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あれとれ 1

 薄暗いというのが第一印象。

 周りには影でほとんど黒くなった岩壁が一枚、背後までぐるりと囲んでいて、すぐ脇には崖。

 壁と崖に囲まれた狭い地面にはそれなりに立派な木が数本立っている。


 この狭い空間での陽光の取り合いは、大概その木々が獲得しているようで、その葉の隙間からは幾筋もの光が小さなオーロラのように美しく波打っている。

 その一筋が照らす、一つの物体。


 鎮座というに相応しい佇まいで"それ"は何時間も木の一本にもたれていた。

 白い人の形。

 あまりにも簡素なその容姿は、少なくとも生物ではない。


(……はぁ……)


 幾度も吐いたため息の後、ようやくそれは「どういうことなんだ」と呟く。


 それには、記憶が無かった。

 覚えていることといえば、"酔って寝た"ということと"自分はこんな姿じゃなかった"ことくらいなもので。

 どうしてこんなところにいるのか、ここがどこかなんてことは何も覚えていない。

 

 それを探すための何時間だったのだ。

 身動ぎ一つせずに白い人型は記憶を辿り続けていた。

 しかし答えは出ず、いつの間にか白い人型の疑問は自らの吐き出す"息"に向けられるようになった。


 息の触れた部分だけが変色し、青い草がすぐに薄汚れたヘドロと化すその息。

 本人の自覚としては、異常なまでに酸味を帯びているということだけが理解出来ていて、それ以外はさっぱりわからない。


 わからない尽くしの状況に発狂するタイミングすら逃し、むしろそのせいで何時間も経ったという方が正しいだろうか。


「……っても。いい加減動かないと埒が明かないか」


 記憶探訪の無意味さと現状の解決に飽きた白い人型は、そうしてやっと重い腰を上げた。

 立ち上がると、木の枝に頭頂部が触れる。

 違和感に頭をひと掻きし、一歩、二歩と足を進めると、見知らぬ体の割にそれは滑らかに思うように動いた。


 長い時間座って過ごしていたため、見晴らしの良くなった景色が妙に気持ち良く。

 白い人型は周囲の状況を確認するというよりも、景色を楽しむ気分で辺りにひしめく細い幹の木々を掻き分けて進んだ。

 

 そうして木々が揺れる度、木漏れ日の角度が変わり白い人型の頭部を温める。

 鼻を通る岩の鉄臭さと緑の匂い、昆虫独特の濡れた土のような香り。

 耳では時折虫の羽音と草を踏みつける音、それから風が木々の葉を鳴らす音が鳴っていた。


 そこは穏やかな森。

 また木が揺れて垣間見えた空は、記憶喪失にはうってつけの快晴だった。

 

「おー……いい天気だ……」


 ぼんやりとそんなことを言って踏み出した一歩、その異常な"軽さ"に気が付いたその時。


――そこっ、崖!


 何者かの声が白い人型の耳に届いたが時すでに遅し。

 白い人型は無様な悲鳴を上げて崖下へと落下していた。

 バサッ、と地面に着地するなり、また声が響く。


「おーい、大丈夫かー! 生きてるか―!」

「おー、だいじょーぶ!」


 久しぶりの人との会話に自分の声色を気にしながら白い人型は声を上げ、崖の上を見上げる。

 その目に映るのは、陽光を背に浴び影となって両手を振る誰か人の姿。


「良かったー! そっちには――のすがあるから、気を付けてよー!」

「おー! ありが……待ってくれー!」


 聞き逃しがあったのだ。

 その"なんとかのす"を聞き返そうと半分だけ口にして、一方的に「バイバーイ」と別れを告げられ、白い人型はまた一人きりになった。


(すぐそばに人がいたのか……)


 なんとも間の悪いこと、白い人型は地面に向けたっぷりと不運の嘆きを吐き出した。

 するとたちまち枯れ草がヘドロへと変わり、舞い上がった匂いはそれまでののどかな気分すら打ち消してしまった。

 そして、自らの罠にハマり白い人型はぬかるみ続きに斜面を流れていく。


 ここまでの連鎖は、まるで廃棄されるゴミが如く。

 自らそのダストシュートに身を投じるあたり、この白い人型は白い体の表面に不運を纏っているのかもしれない。

 良く言ったとしても、歩く負担を軽減できたことくらいなものか。


 斜面を滑りながら、ある程度の暇を得た白い人型は、聞きこぼした言葉について考える。


(ウーノス……ね)


 はたしてその言葉が合っているのかは怪しいものだったが、白い人型にとってその単語は希望となった。

 勝手に思いを馳せるその"山麓の町ウーノス"は、斜面を滑り降りる内、ここが山だったのだと気付いたことから名付けられた。

 

 幾つかの家が並び、幾人かの人々が慎ましく過ごす町。

 ほとんど村での自給自足で、主食は芋。時折住人の誰かがこの山で獣を取ってきてその肉が日々の贅沢である。

 嗜好品といえば、町で手作りされる酒で。それは絶品。 

 結婚式には町人が大盛り上がりし、少ない美人を取り合って男たちの潰し合いが……。


「うー……ん?」


 自分の妄想が退屈で場もわきまえず背伸びをしたところで、斜面を流れる体が止まった。

 するとそこはいつの間にやら薄暗く、遠くに深淵を置き切り取られたように手前にある岩や何かの骨だけが輪郭をハッキリとさせていた。

 

(……ん?)


 と深淵を掻き分けて進むそこに、白い人型は不思議な形状の植物が一列に並んでいるのを発見。

 分厚く、棘のようなものが生えているそれは所謂多肉植物のそれに似ていたが、そもそも薄らボケた記憶の中ではそれが何だと決定することは難しく。


 とにかく指でそれに触れた。すると。


「あ、逃げた……」


 それは白い人型の視線よりも高いところに移動していた。

 そんな出来事を妙だと思う常識は兼ね備えていた白い人型は、また指を伸ばした。

 あと数センチ、そこに指が触れようとした瞬間、今度はそれらが視界から消える。


 間もなく強い衝撃に見舞われ、ぐらつく足元に視線を送ると地面からは土埃が巻き上がった。

 何が起きたのか、上に合ったものが下にあるのだ。

 それに今の衝撃とくれば、考えられるのは"落ちた"ということくらいなもので、しかしその急さを加味すれば、それは"振り下ろされた"。


(一体何が……?)

 

 その答えには、謎自らが応じる。


「貴様、何者だ」


 重く、太い空の筒を鳴らしたような反響のキツい声がどこからともなく響き、耳の無い白い人型の全身を震わせた。


「だ、誰だ?」

   

 恐る恐る、といった様子で白い人型が身分を棚上げしてそう言うと、


「それは貴様の言うべきことではない」


 と当たり前の返事が返ってくる。


「まさか、ここがどこだかわからぬなどと言うまいな」


 もったいぶってそんなことを言うその声に、白い人型は、


(知らないものは知らないな……)


 それも当然の発想が浮かんだ。


「知らぬと言うか、生意気な……」 

「む……? おれは何か言ったか?」

「阿呆め。我が"何か"と心得ておれば、心を読まれることなど当然に受け入れるべきだ……が。心の内まで知らぬと言うあたり、貴様本当に我を知らぬとみえる。まさかこの世において我を知らぬ者がいるということは信じ難いことだが、一体どこの箱入りだ、貴様……」


 はこ、はこ、と呟いて、白い人型は短い時間だけ自分が何の箱に入っていたのか考えてみたが、やはり思い出せない。

 何より、自分が梱包、陳列されていたという記憶がどこにも無かったのだ。

 であれば、どこの商品なのかも思い出せないわけだ。


 なるほど、と小さく呟いて白い人型は声に言った。


「どこの、ってもな。売り物じゃないよ、おれはさ」

「……む? なんだ貴様、メスだったか」

「は? 何言ってんだよ。どう見たって……」


 と口に仕掛けてすぐ白い人型は続く言葉に自信を失った。


「……たぶん、違うだろ」

「ならば、なんだ? 性別の不明など、我ら以外にあり得ぬこと。とはいえ、あれらとも随分口を聞いておらぬ、もしかすると無性別の生命が生まれていてもおかしなことはないか」


 言うだけ言って、さらに声は「興が削がれた」。

 次いで「もう帰れ」と白い人型に告げる。


「いやいや、帰るけど。よくわからないことが多くてさ。帰る場所がどこなのかも、ここがどこなのかも、"おれ"がそもそも何なのかも知らないんだ。だから、教えてくれよ。何か」

 

 たとえば見た目だけでいいからさ、と白い人型は声に訊ねた。

 すると声は黙り、しばらく間をおいて、


「見えぬ……」


 とだけ言った。


「何でだよ、見えてるんだろ? 心が読めるんならそれくらい簡単なはずだ。それとも何か? 言えないなんかそういうマズさがおれにはあるのか?」


 つまらないふっかけに、声はまた僅かに沈黙。

 そして、


「見るには必要なものが我には無い……。潰されたのだ、アリアスの者に」


 と呟いた。

 その声に、白い人型が抱いた疑問は二つ。

 なぜ目が潰されたのかと、"アリアス"という不明な単語についてだった。

 その上で選んだ質問は後者、「アリアスっていうのは?」だ。


「それも知らぬとは……呆れた箱入りだ。アリアスとは"偽物"、この世の者のフリをしたこの世の者のことよ」

「それはつまり、この世の者のことだろ?」

「いや違う。アリアスはあくまで偽物。人のフリをして、我らを狙うのだ」

「狙われるってのが、その目と関係あるのはわかった。けど、それってどういう意味だ?」


 白い人型が訊くと、声は深く息を吐き、すると周囲が不意に熱を帯びた。

 それは日差しの熱とも違い、肌を焼くような鋭さを孕んだものだったが、どうにも感覚の鈍い白い人型には虫が肌を這う程度にしか感じられない。


 そんなむず痒さに白い人型はまた後頭部を掻く。


「……アリアスの者。奴らは突如現れ、我らを襲い始めた。

 無論、その程度のことは世の常。我らにとっては他愛もないことであった。しかし。

 あれらは普通ではない。真の世の者らとは比較にならないほど早く、そして強く成長した。

 その力が我らに及ぶのもそう遠くはないだろう……。この目がその証拠。

 あれらは世の均衡を覆す、正しく化け物になろうとしている者共よ」


 声が話し終えると、また熱が満ちた。

 重い空気を持ち上げ、沸き立つような不思議な熱だ。

 それを感じて、ふと白い人型の頭を掠めるのは、ここではないどこかの記憶。


 目覚めに感じた、ここはどこだ、という疑問の根源となる何かだった。

 だが、それは漠然としていて、夢に見た光景だったのかそれとも真実の記憶なのかは判断できない。


「貴様……記憶が混濁しているようだな。どちらも正しいようだが、噛み合ってはおらぬ……」


 物申すように言い、声は「この感覚は……」と意味深な言葉を続けた。そして。


「もしや、貴様……」


 出かけた結論にいち早く気付いた白い人型は、「ちょっと待て」と未来を制した。


「違う。おれはそっちの奴らじゃない。言ったろ? おれは自分が何だかわからないって。アリアスってのもそうなのか? いや、そうじゃないはずだ。だって、見たことあるんだろ……ってそうか……」


 見えないのか、と白い人型はまた後頭部をポリポリと掻く。


「とにかく、違うよ」


 敵意など無いのだと、白い人型は両手を放りハンズアップ。

 しかし、声から溢れ出る敵意は払えず。


「否。貴様にアリアスを感じた以上、生かしておくわけにはいかぬ」


 そんな物騒な台詞が、最後に吐かれた言葉だった。

 次いで生じた咆哮は凄まじく、如何に鈍感といえど、声の主が背後にいることに気付いた白い人型は慌てて振り向く。


 目の当たりにするのは、まず無数の牙、その避けた口の端に歪な鱗が目に入り、同じ方向を向く鱗の先を目で追うとそこには太く鋭い角が逆さにした牙のように生えていた。

 そこのすぐ下の辺り、色を失ってガラス玉みたいになった大きな瞳がある。


 随分と歪さが目立つ生物、その巨大さ。それが薄らボケた白い人型の記憶の中で一つの形を成していく。

 完成し、白い人型は「あー」と声なのかあくびなのかわからない声を漏らした。


「竜、か……。でかいな」


 そう呟いて、目の前で熱を漏らしながら大口を開ける竜に負けじと白い人型も口を大きく開く。

 その行為に特に意味はなかった。

 縄張り争いをするカバがそうするように、白い人型もまた、相手の敵意に反応して反射的にそうしていたのだ。

 ということもあるが、ただ単に真似をしただけでもある。


 すると、二人の間に満ちた空気は竜の方により多く引き寄せられ、その喉の奥に飛び込んでいく空気の渦はその中心で金色の光を湛え始めた。

 

(これは、マズイな……)


 脳裏に浮かぶ火炎放射のそれをイメージし、白い人型は人知れず焦っていた。

 だが、自分に出来ることは少ない。

 僅かに迷って、白い人型は自分に出来る精一杯のことをすることにした。


 それは、呼吸。

 吸って、ただ吐くだけの単純作業だった――。


 だから、白い人型には目の前で起きていることが信じられなかった。

 モクモクと湧き出す黄色い煙。

 口の中いっぱいに広がる衝撃的な酸味が、唯一それが自分の口から飛び出している証拠として本人を苦しめていた。


 にも関わらず、黄色い煙は前方から吹き付ける炎を弾き返し、その熱気に撒き散らされて周囲を悪臭で満たす。

 それが鼻の奥に溜まり始めて。

 それが、限界だった。


「……ゴッホッ」


 咽て、白い人型の喉から吹き出す黄色い煙は、ボスッ、ボスッ、と勢いを殺し、それは咳を続けるほどに弱っていって、最終的には止まってしまった。

 そうなればと勢いづいて、竜の口から吹き出す火炎は容赦なく白い人型を襲う。


 灼熱の炎に包まれて、初めて白い人型は表面の焼ける音を聞いた。

 パキパキと、それは枯れ木を焼くような音。

 ますます自分が何なのかわからなくなった白い人型は、頭を悩ませたかったところ、だが。


 それよりも、吐き切って事足りなくなった肺に空気を満たすほうが先だった。

 

 まさに精一杯の呼吸。

 思い切り吐いて思い切り吸った。

 すると、予想打だにしない現象が起きる。 

    

 一息に、次々と吸い込まれていく炎。

 一度は体を覆ったその炎ですら、白い人型の口の中に引きずり込まれていく。

 だが、当の本人に自覚は無く、代わりに驚いたのは、火炎を吐き出したその張本人だった。


「馬鹿なっ、貴様っ! あり得ぬ! 何をした!」


 炎を吐くのを止め、信じられないということを器用に首の動きだけで表現する竜。

 その姿を見上げ、白い人型はもう一度咳をすると、そこからは吸ったばかりの炎ではなく薄い煙が吹き出した。


「だから。何度も言ってるだろ、何が何だかわからないって。おれはただ呼吸をしただけだ」


 さも当然、といった様子で白い人型は言った。


「……わからんな。貴様、本当に何者だ」


 だから、とまた白い人型が口を開きかけると、竜は疲れたように深く息を漏らした。


「いや。敵わぬ者がいずれ現れるということはこの二つの目を失って知ったこと。それがひと足早く、我の前に現れた、それだけのことか……」

「おれは、別にお前をどうこうしようなんて思ってないよ」

「……だろうな」


 そう呟いてまた嘆息した竜に、白い人型は訊ねる。


「なあ、ウーノスって知ってるか?」

「ウーノス? それはどこか土地の名前か?」

「知らないのか……」

「時の流れも生命の育みも我には最早関係のないこと。我がここに住むようになってからは幾千年の時が経つのだ。知ったことではないが、この世【アトニム】にも相応の変化があることだけは確かであろう」

「【アトニム】……それは?」

「この世のことよ。我が誕生してのち、後を追うようにして現れた異変の形だ」

「異変の形、ね。よくわからないんだけど、その辺少し教えてくれないか?」


 相変わらず高い位置で自分を見下ろす竜を、ほとんど首を真上に向けて白い人型は言った。

 すると、竜は短く喉をグラグラと鳴らし、


「我が炎を喰らった怪物よ、いいだろう。僅かばかり残るこの世の記憶、聞かせてやる……」

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