お泊まりでぇとの帰り道
※紅子視点
さあ、名残惜しいですが、帰りの時間です。
旅行鞄とお土産を持つと、両親とてっちゃんを振り返ります。
「父様、母様、てっちゃん、お身体に気を付けてお元気で」
「紅もあまり無茶するんじゃないわよ!」
「達者でな」
「ショータローにあんまりゲームしすぎんなよって言ってくれ」
「はい」
家族と離れる生活は勿論寂しいです。
でも、また会えるから……。
「それじゃあ、いってきます」
「「「いってらっしゃい」」」
見送る家族に手を振りながら目指すのは、神域管理庁です。
*****
駅に到着すると、丁度帰宅混雑と重なったようで人がたくさん改札から出てくるところでした。
改札を通って、次の電車の時間を掲示板で確認します。
「あと七分後くらいに電車が来ますよ」
「そうか」
まだ時間はありそうですけど、座らずに立ったまま電車が来るのを待つ事にします。
そっと梅五郎様の手に手を伸ばせば、梅五郎様が微笑んで指を絡めて握ってくれました……えへへっ。
梅五郎様と過ごしたこの二日間のお休みは、とっても幸せでした。
夢心地で甘くて……もっとこの幸せに浸かっていたいなんて、甘い考えに飲まれそうになってしまいます。
(だめ。いけません。わたくしは明日からお仕事なのです。きちんと頭を切り替えていかねば……!)
ちょっと梅五郎様断ちをする為に手を敢えて離します。すると、梅五郎様ったら悲しげなお顔をなさるから、ちょっと罪悪感が……。
「……紅?」
そう呼んだのは梅五郎様ではありません。
わたくしを呼ぶ声に思わず振り返ると、そこにいたのは一人の男性……何処かで見た事があるような……。
「紅だよな? 俺を覚えているか? 草馬涼星」
「あっ……」
草馬涼星……!
思い出しました。幼稚園から中学生まで同級生だった男子。
わたくしの言葉遣いをよくからかってきた意地悪な…………。
でも、あれも過去の話。今はもう大人なのです。気にする事はありませんわ。
わたくしは微笑みを保ちます。
「お久しぶりです、草馬君」
「久しぶりだな! 十年ぶり近くか? もう社会人だよな?」
「はい。今日はお休みで実家に帰っておりましたの」
「へえ、そっか。あ、俺は今帰りなんだ。職場は都内の方だから、毎朝ラッシュが大変でさ~」
「そうなのですね」
「紅は何処で働いているんだ?」
「わたくしも都内なのですが、住み込みなのであまり通勤とかは関係なくて」
「住み込みか~。そりゃ楽だな。それにしても、その『わたくし』っての、まだ使っているんだな」
「…………」
きっと彼に意図はありません。ただ相変わらずだな、という懐かしさについ口にしたのでしょう。
でも……揶揄された過去は、決して拭いされません。
その事で、少なくともわたくしが傷付いたという事も……。
ああ、いけません……気にしてはいけません。あれは所詮幼き過去の話なのです。
わたくしがわたくしである事を誇りに思わなければ……。
「なんか、紅が変わって無くて安心した…………あのさ、もし――」
「――失礼」
そう一言言って、梅五郎様がわたくしと草馬君の間に入り込みました。
大きな背中に阻まれて草馬君の姿が見えなくなります。
「大変申し訳ないが、我々はこれにて。先を急いでおりますので」
「えっ?」
「それでは」
梅五郎様は一方的に話を終えると、ご自分とわたくしの荷物を丸ごと持って、わたくしの手を引いて草馬君から離れていきます。
突然の事に訳が分からないまま、わたくしは足を進めるしかありません。
「梅五郎様……?」
「言っただろう……俺は嫉妬深いと」
「え?」
前を向いたまま足を進める梅五郎様の耳が赤く染まっていました。
「……あまり、他の男と話さないでくれ」
「あらまあ……」
どうしましょう……わたくしの恋人様が今日も可愛らしい。
「それに……」
「?」
梅五郎様はチラリと背後を見て、わたくしを見ます。
「……あまり良い思い出の相手ではないのだろう?」
「っ!」
まあ……わたくしの恋人様は今日も本当に狡いお方。
わたくしを優しく包み込むようにしてこうして守ってくださる……。
思わずぎゅっと握る手に力を込めてしまいます。
「……俺は好きだからな」
「えっ?」
「紅のその言葉遣いも、その所作も……全て。幼い貴女が努力してきた証だからな」
「っ!!」
何処へ嫁いでも恥ずかしくない淑女になりなさい――大伯母様の教えです。
姿勢は常に美しく――ただ美しいだけでは駄目。身体の芯からしっかり鍛えて、強き女性でありなさい。
言葉も綺麗なものを正しく――その為には教養もしっかり身につけないと駄目。自分の頭で考える事ができる賢い女性でありなさい。
大伯母様の教育は辛く厳しいものでしたが、決して愛が無かったわけではありません。
大伯母様はわたくしの将来を思って教えてくれたのです。
だから、どんな厳しい教育にも耐える事ができました。
何よりも、大伯母様のような大和撫子になりたくて……わたくしは必死に努力したのです。
だけど、現実はもっと厳しくて……。
わたくしがどんなに頑張って身に付けてきた言葉遣いも所作も、同級生達には「変なモノ」としか思われなくて、わたくしは「変わった子」としか認識されませんでした。
幸いにも友人達には恵まれたので、決して寂しい思いはしませんでした。
家族もわたくしを大切に育ててくれました。
だから、わたくしはわたくしでいる事ができたのです。
たとえ周りから「変わった子」だと嗤われても……。
でも、この人は……梅五郎様は……蘇芳様は……わたくしのそんな「変わった部分」も認めて、褒めて、愛してくれる……。
それだけで、幼いわたくしが辛く耐えてきた努力の日々も報われたような気がしました。
それが……どんなに尊くて幸せな事なのか……計り知れません。
わたくしは感謝をしたいです。
幼い頃わたくしと仲良くしてくださった幼馴染達に。
何も言わずわたくしを育ててきてくれた家族達に。
〈能無し〉のわたくしに親切にしてくれた仲間達に。
そして、わたくしを優しく包み込んで愛してくれる恋人様に。
だから、わたくしは明日からも頑張れるのです。
「……梅五郎様……」
「ん?」
指を絡めて、そっと梅五郎様に寄り添います。
「ありがとうございます……愛しています……貴方だけを」
そう言えば、梅五郎様も微笑んで優しく手を握り返してくれました。
わたくしは本当に果報者ですね……。
*****
神域管理庁現世管理棟で厳しい荷物検査を終えると、ようやっと神域へ足を踏み入れる事が許されます。
一部のお土産は直接現世管理棟に配達してもらっていて正解でした。流石に大きな箱いっぱいのお土産を持ち帰るのは大変だった事でしょう……ちょっと買い過ぎてしまいましたね。
橋を渡り大鳥居をくぐれば、全身が神力の色に染まっていきます……。
久しぶりに蘇芳色の髪と金色の瞳の蘇芳様を見ました。こちらの色合いの蘇芳様も素敵です。
わたくしは、相変わらず漆黒のままの〈能無し〉ですが。
久々に突き刺さる視線が少々痛いですが、隣に蘇芳様がいてくださるのであまり気にしません。
ああ、蘇芳様ったら……そんなに睨まないで……。
「さあ、帰りましょう」
十の御社に――……。
十の御社の門を叩くと、すぐさま開いて出迎えたのは……。
「おかえりなさいっす! 先輩! 蘇芳さん!」
「オカエリナサイヨー!」
可愛いわたくしの弟と妹の空さんと鞠ちゃん。
「ただいまです」
「只今戻った」
そうして、中に入って、わたくしは驚いてしまいました。
「「「「「おかえり~~!!」」」」」
なんと十の御社の神々全員が出迎えてくださったのです。
「あらあらあら……!」
「皆さん、やっぱり寂しかったっすよ。先輩達がいなくて」
「ベニちゃん、スオーさんいないと、オヤシロしまりまセーン!」
「あらまあ……」
「なんと……」
なんて困った神様達なのでしょう……。
「でも、ありがたいですわね」
「そうだな」
蘇芳様と顔を見合わせて思わず笑ってしまいます。
「お姉ちゃ~~ん」
トテトテと走ってきたのは、今回のお泊りでぇとの発案者でもある晶ちゃん。
両手を広げると、晶ちゃんはわたくしの胸に飛び込みました。
悪戯されるかしら……と思いましたが、予想に反して晶ちゃんはぎゅっとわたくしにしがみ付くばかり。
「お姉ちゃん、おかえりなさいっ」
「あらあら……」
ぎゅうぎゅうと抱き付く晶ちゃんを見て、わたくしは気付いてしまいます。
この子ったら、自分からあんな事を言い出したにもかかわらず、誰よりも寂しがっていたようですわね。
でも、仕方ありません。
この子はたった十歳で家族と引き離されて、神域で生活しているのですもの。
きっと想像以上に寂しさを抱えているのでしょうね。
まったく甘えん坊で仕方のない子……。
「ただいま、晶ちゃん」
せめて今日だけはいっぱい甘やかしてあげましょう。
そう思ってわたくしは晶ちゃんを抱き締めるのでした。
おかえりなさい、紅玉と蘇芳。
<おまけ:後ろを振り返って見えたもの>※梅五郎視点※
紅の反応を見るに、恐らく同級生だった男だと思った。
紅にはあまり男友達と呼べる存在はいなかったはずだから、そこまで親しい間柄ではないとは思うが……。
今時の男性といった感じだ。見目も悪くない。着ている服は質が良く、とても似合っている。話している雰囲気も気さくな人柄が滲み出ていた。
だが、俺の中の印象はあまり良くない。
直感か何か分からないが……。
それにしても紅に馴れ馴れしい……まあ、同級生ならば仕方ないと思うが。
しかし、紅の微笑みが固まった瞬間、考えを改める事にした。
この男は紅にとってあまり良くない思い出に残る人物なのだろう――怒りが湧いてくる。
そして、男を見て「それ」に気付いた瞬間、俺は紅と男の間に割って入っていた。
男に紅の姿を見せないようにわざわざ背に隠して。
紅の手を引いて、その場を後にしながらさり気無く振り返る――。
呆然と立ったままの男の目を見て俺は確信し……そして、思う。
子どもは純粋で無邪気が故に、時に残酷であるのだと……。
俺はその残酷さに怒るべきなのか、感謝すべきなのか…………いや、思う事は何もない。
今はただ、愛おしい彼女を大切にしたい……そう思う。