第八十九話 第二の試練
「……どうした?」
「客だ」
客? とイルガが視線を向ける先を覗く。
斜め上、山肌の上方に、それはいた。
「……なるほど」
巨大なヤモリのような魔物が四つ足で這い蹲っていた。
あれは確か、ヴェノムリザードだ。
その名の如く、毒々しい紫の肌をして、実際強力な毒性の唾液を吐き出してくる。
さっきの落岩もこいつのせいだったのだろう。
魔物はどこにでも湧く。こいつのせいで、危うく死にかけた。
「雑魚が……!」
魔物を倒そうとイルガが右腕に炎を顕す。
「待ってくれ」
しかし、俺はそれを止めた。
言外に邪魔をするなと含める視線で射られるが、こっちには引き留める正当な理由がある。
「君は試練があるだろう。あいつの毒は厄介だが、強くはない。俺がやる」
今後どんな試練が待ち受けるか、俺にはわからない。
だが、体力を保たせておくに越したことはないはずだ。
それに……そろそろ、いい格好の一つも見せておきたかった。
「……勝手にしろ」
言ってイルガは手の中の炎を消し、下がる。
俺は剣を抜き、壁にへばりつくヴェノムリザードを見上げた。
このタイプの魔物は自分から地上に降りてくるようなことはほとんどしない。
高壁にいるものに対して有効的な攻撃は限られる。魔術や神霊術、弓矢などの遠距離攻撃のみだ。
だが逆に言えば、それらの手段を持ってさえいれば攻略は容易いということでもある。
「見てろよ……!」
宝剣ジオフェンサーに魔力を送る。わずかな魔力でもその効力によって増幅され、さらに填めた指輪でますます向上する。
高まった力を、壁の魔物に狙い済まして放つ。
「猛ろ、『紅蓮烈衝』ッ!」
猛火の斬撃が空気を裂いて飛んでいく。
反撃か、リザードが猛毒の唾液を吐く。しかし、俺の魔剣術はそれをすべて焼き払いながらさらに突き進み、魔物本体をも火炎で包み込んだ。
炎に炙られ、たまらずリザードは地面に落ちてくる。
沈火してまだ生きてはいたが、全身の七割ほどが燃えては、まともに動けないだろう。
それでも、頭をもたげて唾液を吐きつけてくる。
生きている限り執拗に人間を襲う魔物の習性だ。
しかし、そんな攻撃を食らうわけもなく、苦もなく避けてとどめの剣を頭に突き刺した。
今度こそ息絶えて、リザードは煙となって消えていった。
大した相手ではなかったが、これで先ほどのような落石もないだろう。
とりあえず、一安心だ。
「どうだ、俺の炎は?」
「その程度、集落の子なら誰でも撃てる」
自慢げに言う俺に、しかしイルガは冷たく言い放つ。
……ちょっとした対抗心からわざわざ炎の魔術を使ったが、心に響くことはなかったようだ。
別の属性の方がよかったのかもしれない。
先を行くイルガの後を追い、さらに山を登る。
すると、山の中腹を流れる小川にたどり着いた。
雨のほとんど降らないグレンカムでの貴重な水分は、この小川からもたらされる。
性質上、水分を取るのは数日に一度、それもほんのわずかでいいティガ族ではあるが、それでもまったく水を飲まねば死んでしまう。
道筋としては、この小川を渡る必要がある。しかし、その前に少々休憩と水の中に指を浸した。
「へえ、意外と冷たいんだな」
こんな火山から流れる水だから、もっとぬるいものだと思っていたが、これが案外気持ちよい温度だ。
手ですくって一口飲むと、失われた水分が回復して心地いい。
「ん? あれは……」
ふと目を向けた先、小川の岸に、先ほどと同じような丸い宝石があった。今度は青い。
第二の試練と言うことか。
「イルガ、準備は……」
俺が尋ねる前に、イルガは足早に球体に触れてしまっていた。
と、次の瞬間、俺の目の前の小川から突然、激しい炎が吹き上がった。
「な……!?」
火山の清涼となっていた小川が、一面火の海――否、火の川だ。
いったい何が起きたというのか。
「イルガ、これは……」
「騒ぐな、耳障りだ」
まだ対して騒いでもいないと思うが、とにかく叱咤される。
イルガは冷静に物事を見極めようと、視線を小川の端から端へと送る。
俺も同じように見るが、どこにも切れ目のようなものはない。
渡るのが試練なのか、それとも消し止めるのか。
だがどうやって? この炎の中を渡るなんて不可能だ。
いくら熱や火に耐性があるティガ族でも、大火傷では済まないだろう。
「この火、俺の魔剣術で……」
消せるかも、と思ったが、これはイルガの試練だ。
俺が手出しすることはできない。
あくまでも俺は、窮地に陥った時に助けるようなことしかできないのだ。
イルガは、これをどうするというのか。
「……聞いていたとおり、か」
「え?」
イルガはそう言うと、苦々しい顔になって突然、ゆっくりと炎の川に向かって歩みを進めだした。
「おい!」
呼び止めるが、止まらない。
そしてそのまま、躊躇することなくイルガは、炎川へと足を踏み入れる。
――しかし。
「……な……」
イルガは怯みも、苦しみもしなかった。
半身を炎に飲まれているというのに、なんら反応を見せない。
まるで、そこに炎などないかのように。
……まさか。
「イルガ、それは……」
「幻だ」
やはり、そういうことなのか。
川が炎に包まれた衝撃でまったく気が付かなかったが、今にして思えば確かに、こんなに炎が燃え上がっているのにまったく熱くない。
もしこれが本当の火炎ならば、空気が熱されてもっと気温が高まっていたはずだ。
冷静に考えればわかることなのに、超常的な現象に思考を乱されていたようだ。
そうならないよう、幻を看破する試練だったのだろう。
イルガが小川を渡りきると、炎は掻き消えるように消失していく。
先ほど見たとおりの小川が戻ってきた。
若干おそるおそる、水に手をつけてみる。……冷たいままだ。
「……俺は不合格だな、これは」
「…………」
冗談めいた言葉を一切無視し、イルガはまた歩んでいく。
まったく心を開いてくれないのは残念だが、イルガは順調に試練を突破している。
このままでいけば、イルガは無事飛竜となる力を覚醒させるだろう。
それは喜ばしいことだ。だが……その力を俺たちに貸してはくれないだろう。
どうしたものか、と考えながら、俺も小川を渡ってイルガを追いかけた。




