第九十話 神聖樹・セイバ
「ところで……」
背中を追いながら、俺は話しかける。
先ほどイルガが言っていた言葉を思い出したのだ。
「君はさっき、聞いていたとおりって言ってたな。試練の内容を誰かから聞いてたのか?」
今では受けるものは少なくなったが、この試練はティガ族の中では古代から続く儀式だ。
だからその内容が伝わっていても不思議ではないが……それでは試練にならないだろう。
最初の炎魔獣の試練は知識があっても実力がなければ意味はないが、幻を見抜く試練は、そうと知ってさえいれば何も恐ろしくはない。
試練の体裁が保たれていない。
そんな疑問をなげかけるが、イルガは俺の方を冷たく睨むだけで答えはしなかった。
だが……そのおかげで、誰から聞いたのかをなんとなく察せられた。
バラグノに、だ。
イルガがまだ幼い頃に、自分が受けた試練のことをバラグノが話していても不思議じゃない。
だが、その通りの試練が出されているとなると、やはり試練としては不適切ではなかろうか。
それとも、いくつもの試練の中からランダムで選ばれ、たまたまイルガはバラグノに聞いていた通りの試練が出てきたのだろうか。
……そもそも、この試練が誰の手によるものかもわからない。
あの宝石に込められた魔力がそうさせるのだろうが、あれを作ったのは誰なのだろう。
俺もすべてを知っているわけじゃない。
古代の何者か、あるいは何かが作ったのだろうが……。
「……どうした?」
そんな疑問を次々と浮かべながら歩いていると、イルガが足を止めた。
次の試練の場に到着したのだろうか、と顔を上げると、そこには。
「……な……」
あるはずの道が、なかった。
あるのはただ、断崖絶壁。はるか下の方に地面が見える。
「橋が落ちたようだな」
冷静にイルガが言う。確かに、橋が架けられていたと思しき杭と縄が設置されている。
「事故か……? それとも、さっきの魔物が?」
なんにせよ、これではここを渡ることはできない。
もう少しで頂上だと言うのに、こんなところで……。
「どうする、イル――」
と、呼びかけようとした矢先。
目の前にいるイルガは背中の翼を大きく広げた。
「おお……」
そう……ティガ族は翼を持つ。
こんな橋がなくとも、崖を渡ることは出きるのだ。
しかし……。
「えっと……俺は、どうしたらいい?」
「知らん」
冷たく言い、イルガは飛び立って軽々と崖の向こうにまで渡ってしまう。
俺一人ぐらいなら抱えていけただろうが、今のイルガがそんな世話を焼いてくれるわけもない。
仕方がない……なんとか自力で渡るしかないか。
「ちょっと待て、今行く!」
先に行ってしまいそうなイルガにそう伝えて、俺は急いで剣を抜いた。
崖から向こう岸までの距離を推し量る。
大丈夫、行けるはず……。
そう信じ、ジオフェンサーへと魔力を注いだ。
そしてそれを、切っ先を地面に沈めるように勢いよく振り降ろした。
「『土石斬り(グレイブ・スラッシュ』!」
土の魔法を込めた魔剣術。
剣先が突き刺さった地面が、めくれあがるように隆起していく。
向こうへ渡る道の途切れた崖に、岩でできた短い橋が出来上がった。
「よし」
思った通り、うまく行った。
向こう岸まで届かせるとまでは行かないが、崖の半分ほどまでは伸びた。
そこまで行ってくれれば、あとはジャンプで届く。
魔剣術は攻撃のみに使うわけじゃない。
要は使い方次第だ。
「お待たせ」
首尾よく向こう岸へと渡って、イルガへと言う。
「……下らん」
律儀に待ってくれていたのはいいが、態度は辛辣だった。
まあ、おいとけぼりにならずに済んだだけマシだと思うことにする。
とにかくこれで頂上まであと少しだ。
恐らくはそこが最後の試練の場所なのだろう。
それにふさわしいものがある……それを俺は知っていた。
黙って歩いていくイルガのうしろを歩く。
さすがに疲労が溜まって、俺もついに口を噤んでしまっていた。
しかし同時に、一種の期待感もある。
あんな小さかった少女が、ここまで大きくなって、今、更なる成長を見せようとしている。
それを心待ちにしているのだ。
「……着いたか」
そして、頂上へとたどり着く。
以前来た時も驚いたこの景色……他のどこにもない、この神竜山の名前の所以ともなっているそれは、何度見ても圧巻だ。
人間数人を一気に丸飲みに出来そうなほど巨大な、竜の頭骨。
死してなお偉大な牙や顎を残し、頂上への来訪者に窪んだ闇の眼を向けているのだ。
神竜……マスタードラゴンとか、マザードラゴンなどと呼ばれていたという超巨大な竜だ。
頭の骨だけでも小さな家ぐらいの大きさがあるこの竜の全長は、いったいどれほどのものだったというのか。
「この竜が、ティガ族の祖先らしいな」
神話の類で、信憑性はなきに等しいらしいが、この神竜と人間の相の子が、今のティガ族となったという。
確かに、これほどの巨大竜と人間との間に子が成せるとは思えないが……しかし、魅力的な言い伝えだ。
「……ん?」
が、その景色に若干の違和感を覚え、俺は訝しんだ。
その正体はすぐにわかった。
神竜の頭骨が、その口を閉じているのだ。
この先に行かなければならないというのに、これでは進めない。
「前に来たときは口を開けてたんだが……」
「どけ」
どういうことかと思ったが、とにかくイルガの言葉通りに道を譲った。
イルガは閉じられた口の剥き出しの牙へと触れる。
すると、骨ばかりのはずの眼孔が一瞬、光を発した。
そして、なんと竜の上顎が持ち上がり、その先への道を作り上げた。
「おお……」
圧巻の光景だ。
恐らくこの骨は、普段はこの先の道を守っているんだろう。
何か必要な時のみ、この大顎を持ち上げて登頂者へと道を示すのだ。
イルガはその頭骨を見上げしばらく見つめていたと思うと、その後強い視線を前へ向け歩きだした。
覚悟を決めたかのようだ。
俺もその後を行き、顎をくぐって、まるで竜の骨に食べられるかのように道を進んだ。
そしてその奥、そこには、かつてはとても身近だったものの姉妹が天高く伸びる。
「神聖樹・セイバ……」
固い山の大地に深く突き刺さる根、大人が十数人、手を繋いでも抱えきれないほどの太すぎる幹、そこから無数に伸びる枝葉は、この灼熱の中にあっても一切しおれてなどいない。
赤く厚い、たくましい生命の息吹を誇らしげに茂らせている。
世界に三本有る神聖樹の内、火の神聖樹と呼ばれるセイバが、この神竜山に存在しているのだ。




