ぐりむとれ 11
生じた炎は灼熱。
薄い黄色と橙色のそれらがのたうち回って上下関係無く走り回ると、狭い通路内は宛ら溶鉱炉の中のように姿を変えた。
何事かという悲鳴、走り去る数人分の水を弾く足音、どことなく扉の閉まるバタバタという音、とそれらは皆曲がり角の向こうから響いていた。
炎は通路を満たしたが、その角を曲がる知恵までは持ち合わせておらず。
左右を一直線に進んで壁にぶち当たるとそこで波を返して空へと散った。
そして、一枚の扉の前にいるその"災害"の中心は、炎が晴れて尚変化なく佇む木の扉を前に愕然としていた。
「はっ……はぁああ!? ふっざけんなよ! グリムを返せ!」
叫び、乱暴に扉を蹴飛ばすイルル。
怒りで逆だった栗色の髪は、最早収集がつかないほどに乱れている。
そうして再び口ずさむ「イライラ」に合わせ、握り締めた杖が熱を帯び、強烈な爆音と共に猛烈な勢いの炎が左右に向かって一気に腕を伸ばした。
しかし、それでも扉はびくともしない。
そして四度目。
懲りずにまた「イライラ」というイルルの呟きが通路に響き始めると、彼女が敵にするものから三つ離れた扉が開き、隙間から「いい加減にしろ!」と誰かの叫び声が。
するとイルルはその隙間を睨みつけるだけ睨みつけ、結局通路は四度目の炎で満たされた。
「おい! もう、いい加減にしてくれ! これじゃあ外に出られない!」
またしても聞こえた誰かの声に対する返事は、「イライラ」だ。
「わかったっ、わかったよ! 話を聞くから、だから一旦落ち着いてくれ!」
と、五度目の炎が扉が閉じられる既のところでその前を通過した。
もう勘弁してくれ、と隙間からの声がして、それから通路に響き渡る「イライラ」は止んだ。
そうして静かになった通路にゆっくりと恐る恐る姿を滑り込ませてきたのは、青い兜の誰か。
「……も、もう撃つなよ。その扉のこと教えてやるから」
男性の声は兜に反響してどこか人らしからぬもののように聞こえる。
「なんで開かなくなった! さっきは簡単に開いたのに!」
「おうっ……お、怒るなよ。そういうもんなんだっ」
青い兜の男はそう言って、イルルが振り上げた杖を遠ざけるように両手の平を向けた。
「そういうもんってどういうこと!?」
「し、知らないっ……たぶん誰も知らないんだ。ずっと昔からここはそういう風に出来てる。ノブの無い扉は押せば開くが、中からは開けられない」
「はあ?」
怒って睨みつけるイルルの視線にたじろぎながら、男は続ける。
「怒らないで聞いてくれ……。その扉は、内側からは開かないんだ。恐らく、中にいる奴が出てこれないように、"ここを作った奴"がそうしたんだ。
だ、だから外からは開けられるはずだが、上手くいかないのは、中にいる奴が開かないようにしているからだと思う。
それと、扉は魔法じゃ壊せない。もちろん、普通の攻撃でも無理だ。
今まで何人も扉を壊そうと試した奴らがいるみたいだが、上手くいったのは一枚だけ。
それも、大昔に白猿ロードが壊したってそういう伝説になってるくらいだ。
だから……開けられるようになるまで待つしか無い」
男は慎重にそう言ってさらに、「仕方ないんだ」と言う。
「仕方ないって何が?」
「だから、"全部終わってから"ってことだ。気の毒だが……もしかして、知らなかったのか?」
次の瞬間放たれたイルルの咆哮は、炎と違って通路の角の幾つか先まで轟いた。
扉にしがみつき、力任せに叩きつけられる拳。
取り乱して叫ぶイルルの姿は、続々と通路に出て来た人々から表情と声を奪っていた。
そうして、聞くに堪えない痛々しい絶叫の残響、その殿がまだ同通路内に残っている頃。矢継ぎ早に野次馬たちの耳の奥で、「ギ、ギ、ギ、ギ……」と鳴る奇妙な歯ぎしりのような声が脳を引っ掻き始めた。
その不可解な症状に一同が誰となしに視線を交わす中、一頭最初に怪音の主に気付いたのは例の青い兜の男だ。
男は気付くなり、「待て」と「落ち着け」を連呼していた。
そして。
「お前ら、今すぐ中に戻れっ! また何か来るぞ!」
男の発言は唐突だったが、皆が事態を察するにはそれで十分だった。
その場にいた全員の脳裏を過るあの爆音。
中でも通路を駆ける灼熱の炎を目の当たりにしていた者は、さっさと扉の奥へと姿を消していった。
それを皮切りに通路内は「急げ」とざわめき、横並び四つの部屋に続々と野次馬たちが飛び込んでいく。
そして最後の一人が最も遠い扉のノブを握った瞬間。
彼は背後に感じる異様な気配に思わず振り返った。
すると彼は、今自分に起きている状況が上手く理解できずに目を凝らす。
彼の目では、景色が歪んでいるように見えていたのだ。
まるで潮流をその水中で目の当たりにしているかのように、空気が確かな流れをもってそこで踊っていた。
考えられるのは例の炎によって生じる空気の対流だが、それにしても何かがおかしい。
わけがわからない、と男にそんな考えが過ぎったその時、彼は息の吸い方を忘れた。
中途半端にだけ肺の中に入り込んだ気持ちばかりの空気、それでは足りないと肺は空気を求めて自発的に膨張しようとし始める。
朦朧とし、徐々に膝の力が抜けていく最中、男は景色が歪んでいるのではなく、自分の意識が飛びかけていることに気付き。そしてすぐに部屋の中の誰かが男を無理矢理室内へと引きずり込んだ。
「大丈夫かっ!」
と、緑色の肌の混血種が気絶しかけている男を揺さぶる。
すると男は、酸欠で焦点の合わない視点を宙に向け、「た、い……よう」となんとか声にして意識を失った。
一同誰もがその言葉の意味を理解できず。
そのせいで、洞窟状の無骨な室内に湧く様々な声色の「太陽?」。
◯
厚い扉の向こうの異変には、グリムも気付いていた。
だがそれは、通路側の皆が肌で感じていたのとは違い、あくまで薄い気配のような感覚でだ。
小さく光る橙色の明かりだけが地面を照らす、それ以外は距離感も全く掴めない漆黒の闇の中、グリムは視界だけでなく、袖口の隠しポケットに潜ませていた唯一の攻撃手段をも奪われていた。
グリム唯一の攻撃手段とは、つまり錬金術である。
そのために必要なのが通称"タネ"と呼ばれる"錬石"だが、それがここに引きずり込まれて早々に這いずり回る何かによって暗い地面に撒き散らされてしまったのだ。
そうして生まれたのはなにも劣勢状態だけでなく、仕込んだ錬石の中に紛れ込んでいた数粒の熱光石が暗い地面の中で頼りなく橙色に煌めくノスタルジックな光景もだ。
突如部屋の奥に引きずり込まれて扉の方向もわからなくなっていたグリムにとって、それはまさに不幸中の幸いで。
熱光石一粒が照らす僅か十数センチの明かりは、部屋の状況を知る良いきっかけとなっていた。
まずわかったのは、大体の部屋の広さだ。
今グリムが立っているところから一方、五歩程度の位置に少なくとも一面壁があり、そこは通路と同じくレンガで覆われている。
それから、地面は平らな部分とそうでない部分があるということ。
ある一粒の熱光石が暗闇の中途半端なところで宙に浮いたようになっていた状態からそれを察することができた。
そして最も重要な情報が、そこを蠢くものについてだ。
幾つかの熱光石の明かりのそばを通過するそれは、小さな光に照らされる範囲では何がなんなのかを知ることはできなかったが、地面に撒かれた石の幾つかに同時に影が落ちることから、そこにいる何かがある程度の"長さ"をもったものだということがわかった。
それは室内で一定間隔に聞こえ続ける、ズリ、ズリ、という地面を擦る気味の悪い音からも察せる。
グリムは拘束をされておらず、だが、その長い何かが這いずる中心付近で身動ぎせずにいた。
動こうと思えば動けるのにそうしないのは、攻撃手段を奪われたことだけでなく、周囲の観察に集中していたからでもなく。
自分を中心に室内を巡る"それ"の強い視線が、じっと逸らさずに向けられているように感じていたからだった。
もし、それが足のある生物ならば、胴と首の関係上視線を外さずに移動することは可能だろう。
しかし、この生物に手足が無いことはずっと床を這う擦り音からも明らかだ。
そこでグリムの頭に浮かぶ"それ"の正体候補は二つ。
一つは、小型の地竜類。
もう一つは、アンノウンだ。
ただ、それがアンノウンの場合、それを単に未知の生物だと結論するだけでは足りない。
なぜなら、アンノウンにも未知の生物として"型"の括りがあるからだ。
例えば、ラナイのような二足歩行のものは"人型"、グリムが過去に出会ったオオグチのような四足歩行のものは"獣型"、羽の生えているものは"鳥型"、硬い鱗を持つものは"竜型"、背ビレや胸ビレなどを持ち頭部と胴体の間に首がないものは"魚型"、そしてそのどれにも当てはまらないものは"バグ"と呼ばれる。
そのどれに当たるのか、それによって如何にアンノウンといえど生物としての特徴が変わるわけで、少なくとも捕らえられているこの状況においてはそれを知ることが特に重要だった。
その上で、グリムの周囲を巡る何かは、体を引きずって動いている物音がすることから、小型の地竜か、もしくはアンノウンでも手足を持たない個体が確認されている竜型か魚型である可能性が高い。
さらに、中心にいるグリムから視線を逸らされていない感覚から、そこにいるのは首があるかもしくは視野の広い生物、つまり眼球が頭の両脇に付いている可能性が窺えた。
そして、室内に入るなり感じたあの生臭さ。
「まさか……」
小さく呟き、グリムの心拍数が僅かに上昇した。
それとは反対に頭部を巡る血流が胸から下へと押し下げられていく感覚。
狂った代謝で溢れ出した冷たい汗がグリムの首筋を垂れていく。
「……ふざけないでよ……」
震えて掠れた声で、グリムはなんとか正気を保とうと憎まれ口を吐き出した。
しかし、それでも一度湧いた恐怖の心は晴れず。
頭に過る"魚型"の二文字と、幼い頃窓の外から覗いていたあの黒く大きな瞳が蘇り、挙句グリムの手足は震え始める。
嫌でも思い起こされる、母失踪の記憶。
母が帰ってこない不安と恐怖。
憔悴した心を嗅ぎつけたのか、ただの食物だったはずの怪物が庭先に現れた時の絶望感が、今また寒気と共にグリムを覆い尽くしていた。
あの時から、グリムは"魚類"がトラウマだった。
たとえそれが死んでいたとしても、だ。
だが、今そこを彷徨いているものは間違いなく生きている。
窓越しではなく、すぐそこで小刻みな呼吸をしながら自分を捕食しようとしている。
すると、這いずる何かの呼吸に合わせてグリムの息遣いも荒くなっていった。
最早口を閉じてはいられず、半開きになった口からは忙しなく空気が出入りし、目には薄っすらと涙が溢れ出した。
取り乱してわけがわからなくなったグリム。
ほとんど無意識に吐き出した言葉は「ヒイラギ……」。
「たすけて……」
次の瞬間、凄まじい衝撃音が連続して五回。
鼓動も呼吸も這いずる何かの音も全てを吹き飛ばしたそれは、レンガの壁をも砕いた。
ガラガラと壁がこぼれ落ち、空いた穴からは強い光と、
「ゴァァアアアっ!」
グリムには耳慣れた雄叫びが飛び込んでくる。
次にグリムが取った行動は、目を閉じて身を低くする、だ。
直後、閃光というべき鋭い光に混じって室内に飛び込んできた何者か。
それは声とも言葉ともつかない凶暴な音を発して、白光の中にいるであろう何かに目を凝らした。
しかし、今のいままでグリムを周回していた這いずる何かはどこにもいない。
「イルル……」
しゃがみ込んで膝の間に頭を突っ込んだままグリムが声を出すと、すぐに光が弱くなり、ついでに部屋中を満たしていた熱気も収まっていく。
その最中、冷たい手の平がグリムの頭に触れた。
「もう大丈夫」
その声に、グリムに湧いた負の感情は払われた。
我を取り戻し、涙を拭ってグリムは立ち上がると、ようやく姿を現した室内を見て愕然とする。
「な、なんなのこれ……」
呆然とするグリムの目に映るのは、部屋中に張り巡らされた謎の管。
謎の管は、一見何かの蔓のように見えた。
太い一本から枝分かれする無数の細い枝、それらは全て張りがあり活き活きとしていて、血管のように床、壁、天井に広がっている。
その行先をどことなく見ていたグリム。
ある一点に視線が集中して、息を呑んだ。
そこは、暗闇で熱光石が宙に浮いているように見えていた箇所であり、そこで地面よりも高くなっていたのは、山となった何かだった死体だ。
それは恐らくグリムの鼻を傷めつけたものの根源だったが、それよりも、グリムが驚愕せずにいられなかったのはそこにある死体の山に見覚えを感じたから。
「これ……って。あの……」
冷静になってゆっくりと思い起こしたのは、【コルト】に来る途中で見かけた朽ちた運び屋の死体だった。
あの時は未知のキノコに気を取られて死体のことなど気にも留めていなかったその"痛み具合"と、そこで山積みになった死体は似ていた。だが。
グリムはそこに感じる疑問の根拠を自分自身でも上手く掴めず。
ついさっきまで謎の生物に恐怖していたことも忘れて自問自答に没頭し始めた。
自分はなぜただの死体に感じるものがあるのか、何を解決しようとしているのか。
思考の表面でそんな考え事がさざなみを起こしていたその時。
空いた穴を通路側から覗き込んで何やらざわめく野次馬の声がした。
そしてその中の一つ。
「ここに人が入るのは何年振りだ?」
その一言が、グリムの思考を激しく波立たせた。
「今のっ! それって、どういうこと? 何年もここに人が入っていなかった?」
グリムが穴の向こうに向かって声を上げると、その中の誰かが言う。
「ああ……。ノブの無い部屋に入るなんてバカやるのは、新参者か酔っ払ったアホくらいだが。今となっては古参の連中ばっかりだからな。酔っ払ったってノブのない扉が危険なことくらいわかってる」
「そうだね、確かに。最近街に来る連中は皆、竜の鼻歌か楽器目当ての遊び人が大概だもん。そういう連中は特にこういう"危ねえ場所"には近付かないの」
野次馬の会話に、グリムは「だからか」。
「イルル……」
呼びかけて見つめるその妖精の手には、この壁をぶち壊した必殺が握られている。
杖の先から地面に向かって垂れるイチジクの実のような球は、弱くなったとはいえ、それでもまだ室内の湿気を薄い蒸気に変えるほど熱い光を保っていた。
「なにか嫌な予感がするわ」
「例えば?」
「そこの死体よ。あんたは眠ってたから知らないかもしれないけど、同じくらい傷んでる死体が街道にもあったの」
「へえ……。それって、誰かヤバいやつがいるって話?」
いいえ、とグリムは首を横に振る。
「ヤバいのは、街道の死体とここの死体が"同じ痛み具合"だってことよ。
街道のは捨てられた荷物の状態……むしろ荷物がそのまま残っていたから、"つい最近"死んだんだと思ったの。でも。
ここの死体は数日数週間どころか、"何年も前"のものよ。
この意味、わかる?」
グリムが言うと、イルルは一瞬視線を斜め上に向けて、「これ以上死なないってこと?」とその横顔を見つめた。
「そういうことよ。そう結論するのはまだ早いかもしれないけど、今考えられるのはそういうこと……これは、"これ以上朽ちない死体"の可能性がある……」




