艮区の参道町を行き交う人々
伝令を受けた二日後、文は急遽休暇を貰い出かける事になった。
店番をするのは、茶屋手伝いの雛菊と高齢の茶屋よもぎの店主のよもぎだ。
「それじゃあ、雛菊。店の事とおばあちゃんの事よろしくね」
「任せて!」
雛菊とよもぎに見送られて店を出れば、その人物と鉢合わせをする。文は思わず眉を顰めてその人物を睨みつけてしまった。
「まったく……こんな無茶振り……もうやめてよね」
「す、すまん」
「現世の人間に神域管理庁に来てもらうだけで大分手間なの知ってる? そもそも神域から現世の人間に連絡なんてできるはずないから、管理庁の現世管理棟に行かなきゃいけないでしょ? そこから現世の人間に連絡するでしょ? さらに予定調整するでしょ? さらにさらに管理庁来訪に関する書類を本部に提出しないといけないでしょ? ……その手間、全部俺がやってあげたんだからね」
「す、すまん」
「挙げ句、紅さんには内緒にしてくれって意味不明なんですけど」
「す、すまん」
「……さっきからそればっかり、本当に悪いと思っている?」
「す……すまん」
もう聞き飽きた謝罪の言葉に、文は溜め息を吐く。
「感謝の言葉くらいくれてもいいんじゃないの?」
「すまない……大変感謝している。文殿」
「今度何か奢ってよね……蘇芳さん」
文はその人物――仁王か軍神かの容姿を持つ蘇芳に向かってそう言うと、乗合馬車の停留所へ歩き出す。
「ほら、行くよ。待ち合わせに遅れたら、俺がアイツに怒られるんだから」
「ああ」
そうして、二人は並んで歩いていった。
そんな二人を雛菊が不思議そうな目で見つめていた。
文と蘇芳が乗り込んだ乗合馬車は艮区の参道町を進んでいく。
ふと文が外の景色に目をやれば見知った人物の姿が見えたので思わず目で追ってしまう。
「……どうかしたか?」
「……ううん。相変わらず忙しそうなだって」
文の視線の先にいた人物は――……。
幽吾は手元の資料を確認してにっこりと笑った。
「はい、艮区はこれで全部で~す」
「……んじゃ、次、巽区行くわよ」
「え~っ! お嬢ちゃま~! ちょっとは休もうよ~! お嬢ちゃま~~!」
「その呼び方止めてって言ってるでしょ!」
最早見慣れたあざみと幽吾の言い争いを見つめながら、鷹臣は溜め息を吐いた。
三人は先日実施した面談で不可の評価だった職員達の指導に当たっていたのだ。
資料を見返しながらあざみが怒ったように声を上げる。
「まったく! 調べてみたら、ダメダメ職員らの初期指導者が総じて『神狂い』って時点でもういろいろ叫びたい! 誰かしら気づきなさいよっ!!」
「ダメダメ職員のフォローに必死すぎて気づく余裕もなかったんだろうね~」
どうやら「神狂い」が齎した影響はまだまだ根深そうである。
「ああもうっ! 神子管理部を管理する部署を作りたいっ!」
「神子管理管理部? 語呂が悪いし、人員そんなところまで割けないでしょ~?」
「あーっ! 手っ取り早くキツイ灸も据えつつ、再教育してくれる人間いないかしら!?」
「お~、いいね~。僕そういうの好きだよ~。なんならしばらく地獄カフェでただ働きさせてみる? 鬼神君の折檻付きで」
(地獄カフェって何だよ。つか鬼神の折檻って、鬼畜だな)
流石は地獄門の管理人と鷹臣が思っていると。
「甘い! 身体的苦痛だけじゃなく精神的苦痛も与えながら働かせなさい! ボロ雑巾のように! 再起不能になるレベルで!!」
(こっちも鬼畜だな!)
あざみの物騒な発想に鷹臣は思わず身震いをした。
「とりあえず次! 巽区行くわよ!」
「わ~んっ! お嬢ちゃま~! 休憩は~~!?」
しかし、あざみの足が突如止まる。
「???」
あざみを見てみると、あざみはとある方向を見つめたままだった。
その視線の先を追ってみれば――幽吾のよく知る人物が歩いていた。
「あれ? こんなところで見かけるとは珍しい。どこ行くんだろ」
「……影、アンタの知り合い?」
「うん、友達だよ~」
「へえ……」
あざみは再びその人物を見つめる。
長い艶やかな一斤染の髪を緩く結わいて横に流し、身に纏うのは刺繍の美しい着物。普段着を着ているにもかかわらず、花魁のような色香を纏った美人だ。
「綺麗な男の人ね」
「うんうん。何せ遊戯街の人気ナンバーワンだからね~」
「へえ、人気ナンバーワン。流石ね」
去っていく美人を見て話すあざみと幽吾の会話を聞きながら、鷹臣は三年前の事を思い出していた。
当時はまだ只の一職員でしかなく、後に「聖女」と呼ばれるようになる彼女に連れられていくのは、憐れな運命に翻弄された彼の美人と若く麗しい娘達。
そして、美人達を黙って見送るのは神域で嫌われ者の職員……。
彼女はその時――……。
「鷹臣」
あざみに呼ばれ、鷹臣はハッとする。
「何ボサッてしてんの? 次行くわよ」
歩き出したあざみの後を、鷹臣は一瞬だけ美人の背中を見遣ると追った。
辿り着いた先で待っていたのは小型の馬車だ。あざみと幽吾が馬車に乗り込むのを確認してから鷹臣は御者に命じる。
「次、巽区」
やがて、馬車は走りだしていく。
すると、今度は別の馬車が停まった。あざみ達が乗っていた馬車とは異なり、白基調の意匠の凝らしたものだ。
そして、中から現れた人物に、辺り一帯が沸き立つ。
真珠の如く艶めく美しい乳白色の長く真っ直ぐな髪と撫子色の瞳を持つ美女は、この神域ではあまりにも有名な「聖女」だったからだ。
「真珠様よ!」
「真珠様……!」
「なんてお美しい……!」
「聖女様……!」
参道町の人間達が次々と称賛の言葉を口にする中、神域に来て間もないその少年は隣に立つ先輩に尋ねていた。
「そんな有名人なんですか? あの人」
「バッカ! お前、口を慎め……っ!」
真珠に聞こえないよう、後輩の少年に先輩は叱り付けながら説明をする。
「あの方はな、三年前の『藤の神子乱心事件』の際、その身に宿る神力を犠牲にして邪神を祓ったすごい御方なんだぞ!」
「えっ! 邪神って神子様か神様にしか祓えないのに!?」
「元々神子の素質をお持ちなのだろう。だが、残念ながら彼女は神子になれないんだ」
「選ばれないからですか?」
「それもあるんだが……史上最悪の神子『藤の神子』に呪いをかけられてしまっているからなんだ」
「のっ、呪い……!」
「そのせいで真珠様の命は長くないんだ……! お可哀そうに……っ!」
人々に優しく微笑みながら手を振る真珠を少年は見つめた。
「一見すると、呪いをかけられているようには見えなさそうですけど……」
「いつも呪いの痛みに耐え、気丈に振る舞っていらっしゃるんだ。心の底まで清らかな人なんだよ」
すると、先輩は後輩少年の耳元で更に小さな声で言う。
「あんま大きな声で言うんじゃねぇぞ」
「は、はい……」
「三年前、現世から誘拐した少女達をこの神域に閉じ込めて嬲り遊んだ男達がいたんだ」
「ええっ……!?」
「男達は全員お縄になったんだけど、保護した誘拐された子達はみんな心神喪失状態で、とてもじゃないが親元に帰せる状態じゃなかった」
「そ、それで、どうしたんですか?」
「そんな彼女達を救ったのも聖女様さ。聖女様はその優しく清らかな心で被害者達の心を癒し、社会復帰できるまで寄り添ってあげたのさ」
「へえ~~……聖女様、すげぇ……!」
感心しながら少年が真珠を見つめていると、真珠と目が合った。真珠が手を振ってくれたので、少年も思わず手を振り返していた。
「いいか? 神域の聖女の真珠様、よーく覚えておけよ」
「承知!」
真珠はそのまま艮区の参道町を進んでいった。
こちらも艮区の参道町を歩いていた。
しかし、目的地はすぐ近くにある場所なのですぐに辿りつく。
「お団子」と書かれた幟がはためき、軒先に吊るした風鈴が「チリン」と涼しげに鳴り、畳と木製の卓と椅子が懐旧の情緒を醸し出す「茶屋よもぎ」だ。
「御機嫌よう」
扉を開けて紅玉は挨拶をする。
「紅! いらっしゃい!」
出迎えたのは雛菊だ。
金糸雀色のふわふわの髪とお日様のような橙色のクリクリとした瞳を持つ愛くるしい女性である。
本来は神獣連絡部部長であるが、普段からこの「茶屋よもぎ」の手伝いとして働いている。
「今日は買い出し?」
「はい。お客様がいらっしゃるので、よもぎ団子とみたらし団子を頂けますか? 四十三本ずつ」
「はーい。じゃ、ちょっと待ってて」
パタパタと店の奥へ駆けていく雛菊を見送っていると、陳列棚の横にちょこんと座る白鼠の髪と小さな草色の瞳、垂れ下がった頬と瞼が印象的な高齢の女性と目が合う。
「まあ、よもぎおばあちゃん! 御機嫌よう」
「ほっほっほっ、こんにちは、紅ちゃん」
「今日はお店番だったのですね」
ふと思い当る節があり辺りを見渡すと、見覚えのある顔がいない事に気付く。
「今日は文君が休みなのですね」
「そうそう、文が休みだからおばあちゃんに出てもらってるの」
雛菊はあくまで神獣連絡部で手伝いだ。そして、よもぎは高齢とはいえこの茶屋よもぎの店主。茶屋よもぎの正式な従業員である文が不在となれば、よもぎが出勤するのは当然であろう。
「文君がお休みを貰うとは珍しいですね。どちらへかお出掛けでしょうか」
「あれ? 蘇芳さんと一緒だったけど、紅、何か聞いてないの?」
「……え……?」
雛菊のその一言に紅玉は心臓に電撃が走った気がした。
「……蘇芳様と……?」
何も聞いていなかった。
確かに蘇芳は今日休暇を貰って出かけていた。しかし、何処へ行くとか誰と会うとか何をするとか一切聞いていない。
(……当たり前です……何故、わたくしにいちいち報告する必要があるのです? 別に蘇芳様が何処で何をして誰と会おうが、わたくしには関係のない話ではありませんの)
だけど、思いに反して心臓は嫌な音を立てる。速くなる。ぐちゃぐちゃに掻き乱されていく。
(……気持ち悪い……こんな事を思うわたくしは気持ち悪い……わたくしにそんなことを思う資格なんて、ありはしないというのに……っ)
紅玉の徒ならぬ様子に雛菊は心配になる。
「紅、大丈――」
その時、ガラリと店の引き戸が開いた。
「っ! い、らっしゃいませ!」
驚きに一瞬声が引き攣ってしまったが、やってきた客に雛菊は笑顔で出迎えた。
「あら、こんなところでお会いするなんて」
柔らかな上品な声が響き渡った瞬間、紅玉は肩を震わせてしまった。
何故ならその声はあまりにも聞き覚えのあり過ぎる声だったから……。
紅玉はゆっくりと振り返る。
「お疲れ様です。十の神子補佐役の紅玉さん」
「……真珠様……」
そこにいたのは、己が苦手とする「聖女」だった。
<おまけ:乗合馬車課の愉快な仲間達の解説>
美「生活管理部乗合馬車課の美月やで!」
真「同じく真鶴です」
美「先輩、神子管理部部長や聖女がつこてた馬車は乗合馬車課管理のもんなん?」
真「乗合馬車課は基本的に神域全体を定期運航している乗合の馬車の運営と管理をしている。神子管理部長が使っていた馬車は神子管理部管理のものだし、聖女様が使っていた馬車に至っては宮区のものだ。宮区にも宮区専用の馬車課があるんだ」
美「へえ~。つまりは特別なんやな」
真「だけど、神子管理部に馬車の御者を務められる人間はそうそういない。その場合、御者だけを乗合馬車課に依頼する事もあるよ」
美「ふむふむ、納得や」
真「他に質問はあるかな?」
美「先輩! 乗合馬車課の厩舎に置いてあるちっこい馬車は乗合馬車課の人間であれば誰でもつこうてもええんですか?」
真「……もうちょっと詳しく」
美「こないだ紀康先輩が女の子とのデートの時に持ち出していましたー!」
真「紀康ぅ~~! ちょっとおいで~~っ!」