報告会兼恋人同士の時間
その日の夜――十の御社の紅玉の私室に蘇芳はいた。
紅玉と恋仲になってからというもの、仕事が終わってから寝るまでの夜の時間は貴重な恋人同士の時間であった。
ところが…………。
「それで全員で禁書室の書類を全部調べる事になったのですけど、轟さんと世流ちゃんが序盤に参ってしまって」
「ふむ……」
話を聞きながら、蘇芳はクマゴローの手をぎゅっと摘まむ。
「空さんに見せられない書類を左京君や文君が請け負ってくれたり」
「ふむ……」
今度は足をぎゅっと摘まむ。
「天海さんと焔ちゃんと右京君はそれぞれ苦手な分野をそれぞれが担当したりして」
「ふむ……」
さらに丸い腹を軽く押し潰した。
「皆で協力しながら調べたのですけれど、今日は目ぼしい情報は見つからなかったです」
「……そうか」
最終的にはクマゴローの頬をぐいぐい引っ張ってしまう。
蘇芳はすこぶる不機嫌であった。
「……紅、ツイタチの会の情報を俺に流してもいいのか?」
「はい。幽吾さんの命令ですので」
「幽吾殿の?」
「はい。蘇芳様とは情報を共有しておいた方が今後役に立つとおっしゃっていたので」
「……そうか」
その話はありがたい。非常にありがたい。
蘇芳としても「謎の女」の存在は気にしているのだ。
しかし、だ。
今は貴重な恋人同士の時間なのだ。
長年紅玉に片恋をしていた反動で嫉妬心や独占欲が蘇芳の心をかき乱す。
挙げ句、紅玉はそんな蘇芳に気づかないまま、隣に座ってにこにこしながらツイタチの会の内容を報告していく。
「ああそうです。文君が面白いものを見つけて、おかげで幽吾さんが酷く怒ってしまって、轟さんと世流ちゃんが止めるの大変そうで」
我慢の限界だった。
蘇芳はクマゴローを乱雑に持ったまま、横に倒れ、頭を紅玉の太腿の上に乗せる。所謂膝枕状態になった。
「? 蘇芳様……?」
紅玉はようやっと蘇芳の様子がおかしいと気づく。
顔を覗き込もうとするが、蘇芳が腕で顔を隠してしまってよく見えない……だが。
「蘇芳様……?」
「まだ……話は終わらないのか?」
だが、その耳は赤く染まっていて……。
紅玉はようやっと蘇芳の不機嫌の理由を察する。
「あらあら、困った方。何も報告ができなくなってしまいますわ」
「仕事中なら構わない……だが、こうして二人きりの時は……俺だけのものでいて欲しい……駄目か?」
チラリとこちらを覗く懇願するような金色の瞳に、紅玉は敵うはずもない。
ふわりふわりと蘇芳色の短い髪を撫でる。
「狡いですわ。そんな可愛いことを言われてしまっては、わたくし拒めませんわ」
そう言った瞬間、しおらしかった金色の瞳に獰猛な色が宿った。
蘇芳は身体をすぐに起こすと、クマゴローを長椅子の端に置く。
そして、紅玉に覆い被さった。
長椅子の上に二人一緒に倒れ込めば、すぐに蘇芳が口付ける。
何度も何度も唇を食むように重ね合う。
「ん……っ……んんっ……!」
触れる柔らかさに、響く口付けの音に、甘い刺激に、失われていく理性と酸素に――紅玉は思考回路を奪われていく。
とろりと蕩けるように甘くも捕食者のように獰猛な金色の瞳しか最早見えなくなっていた。
「ん…………は…………っ」
ようやっと独占できる喜びに蘇芳は震える。
さらに口付け、抱き締め、己のものという証を付けようと身体を密着させた。
紅玉の柔らかな胸が己の身体に触れ、燻る何かにさらに火がつく。
(もっと……もっと……もっと……っ!)
しかし…………突如蘇芳は理性を取り戻した。
ゆっくりと身体を起こすと、紅玉も助け起こし、頬と髪を撫でる。
「すまん……痛みはないか?」
「は、はい……」
捕食者のような金色の瞳が穏やかな色を取り戻していて、紅玉は思わず混乱してしまう。
未だに心臓の鼓動は速いままだ。
「紅……俺は……貴女を愛している……愛しているから…………」
ぽつり、ぽつりと呟き出す蘇芳の言葉に紅玉は耳を傾ける。
「貴女を愛しているから……その……触れたくなる、抱き締めたくなる……全てを奪いたくなる」
「っ!!」
心臓が甘くぎゅっと締め付けられてしまった。
顔がますます熱くなっていくのを感じる。
「だ、だが……! 一度たかが外れてしまったら、俺は……俺は、間違いなく貴女を手離せなくなる……! 抱き潰してしまう……!」
蘇芳の言葉を理解できない程、紅玉は子どもではない。
そして、わかってしまう……蘇芳が何故当然理性を取り戻したのか……。
「だ、だから、今は……これ以上は……ダメだ……! 取り返しのつかないことになる、だ、だから……!」
ああ、なんて……。
(優しくて、とても真面目な方)
蘇芳のそんなところが紅玉は愛おしくて堪らないのだ。
紅玉は蘇芳の両手をぎゅっと握り締めた。
「はい、蘇芳様。わかっております。わたくし、待っています……その時を」
「……ああ、待っていてくれ」
誓い合うように二人は額と額を重ね、指を絡め合った。
蘇芳が自室に戻る為、紅玉は入り口まで出て見送る。
といっても、蘇芳の部屋は向かいなのだが。
それでも、少しでも一緒にいたいという気持ちがそうさせていた。
「おやすみなさい、蘇芳様」
「おやすみ、紅……」
蘇芳は名残惜しそうに紅玉を抱き締める。
紅玉もまた蘇芳の胸に頬を寄せた。
互いの鼓動が聞こえる程密着し合い、そしてそっと唇を重ね合う。
触れるだけ……でも、離れがたそうに少し長く……。
そうして、やっとのことで紅玉から離れた蘇芳は自分の部屋へと戻っていく。
最後に手を振り合って……扉を閉めた。
紅玉は扉を閉めた瞬間、その場に座り込んでしまった。
胸が痛い程、心臓が煩く鼓動を打っている。
頭の中で何度も響くのは蘇芳の言葉。
思い出す度に顔が赤く染まる。
(……手離せないのは、わたくしも同じですわ……)
少し前までは諦めようと思っていた恋だった。
でも、一度手にしてしまったら……失う事なんて考えられない……考えたくない。
そっと己の唇に触れ、蘇芳の感触とぬくもりを思い出す……。
恋しくなってしまう…………。
(ああ、もうっ……! 明日もお仕事なのですよ! わたくしぃっ! 早く寝て、明日に備えないと!)
パチパチと頬を叩くと、紅玉は立ち上がる。
ふと、長椅子の上に転がるクマゴローに目が止まった。
「…………」
紅玉はクマゴローを抱き上げると、灯りを消して寝台に潜り込む。
ほんの少しだけ蘇芳のぬくもりが宿るその子を抱き締めながら、紅玉は瞳を閉じた。
蘇芳は扉を閉めた瞬間、その場に座り込んでしまった。
(あっぶなかった……っ!!)
顔が熱い。
心臓が早鐘を打つ。
頭を過るのは、紅玉のとろんとした赤く染まる顔。
未だ感じるのは、甘美な香りと触れた身体の柔らかさ。
(今日という今日は……我慢の限界だと思った……っ!)
正直意識の半分以上は理性を失っていた。
身体が熱く、紅玉を欲して求めて仕方無く、本気で紅玉の全身に己の存在を刻み付けたいと獰猛な獣に成り果てる寸前であった。
それでも蘇芳がそんな己をなんとか止める事ができたのは、己の生家である「盾の一族」の真面目一辺倒の血と信念のおかげだった。
紅玉に喰らい付きそうになる欲を必死に抑え込み、理性を取り戻させたのだ。
(……生まれて初めて、自分が「盾の一族」で良かったと心から思う……)
かつて自分の心も身体も粉々になる程打ち砕いたあの一族の血に感謝する日が来るなんて……皮肉なものだ。
(……だが……紅にはずっと誠実であり続けたいから……)
蘇芳は寝台の傍に置いてある棚の引き出しをそっと開ける。
そこに入っていたのは封筒だった。
(しっかりとけじめをつけなくては、いけないから…………)
改めてそう誓うと、蘇芳は引き出しをそっと閉めたのだった。
<おまけ:目撃女神ズ>
「おやすみなさい、蘇芳様」
「おやすみ、紅……」
二人は惹かれ合うように抱き締め合う。
そして、そっと唇を重ねる。
一秒、二秒……少し長い口付けだ。
やっとの事で離れたと思えば、二人の瞳はまだ名残惜しそうに蕩けていた。
しかし、それを我慢して二人は互いの部屋へと戻っていく。
最後に手を振り合って……。
先程見た光景である。
「「「「「きゃああああ~~~~~~~~っ!!!!」」」」」
六花「ああもうっ!! もどかしいっ!! 恋人同士になってからもあんなにもどかしいなんてぇっ!! もう一線越えちゃえばいいのにぃっ!!」
紀梗「駄目よっ! 蘇芳さんは真面目なんだもの! ちゃんと蘇芳さんなりの順番があるのよきっと!!」
睡恋「紅ねえも真面目だからホントはもっと傍にいて欲しいっていう気持ちをひた隠しているのよぉっ!! ああもどかしいっ!!」
仙花「それにしても、イイもん見せてもらったわ……っ!! 私、下界に降臨できて本当に良かったわ……っ!」
つる「破廉恥……っ! 破廉恥極まりないですわ……っ! もっとやっておしまいっ!!」
いろは「うふふっ、今夜は語り明かしましょうね~」
いや、はよ寝ろや。破廉恥女神共。