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彼女との距離

「戸田君は、また千里ちゃんの?」


 僕がぬいぐるみコーナーを訪れた理由、その半分は幼馴染には筒抜けだったようで。


「そう。未だに好きなんだよね、『迷い兎ラビリンス』」

「小さい頃からだもんね」

「明日香もあれが気に入って縫い物始めたんだろ?」

「……そういう時期もあったかな」


 目を逸らす幼馴染、しかし手に持ってるキットが言葉を裏切っている。


「いや、まだお気に入りなんでしょ、迷い兎」

「…………作らないと落ち着かないのは認める」


 微かに頬を染めて追及に屈する明日香。

 かつては近所のどの男子よりも活発で豪快だった彼女が、少しずつ見せるようになったおとなしげで繊細さを覗かせる仕草。

 そんな彼女を見る度に僕の方が落ち着かず、それでいてむず痒く、胸のうちが少し温かくなるような気分になるのだ。


「いいんじゃないかな、明日香の気が静まるなら兎もイケニエになる甲斐があるって」

「どーいう意味よ」


 分かり易く膨れて見せる明日香。感情豊かに表情をころころ変える彼女の様子は僕を和ませる。幼馴染と交わす久しぶりの長話、共有した過去にまつわる会話に躍る心を抑えるのに苦労した。

 けれど、


「でも戸田君。制服姿って事は、春休みなのに学校へ行ってたんだ?」

「うん。部活の作業があって、ここに来たのもその用事が──」

「あ、そうなんだ」


 会話の流れが淀む。


「部活、頑張ってるんだ?」

「う、うん。明日香も頑張ってるよね」

「うん。流石に1年生でレギュラーを取れるほど甘くなかった」


 問うまでもなく知っている。

 明日香が近くの高校ではなく聖宮女学院への進学を選んだのは、いわゆるお嬢様学校だからではなくソフトボールの強豪校だったからだ。


 中学時代、県大会の決勝で全国への夢が断たれた彼女はより強くなれる環境を求め、わざわざ遠くの高校への進学を決めた。

 その結果、僕は仲のいい幼馴染と疎遠になったのだ。


 何も悪くない。

 彼女は彼女らしくやりたい事を見つけ、それに打ち込める環境を選んだだけである。


「でも絶対的エースの戸浦先輩は卒業しちゃったし、先輩ほどの存在感がある新3年生はいないから」


 ただ僕が。

 これまで当たり前のように一緒に歩いていた幼馴染が居なくなった事、思い出を共有する立場でなくなった事にどう向き合えばいいのか、今の明日香の環境にどこまで踏み込んでいいのか、分からなくなったのだ。

 そろそろ1年が経とうとしているのに、未だ分からない。


「だから今年はエースで4番、絶対譲ってもらうんだから」

「そ、そうなんだ」


 それはまるで片思いのように、僕がひとりで戸惑い、迷い、思い悩んでいるだけなのだけど。


「あ、ごめん。ひとりで熱くなっちゃってた」

「いや、う、うん」


 長らくの間、それまで当たり前のように過ごしていた日常が失われた、そんな喪失感もあったのだけど。


 ──そう、当たり前の日常。

 身近にある大事な物は失ってから気付く。

 そして往々にして、気付いた時には手遅れなのだ。

 ならば今手元にあるそれまでも、手放してしまっていいのだろうか。


「明日香、その──」


 ぎこちなく幼馴染の目標を応援しようとした時。



『感知、感知したデス!!』


 緊急を叫ぶ神鳥の警報が、日常を根底から消滅させる敵の侵蝕を告げた。


******


『感知、感知したデス!!』

 

 神サマの封印結界『タルタロス』の壁に穴を開け、こちら側へと“プシュケー”を奪いにやってくる異界の神ギガーテ。

 人を喰らう化け物の侵入を神サマの使いが告げた。


 街の平穏を守るため、僕はいかなければならない。


「明日香ごめんっ、僕、ちょっとトイレ」

「え? え、うん」


 きょとんとした顔の幼馴染を置き去りに、僕は迷いなく店内のトイレを目指す。

 外国の有名ヒーローは電話ボックスに駆け込んで変身するというが、それに比べるとなんとも格好悪いがもう慣れてきた。


 それに、トイレに駆け込むのは「なんだかなあ」とアンニュイになる序章に過ぎないのだ。


(ヘイゼル!)

『了解デス!』


 光の転送路“ヘルメスの小路”を抜けて白フクロウが現れる。


「『天換』するデス、準備はいいデスか?」

「うん、やってくれ」

「ヘパイストスの槌よ! かの者の“プシュケー”を『天換』せよ!」


 かくしてボクはいつも通り、男子トイレで少女になるというアンニュイ感さを抱えて出撃するのだった。


******


 血よりも赤く、闇より暗いとは何の言葉だっただろうか。


 ギガーテの結界『巨神殿』はそれに近しい赤黒い世界。

 夜半の大火災にも似た、おどろおどろしい光景は見るものに怖気を覚えさせる。


 しかし真におぞましいのは人食いの化け物が闊歩する事だ。


「ヘイゼル、避難誘導!」

「分かってるデス!」


 空を走るボクの眼下に巨大な黒影。 

 雲のように不確かで、実体として捉えられず、それでいて他者の“存在”を喰らい尽くす神話時代の化け物。


「“心眼”!」


 神の眼力が不可視の呪いを解く。

 正体を現した巨人はデフォルメされた人型の軍勢ギガンテスと呼ばれる雑兵種。

 油断さえしなければ不覚をとる相手ではない。


 巨人がしゃがみこみ、建物の影に手を伸ばしている。

 ビルとビルの間に挟まれた袋小路の一角、人間の“プシュケー”を奪う事を目的とした怪物が執拗に手を伸ばす理由は


「まさか、誰かがいる!?」


 駆けながら『心眼』を路地の奥へと向けたボクの視界に映ったのは、鮮やかな金髪だった。


(外国の、女の子?)


 街の住人か通りがかった観光客かは定かでないが、巨人が狙ったのはあの少女だったのだろう。

 赤黒い世界の色に負けない金色に青。

 引き結ばれた唇に青い瞳、それはまるで巨人を睨みつけているかのよう。


「助けないと!!」


 空を蹴り付ける。

 飛ぶよりも速く、稲妻よりも鋭く。


 そして、鉄槌よりも力強く。


「吹っ飛ぶべええええええ!!」


 背面からの攻撃は建物、ひいては少女に危険が及ぶ。

 そう判断したボクは巨体の側面に回りこみ、力の限り蹴り付けた。


「グボオオオオオオオォォォォ!??」


 サイズ差でいえば人が一戸建ての家を蹴るようなものだが、これは天空を翔ける女神の一蹴だ。

 ギガーテを構成する“プシュケー”を掻き消す勢いで吹き飛ばす。頑健な巨体は地面を二転三転し、遥か向こうのコンクリート壁に激突するのが見えた。


「キミ、大丈夫?」

「……」


 油断無く巨人を視界内に留めつつ、ボクは少女の無事を確認した。


「ここはボクに任せて、早くあっち側に逃げて」


 さっきまでの敵を睨む気迫は薄れ、どこか呆気にとられポカンとした表情を浮かべている。色んな意味で非常識な光景が続いたのだ、当然かもしれないが。

 そして色よい返事もない。


「あっち側に逃げて欲しいんだけど……まさか英語じゃないと通じないとか?」


 だとするとなんと声をかけるのが正しいだろう。

 ぷりーず、らんなうぇい、とか?


「グゥルォォォオオ……」


 でも迷ってる時間は無かった。

 視界の中で巨人が立ち上がったのだ、奴がまた誰かを襲う前に動かなければ。


「あっちに逃げてね! らんなうぇい、ぷりーず!」


 最後に適当な英語を言い捨て、ボクはその場から跳躍。

 起き上がった巨人に再び攻撃を仕掛けた。


******


 戦闘そのものは苦戦する事なく終わった。


******


 『天換』を解除し、『あら雲』のぬいぐるみコーナーに戻った時。

 明日香の姿は既に店内に無く。


 僕は落胆と、若干の安堵を覚えた事を否定できなかった。



次のエピローグで一区切りです。

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