十六夜の会へは……
いつもより短めですが、おまけも含めて糖分少し多めです。
その日の夜、とある伝令役小鳥によって届けられた手紙を蘇芳は受け取った。送り主は幽吾だ。
そして、その代わりに紙切れを渡す。宛先も幽吾だ。
小鳥が一陣の風を巻き起こしていなくなると、その場で手紙を開封する。
そして、手紙を読んだ蘇芳は思わず目を瞠ってしまう。
その内容とは――……。
「蘇芳様?」
「!」
振り返るとそこには、もう間もなく夜だというのに出かける支度をしている紅玉がいた。
「どうなさったの? こんなところで」
ちなみにここは玄関前広間だ。
「貴女を待っていた」
「わたくしを?」
「今日は『十六夜』だからな」
祈りの儀が行なわれる満月の日の翌日――つまり毎月の十六夜の日は、朔月隊結成初期の隊員四名による定例会「十六夜の会」の開催日である。
当然蘇芳も知っている事だ。
「まあ、わざわざ御見送りに来てくださったの? ありがとうございます」
「違う」
「……え?」
紅玉が戸惑いの声を上げたと同時に、蘇芳はその両腕で紅玉を抱き締めてしまう。逃さないように、ギュッと。
「行かせない」
「へ?」
「今日は絶対に行かせない」
「な、ぜ?」
「あの男に、貴女を会わせたくない」
「あらまあ……」
そう、本日の「十六夜の会」は、鷹臣への追加の尋問を行なう日でもあったのだ。
情報は極秘のはずだが、きっと幽吾辺りが流してしまったのだろう。
でも、そんな蘇芳の気持ちが、優しさが、嬉しくて堪らない。
「ありがとうございます、蘇芳様……」
思わず蘇芳の身体を抱き締め返す。
「でも、ごめんなさい。わたくし、行かなくては。あの男から話を聞かなくてはならないから」
そっと蘇芳の身体を押そうとしたが、蘇芳は更に力強く紅玉を抱き締めてしまう。
「駄目だ! 絶対に赦さない!」
困り果ててしまう紅玉を余所に蘇芳は軽々と紅玉を抱え上げると、そのまま二階へと上がっていく。向かった先は自分の部屋だ。
ガチャンとしっかりと施錠して、決して紅玉を逃げられないようにする。
そうして紅玉を抱えたまま器用に長椅子の上に座る。
そうすると、紅玉は自動的に蘇芳の膝の上に座る事になってしまった。
「すっ、蘇芳様……!」
戸惑って赤くなってしまう紅玉の顔がよく見える。
蘇芳はするりと紅玉の頬を撫でた。
鋭い金色の瞳が揺れる漆黒の瞳を捕らえる。
「紅」
「お、お願い蘇芳様……行かせて?」
「駄目だ」
「せめて一緒に参りましょう? そうすれば赦してくださいます?」
「それも駄目だ。貴女の瞳にあの男が映る事自体が嫌なんだ」
真剣な眼差しで真面目にそう答える蘇芳の姿に、紅玉は思わず胸を高鳴らせてしまう。
嬉しくて堪らない。
(――って流されてどうするの!? わたくしぃっ!)
思わず首を振って雑念を払う。
「蘇芳様、あの男からとても大事な事を聞かなくてはならないの。わたくしはそれを聞く義務があります。だからお願い。行かせてくださいまし」
「……………………わかった」
蘇芳の返事に紅玉はほっと息を吐いた。
しかし、紅玉の思いとは裏腹に蘇芳は紅玉の顎を捕らえていた。
「ならば実力行使するまで」
物騒な言葉が発せられたと同時に、蘇芳の唇が紅玉の唇を塞いでいた。
「んんっ!? んっ!」
蘇芳の突然の行動に紅玉は驚いてしまう。
抵抗しようと蘇芳の胸を押したり叩いたりするが、全く歯が立たない。
挙句、唇が離されないよう後頭部を押さえられてしまう。
「ふっ……! んんっ……!」
たっぷり口付けをされ、ようやっと離されたと思ったらまた長い口付けをされる。
間近で見える金色の瞳がじっと見つめてくる。まるで獲物を捕らえて離さない獣の如くギラギラとしていて、目が逸らせない。
「ふっ……っ……!」
捕らわれてしまう。酔いしれてしまう。
心臓が爆発するように速い。息が苦しくて堪らない――。
(も……だめ……っ……)
そう思ったと同時に、ようやっと唇が解放される。
「はあっ……はあっ……はあっ……っ……」
酸素を求めて紅玉は荒い呼吸を繰り返す。まるで全力疾走した後のようだ。
瞳から生理的な涙が零れ落ちて、蘇芳がそれを舐め取った。
しかし、それを咎める気力は最早紅玉に残っていない。
くたりと蘇芳の身体に凭れかかると、蘇芳が離さないようにきつく抱き締めた。
「行かせない、紅……絶対に、行かせない」
「はあ……っ……いか、ない……いきません……っ……」
紅玉が降参するように小さく頭を振ると、蘇芳はようやっと安心したように微笑んだ。
「すまん……手荒な真似をして」
蘇芳は紅玉を抱き締めたまま宥めるように紅玉の背中を撫でる。
狡いと思いながらも、紅玉は蘇芳に身を委ねてしまう。
本当は行かねばならない場所があるのに……。
(ああ……ごめんなさい……)
そんな事を思っていると、再び蘇芳の顔が近付いてきて、唇が重ね合わされる。
今度は食むような優しい口付け……でも、紅玉の胸に残る罪悪感すら溶かしてしまう程の甘いもの。
優しく何度も口付けられて、蕩けてしまった紅玉は蘇芳に縋りつくしかなかった。
いつしか「十六夜の会」の事など忘れてしまっていた。
*****
一陣の風を巻き起こして帰って来た己の伝令小鳥を、幽吾は手の先へと導く。
「ご苦労様、冥土。ちゃんと蘇芳さんに手紙を届けてくれたんだね。ありがとう」
そして、小鳥が差し出してきた紙切れを受け取って目を通す。
「あはは、やっぱりね」
そんな事を呟きながら、空へ小鳥を放つ。小鳥はあっという間に夜闇へと消えていった。
代わりにやってきた存在に幽吾は目を向ける。
「やあ、こんばんは」
「おう」
「お疲れ様、幽吾君」
やってきたのは轟と世流の「十六夜の会」の参加者だ。
いつもなら紅玉もここに来る予定なのだが……。
「紅ちゃんは今日不参加だよ」
「あ? 何でだ?」
「蘇芳さんが断固拒否するってさ」
「「ああ……」」
幽吾が見せつけた紙切れには太めの文字で蘇芳からの伝言が書いてあった。
「なんか思った通りねぇ」
「……アイツ、過保護が悪化してねぇか?」
「まあまあ、分かりきっていたことはさて置いて――」
幽吾は瞬時に地獄への門を召喚する。
「行こうか」
そうしてくぐった地獄の門の先に驚くべき人物がそこにいた。
「こんばんはぁ~。お疲れ様で~す」
「何でおめぇがこんなところにいるんだよ!?」
にこやかに手を振りながら出迎えたあざみの姿に、轟も世流も戸惑いが隠せない。
「幽吾君、これは一体どういう事?」
「取引したんだよ」
「取引だぁ?」
幽吾はにっこり笑うと足を進める。
「ほら、さっさと行こうよ。罪人の元へさ」
どんどん先に進んでいく幽吾をあざみも追う。轟と世流もとりあえず追いかけるしかなかった。
<おまけ:紅玉の苦手な事>
長い、長い口付けをしてから、蘇芳はようやっと唇を離す。
すると、紅玉は忘れていた呼吸を再開させる。顔を真っ赤にさせ、瞳は涙で潤み、酸素を求めて口が半開きだ。
唇が唾液で濡れているので、指で拭ってやると、紅玉が蘇芳の掌に頬を擦り寄せて、コテンと首を傾げる。
瞬間、痺れるような甘い感覚に襲われ、紅玉に再び口付けたくなってしまう。
しかし、理性がなんとか蘇芳を押し止める。
これ以上無理をさせれば、紅玉は本当に酸欠になってしまうと。
(口付けの時に息を止めてしまうからな、紅は)
口付けを交わす仲になってから気付いた紅玉のその癖。
唇を重ねている間はずっと紅玉は息を止めてしまうのだ。
どうやら口付けの合間に呼吸をするのが苦手なようで、苦しくなってもずっと我慢し続け、その結果ぐったりとしてしまう。
(その癖を、今日は利用してしまったな)
ほんの少しの罪悪感に駆られるも、真面目な紅玉をあの男に会いに行かせない方法がそれしか思いつかなくて……。
「すまんな、紅」
「……ほ、え?」
「……………………」
真っ赤な顔で、蕩けた表情で、口で必死に呼吸をして、唇を濡らして、首を傾げる紅玉があまりに可愛すぎて――再び唇を重ねたい衝動に駆られる。
(重ねるだけじゃない。もっと深く……もっともっと紅を味わいたい……!)
獣のような衝動が、蘇芳を突き動かす――……!
『コンコンッ!』
突如鳴り響いた音に蘇芳は身体をビクッと震わせる。
「蘇芳く~~ん、いる~~?」
「あっ、ちょっ、待ってくれ!」
鍵を開け部屋の扉を開けると、そこには湯上りの紫が立っていた。
「お先お風呂頂いたから。後片付けお願いしてもいい?」
「あ、ああ……わかった」
「それじゃ、おやすみ」
去っていく紫を見送ると、部屋の扉を閉める。
そして、盛大に大きく息を吐く。
(よ……よかった……!)
紫にバレなかった事への安心感なのか、紅玉に衝動をぶつける寸前で阻止できた事への安心感なのか……それは果たしてどちらなのか、蘇芳自身にも分からない。
蘇芳は振り返って紅玉を見る。
長椅子にちょこんと腰掛けて、蕩けた真っ赤な表情でぼんやりと荒い息を繰り返している紅玉を。
頭を抱えたくなる程、己にとって危険な存在だと改めて気付かされる。
蘇芳はすぐさま行動に移す為に紅玉の前へ跪く。
「紅、部屋に戻ろう」
蘇芳の言葉に紅玉は黙ったまま小さく頷いた。
紅玉の了承を得たので、蘇芳は紅玉を抱え上げる。花のような甘い香りに一瞬クラッとするが、己に渇を入れながら向かい側にある紅玉の部屋へと向かう。
そうして薄暗い部屋を進み、寝台の上へ紅玉を座らせる。
「今日は、もう寝る事。いいな?」
紅玉がコクンと頷く。
「夜に一人で出かけるのは駄目だからな」
また紅玉はコクンと頷く。
「おやすみ、紅」
そう言って、最後に紅玉の額に口付けをすると、蘇芳は紅玉の部屋から出る。
扉を閉める最後まで紅玉がこちらを向いて見送ってくれたが、蘇芳は理性を繋ぎ止めるので必死だった。
(……こんなことで、自身を抑えきれないとは情けない……!)
紅玉の部屋の前で盛大に溜め息を吐くと、蘇芳は自室へと戻る。
(……次……俺は耐えられるのだろうか……)
顔が熱くなっていくのを自覚しながら、蘇芳は煩悩を振り払うように頭を振る。
そして、熱くなった体を冷ます為にとりあえず自室にある浴室へと向かうのだった。