盾の一族の化け物と知の一族のお嬢様
カランカランッ! ――若干、乱暴に扉の鐘が鳴った。同時に響く大きな足音。
「いらっしゃま――」
「紅殿がいるだろう!?」
「あらぁ……思ったより早かった……」
世流の目の前に現れたのは憤怒の形相の蘇芳その人だ。もうここを突き止めてしまったのかと思う。
「店先で肇殿にお会いしたからな!」
「すみません、世流さん……何か問題ありました?」
「あっちゃあ……」
蘇芳の後ろから現れた肇の姿に世流は天を仰ぎたくなった。
肇に悪気はない。詰めが甘かった己の失態である。
「紅殿はどこだ!?」
「えっと、うん、ごめんなさい。謝るから紅ちゃんを叱らないでね」
「詳しく説明してもらおうか!?」
「うん、ホントごめんなさい。謝るから怒鳴らないで。他にもお客様がいるから」
しかし、時はすでに遅く、蘇芳の怒鳴り声を聞き付けた客達が世流達の方に視線を向けている。
「あ~あ……僕、知~らない」
「ねえねえ、天海君! これが噂の痴情の縺れってやつ?」
「……姉さん、だからそういう知識は一体どこから……」
「蘇芳! ここで会ったが――!」
「あなたが出ていくとますますややこしい事になるので黙っていましょうね、砕条」
「そういや紅ちゃん、どこ行ったん?」
「さっき店出てったきり戻ってねぇぞ」
聞こえてきた声に世流はハッとする。
(まさか、さっきのって、犯人を見つけて……!?)
一向に答えようとしない世流に蘇芳の苛立ちが爆発する。
「おいっ!! 紅殿に一体何を手伝わせているんだっ!?」
赤黒い強過ぎる神力が店中を駆け巡る――これは、殺気だ。
その凄まじさに世流は完全に怯んでしまう。
ああ、そうだ。この男は神域最強戦士と呼ばれているのだった。
腰が抜けそうになる程、全身が恐怖に震える。
バタバタと人が倒れていくが、そんな事を気にかけている余裕すらない。
どうしよう……早く何か答えなくてはいけないのに……目の前の蘇芳があまりにも恐ろしくて、声が出せない……!
「おい、蘇芳」
渋みのある声が響き渡る。
「やたら殺気を撒き散らすな。世流ちゃんが怖がっているだろ。あとお前の神力に耐え切れない弱い子も店にいるんだから鎮めろ」
金剛に窘められ、蘇芳はハッとする。
気付けば、店員や客が気を失って倒れていた。
「す、すまん……」
「まったく……ちったぁ落ち着け」
いつもの蘇芳に戻ったのを見て、世流は大きく溜め息を吐く。冷や汗が凄い……。
しかし、それよりも店内の混乱が酷い。
店員だけでなく客の大半が気に失っているようだ。無事なのは、金剛と肇、朔月隊関係者も無事なようだ。
「諷花! おい諷花! しっかりしろ!」
「姉さん……! 姉さん!」
「……あかん……完全に気ぃ失っているわ……」
身体の弱い諷花は耐えきれるはずもなかったようだ。轟に寄りかかってぐったりとしており、妖怪先祖返りの三人が真っ青な顔で心配をしている。
あと、砕条と星矢も無事で、店内の客や店員の様子を見て回ってくれている。
「客はそのまま席に寝かせておこう。店員はどうする?」
「裏へ運びましょう。ご店主、構いませんか?」
「ええ……お願いします」
砕条と星矢はテキパキと気絶した女性店員達を運んでいく。その頼もしさに世流は感謝するしかなかった。
店の惨状に蘇芳は愕然としてしまう。
「……世流殿……申し訳なかった……我を忘れて多大なご迷惑を……」
真っ青な顔で深々と頭を下げる蘇芳を見て、本当に先程の殺気を撒き散らした仁王と同一人物なのかと驚いてしまう。
そもそも蘇芳をそんなに怒らせた原因を作ってしまったのは、他ならぬ世流自身だ。
「いいのよ。気にしないで。元はと言えば、ワタシが悪かったし……」
「いや、自分が悪かった……! 申し訳ない……!」
ああ、このままでは謝罪合戦になってしまうな……と思った時だった。
「謝らなくていいわよ、店長さん。どう考えても悪いのはそこの化け物なんだから」
きっぱりと言い切った女性の声に誰もが振り返った。
「…………あ? 何だって?」
金剛に至っては珍しく怒っているようだ。
「…………その言い方、良くないよ、お嬢ちゃま」
「うっさいわね、影。だって本当の事じゃない。化け物は化け物なんだから」
そう言って幽吾の向かい側から立ち上がったのはあざみだった。あざみもまた蘇芳の殺気を乗り越えていたようだ。
あざみを見て、金剛はハッとなって気付く。
「そうか……知の一族のお嬢様か」
「お久しぶり~。盾の一族のおっさん」
「おっさん言うな」
「あら、ごめんあそばせ。だっておじさんなんですものっ」
嫌味を隠そうとしない一言に金剛は思わずイラッとしてしまう。肇が咄嗟に金剛の腕を押さえる。
「神子、心を穏やかに」
しかしながら、神子管理部部長として容赦のない一面があるあざみという人物を知っている肇は即座に察する。
(この部長と神子は相性が随分と悪いかもしれないね)
あざみは更に言葉を重ねていく。
「言わせて頂きますけど、あなたの弟さん、『初代盾の再来』で『神域最強戦士』なんでしょ? どんなに斬っても刺しても殴っても燃やしても沈めても潰しても埋めても死なない不死身の鋼の肉体……それ、化け物でただの兵器でしょ?」
「お嬢ちゃま」
幽吾が語気を強めて窘めようとするが、あざみは止まらない。
「そんな危険人物、こんなところに野放しにしておくべきではないわ。古の風習に従って、皇族様に献上して、契約術を施してしっかり手綱を握ってもらうべきだとアタシは思うわ」
「おいっ! おめぇ! さっきから聞いてりゃ蘇芳を躾のなってねぇ犬みたいに馬鹿にしやがって!」
「躾のなってない犬よ、コレは。考え無しに力任せに暴れまわる、ただの狂犬で化け物よ」
「てめぇっ!」
今にもあざみに殴りかかろうとする轟を天海と美月が止める。
しかし、その程度であざみが怯む様子はない。あざみは蘇芳を睨みつけると言った。
「第一、アンタ、紅の何? 保護者? 親? 兄弟? 彼氏? ……違うわよね? ただの赤の他人でしょ? 赤の他人のアンタが紅の行動に口を挟むこと自体おかしいと思うんだけど? 彼氏でもないくせに紅を束縛するんじゃないわよ!」
「…………」
「紅はアンタのせいで苦しんでいるって言うのにっ!!」
あざみはそう言いながら、三日前の紅玉との伝令を思い出していた。
「いいえ、あざみ……これは……自分の為なの」
「……自分の為?」
「わたくしは灯ちゃんを救いたくて、蘇芳様に幸せになって欲しいの。ですから、これはわたくしの我儘……全部わたくしの為なの」
「…………」
あざみは少し黙った後、尋ねた。
「例え、その想いが報われなくても?」
「…………ええ」
「…………」
相変わらず頑固だ……そう思った時だった。
「……でも……」
少し寂しげな声が聞こえてきて、あざみは耳を傾ける。
「……でも……きっと、泣いちゃうから……その時は付き合ってくれますか?」
その言葉にあざみは絶句してしまった。
紅……アンタはまた自分の幸せを犠牲にするって言うの?
幼馴染の為に。
好きな男の為に。
あんな化け物なんかの為に。
そんなの……そんなの、赦せるわけがない!!
「私はアンタなんか認めない! アンタみたいな化け物なんかに、あの子の苦しみがわかるもんですかっ!!」
あざみの叫びに蘇芳は驚いてしまう。
しかし、同時に嬉しく思ってしまった。
「……あざみ殿……貴女は、紅殿の良き友人だな」
あまりにも優しく柔らかい蘇芳の声にあざみはハッとしてしまった。
「だからこそ、わかるだろう? 紅殿は……他者の痛みも、悩みも、自分の事のように嘆き苦しみ、自分の為と言って無茶をする方だ」
「っ!」
「紅殿が一人で無茶をしているのなら、俺は何があっても止めるし、力になりたい」
「……っ……」
あざみは何も言い返せない。その通りだから。
そして、その事を蘇芳が誰よりも理解している……そう思ってしまったから。
あざみは悔しげに唇を噛み締めて、蘇芳から視線を逸らすと、席に戻ってしまった。
落ち着いたところで、蘇芳は世流の方を向いた。
「……世流殿、教えてくれ。紅殿は貴方の為に何をしているんだ?」
「わっ……ワタシ……っ……」
世流は酷く後悔していた。
どうして紅玉だけに頼んでしまったのかと。日頃から、彼女が無茶をする人であると知っていたはずなのに……。
「ちっ、違うの、紅ちゃんを危ない目にあわせたかった訳じゃないの……! で、でも、紅ちゃん、犯人見つけて……追いかけちゃったのかもしれないっ……!」
「犯人? 一体何の犯人……」
その瞬間、蘇芳の全身が粟立った。
「蘇芳さん……?」
「おい、蘇芳?」
「蘇芳さん? どうしたの?」
周りが心配する声も今は届かない。
感じるのは身の毛が弥立つ恐怖と嫌悪感。
そして、聞こえてくるのは拒絶する声と助けを求める悲鳴……。
「いやぁっ!! やめてぇっ!!」
その声は間違いなく――。
「紅殿っ!?」
<おまけ:殺気を浴びた者>
あの赤黒い神力を浴びた瞬間、感じたのはとてつもない怒りだ。
この人は怒っている。物凄く怒っている。
だけど、同時に感じたのはその人の事を思ってとても心配しているという不安定な心。
あの人に何かあったらどうしよう。無茶をして何かあったらどうしよう。あの人に何かあったら不安で堪らなくて心が壊れてしまうという恐怖。とても優しくて弱虫な愛情の心。
その瞬間、ああなんて愛情の深い人なのだろうと思った。
この人に想われる女性は、絶対ずっと一生大事にされるのだろうなとも思う。
いいな。羨ましいな。私もそんな風に想われてみたいな。
ううん、違う。
私が彼の事をずっと一生そんな風に想ってあげたい。
だから、あなたもずっと私の事を大切にして欲しいな。
一方的なんて嫌だもの。
二人一緒に互いを想いあって最期まで生きてゆきたい。
そう思う……。
そんな事を願いながら、私は彼の身体に凭れかかって意識を手離した。
優しく抱き止めてくれる腕が嬉しくて仕方なかった。