紅子の実家にて その弐
※梅五郎視点
休日二日目は紅のご実家でのんびりさせてもらう事にした。
出掛けたい気持ちもあるが、それよりももっと見せてもらいたいものがあったから……。
「これが生まれたばかりの紅か……!」
「……そうです」
「可愛いな」
見ているのは紅の幼少期の写真集だ。捲りながら思わず顔がにやけてしまうのが分かる。
自分の赤ん坊のころの写真など見た事が無いが、絶対こんなに愛らしい赤ん坊ではないだろう。
それにしても赤ん坊の紅も幼少期の紅も可愛い……本当に可愛い……。
勿論、今も可愛いが。
「もっ、もうっ! あんまりそんなにまじまじと見ないでくださいましっ! 恥ずかしいですっ!」
「貴女の写真なら全部見たいんだ。許してくれ」
「あ……ぅ……もぉ……」
頬を赤く染める紅も見つつ、写真集を捲る手を進める。
「そう言えば、紅はあまりご両親に似ていないのだな……」
「はい。父か母かと言われれば、どちらかと言えば父似ですが、一番良く似ていると言われるのは、父方の大伯母様です」
紅の祖父母君のご姉妹か……。
「わたくしは大伯母様から言葉遣いや所作などを小さい頃から教わってきましたの。将来何処へ嫁いでも恥ずかしくない淑女になれるよう、大伯母様は厳しくわたくしを教育してくださいました。大伯母様は大変尊敬できる女性なのです」
「…………」
紅は微笑んでそう言うが……小さい頃からの教育となると、間違いなく辛い事もあったに違いない。
俺もそうだったから…………。
頁を捲ると、竹刀を持った胴着姿の紅と幼い少女の写真が出てくる。
「これは、ありさちゃんですわ」
「ありさ殿か……! 面影があるな」
強い瞳が特に。あ、後ろに碧殿と新殿も写っていた。二人とも幼いな。
「ありさちゃんのお家は剣術道場で、ありさちゃんも小さい頃からとっても強くて。そんなありさちゃんに憧れてわたくしも強くなりたいってお願いをして道場に入れてもらったのです」
そう言えば、そんな話を前にもしていたな。
「ありさ殿は小さい頃からそんなに強かったのか?」
「ええ。ありさちゃんの道場と因縁のある剣術道場があるのですけれど、そちらの門下生の男の子達を一人で倒してしまう程、お強かったのですよ!」
「流石だな」
ところで、因縁関係のある二つの剣術道場……何処かで聞いた事があるような……。
そんな事を考えながら頁を捲ると、幼き紅に抱き付いて可愛らしい笑顔を向ける子が写っていた。服を見る限り、幼稚園の頃だろうか。
「これは、灯ちゃんですわ」
言われてよくよく観察してみれば、見れば見る程、灯殿と写っている写真が圧倒的に多かった。
勿論ありさ殿や美登里殿も写っているのだが、やたらと距離が近いのは灯殿だ。
小学生の頃になると千花殿や果穂殿も写り込んでいるが、やはり手を繋いでいたり、抱き付いていたりするのは灯殿だった。
「……紅と一番仲が良かったのは……灯殿か?」
「一番? 一番……と言われると、皆仲良しでしたけど……灯ちゃんはわたくしによく懐いておりましたから」
「懐く……」
「ええ、灯ちゃん、可愛らしい見た目でしょう? よく男子にからかわれておりましたの。今思えば好きな子ほどいじめたくなるという男児にありがちな行動だったのかもしれませんが、ありさちゃんの影響を受けた当時のわたくしはどうしても赦せなくて。そういう男子から灯ちゃんを守ろうとしたのです。だからかもしれません」
「そう、なのか……」
紅はきっと厚意で灯殿を守ろうとした。
そしてその結果、灯殿はやたら紅に懐いて抱き付くようになってしまったのだろう。
どうにもならない結果に歯痒さを覚える……。
「梅五郎様?」
「すまん……少し妬いた……灯殿に」
「まあ……!」
情けない。以前ならこのように心掻き乱される事なんて無かったのに……紅の事になると、俺は本当に狭量だ。
「……灯ちゃんにやきもちを焼いていたのは……わたくしの方です」
「えっ?」
驚き紅を見れば、紅は恥ずかしそうに俯いてしまったまま何も話そうとしない。
俺は……その先の話を聞きたくて、紅の手を握り、漆黒の瞳を真っ直ぐに見つめた。
そうすれば、紅は頬を赤く染めて観念したように話し始めてくれる。
「……わ、わたくし、今更自分の気持ちを偽る気もありませんし、蘇芳様を諦めるとか譲るとかそんな事しません。でも……時々考えてしまうのです。わたくしは卑怯者だって。あんな事さえなければ、灯ちゃんは……神子でいられて、きっと蘇芳様に想いを伝えられたでしょうに……」
それはきっと、三年前のあの事件……藤の神子乱心事件。
灯殿こと元二十七の神子である藤紫殿が引き起こしたと言われる神域史上最悪の大事件だ。
あの事件後、灯殿は未だ生死不明の行方不明だ……。
だがしかし――。
「紅、たとえそうだったとしても、俺が選ぶのは貴女だ」
「……っ……」
紅の頬が更に赤く染まり、瞳が揺れる。
俺の恋人は今日も可愛いな。
「それに、灯殿が好きなのは俺ではない。だから貴女は卑怯者なんかではない」
「えっ!? ええええっ!?」
……何でそんなに驚くんだ?
「え……だって、灯ちゃん……あの夜……行方不明になる直前、蘇芳様に告白を……」
「っ!?!?」
紅の呟きに思わず息を呑んでしまった。
それは、もしやあの時の――藤の神子乱心事件が起きる前夜の……!?
「紅、あの時意識があったのか……!?」
「え、ええ……ぼんやりですけど……お二人の会話が聞こえてきてそれで……聞いてしまったの……」
紅は胸の辺りで手を握り締めて、辛そうな顔をする……。
「蘇芳様が藤紫ちゃんに『行くな』って引き止めて、藤紫ちゃんが蘇芳様に『愛しているよ』って涙ながらに叫んでいるのを……だから、てっきりわたくしは二人が両想いなのだとずっと……」
長年の疑問がようやっと解けた。
何故紅が俺の好きな人が灯殿だとずっと勘違いをしていたのか、灯殿の好きな人が俺であると思い込んでいたのか……。
思わず溜め息を吐いて、紅を抱き締めていた。
「頼む、紅! 一人で勝手な勘違いをしないで、真っ先に俺に相談してくれ! 話してくれ! 本当に頼むから!!」
「すっ、すみません……! 以後気を付けます……!」
本当に頼む……!
今後また誤解されるような事があって、一人で抱え込んでしまった貴女に逃げられたりでもしたら、俺は自分自身を抑える自信がない……!
いや絶対誤解させるような事が無いと絶対に誓う!
「紅、愛している。疑うのなら何度でも言う。俺は紅を愛している。愛しているんだ、紅。愛している」
「はっ、はい! わかっています! わかっていますっ! 疑いません! 梅五郎様を信じております! ですから落ち着いて!」
ぎゅうぎゅうと紅を抱き締めてもなかなか落ち着かない……。
長年誤解されてきた原因がようやっと分かって、今後またそんな事があるかもしれないと思うと肝が冷える……。
俺はもう紅を手離す事などできない。
彼女を失うなんて事は考えられない。
紅が身を捩って身体を押すので、仕方なく紅を解放する。
それでも手を握って離さない。
「……すまん、紅……やはり、俺は化け物だ」
「え?」
「貴女と灯殿は幼馴染という時間をかけた深き仲だ。たった数年の付き合いの俺には到底及ばない。だからどうしても灯殿の話を貴女から聞いたり、幼い頃の写真をこうして見ていたりすると……仄暗い想いが沸々と沸き上がってくる。灯殿だけではない。ありさ殿、美登里殿、千花殿、果穂殿……彼女達にも」
繋いだ手を少し強く握る。
「貴女の心を占めるのは常に俺であって欲しいし、その瞳に映すのも常に俺であって欲しい……仕事真面目で多くの人から頼りにされている貴女には難しい話だろうが、それでもそうあって欲しいと願ってしまう」
こんな事を言って紅に嫌われでもしないだろうか……不安になり、紅の髪や頬に手を伸ばす。
「俺は人一倍嫉妬深いようだ……まるで化け物の如く」
紅に近づく者に牙を剥き、決して誰にも近寄らせず、紅を一人で独占したがる……狭量な嫉妬深い醜い男なんだ……俺は。
それでも……それでも……貴女を手離すなんて考えられない。
「……こんな嫉妬にまみれた俺は嫌か? 呆れたか? 恐ろしいか?」
「もうっ……梅五郎様ったら……」
紅が握った俺の手を持ち上げて頬を寄せてくれる。
「こんなに深く想われて、嫌だなんて思いませんわ」
「っ……!」
堪らず、紅の額に自分の額を重ねる。
擦り寄せて、間近で漆黒の瞳を見つめればとろりと蕩けていて……。
俺達は惹かれるように唇を重ね合う。
甘く、柔らかい感触に、全身が熱くなっていく……止まらない。
何度も重ね、角度を変えて、たっぷりと想いを確かめ合う。
唇を離すと一度目を開け、紅の顔を見た。
顔は真っ赤で、瞳は潤んで今にも涙が零れ落ちそうで、口は荒い呼吸を繰り返し、唇の隙間から赤い舌が見え隠れしている……。
ゴクリ――音が鳴る程、唾を飲み込む。
理性が焼き切れそう……いやもう手離してしまえ。
俺は口を開けて紅の唇に噛み付――……。
『コンコンッ』
その音に、心臓が止まるかと思った。
俺と紅は慌てて身体を離した。
「べ~に~?」
その声とともに入ってきたのは、紅の母君……。
「プリン買ってきたんだけど食べる?」
「たっ、食べますっ! 食べますわっ!」
「おっ、お心遣い感謝申し上げます……っ!」
あ、危なかったぁぁああああっ!!
盛大に息を吐いていたら、母君がとんでもない事を言った。
「あらいいわよ~、そんな遠慮しなくても。梅五郎君は将来のお婿さんだもの~!」
「っ!!」
「かっ、母様!!」
「おほほほほ~」と高笑いを上げながら、母君は去っていった……。
そして、俺と紅は諸々の疲労で撃沈した……。
ほ、本当……危なかった……。
「まったくもう……申し訳ありません、梅五郎様……母は少々冗談が過ぎるところがありまして……」
「…………冗談?」
「人をからかって反応を見て楽しんでいるだけですから、本気になさら――」
紅の言葉はそれ以上紡がれる事は無かった――俺が唇で直接塞いでしまったから。
わざと音を奏でて唇を離してやれば、紅は一気に顔を赤く染めた。
「俺は冗談にするつもりもないし、本気だからな」
「へ……?」
目を丸くする紅の頭をふわりふわりと撫でて、にっこりと笑う。
「きちんとした言葉は……もう少し待っていてくれ」
俺の言葉を聞いた紅は顔を赤く染めたまま、硬直してしまった。
真っ赤なまま固まってしまった紅の手を引いて階下に降りれば、すでにプリンが用意されていた。
紅の好物のプリンだ。
しかし、紅はぼーっとしたまま食べようとしない。
仕方ないので、俺が手ずから食べさせてやる。
「はい、あーん」
そう言えば、紅は大人しく口を開けてくれ、プリンを食べてくれる。
俺の恋人はやはり可愛い。
そうして俺は上機嫌で紅にプリンを食べさせたのだった。
<おまけ:プリンを食べさせられている紅を見て家族は>
母「あらヤンダ! ラブラブねぇんっ! もうっ、お父さんったら泣かないの!」
父「あんなに小さかったあの子が……嫁に行くのか……ズビッ(号泣)」
鉄「うわ~~~~…………砂糖吐く…………」