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大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第四章
220/346

朝帰り




 ふわりと頭を撫でられた気がする。


(……あったかい……)


 全身を包む温もりと優しい香りに再び眠ってしまいたくなるが。


(……いま、なんじかしら……?)


 ゆっくりと目を開けると、まず目に入ってきたのは薄暗い部屋と大きな身体だった。


(……あらぁ……?)


 頭がまだぼんやりとしていて、思考が回らない。

 大きな手が頬を撫でてくるのが心地良くて、ますますまどろんでしまいたくなる。


「……起きたか?」


 だから、その声を聞いた瞬間、紅玉は一気に覚醒してしまった。

 昨夜の事を全て思い出してしまったから。


 紅玉は緊張した動きでゆっくりと顔を上げた。


「おはよう、紅」


 蕩けるような微笑みに慈しみの籠った声。挙句大きな手は優しく撫で続け、極め付けは額に触れた柔らかな温もり。

 それが何か分かった瞬間、紅玉は顔が爆発するように熱くなってしまった。


「ぅ~~~~~~っ!!!」

「どうした? 紅」


 両手で顔を覆って悶えてしまう紅玉の頭を蘇芳は優しく撫で続ける。

 そして、その声も甘い。酷く甘い。砂糖と蜂蜜を煮詰めたが如くの甘さだ。挙句の果て、その声は酷く嬉しそうで楽しそうである。


 指の隙間からそっと蘇芳の表情を覗き見れば、案の定蘇芳は極上の笑みを浮かべていた。頬をほんのりと赤く染め、まさに自分は幸せであるとありありと書いてあるような顔だ。

 思わず胸が高鳴ってしまい、また悶えたくなってしまう。


 ああ、でも……蘇芳の気持ちは物凄く良く分かる。自分も同じなのだから。


「……夢、じゃ……ない……ですよね?」

「ん?」

「……昨日の……あの……お言葉は……」


 夢であったらどうしよう……そんな不安に駆られて、夢でないという答えが欲しくて、思わずそんな事を口にしてしまう。


 そんな紅玉の心を察したのか、蘇芳は紅玉が顔に覆っている両手を取り、顔から退ける。

 漆黒の潤んだ瞳と金色の蕩けるような瞳が重なった。


「愛している、紅。貴女が不安に想うのならこの想いを何度でも告げよう。愛している。貴女だけを。貴女の傍にいたいんだ」


 蘇芳は紅玉の指に己の指を絡めるように両手を握り、その指先にそっと口付ける。


「……どうしましょう……」

「ん?」


 紅玉の瞳から涙が一筋零れ落ちた。


「わたくし、幸せ過ぎて、罰が当たってしまうかもしれませんわ……」


 嬉しい。嬉しくて堪らない。幸せだ。

 昨夜もどんなに嬉しくて、どんなに幸せで、どんなに救われたか……。




 だからこそ、冷静になった今、思い出してしまった。

 己の罪悪感を。

 一人だけ生き残ってしまった残酷な事実を。




 紅玉は蘇芳から手を離すと、再び両手で顔を覆ってしまう。


「ごめんなさいっ……嬉しいですっ……蘇芳様と同じ気持ちである事はとても嬉しいです……っ! でもっ、わたくしっ……わたくしだけが幸せになるだなんてっ……そんなのっ、絶対赦されません……っ!」

「……………………」


 紅玉の心に根深く棲み付くそれは、未だに紅玉の心を蝕み続ける。


「…………分かっている」


 だからこそ、蘇芳は紅玉を抱き締める。

 その身体も、その心も、根深く棲み付くそれすらも。


「ならば俺もその罪をともに背負うまで。言っただろう? 貴女の傍にいたいと。愛していると」

「……蘇芳、さま……」


 さらに強く抱き締められる。同時に涙も溢れてくる。

 幸せ過ぎて、嬉しくて。


「もう離してやるつもりなんてない。遠慮もしない。だから、その罪を俺にも背負わせてくれ。自分の気持ちに正直に生きてくれ。幸せを拒絶しなくてもいいんだ」

「あ……あぁ……っ……」


 ポロポロと涙が零れ落ちる。堪らず蘇芳の身体に縋りついてしまう。


「紅……」


 額と額が合わさり、蕩けるような金色の瞳が見つめてくる。


「甘えてくれ。俺に甘えていい。貴女の全てを、俺は受け止める。いや、受け止めたい。貴女を愛している」

「好きっ……!」


 罪悪感は決して消えない。

 一人だけ生き残ってしまった悲しみも一生癒えない。


 でも、それでも、そうだとしても……この想いも消えてはくれない。

 甘く痺れるようなこの幸福な想いを止める事ができない。


 たとえ、責められたとしても、罵られたとしても、裏切り者だと叫ばれても……。


「蘇芳様が好きっ……! 大好きっ……! 愛していますっ! わたくしも……っ!」

「紅……っ!」


 抱き締められた瞬間、唇に触れる柔らかな感触。

 一回、二回、三回……何度も何度も重ねられる。

 今まで堰き止められていた想いが流れ出すように、蘇芳も紅玉も夢中で唇を重ね合う。互いの唇を食むように、重ねては離れ、重ねては離れを繰り返す。


 少し息が上がる頃には、互いの顔は赤く上気していて、瞳は蕩けるように潤んでいた。


「……紅……紅……愛している……」

「愛しています……蘇芳様……」


 何度も想いを呟き、また抱き締め合って何度も唇を重ねる。

 何度も、何度も、何度も……。




 口付けに夢中になり過ぎて、紅玉がぐったりとする頃には、すっかり夜が明けていた。




*****




「きっと、怒られてしまいますよね?」

「そうだな」


 二人一緒に苦笑いを浮かべつつも、絡め合った右手と左手はそのままに紅玉と蘇芳は帰路についていた。


「まさか、お泊まりする事になってしまうなんて……」

「挙句連絡を入れ忘れてしまったからな」


 まだ人気のない早朝の参道町をゆっくりと進む。

 文月で大分暑くなったとはいえ、早朝は過ごしやすい爽やかな空気だ。


 しかし、身体と心は火照るほど熱い。


 紅玉は思わず握った蘇芳の手を握り締める。


「……なんて説明すればよろしいのかしら……」

「そうだな。正直に話すしかないのでは?」


 蘇芳が柔らかく笑いながら手を握り返すと、紅玉は視線をうろつかせ、恥ずかしそうに顔を俯かせてしまう。ほんのりと赤く染まる頬が見えた。


(ああ……可愛いな……)


 その赤く染まる頬も百面相をしているその顔も可愛くて、可愛くて……口付けたくなる。


(……あれほど口付けをしておきながらまだ足りないなんて……)


 たっぷり口付けをした後の息の上がった紅玉の顔を思い出してしまう。




 顔を真っ赤に染め、蕩けて潤んだ漆黒の瞳からは溢れた涙が零れていて、眉は困ったように下がっていて、唇は何度も重ね合ったせいで紅色になり、挙句互いの唾液でたっぷり濡れていて、銀色に光る細い糸が紅玉の唇から己の方に伸びていて――。




(煩悩退散っ!!!!)


 心の中で叫びながら、蘇芳は右手で己の額を殴りつけていた。

 紅玉がギョッとするのも気にせず、蘇芳はもう一度額を殴り付ける。


 視界が激しくぐらつき、蘇芳は膝を着いた。


(取り戻せ理性!! いくら心を通わせたとはいえ、これ以上紅に負担をかけさせてどうするっ!?)




 唇と唇を繋いでいた銀色の糸がプツリと切れた瞬間、蘇芳の理性も焼き切れる寸前だった。

 グラグラとする理性の中、紅玉の唇にもう一度噛み付こうとしたその時――。


「もぉ……だめ……っ……」


 息も絶え絶えにそう言った紅玉の声を聞いた瞬間、蘇芳は我に返ったのだった。




(あの時の俺を褒めたい。自画自賛したい。よく耐えた。ほんとよくぞ耐えた。蘇芳! お前は偉い!!)


 その時だった。


 ふわりと花の香りが届いたと同時に、額に柔らかな感触が触れる。

 ハッとして目を開ければ、紅玉が蘇芳の額に唇を寄せていた。


「べっ……!?」


 固まっている蘇芳を余所に、紅玉はそっと唇を離すとそこを撫でる。


「ああ、赤くなってしまいました……いきなりどうしたのですか? 蘇芳様」


 やわやわと撫で続ける紅玉の姿に蘇芳は右手で顔を覆う他なかった。赤く染まる頬と耳はちっとも隠し切れていないが。


「貴女には、敵わない……」

「???」


 小首を傾げる紅玉の姿も愛おしくて、蘇芳は再び理性の戦いになってしまうのだった。




******




 やっとの事で辿りついた十の御社の門を、紅玉と蘇芳は緊張した面持ちで見つめた。


「それでは、覚悟を決めましょう」

「ああ。どんな説教でも受けて立とう」


 二人は一緒に門を叩く。


「「只今戻りました」」


 二人が声を揃えて言った瞬間、門はゆっくりと開かれる。

 導かれるように御社の敷地内へと足を踏み入れると、門がゆっくりと閉じていく。


 そうして門が閉じ切ったその瞬間だった。




「「「「「おっめでとうございまぁぁああああすぅぅううううっ!!!!」」」」」

「「「「「祝杯だぁぁぁぁああああああああっ!!!!」」」」」


 十の御社の神々の祝福の声が爆発し、二人は思わず呆気に取られてしまう。


「やっとぉ……! やっとじゃあ……っ! 苦節三年、儂らがこの日をどれだけ待ち望んできた事かっ!!」

「蘇芳!! お前は男だ!! よくぞ言った!! いやでもおっせぇよっ!!」

「紅ねえ! 祝言はいつ? ねえいつ!? お着替えのお手伝い絶対させてよっ!?」

「ほらほら蘇芳も飲んだ飲んだ!! 今日は思う存分祝おうじゃないかぁっ!!」

「ならばボクは祝福の舞をしましょう!!」

「んで、朝帰りの理由をたっぷりと聞かせてもらおうじゃないか~?」


 神々に揉みくちゃにされながら様々な言葉をかけられていく。


「みっ、皆様、落ち着いてくだされ……!」


 興奮気味の神々から蘇芳が必死に守ってくれるおかげで、紅玉は冷静になる事ができた。そして、周囲を確認する。




 こちらを申し訳なさそうに見つめて、両手を合わせる幽吾の姿。

 庭園に残された宴会の名残……というか残骸。

 ぐったりと倒れている紫と空と鞠の姿。

 そんな三人を介抱している蒼石と水晶の姿。

 そして、水晶がこちらを見つめて首を横に振っていた。




 それだけで紅玉は全てを察した。




「あらあらあらあらぁ……皆様、わたくしがいないからって随分と羽目を外されたようですわねぇ……?」


 絶対零度の空気が一気に広がり、興奮状態だった神々が一気に凍り付いたように静かになる。

 紅玉が蘇芳の腕から抜け出すと、神々もジリジリと後退りを始めていた。


「あらあらあらあらぁ、一体お酒を何本空けたのでしょうねぇ~?」


 「い~ち、に~い、さ~ん、し~い、まあ数えきれませんわ~!」と楽しそうな笑みを浮かべる紅玉に、神々はますます震え上がった。


「蘇芳様、今何時ですか?」

「あ、えと……朝の六時だな」

「幽吾さん、ここに報告に来たのは何時頃ですか?」

「昨日の夜の十時前くらいだったかなぁ」

「晶ちゃん、宴会が始まったのは何時頃ですか?」

「その直後だよ。十時くらいからずっと」

「まあ! 昨日の夜十時から今の今まで約八時間! 八時間も宴会をなさっていたのですかぁ~?!」


 「ふふふふっ! うふふふふっ!」と笑う紅玉の声に籠められているのは、楽しさなんかではない。絶対零度の如く凍てつく怒りだ。


「さて、皆様お覚悟はよろしくて?」

「べ、紅ねえ……! わ、儂らはな、お前さん達の事が嬉しくて嬉しくて……!」

「だからと言って! 夜通しで宴会をしていい理由にはなりませんっ!!」

「「「「「ひぃっ!!」」」」」


 「バシンッ!」――紅玉が取り出したのは愛用のハリセンだ。


「さあ皆様。お仕事、お仕事。きっちり働いて頂きますわよ? 後片付け、ゴミ捨て、食器洗いに庭園のお掃除。やる事が山積みですわよ~~?」

「「「「「はっ、はいっ!!」」」」」


 「バシンッ!」――ハリセンが鳴り響く。


「今から一時間以内に済ませないと、一週間おやつもお酒も禁止ですですからねっ!!」

「みっ、皆のもの急いでかかれぇっ!!」

「おやつの為~~!! 酒の為~~!!」

「うわ~~~~んっ!! 一週間抜きはイヤ~~~~っ!!」

「こら! 燃えるゴミと燃えないゴミはしっかり分けなさい!!」

「酒豪神! 酒瓶一体何本空けたんだ!?」

「残り物は分けて保管してください! もったいないでしょう!?」

「ちょっと! 男神もお皿洗い手伝って!!」

「女神こそ! 力仕事を男神に押し付けるな!!」

「喧嘩をするようなら一週間精進料理に切り替えてもよいのですよ~~?」

「「うわ~~~~んっ!!」」


 自由気ままな神々を相手に見事な指揮を取る紅玉の姿に、蘇芳はますます惚れ惚れとしてしまう。


「流石だな……」

「ま、お姉ちゃんですから」


 蘇芳の前にふらりとやってきたのは水晶と幽吾だった。


「ごめんね。君達の代わりに十の御社に報告しに行ったらこんな事になっちゃった」

「……なんと報告をしたのですか?」


 まさか鷹臣の事を話したのでは、と懸念する蘇芳を余所に、幽吾はニヤリと笑う。


「蘇芳さんと紅ちゃんがやっと恋人同士になったから、遊戯街に泊まっているよって」

「誤解を生む説明!!」


 いや、間違いではないのだが。


「うみゅ、違うの?」

「あっ、いえっ、そのっ……べ、紅と恋人になれたのは間違いありません……ですが、一線は……! 一線は越えていませんので、ご安心を……!」

「うみゅうみゅ。大丈夫、大丈夫。真面目なすーさんにそんな大胆な事できるわけがない」

「…………」


 いや、理性は焼き切れる寸前で、実に危うかった……など言えるわけがない。


「ま、何はともあれ……」


 水晶は蘇芳を見ると、可愛らしい微笑みを浮かべた。


「おめでと。お姉ちゃん泣かしたらぶっ飛ばすから覚悟してね」


 姉想いの妹の姿に、蘇芳は跪いて頭を下げるしかない。


「はっ。必ずや、紅を幸せにしてみせます」

「うみゅうみゅ。よろしく頼んだよ」


 そんな蘇芳の頭を水晶は優しく叩く。

 祝福と――……ほんのちょっとの嫉妬を込めて。





<おまけ:宴会を捌き切った勇者達>


 必死に片付けを始める神々の姿を見つめてぐったりとしながら空は言った。


「ゆかりさん、ゆかりさん……せんぱいかえってきたっすよ……おれたちのたたかいはおわったっすよ……」

「いえ~い……うぃーあーうぃなー……」

「ゆかりさん……それ、わたしのせりふ……」


 鞠の言葉にほんの少しの違和感を覚えるも、それに返す気力など紫には残されていなかった。

 夜通しの宴会を、紅玉と蘇芳という主力を欠いた中、たった三人で捌いたのだ。もう眠たくて仕方ない。


「もう……ねる……」

「おれも、げんかいっす……」

「わたしも……もうだめ~……」


 ぐったりと重なり合うように眠ってしまった三人を蒼石は労わるように見つめた。


「お疲れ様。三人とも」


 蒼石はせめて休みやすいように三人の体勢を整えてやった。


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