「式」を見るのは三回目
水晶が安堵して眠ったのを確認すると、紅玉は辺りを見渡した。
心配そうな表情をしたまま立ち尽くしている蘇芳と幽吾と男神二人。そして、見慣れない真っ白な装束を着た「何か」が浮いている。
「それ」が良いモノなのか悪いモノなのか、紅玉には分からないが、とにかく水晶が恐慌状態に陥った原因は「それ」であるとすぐに見抜いた。
そして、紅玉は「それ」によく似たモノを過去に見た事があった――二回も。
「申し訳ありません。『それ』を晶ちゃんに近づけさせないでくださいまし。わたくしは晶ちゃんを休ませる為に神子の寝室へ向かいます。日暮様と月影様、御手透きの女神様を呼んできて頂けますか? 幽吾さん、申し訳ありませんが、どうかお引き取りを。蘇芳様、幽吾さんの御見送りをよろしくお願いします」
紅玉の指示はあまりに的確で、全員それに従う他なかった。
「なんか……ごめんね」
幽吾はそう言って、入口まで見送りに来てくれた蘇芳と日暮に軽く頭を下げた。
「水晶殿のことはこちらに任せてほしい。だから、気に病まないでくれ」
蘇芳の言葉に幽吾は苦笑いを浮かべつつも頷いた。
「……神狂いに確認しておくね、『式』のこと」
「頼んだ」
そして、幽吾は溜め息を吐きながら言った。
「……ごめんね。『式』のこと、紅ちゃんに隠し通すのが難しくなっちゃったね」
「…………」
蘇芳としては出来れば隠し通しておきたかったのが本音である。
しかし、こうなった以上話さないわけにはいかないだろう。
「……僕から説明しておこうか? 『式』のこと」
「いや、自分にさせて欲しい。『式』の事を、紅殿に黙っていたのは自分だから……」
「そう……じゃ、よろしくね」
蘇芳は神妙な面持ちで小さく頷いた。
するとそこへ伝令役の小鳥が飛んできた。
「あ、やべ」
幽吾が顔色を悪くした瞬間。
『影ぇぇええええっ!! アンタ鬼神に変装させてサボって、どこほっつき歩いてんのよっ!?』
伝令役の小鳥から怒鳴り声が辺り一帯に響き渡った。
声の主は間違いなくあざみのものだ。
「あはは、ごめんごめんお嬢ちゃま」
『ごめんで済むほど社会人甘くないわっ!! 早く戻ってきなさいっ!!』
そうして伝令は終了した。
「とほほ……今日は残業決定だ……もー、社畜部長め……」
「お、お疲れ様です……」
すると、日暮が幽吾へ歩み寄りそれを二つ差し出した。
「そんな忙しい君にお菓子をあげよう。紅ねえのお手製だよ」
「あ、カップケーキだ~。ありがとうございます、日暮さん」
「いいんだよ。人生の倍の『夕』を越え、今も忙しく戦い続けている君にちょっとした激励さ」
その言葉に幽吾は驚いた表情をした。
一方で日暮は茜色の瞳を弓なりにさせて微笑むだけだ。
やがて幽吾はニヤリと笑う。
「何が『時』の神の『端くれ』ですか。あなた様も十分立派な神様じゃないですか」
「フフフ、ありがとう」
そして、幽吾はパチンと指を鳴らす。瞬間、烏の羽が舞い散った。
「じゃあね、蘇芳さん。また何かあったら連絡するよ」
「あ、ああ」
そうして、幽吾は一羽の烏になるとその場から飛び去っていった。
最後の二人の会話の意味が全く分からず、蘇芳は思わず日暮を見つめてしまう。
しかし、日暮は茜色の瞳は弓なりにさせたまま何も答えようとはしない。そして、言った。
「蘇芳さんは紅ねえの所に行って話をするんだろう。早く行っておいで」
「は、はい」
そう言われてしまえば、行くしかない。
少し残る疑問を無理矢理払いつつ、蘇芳は紅玉と話す為に水晶の部屋へと向かった。
*****
小さく扉を叩いて中を覗くと、寝台で眠る水晶の頭を紅玉が優しく撫でていた。
蘇芳は迷ってしまう。
(取り込み中、だろうな。話したい事はあるんだが……また後でも……)
そう思いつつも、思わず紅玉をじっと見つめてしまう。
すると、紅玉が蘇芳の視線に気付き、そちらを向いた事で二人の視線が交わった。
蘇芳は思わず身体を硬直させて、視線を逸らしてしまう。
(……情けない……話すべきだと分かっているのに、俺が話す事を恐れている……後で、だなんて、体の良い言い訳に過ぎない……)
そんな事を考えていたせいか蘇芳は気付く事ができなかった。己の手を握る存在が目の前まで近づいていた事に。
蘇芳がハッと見れば、そこには紅玉がいた。漆黒の瞳を真っ直ぐ向けて。
そして、紅玉は部屋にいた女神達に小さく会釈をすると、蘇芳の手を引いて静かに部屋を出た。
そして、紅玉は階段に程近いその部屋に入る。
写真が飾られている机の上には大量の書類と資料、寝台の上には大きなヒヨコのぬいぐるみ、二人掛け程の長椅子が置いてあるその部屋は、紅玉の私室だ。
紅玉は長椅子の方に蘇芳を誘導する。
「どうぞそちらにお掛けください」
「……紅殿……」
「お茶を用意しますわ。ああ、先程のロイヤルミルクティーで構いませんか? 飲まないと勿体ないですから」
「紅殿……!」
蘇芳は長椅子には腰掛けず、紅玉の前で跪くと頭を深く下げた。
「申し訳ない」
「…………」
「貴女にずっと隠していたことがあった。貴女の為だと思って黙っていた事だが、水晶殿があのように取り乱す事に繋がってしまった。本当に申し訳ない……」
「……蘇芳様、顔を上げて」
しかし、蘇芳は俯いたまま首を横に振る。
「お顔を上げてくださいまし」
「……申し訳ない……」
紅玉は蘇芳へ近づき、両手で顔を挟み、顔を上げさせる。
そこには、酷く思い詰めて凛々しい眉を思いっきり下げた情けない顔の蘇芳がいた。
紅玉は思わず困ったように笑ってしまった。
「……ちゃんとお話ししてください。わたくしに隠していたこと全て。そうしたら赦します」
その言葉に蘇芳は一瞬視線を泳がせた後、しっかりと頷いた。
「あの時……萌が『式』の術を使った時、『式』から情報を得られるかもしれないと思い、俺は『式』の『鑑定』をした」
「『鑑定』……? まさか異能ですか?」
「……最近、覚醒した」
「そうだったのですか」
「それで『鑑定』の結果、あの『式』は術式研究所が作った禁術ではなく、とんでもない秘術である事が分かった」
「秘術……?」
「『式』の核部分に書かれた紋章が非常に特徴的なもので、それは俺も知る紋章だったんだ」
蘇芳は神力を使って、空間にその紋章を書いていく。
「折り重なるように描かれた太陽と月。それを守るように囲う四つの星とそれを繋ぐ線……」
その紋章はとても複雑でありながら美しいものだと紅玉は思った。
「太陽と月は大和皇族を表し、四つの星は四大華族を表し、線は四大華族の配下である八代準華族を表す。この紋章は、大和皇国皇族と四大華族と八代準華族に伝わる『初代神子の紋章』だ」
「『初代神子の紋章』……」
そんな紋章、神術が使えずとも紋章だけを全て把握している紅玉でも初めて目にするものだった。
「……俺は習っていないから知らなかったんだが、『式』の術はこの『初代神子の紋章』を知っている人間じゃないと使えない。そして、この紋章の存在を知る事ができるのは、『皇族』『四大華族』『八大準華族』の血縁者だけだ。幽吾殿がそう言っていた」
ここまで聞いてしまえば、頭の良い紅玉が理解するのはあっという間だった。
「……つまり萌に『式』の術を教えたのは、『初代神子の紋章』を知る人間……『皇族』『四大華族』『八大準華族』の血縁者だけ、ということなのですね……!」
「……そういうことだ」
明らかになった真実に紅玉は思わず緊張する。
気持ちを落ち着けようと、茶を一口飲む。
「『式の術』も『皇族』『四大華族』『八大準華族』の間だけで相伝される秘術で、ごく一般職員の萌が知ること自体あり得ない。そして、誰が萌に『式の術』を教えたのかも、特定が困難らしい。誰が『式の術』を使えて、使えないのか、わからないから……幽吾殿はそう言っていた」
「……そう、ですの……」
蘇芳は長い話を終えると、一口茶を飲んだ。
「蘇芳様……萌が召喚していた、あの真っ赤な醜いモノが『式』なのですよね?」
「ああ」
「では、先程執務室にいた、あの真っ白な人型も『式』なのですか?」
「ああ。あれは、幽吾殿の『式』だ」
「…………」
紅玉は手をギュッと握りしめながら思い出していた――三年前のあの日を。
「蘇芳様……わたくし、『式』を見るのは今回で三回目だと思うのです」
「…………」
「わたくしに神力はありませんし、そういうモノを感じ取る勘も鈍い方だと思っています。だけど、『式』の『気配』は何か違うように感じていて……」
蘇芳は待った。恐らく紡がれるであろう、その言葉を。
「そして、わたくしは過去二回、似たようなモノを見ていると思うのです。三回目は今日の幽吾さんの『式』、二回目は萌の『式』……そして、一回目は……」
(……本当は、気付いて欲しくなどなかった……)
そんな本音を秘める蘇芳に紅玉は告げる。
「……あの日……『藤の神子乱心事件』の始まりの日、藤紫ちゃんの御社にいた、真っ黒なアレも『式』……なのですか?」
紅玉と蘇芳は思い出す。
かつて藤紫の御社で起きた惨劇を――……。
<おまけ:賄賂ケーキ>
あ「アンタねぇっ! 鬼神に仕事押し付けて今までどこほっつき歩いていたのよ!?」
幽「いや~、お嬢ちゃま。これには海よりもふっか~い事情が」
あ「言い訳無用!! 今日は深夜まで帰さないわよ~~」
幽「なっ、なにとぞ……これで一つ……!」
あ「……なにコレ? カップケーキ?」
幽「お、美味しいですよ~」
あ「ふんっ! アタシがこんなんで赦すと思ったら大間違いよ。アタシ、結構味の好みには五月蝿いし」
幽(自分でそれ言っちゃう? そして、とか言いながら迷わず開けて食べるって……)
もぐもぐもぐもぐ。
あ「……んまい」
幽「……え?」
あ「…………いいわ。今日の所は大目に見てあげる。でも、次はないからね」
幽「ぎょ、御意……!(よ、よくわからないけど、ラッキー! ありがとう! 日暮さん!)」
ちなみに、その日の菓子作り担当は紅玉と紫が担当していたが、日暮は紅玉の手製焼き菓子を幽吾に持たせていた。
そこに日暮の意図があったのかなかったのかは、日暮のみぞ知る……。
日「個人的には紫君手製の方が好きだから紅ねえのを敢えて渡した……という可能性もあるからね? フフフ」
――真意は日暮のみぞ知る。