表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第四章
203/346

真っ黒い醜いモノ




 それは、三年前の師走二十三日のこと――紅玉と蘇芳が二十七の御社へ到着した時には、すでに御社内は混乱の極みであった。


 何が起きたのか二十七の御社の職員に尋ねると、神子の部屋から悲鳴が上がり、駆け付けるも部屋は封印されてしまい誰も神子の部屋に入る事ができなくなってしまったのだ。

 また閉じ込められているのは、二十七の神子の藤紫だけでなく、泊まりがけで遊びに来ていたという三十二の神子の蜜柑も、とのこと。

 助けに行きたくとも封印は一向に解かれない。しかも危険な状況下に置かれているのは神子二人。職員も神も焦るばかりだ。

 紅玉もまた焦る。何故ならば閉じ込められている二人の神子はどちらも己の大切な幼馴染なのだから。


 紅玉は封印された襖を思いっきり叩く。


「藤紫ちゃん! 蜜柑ちゃん! どうしたの!? お願い! ここを開けて!!」


 しかし、どんなに叩いても結界はビクともしない。

 それは神域最強と呼ばれる蘇芳がしても同じことで、どんなに強い攻撃系神術をぶつけても、封印は揺らぎもしなかった。


 しかし、突如結界は勝手に破壊された。

 封印が破壊されたと同時に、紅玉と蘇芳は中へ突入した。


 紅玉は未だにその光景を忘れる事ができない。


 首から真っ赤な鮮血を舞散らし、倒れていく三十二の神子の蜜柑。柔らかい色合いの茶色の髪を靡かせ、蜜柑色の瞳を見開いたまま、どさりと畳の上に崩れるように倒れた。蜜柑の首から溢れるように血が流れ出て、あっという間に畳の上に血溜りを作っていく。


 倒れた彼女の傍らに立つ人物がゆっくりと振り返った。


 儚げで可愛らしい顔と藤紫色の長い髪に返り血をたっぷり浴びて、猫のように大きな青紫の瞳から大粒の涙を零しながら、二十七の神子の藤紫が真っ青な顔で紅玉を見つめていた。


 そして、その藤紫に纏わりつくように真っ黒い醜いモノがニタリと笑いながら、藤紫の身体の中へ消えていった。


 その後、藤紫は逃走し、やがて神域は邪神が大量に溢れかえる混乱の渦へと飲み込まれていくことになる。

 これが『藤の神子乱心事件』の始まりの事件だ。




*****




 始まりの事件を思い出しながら、紅玉は言う。


「あの時……あの真っ黒いモノをはっきりと見たのは、結界が破壊された瞬間、中に突入したわたくしと蘇芳様だけですわ。無理もありません。あの当時、場は混乱の極み……しかも神子が血を流して倒れ伏し、もう一人の神子が返り血を浴びているという惨劇でしたもの。あの場にいた人間の記憶に残ってしまうのはそちらです。そして、何より……目撃者の一人が〈能無し〉だったから……」


 蘇芳はその言葉に思わず眉を顰めてしまう。


「あの当時、わたくしの証言を信じてくださったのは蘇芳様だけでしたわ」

(……あの時、俺が……あの真っ黒いモノの正体をきちんと調べていれば……)


 蘇芳はそう言いかけて、その言葉を飲み込んだ。


(……駄目だ。それを言えば、紅殿は間違いなく己を責めてしまう)


 何故ならあの直後、紅玉はあまりもの衝撃に倒れてしまったのだ。

 大事な幼馴染を目の前で亡くし、もう一人の大事な幼馴染は殺人の容疑者――気を保っていられるはずがない状況だ


(それに……どちらにしてもあの当時の俺に、あの黒いモノの正体を見破る事は出来なかったか……あの時の俺は「鑑定」の異能を――いや、「透視」の異能を持っていなかったから)


 幽吾や紅玉には「鑑定」と説明したが、あれは咄嗟に出た嘘だ。本当は「鑑定」よりもさらに精度の高い「透視」という異能である。


 だが、蘇芳は「透視」の異能を持つ事を誰にも知られるわけにはいかなかった。


(……これは本来、俺の力ではないのだから……)


 「透視」の異能を持つ人間は、長い神域の歴史を見てもたった一人しかいない。そして、その人間は――……。


「――ですが!」


 紅玉の声に蘇芳はハッとして、顔を上げる。

 そこには強い意思を宿した紅玉の顔があった。


「これで一縷の望みが生まれましたわ。もしあの時、あの場所にいた『式』と思われる真っ黒いモノの術者を特定できれば、藤紫ちゃんの無実を証明できるかもしれません」


 紅玉は右手を握り締める。


「勿論、そんな容易いことではないとは思います。もしかしたら犯人は、とんでもない存在かもしれません……」

「…………」

「でも、それでも! わたくしにはまだやれることがあるとわかっただけでも!」

「……紅殿」


 蘇芳は思わず紅玉に見惚れてしまう。

 すると、紅玉は蘇芳に頭を下げた。


「蘇芳様、お話ししてくださってありがとうございました」

「……怒らないのか?」

「……はい?」

「俺は……貴女にとって有益な情報を隠していたんだぞ?」


 『式』の術者が限られているという事は、藤紫が三十二の神子殺しの犯人でないという紅玉にとっては大きな収穫となり得る情報だ。


「怒って然るべきであろう?」

「……怒る気がないからですわ」

「え?」


 思わず目を見開く蘇芳に、紅玉は首を傾げる。


「蘇芳様はどうしてわたくしにその事を隠してらしたの?」

「それは…………」

「わたくしがまた無鉄砲に行動を起こしてしまうと懸念されたからでしょう?」

「……ぅ……」


 その通りである。


「……問答無用で売りますわよ、喧嘩を。例え、相手が誰であろうと」

「紅殿っ!!」


 実際先日も妖怪の先祖返り達の為に皇族達に喧嘩を売ったばかりなのだから、全く冗談に聞こえない。


「……でも、そんなこと致しませんわ」

「え?」


 紅玉は困ったようにふわりと笑う。


「だって、わたくしを思って隠してくださっていた蘇芳様の優しい気持ちを踏み躙りたくありませんもの」

「っ!」

「ですから、わたくしは怒りません」

「紅殿……」


 紅玉は蘇芳の手に己のそれを重ね、蘇芳の金色の瞳を見つめる。


「わたくし、もっとちゃんと慎重に考えて行動します。その時は必ず蘇芳様に報告します。ですから、蘇芳様ももう一人で抱え込まないでくださいまし。大事なことは隠さないで言ってくださいね」

「…………わかった」


 その返事に紅玉はふわりと微笑むと、ゆっくりと蘇芳から手を離した。




 一方で蘇芳は少しの罪悪感に胸を痛めていた。


(すまない、紅殿……すまない……)


 心の中で何度も懺悔する。


(俺は、貴女に嘘を吐く……)


 蘇芳にはまだ紅玉に隠している事がたくさんある。

 そして、それを話すわけにはいかないのだ。


(例え、貴女に嫌われたとしても俺は……貴女に嘘を吐き続ける)


 紅玉に嫌われてしまうことは勿論嫌だ。そして、怖い。

 だがそれ以上に蘇芳は恐れている事があった。


(貴女を失いたくない……)


 そう決意しながら、蘇芳は紅玉に微笑んだ。




*****




 話を終えた紅玉と蘇芳は水晶の部屋に戻ってきていた。

 部屋を出た時と変わらず穏やかに寝息を立てている水晶を見て、紅玉はほっと息を吐く。


 そんな水晶の寝顔を見ながら蘇芳はふと思った。


(そう言えば、水晶殿は何故『式』に対してあんなに取り乱してしまったんだ……?)


 素朴な疑問を考えながら紅玉を見ると、紅玉は蘇芳の疑問を感じ取ったのか、ゆっくりと語り始める。


「晶ちゃんは、小さい頃から目に見えないモノが見る事ができて、それらを惹き付けてしまう体質でもありました。良いモノも……悪いモノも……」

「なるほど」


 神子の素質を持つ者は、多少そういった力が強いと聞いた事がある。蘇芳の兄であり八の神子である金剛もまた、幼い頃より勘の鋭い人だったと蘇芳は記憶している。


「てっちゃん……弟はそういったものを多少感じ取る事ができる程、勘が強くて、晶ちゃんを守る為に傍にいて手を引っ張ってくれました。残念ながら、わたくしの方はからっきしなので……とても助かりました」


 当時の役に立たない己を思い出して、紅玉は思わず苦笑いになる。


「とにかくいろんなモノを惹き付けるその体質のせいで、身体が人一倍弱くて、怖い目に遭った事が何度もあって……急に高熱を出したり、悪夢を視て魘されたり、実際に何かに引き摺り込まれそうになったり、攫われそうになったり……恐らく先程の『式』を悪いモノと勘違いしてしまったのかもしれませんわ」

「そうだったのか」


 幼少期からそのように恐ろしい目に遭っていれば、あのように恐慌状態になっても不思議ではないだろう。


「実は、あのように取り乱すことは珍しいことではないのですよ。昔はもっと酷かったですし」

「そうなのか?」

「一番酷かったのは……晶ちゃんが三歳の頃、てっちゃんと晶ちゃんでわたくしを中学校まで迎えに来てくれたことがあったのですが、その時にどうも物凄く悪いモノに襲われたようで……てっちゃんは意識を失う程の怪我をして、その間に晶ちゃんが悪いモノに連れ去られそうになってしまったらしくて……でも、海ちゃん達が助けてくれたので事無きを得たのですけれど……その日以来、あのように取り乱すことが増えたのです。毎晩悪夢を視る程、晶ちゃんにとってトラウマになってしまったみたいなのです」

「そうだったのか……」


 話を聞くだけで随分と大変な目に遭ったようだと蘇芳は思う。


「わたくしは……役立たずでしたから」

「役立たず?」

「実は、わたくし……怪我したてっちゃんを見た瞬間卒倒してしまったらしいのです」

「えっ!?」


 紅玉は苦笑いを浮かべながら、俯いてしまう。


「情けないでしょう? 妹を守らねばならない緊急事態に卒倒していたなんて」

「倒れたって……! 貴女に怪我はなかったんだろうな!?」

「……へ」

「頭を打ったとか、誰かに襲われたとか……!」


 蘇芳のその言葉に紅玉は急激に顔が熱くなってしまう。


「だっ、大丈夫です! 幸い怪我はありませんでしたので……!」

「そうか……なら、よかった」


 そう言ってほっとしたように微笑む蘇芳の顔を見て、紅玉はますます顔を熱くさせる事しかできない。むしろ頬はすでに真っ赤である。

 水晶の世話をしている女神達がニヤニヤと微笑ましくこちらを見つめてくるので、紅玉は咄嗟に思い付いた事を口にした。


「そ、そう言えば! あの時のも『式』だったのでしょうね!」

「あの時?」

「七の神子様が二十の神子様に使った……神力を取り上げた時に使った術です」

「あ……!」


 そう言われて蘇芳は思い出す。

 丁度一ヶ月前に二十の御社で起きたあの事件の事を。

 神子としての任務を放棄した二十の神子に神子解任を言い渡した七の神子が、二十の神子からその神力を取りあげる為に召喚したのは、美しい緑色の「人の形を成した何か」。


 言われてみれば、あれは七の神子の「式」だったのであろう、と蘇芳は思う。


「あの時も晶ちゃん、顔面蒼白でしたもの。よっぽとトラウマになった悪いモノと『式』がそっくりなのかもしれませんわ。早々、『式』を見る事は少ないかもしれませんが、気をつけなくては……」

「…………」




*****




「失礼する」


 蘇芳は他の仕事を終わらせる為に一足先に水晶の部屋を後にした。

 廊下を歩きながら、先程の紅玉の言葉を思い出す――悪いモノと『式』がそっくり、という言葉を。


(言われてみれば、幽吾殿の「式」と七の神子の「式」と萌の「式」は姿形が随分と異なるものの、組んだ術式は同じものだから「気配」はそっくりかもしれない……神力が無い紅殿も「気配」を感じ取る事ができたし……)


 そして、蘇芳ははたと気づき、足を止める。


(水晶殿が三歳となると……さっきの話は今から十一年前の事か!? となるともしかして、さっきの話はあの例の……!)


 蘇芳は思い出す。蘇芳だけが聞かされたあの驚愕の話を――『藤の神子乱心事件』の最中聞かされた真実の話を――。


 そして、蘇芳は顎に指を添えながら思う。


(……もしや、水晶殿を襲ったのは…………いやしかし、あれは現世では使えない……)


 蘇芳は深く思案し、そして決意する。


(……当事者に聞くのが一番だろう)





<おまけ:弟の怪我>


蘇「ところで……弟君の怪我って大丈夫だったのか? 意識を失う程だったのだろう?」

紅「ええ……どうやら頭を殴られたみたいで」

蘇「頭!?」

紅「しかも出血までしていて」

蘇「出血!? 一大事じゃないか!」

紅「ええ……救急車を呼ぼうとまでみんな思ったそうなのですが……」

蘇「ですが?」

紅「……てっちゃん、突然意識を取り戻したらしく」

蘇「……え」

紅「その後は至って普通に元気だったそうで、逆に心配されてしまう程で……」

蘇「……えっと……」

紅「……結局、病院にも行かず、あっけらかんとしておりましたわ」

蘇「………………」


 紅玉の弟は超石頭。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ