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第八十八話 第一の試練

 神竜山は、今も溶岩を流動させる活火山だ。

 十五年前にも一度、ここに登ったことがある。あの時と何ら変わらず、一歩一歩踏みしめた靴の裏から確かな地熱が伝わってくる。

 岩々の転がる荒い地面よりも、脚部に疲労がのしかかってくる斜面よりも、空気と地面による熱気の方が数倍、俺の体力を奪い、汗として流していく。

 そしてそんな場所を、イルガはすいすいと歩き、渡っていく。

 汗一つ流していない……まさしく、涼しい顔をしているという奴だ。


「すごいな、君は」

「…………」

 俺の言葉にイルガは答えない。

 構わず、言葉を続けた。

「まだ山を登っているだけだってのに、俺はもうへとへとだ。なのに君はまだ楽勝って顔だ」

 この山を登ることが試練なのではない。

 あくまでもこの山は試練の場であり、ここを登ることはその前提に過ぎない。

 試練辞退を受けるのはイルガで、俺は見守る役目なのだとはいえ、この体力差には恐れ入る。

「そういえば、バラグノも暑いとこは平気だったな。やっっぱり普段の生活環境ってのは……」

「奴の話はするな!」

 無視を決め込んでいたイルガが、突如として叫んだ。

 憎しみ深い瞳が、俺を射貫く。


「バラグノを変えたお前も憎いが、己れは変わってしまった奴自身も憎い!……これ以上、奴の名を出すんじゃあない……!」

「……っ」

 バラグノとイルガの関係は、すばらしいものだった。

 かつては家族というものをほとんど知らずに育った俺は、妻・母を亡くしても力強く生きるバラグノ親子がとても美しいものに見えた。

 そして、家族の温もりを知った今、二人の絆がどれほどのものだったか改めて理解した。

 だというのに……二人は切り裂かれ、あまつさえ娘は実の父を恨み、憎んでいる。

 こんなことあっちゃいけない。

 家族ってのはもっと温かいものなんだ。

 こんな、冷えきった氷のような憎悪が渦巻いていい領分じゃない。

「……イルガ」

「黙れ!」

 取り付く島もなく、歩いて進んでいってしまう。

 仕方なく、俺も口を噤んで着いていった。


 黙りこくったまましばらく歩くと、山の中腹の開けた空間に出た。

 その中央には丸い緑の宝石が乗った台座のようなものがある。

「あれは……」

「試練だ。下がれ、邪魔だ」

 冷たく言われ、俺は黙って従った。

 イルガはその台座に近づくと、その球体に触れた。

 途端、それは輝きだし、炎の塊のようなものを周囲に吐き出した。

「……!」

 炎の塊がイルガを囲む。

 燃えるものもないのに、それぞれがさらに火力を増し、まるで人や獣のように形を変えた。

 バラグノから聞いたことがある。

 あれは試練を受けにきたティガ族の力量を試す、炎魔獣だ。


「イルガ、大丈夫なのか!」

「喋るな、耳障りだ」

 何も焦るようなことはなく、イルガは静かに両手に炎を発生させた。

 炎魔獣はまるで野獣の唸り声のように火を荒ぶらせる。

 襲いかからんとしているのか。ならば、この試練の内容は、まさに火を見るよりも明らかだ。

 一匹の炎の獣が飛び出した。

 それを皮切りに、ほぼ同時にすべての炎魔獣が飛びかかる。

 かわさなければ全身が丸焦げだ。

 ――だが。


「下らんッ!」

 自身の頭髪を炎のように燃え上がらせ、イルガは両手の炎を周囲にばらまいた。

 炎が炎を飲み込み、巨大な炎となってさらに、突っ込んでくる炎魔獣を取り込んでいく。

 炎は巨大な一つの火柱となって、イルガを取り囲む。

 そして、それが突然風に吹かれたように消え去ると、中にはなんら動じた様子もないイルガが立っていた。

「……終わったのか?」

 イルガは答えずに俺を一睨みだけし、そのまま奥の道へと歩きだした。

 炎魔獣は現れない。

 ……恐らく、あれを切り抜けろと言う試練だったのだろう。

 それをイルガは瞬く間に突破した。……俺に、出来ただろうか。


「やはり君は……」

 バラグノの娘だ、と先を行く背中に言おうとしたが、やめた。

 また怒鳴り散らされるだけだろう。

 バラグノも炎の扱いに非常に長けていた。

 今見せたような火炎の術を、ティガ族は竜火術と呼んでいるらしく、その実体は強力な火の魔術だ。

 本来なら必要な詠唱や魔力の集中をほとんどせずに発動できるそれらの術こそが、ティガ族の戦闘力の秘訣だ。

 俺もかつての旅では、バラグノの竜火術には何度も助けられた。

 その時に感じた頼りになりそうな力強さをイルガの炎からも感じ取ったのだが、それを言っても恐らく、イルガは怒り出すだけだろう。

 ……この試練が終わる頃には、誤解も解けて、今思ったことをきちんと告げることが出来るだろうか。


「……?」

 そう思い、歩いていると突然、どこかで何かが割れるような音がした。

 足下を確認するが、ただ地面があるだけで何もない。

 ならば、と空を見上げると。

「なっ……!」

 巨大な岩が、崩落してきていた。

 この山の岩肌が砕け、落ちてきているのだ。

 このままでは直撃だと剣を抜き、込められるだけの魔力を込めて魔剣術を繰り出した。

「づっ……!」

 突然のことで魔力の変換も出来ず、ただ魔力を叩きつけるだけの半端な技。

 それでも岩は砕け、なんとか小石に体を叩かれるだけで済んだ。

 危なかった。反応が遅れていたら、岩に体を潰されるところだった。

 しかし……どうして落ちてきたのだろう。岩場が不安定だったのだろうか。

 

「……魔剣術か」

 上方を見上げる俺に、先を行くイルガが振り向いてそう言った。

 被った小さな石や砂利をはたき落としながら、俺は答える。

「ああ。昨日も見せただろ?」

「貴様、弱くなったな」

「……痛いとこを突くな」

 イルガは以前の俺――クロードのことを知っている。

 確か、雪を降らせる以外にも一度魔剣術で戦うところを見せたはずだ。

 昨日は忘れていたようだったが、雪を見て続けて思い出したのかもしれない。

「この体になって改めて鍛えてるが……なかなか前のような実力は取り戻せないよ」

 女だからと言うつもりはないが、筋力の差以前に体格が違う。

 クロームとしての今の姿は、15の女としては平均やや上の身長しかない。

 一方で以前の俺は男の中でも長身と呼ばれるほどの体格だった。

 この差は剣に限らず、体を動かすことすべてにおいてどうしても枷になる。


「いい師匠に出会って、軽い動きの剣を覚えたからな。以前とは勝手が違う」

「……ふん」

 多少興味を持ってくれたかと思ったが、イルガはそうでもなさそうに歩いていってしまう。

 だが、これはいい機会だとそのまま喋り倒すことにした。

 聞いてもらえなくてもいい。とにかく、少しでも打ち解けたかった。

「むしろ、剣よりも普段の生活の方が慣れるまで辛かったな。なにせ男から女へ変わったんだ、初めは違和感がすごかった」

 男にあって女にないモノがなくなったというだけで、なんというか物侘びしさを覚えた。

 それはなんだかんだで慣れたが、今度は二次性徴で胸が膨らんできて、それでまた少々不安定になった。

「十五年も経つともはや慣れっこだが……まあ、他の人間には不可能な貴重な体験だからな、なんだかんだで楽しくはあったよ」

 冗談交じりに話しても、イルガはまったく反応を見せない。

 それでも俺は諦めなかった。

 きっと振り向かせてみせる。

 そう思い、次の話を始めようと口を開こうとした時、イルガが足を止めた。


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