」
「山程常備済みで~~す」
「メンタルケアもちゃんとしておけよ~~」
「「「「「おい~~っす」」」」」
そんな医務部の職員達の目の前で出場職員達が次々と舞台から落ちていった。