元七の御社の職員
蘇芳が異動し、十の御社でも新しい生活が始まる。
勿論慣れるまで時間を要するだろうと紅玉は思っていた。
何せ三年近く同じ職員で御社の運営をしていたのだから。
新しい職員を快く迎え入れ、十の御社を盛り立てていこう――そう思っていた……。
まず初日――。
水晶と日番の響が護符の文字入れの作業をしていた時だ。
字が分からなくて聞いてきた水晶に響が身体を寄せたのだ。
すると――。
「神子と神の距離が近すぎる! 神子補佐役が注意しないでどうする!? 仕事怠慢だぞ!」
狛秋が紅玉を睨みつけて怒鳴りつけてきたものだから、紅玉は驚いて目をぱちくりさせてしまった。
それ如きで怒鳴るのか……と思ってしまう。
そして、空と鞠が洗濯物を干しているのを見て、竜神四人衆も手伝おうとしたのを見た時には――。
「神に家事を手伝わせているとは何事だ!? お前らには御社配属職員としての自覚が無いのか!?」
と、一方的に怒鳴り付けた。
竜神達からの方が手伝いを申し出たのもかかわらず。
挙句、せっかく歓迎会を企画してくれた紫の提案を、狛秋は真っ二つにぶった切った。
「断る! 自分は元とはいえ宮区の職員であった者。気安くお前達のような者達と慣れ合えるか!」
あの紫が珍しく怒りで顔を歪ませたので、宥めるのが大変だった。
更にはその翌日――。
いつものように怒鳴りつけて水晶を起こせば――。
「神子を怒鳴り付けて起こすとは失礼千万!!」
と水晶の部屋に怒鳴り込む。
空と鞠と紫の水晶に対する話し方を聞いて――。
「神域管理庁の職員たるもの、神子に対して敬語を使わないなど言語道断!!」
細かい事をいちいち指摘してきた。
この他にも挙げればきりが無い程、狛秋は十の御社を無駄に掻き乱した。
足並みを揃えない行動はすっかり十の御社の住人達から反感を買ってしまう始末……。
なんとか紅玉が双方の潤滑剤となるべく、まずは狛秋の言動を改めもらおうと、それとなく伝えるが――。
「間違っているのはお前の方だ! これだから〈能無し〉は信用ならん!」
と聞く耳を持たない状態。
頭が痛いまま迎えた異動三日目も朝から五月蝿かった――。
「神子の食事の毒味をしていないなどあり得ないな! 神子補佐役とあろう者が神子を危険にさらしているとは何事だ!?」
まさかの指摘に紅玉の苛々も最高潮に達しようとしていた。
「……狛秋様、この御社の職員に毒を混ぜる不届き者などおりません」
「フンッ! 人はいつ裏切るかわからない種族だ。そんな甘い考えで神子補佐役が務まると思っているのか!? お前のような女が一番怪しいに決まっている!」
訳の分からない説教の数々に、紅玉の中で何かがぷちっと切れた。
紅玉はにっこりと、それはもうにーっこりと微笑んで言ってやった。
「わかりました。今後は毒味を致しますわ。貴方様がいつ裏切るかわかりませんもの」
当然ながら狛秋は激怒する。
「おいお前! 俺が神子に毒を盛るとでも言うのか!?」
「あらぁ? わたくしは貴方様の教えの通りに申し上げただけでございます。貴方様も立派な人間。そしてこの御社の滞在歴がもっとも短い方。それを踏まえますと貴方様が裏切る可能性が最も高いと警戒して然るべきかと思いまして」
「なっ……!」
狛秋は何も言い返せない。
まさにその通りなのだから。
「というわけで、はいどうぞ」
「な、なんだこれは?」
「あらあら、毒見をなさってくれるのでしょう? よろしくお願いしますね、神子護衛役様」
「ぐっ……!」
またもや狛秋は何も言い返せない。
まさにその通りなのだから。
「紅ちゃんに口で勝とうだなんて百万年早いよ。ざまあみろ~」
「ユカリさーん、ホンネでてるヨー。ネーネー、ソラー。マリ、あのヒトshootしてもイイデスカー?」
「鞠ちゃん、それは傷害罪になるっすからダメっすよ。確実にバレないようにやるっす」
「そこのお三方、お喋りしている暇がございましたら手を動かしてくださいまし」
「「「はーい」」」
紫と鞠と空は配膳をしに食堂へと向かっていった。
そんなやり取りを見ていた狛秋は眉を顰める。
「ここの御社職員の力量関係を見ると、お前の独裁状態ではないか。由々しき事態だな。神子管理部と言えば先日不祥事があったばかりだろう。あまり偉そうな態度では俺も上に報告せざるおえないぞ」
「どうぞ、報告すべきと判断すればそのように。ですが、狛秋様、これだけは言わせてくださいまし。我々御社配属職員は神子様と神様の健やかな生活を守る事に専念しております。この御社の職員に神子を裏切るようなことをする人は一人もいませんし、神子もまた職員達を大変信頼しております。先日からあなたはご自分の意見ばかりを申しているようですが、肝心の神子のお言葉をお聞きになったのですか?」
「俺は今までの経験上で正しいと思ったことを言ったまでだ! 間違いなどない! 何せ俺は宮区の七の御社にいたのだからな!」
「はい。七の御社ではその意見が正しかったのでしょう。ですが、ここは十の御社です。七の神子様ではなく、十の神子様の御意向に従ってくださいまし」
「お前! 皇族神子様を愚弄するか!? これだから〈能無し〉は!」
狛秋はやはり人の話を聞かないようだ……頭が痛くなってくる。
このやり取りを後何度続ければよいのだろうか……そう思いながら、再度口を開こうとした。
「お姉ちゃん、もういいよ」
「っ!? 晶ちゃん……!?」
紅玉は驚いてしまう。そこには凛とした白縹の神力を纏った水晶が立っていたのだから。
水晶は狛秋の前へ進み出る。
「跪きなさい、狛秋」
「はっ!」
「あなたの主は誰?」
「神子でございます」
「……顔を上げなさい」
「はっ」
狛秋は顔を上げた事を後悔してしまう。
水晶の水色の瞳が冷たく自分を見下ろしていたのだから。
圧倒的な神力の圧に狛秋は身体が凍てついていくのを感じる。
「真名に誓って答えなさい。あなたの主は何の神子?」
「……は……」
狛秋は答えられない、答える事ができない。
嘘を吐いても真実を答えても、待ち受けるのは恐怖のみだと分かってしまったからだ。
全身が凍り付いたように動けない……。
だけど、それこそが答えだと水晶には分かってしまった。
「……もういいわ。あなたには最初から期待していなかったもの」
「み、神子……!」
「気安く呼ばないで」
神力の圧が一気に増す。
身体がますます冷たくなっていく。息もできない。
だけど、幼くも美しい白縹の神力を纏う神子から目が逸らせない――。
「あなたは十の御社の職員よね? 私の護衛役よね? 違う? 何故すぐに答えられないの? 自分の主を。あなたが答えないのなら教えてあげる。あなたは私を主だと思っていない。だってあなたは最初から裏切り者なんだもの」
狛秋は後悔していた。
今までの事を全て反省するから赦して欲しい、赦して欲しいと、言いたくても声が出せない。
目の前が真っ白に染まっていく……。
「覚えておきなさい。十の御社の住人達に手を出したら……容赦しないから」
ゾッとするような凍てつく声が頭の中で響いた瞬間――……。
狛秋はようやっと呼吸を思い出した。
全身冷や汗でびっしょりで、足がガクガクとして姿勢を保っていられず、その場に崩れ落ちてしまう。
そんな狛秋からあっさり視線を逸らすと、水晶は紅玉に抱き付いた。
「うみゅ、お姉ちゃん、お腹空いた~。ご飯まだ~?」
「晶ちゃん…………」
紅玉は驚きが隠せない……。
驚きのあまり水晶の両肩を掴んで叫ぶ。
「貴女、一人でも起きられたの!?」
「うみゅ、驚くトコそこ? 普通にできるわ」
すると、食堂から紫と空と鞠が顔を覗かせた。
「はいは~い、すでに準備万端だよ~」
「ご飯にするっすー!」
「マリ、おナカペコペコデース!」
呆然として光景を見ていた狛秋は未だに立ち上がる事すらできない。
ふと、気付けば影が差し、目の前に誰かが立っている事に気付く。
ゆっくりと顔を上げれば、十の御社の神々が神力を撒き散らし、瞳を光らせて狛秋を見下ろしていた。
狛秋は再び息をする事を忘れてしまった。
「紅ねえがせっかくお前さんを受け入れようと努力しておったが……どうやらそれも無意味のようじゃったのぅ……」
木の幹のような茶色の柔らかそうな髪と黄色と緑の混じった瞳を持った槐が人懐っこい笑顔を消して睨みつけていた。
「ねえねえお兄さん、良い事教えてあげる。この御社で紅ねえの事を〈能無し〉だなんて思う神もいないし、〈神に捨てられし子〉だっけ? そんな事も思う神もいないよ。そもそも〈能無し〉とか〈神に捨てられし子〉だなんて誰が考えたのかな? 人間って愚かだよね~?」
肩ほどの長さの真っ直ぐな雪のような真っ白な髪と煌めく銀色の瞳を持つ六花が空気を凍らせながら狛秋を馬鹿にしたように嗤う。
「むしろ我々は紅ねえのことが大好きだよ。時に母のようで、姉のようで、友人のような彼女が」
闇に溶け込むような薄墨色の長い髪を持つ日暮が茜色の瞳を妖しく光らせていた。
「今からでも心を入れ換えて言動で示せば問題はないと思いますよ。まあ尤も、あなたの信用は地よりも低いですけど。因果応報ですね」
深緑の髪と真っ赤な瞳を持つ柊四郎が冷たく睨みつけ、さらりと毒を吐く。
「おい、小僧。よーく覚えておきな。これ以上、十の御社を乱すような真似をすりゃ……どうなるか……わかってんだろうなぁ」
鼠色の髪と白と黒が入り混じる煌めきの宿る瞳を持つまだらがニィッと不気味に笑う。
一難去ってまた一難――狛秋は強力過ぎる神力に中てられ、震えるしかない。
いよいよ命の危険まで覚えてくる……。
目を回す狛秋の目の前に立ったのは、暗緑色の髪と瞳を持つ響だ。
無口で有名な男神が狛秋の髪を掴むと、耳元に口を寄せた。
「――神罰下すぞ」
地を這うような低い声に、狛秋はついに意識を手放していた――……。
狛秋はゆっくりと意識を浮上させ、目を開けた……。
そこは自分の部屋だった。
「目を覚まされましたか?」
「っ!!」
紅玉の声に慌てて飛び起きれば、寝台の上に居る事に気付く。
目を白黒させていると、目の前に食事が置かれる。
「とりあえずお食事を召し上がってくださいまし。食べながら説明致します」
「……あ、ああ」
狛秋が食事を摂っている横で紅玉は説明をしていく。
意識を失って倒れてしまった狛秋を男神達が運んでくれた事。
狛秋の仕事を紅玉達が代わりに請け負った事を。
「今日はもうお休みくださいまし。明日からしっかり働いて頂きますからね」
「あ、ああ……」
狛秋は己が情けなくて仕方が無かった。
七の神子の護衛役として、数年も働いているのだ。
神力の圧に押し潰され意識を手放すなど、護衛役としてあってはならない醜態である。
つまり神子も神々もそれ程までに本気だったという事だ……。
(俺は……間違ってなどいないはずなのに……)
自分が信じてきた道を全否定され、狛秋は自信を無くしてしまっていた。
「……貴方様の言う事も一理あるとは思いますわ」
「……え?」
紅玉の言葉に狛秋は驚きに顔を上げた。
紅玉は柔らかく微笑んでいた。
「わたくし達十の御社職員は、神子様や神様への敬意も崇拝も足りないと思います。お洗濯やお掃除は手伝って頂いておりますし、悪さや寝坊をしたら容赦なく怒鳴ります。狛秋様から見たらあり得ないお話なのでしょう」
「あり得ない。我々にとって、神子や神は崇拝すべき存在だ。それを怒鳴りつけて叱るなど言語道断だ」
「ですが、それはあの子が望むものではありません」
真っ直ぐ見つめてくる紅玉の漆黒の瞳を狛秋は逸らす事ができなかった。
「わずか十歳で神子に選ばれ、両親と離れ離れにされてしまったあの子には、どうしても家族が必要でした。気兼ねなく接する事ができて、神子ではなくて、ただの水晶として受け止めてくれる存在が」
「…………」
五月蝿いと思っていた……十の御社の雰囲気が。
どこからともなく、神々の笑い声が聞こえ、若き職員二人が無邪気に走り回り、台所では美味しそうな香りが漂い、神子補佐役が叱りつけながら神子の仕事を手伝う。
五月蝿いと思っていた……七の御社と比べて。
だけど、それが神子の……七の神子ではなく、十の神子が望んだ御社の在り方なのだとしたら……。
「これが、十の御社です。どうかご理解いただけないでしょうか?」
「…………」
狛秋は目の覚める思いだった……。
何故そんな簡単な事に気付かなかったのだろう……。
ずっとずっと、七の御社こそ正しい御社の在り方だと思っていたから……。
神子を崇拝し、敬意を示し、忠誠を誓う――それこそが正しいと、ずっとずっと思って来たのだ。
そして、それが正しいと教えてやれと言われたから――……。
「狛秋、十の御社へ旅立つあなたにお願いがあります。どうかあのお姉様に教えてあげて。あなたは間違っていると。あなたは過ちを犯し続けているのだと。思い知らせてあげて」
七の神子と最後に交わした願いを思い出す……。
(姫神子様……本当に……彼女は過ちを犯し続けているのでしょうか……?)
生まれて初めて、主と信じてきた七の神子へ疑念を抱いていた。
**********
その頃、七の御社も朝食の時間であった。
朝から豪勢な料理が並び、御社職員達が恭しく並んで立つ。
異様な雰囲気に蘇芳は一向に慣れない。
「蘇芳様」
桜姫が蘇芳を手招く。
チラリと真珠を見れば、真珠は微笑んで頷くだけだ。
溜め息を吐きたくなる気持ちを必死に抑え、桜姫の傍へと寄る。
「あなたもどうぞ席に着いて召し上がって」
「自分は職務中でございます」
「もう、真面目ね……真珠からあなたがちゃんと食事を摂っていないと聞いていますの。私の護衛役なんですから、しっかり食べていただかないと困りますわ」
桜姫は匙で食事を掬うと、蘇芳に差し出した。
「はい、あ~ん」
「…………」
蘇芳は梃子でも口を開けようとしなかった。目を瞑ったまま首を振るばかりだ。
「……もう……頑固ね」
桜姫は頬を膨らませてしまった。
透かさず、真珠が桜姫に声をかける。
「姫神子様、お味はいかがでしょうか?」
「ええ、いつも美味しいわ。でも、もう少し味付けを濃くしてもらえるかしら?」
「かしこまりました。生活管理部料理長にそのように伝えます」
すると、桜姫は席を立つ。
「ご馳走様でした。さあ仕事に行かなくては。真珠、今日の予定は?」
「本日は各皇族神子様方の御社を訪問予定です」
「まあ! やっとこの日だったのね!」
桜姫は嬉しそうに微笑むと、蘇芳の腕に抱き付いた。
「今日はあなたのお披露目日よ。きちんとお兄様お姉様方にご挨拶をしてくださいね」
桜姫が腕に絡み付いてくる事が不快で仕方なく、話の内容を曖昧にしたまま聞き流してしまった。
引っ張られるまま食堂を後にした時、まだ多く残された食事の皿が目に映り、蘇芳は切なくなってしまう。
(紅なら……絶対食事を無駄にしないのに……)
恋しさと寂しさだけが募っていく……。
そんな感情に囚われてしまった蘇芳は気付く事が無かった。
何故桜姫が自分を連れ回して、各皇族神子に挨拶をさせていたのかを。
それが原因で宮区の職員達の間である噂が流れ始めてしまった事を。
そして、その噂が神域中に広まってしまい、紅玉の耳にも届く事になってしまう事を。
蘇芳は気付く事ができなかった……。
<おまけ:狛秋が気絶した時のお話>
ま「あ~あ……響、ちょっと脅し過ぎたんじゃね?」
響「……………………」
槐「ん? 俺は悪くないって? そうじゃの、お前さんは悪くないのぅ」
六「で、どうするの? コレ」
柊「……あれ? 日暮さんがいない……マズイ、ヤバイ、逃げなきゃ……!」
紅「み~な~さ~ま~ぁ??」
神「「「「「ギクッ!!」」」」」
紅「一体全体なぁ~にをなさっておりますのぉ~?」
槐「べっ、紅ねえ! 儂らはこやつに説教を……!」
紅「だからといって意識を失わせるまで脅かしてどうするのですーーーーっ!!??」
神「「「「「ひぃぃいいいいっ!!」」」」」
日「いやぁ……危なかった、危なかった」
紅「逃れられたとでも?」
日「……………………」