二人の約束
聖女(候補?)を召喚した夜、アルフォンスは、興奮して泣きわめくマリーラを明け方までかかって必死になだめた。
マリーラは、アルフォンスが少しでも近づこうとすると悲鳴を上げて逃げ回るので、アルフォンスは終始マリーラとの距離を開け、工房の室内の両側の壁際に分かれて話をすることとなった。
マリーラに痴漢扱いされたことは不本意であったが、若い娘を深夜に無理矢理召喚した上、着ている服を脱がすかのような行為に出たのだから、誤解されても仕方なかった。
アルフォンス自身、そのような誤解を招いた責任が自分にあると感じていた。
何を隠そう、アルフォンスは女性に対して極端に奥手である。
アルフォンスの母親は、アルフォンスがまだ幼いころに病気で亡くなっており、家族は父と兄の男二人で、女性の使用人もいたが、アルフォンスからすればおばあさんのような高齢の女性ばかりだったので、若い女性に慣れていなかった。。
アルフォンスが通っていた王立魔法学院には女生徒もいたが、魔法使いを目指すような女子は、鼻持ちならないくらい気位の高い貴族の子女か、学院での成績の向上に自分の将来をかける競争心の高い民間出身の生徒たちで、どちらも気安く友達にはなれない学友であった。
アルフォンスは、入学当初から天才と謳われた兄と比較されるため、たゆまぬ努力を続けて何とか好成績を維持してきたが、その代償として遊びに費やす時間はなかったし、同級生は男女を問わず競争相手であって、気を許せる相手ではなかった。
その結果、アルフォンスには親しい女友達はいなかったし(男友達もいなかったが)、初恋もまだであった。
そんなアルフォンスにとって、深夜に若い女性のマリーラと二人きりで自宅の工房にいること自体、大変緊張することであった。
しかも、マリーラの顔立ちは美しく、その大きな瞳でにらまれるとアルフォンスはどきどきしてどうしていいか分からなってしまうのであった。
結局、その晩、夜明けまでの長い協議の末、アルフォンスとマリーラとの間で協定が結ばれることとなった。
1 アルフォンスはマリーラに対して今後一切セクハラ行為をしないこと。
2 アルフォンスは決してマリーラの修道服を脱がそうとせず、同意なくマリーラの体に触れないこと。
3 アルフォンスはマリーラに対して今後一切苦痛を与えるような非人道的な隷属魔法を使わないこと。
4 アルフォンスはマリーラに対して乱暴な口は利かず、聖女候補に対する敬意をもって接すること。
5 アルフォンスはマリーラを対等なパートナーとして扱うとともに、あくまで友人として自制心をもって接し、決してないがしろにしなこと。
6 アルフォンスはマリーラに対して健康で文化的で女性としての自尊心を維持するにふさわしい生活を送れるよう十分な援助をすること。
以 上
何だか一方的な内容である気もするが、泣きわめくマリーラを徹夜でなだめたアルフォンスは、最後には疲労と眠気からまともに頭が働かない状態になり、マリーラが言うがままに書いた協定書に署名してしまったのであった。
アルフォンスは、明け方になってようやく落ち着いたマリーラを館の本館へ連れて行き、客用の部屋で休息をとらせ、自分も自らの部屋に帰ってひと眠りした。
◇◆◇
翌日、二人は昼頃に起き、アルフォンスが作った簡単な昼食をとった。
パンとチーズと野菜スープという質素なものであったが、修道院で修業中のマリーらは普段の食事も同じくらい質素なものだそうで、特に苦情は言わなかった。
食事が終わって一息ついたところで、アルフォンスはマリーラの素性についてあれこれ質問した。
しかし、マリーラの説明する世界は、アルフォンスの住む世界とよく似ているにも関わらず、国名や地名など固有名詞が共通せず、同じ世界とは到底思えなかった。
「マリーラの住んでいた世界というのは、魔人や獣人などは確かに住んでいなかったんだね?」
「はい、森や山、ダンジョンなどに低級な魔物が住んでいますが、魔人や獣人というのは子供のおとぎ話や昔話の英雄譚に出てくるだけで、架空の生き物だっていう人もいました。」
「そういうところはこの世界と同じなんだがなあ。言葉も通じてるし、宗教や文化もよく似てるのに、なんで国や都市が違うんだろう?」
「アルフォンスさんの使った魔法は異世界から魔物を召喚する魔法だったんですよね?」
「アルでいいよ。マリーラを召喚した魔法は、異世界から高位の魔物を召喚する魔法陣の魔法で、魔法書によると高位の魔族か獣人、聖霊などが召喚できるはずだったんだ」
「その高位の魔物を召喚する先の異世界というのはどこにあるのですか?」
「どこといっても、この世界とは別の世界っていうことみたいだから、この世のどこにもないはずだよ」
「ちょっとよく分かりませんが、では、その異世界というのはひとつだけなのですか?」
「ん? そうか、異世界が一つとは限らないのかもしれないな。魔法書にも異世界については具体的な記述がないから、もしかすると異世界がいくつもあって、魔人の世界、獣人の世界、マリーラのいた世界っていうふうに並行していくつもの世界があるって可能性もあるのかな」
「それだったら、魔法陣はいろんな異世界の中から強い魔力を持つ生き物をランダムに召喚するのかもしれませんね」
「マリーラは聖女候補って言ったけど、魔力は強いの?」
「はい、修道女自体も、魔力の強い者しかなれませんし、その修道女の中で一番魔力が強い者が聖女候補に選ばれるんです」
「じゃあ、マリーラは魔法が使えるんだね?」
「ええ、修道女はみんな聖魔法や光魔法の修業をしていますので、私もひととおりの教会魔法は使えますよ」
「そうか。それならば、召喚魔法は失敗したんじゃなくって、一応成功して異世界から魔力の強い存在としてマリーラを召喚したってことなんだろうな」
「アルは、その召喚魔法で何をしたかったんですか?」
「世間に俺のことを一流の魔法使いと認めさせて、三賢人の一人になりたいんだ。三賢人というのは、魔法使いが就く国の枢要ポストの魔法学院学長、魔法省長官、賢者のことで、この三賢人のどれかになりたいんだ」
「出世が目的ですか?」
「まあ、そう言われても仕方ないな。我がブリタード家は代々優秀な魔法使いとして名をはせ、過去には何人も三賢人を輩出した名門貴族だったんだ。俺の祖父も先代の魔法省長官を務めていたし、父も才能ある魔法使いだったことで魔法省の官僚として将来魔法省長官を狙える地位ににいたし、俺の兄のイリアスも魔法学院を首席で卒業してそのまま学者になり、目覚ましい魔法学上の研究成果を上げて、いずれは魔法学院学長になるだろうと言われてたんだよ。でも、祖父が先王崩御の際の後継争いに巻き込まれて失脚し、失意のまま病死した後、父は魔法省の仕事で兄を連れて暴走したダンジョンの調査の際に行き、二人とも暴走に巻き込まれて行方不明になってしまい、結局、見つからないまま王家から死亡宣告が出されてしまったんだ。おかげで、ブリタード家はまだ学生だった俺が継ぐことになったんだけど、まだ学生ということで王家からブリタード家に与えられていた領地は王家に返上させられた。その他、貴族として持っていたさまざまな特権も次々と失って、ブリタード家の資産としては、今ではこの屋敷しか残ってないんだ。それも、来期の税金が納められなければ没収され、そうなれば爵位も返上させられるから、貴族としての地位も失うことになる」
「……ずいぶんと大変な目にあったのね」
「貴族同士の権力争いなんてそんなもんさ。祖父が巻き込まれた後継者争いは、祖父が押していた第2皇子と。祖父のライバルが押していた第1皇子だった現王が争ってたんだけど、結局、現王が王位を継いだことで祖父側が敗北したから、負けた方が失脚するのは当然だしね。逆に祖父が勝ってたら相手側を失脚させたはずだしね。その後、伝統あるブリタード家を父や兄が復興させかかっていたのに、それを果たせなかったのが悔しくてね。祖父が失脚したあと、父の魔法省での地位も微妙になってしまい、父はエリートコースからは外れたダンジョン管理局の局長をやってたんだけど、その時に王都北方になるキソロフ領の迷宮が暴走してね。暴走を抑えるのもダンジョン管理局の仕事だったし、キソロフ領を納めていたキソロフ伯爵は父と同じ派閥だったから、父はキソロフ伯爵の依頼を受けて管理局の調査隊を率いてキソロフ迷宮の調査に赴いたんだ。普通なら局長が現場に出ることはないんだけど、父は友人でもあったキソロフ伯爵の窮地を何とか助けてやろうとしたのと、そのままダンジョンが暴走を続けたら、それを口実に父に責任を取らせて失脚させようという動きが魔法省内にあったらしい。それで、父はダンジョンの研究でも成果を上げていた兄を連れてキソロフ迷宮の調査に行ったんだけど、ダンジョン内で魔物の暴走に巻き込まれ行方不明になってしまったんだ。キソロフ迷宮の暴走は繰り返し起こった大規模なもので今だに続いており、今では迷宮からあふれ出た魔物でキソロフ領内が荒らされてしまい、キソロフ伯爵も領民も領内から逃げ出して人が住めない状態になってしまっているんだ。だから、迷宮内で行方不明になった父と兄を探しに行く方法がなく、時間もたったため生存は絶望的ということで、死亡宣告がだされてしまったんだ。もちろん、俺がブリタード家の代表として国王に調査隊派遣の請願を出したんだけど、調査不能ということで却下されてしまった。まあ、魔法使いとしてずば抜けて優秀な兄が帰ってこれない時点で、代わりに調査に行ける魔法使いなんているはずがなかったんだけどね。」
「でも、アルフォンスはまだお父上やお兄様が生きていると信じてるんでしょ?」
「まあ、身内だからね。父と兄が行方不明になって1年以上たってるんだから、生きている可能性がほとんどないのは分かってるんだけど、そう簡単には諦められないし、せめて家族の俺だけでも諦めたらいけないと思ってる。だからといって、今の俺ではキソロフ迷宮に父や兄を探しに行く実力はないから何もできなかった。家族で残されたのは俺だけだし、親戚は祖父が失脚したときに巻き添えを恐れてみんな離れちゃったから、味方してくれる人はいないし。しかし、父と兄がいない今、俺が何とかしなきゃブリタード家は俺の代で取りつぶされてしまう。それを避けるためには、俺が世間に対して魔法使いとしての実力を示して、王国に必要な人間だと思い知らせてやらなければならない。それで、召喚魔法で高位の魔物を召喚して自分の使い魔にしようと思ったんだ。これまでに高位の魔物を召喚して使い魔にした魔法使いはいずれも王国内で重要な地位についているから、俺も召喚に成功すればブリタード家を復権させられるはずだ。召還魔法は危険な魔法なんだけど、今の俺には失うものはないから、一か八かの賭けに出たわけさ。」
「高位の魔物を召喚して、自分一人でキソロフ迷宮に行くことは考えてないんですか」
「うん、キソロフ迷宮のことはある程度調べてみたけど、いくら凄腕の魔法使いでも個人や数人のパーティーでどうにかなるもんじゃないらしい。少なくとも王軍を動かさないと迷宮どころかキソロフ領内に入るのも難しいらしいんだ。」
「そうすると、結局,アルは私に何をさせたいんですか」
「人間であるマリーラを世間に対して召喚魔物として召喚するわけにはいかないから、当面は俺のパートナーと言うことにして、一緒に活動してほしい」
マリーラはアルフォンスの『パートナー』という言葉に首をかしげて
「パートナーですか?」
と尋ねた。
アルフォンスは、顔を赤らめて目をそらしながら答えた。
「つまり、幼いころから父が決めていた許嫁ということにすれば、ずっと一緒にいても問題ないと思うんだ。遠国に住んでいた遠い親戚の女の子が許嫁だったっていうことにすればそれほど不自然じゃないし。俺とマリーラの2人の魔法使いとしての力を合わせて、ブリタード家の実力を世間に見せつけてやればいい」
「修道女は還俗しなければ結婚できませんし、聖女候補は還俗自体認められていませんけど」
「大丈夫、この国の修道女はその辺融通が利くし、聖女候補についてはこの国の教会にはそのような制度自体ないから、いくらでもごまかせるはずだ」
「でも、私、本当に聖女候補ですから、あなたと結婚するわけにはいきませんよ?」
「も、もちろんだよ。あくまで世間体をよそうための偽装だよ。君にまで嘘をつかせて申し訳ないけど、しばらくはそういう振りをしておいてほしいんだ」
「私、いきなり召喚されてしまいましたけど、自分の世界に戻って聖女候補としての務めを果たさなければなりませんから、いつまでもことらにいるわけにはいきませんよ?いつ頃返してもらえるんですか?」
「ん――、それは……」
「か、帰れるんですよね?まさか帰る方法がないってことはないですよね?」
マリーラがアルフォンスに詰め寄り、アルフォンスの顔を覗き込みら問いただしてきた。
アルフォンスは、思わず視線をさまよわせかけたが、何とか我慢してマリーラの大きな瞳を見つめ返した。
「もちろんさ。魔法書には召喚した魔物をもとの世界に送り返す帰還魔法の魔法陣についても書かれていたから、ちゃんと君を送り返すことができるよ」
「本当ですか?」
「ああ、間違いない、約束するよ。ブリタード家の名に懸けて必ず君をもとの世界に送り返すことを約束しよう。ただ、今すぐというわけにはいかない。召還魔法は魔法陣の発動に莫大な魔力を必要にするんだ。マリーラを召喚したときは、俺の魔力だけでは全然足りないから、先祖代々伝わっていた家宝の魔石をたくさん使って君を召喚したんだ。その時に大半の魔石を使ってしまったから、今は帰還魔法に仕える魔石がないんだ。これから俺と君の2人で魔石を集めて用意する必要がある。魔石は魔物が体内に持っているから、自分たちでダンジョンなどの魔物を倒して集めるか、冒険者から買い取る必要がある。ただし、弱い魔物の魔石は使い物にならないから、レベルの高い魔物から集めなければならないんだけどね。魔石が溜まったら必ず君を帰還させるから、それまでは俺と一緒にこの世界で魔法使いとして働いてほしいんだ」
アルフォンスは、自分の視線に力を込め、マリーラの大きな瞳を見つめ返した。マリーラに信じさせるためには目をそらしてはいけない。
マリーラの栗色の瞳は、揺るがずにじっとアルフォンスを見つめていた。
マリーラのきれいな瞳には、自分の偽りに満ちた瞳が写っていた。アルフォンスは、目をそらしたくなる気持ちを必死に抑え込んで必死に見つめ返した。
やがて、マリーラの視線がわずかに揺らいだかと思うと、そっと視線をそらした。
マリーラは、なぜかつらそうに一瞬表情を曇らせた後、直ぐに微笑みを作って
「分かりました。アルを信じます。これから、あなたのパートナーとして、アルを助けなます。ですから、アルも約束は必ず守って、一緒に魔石を集めてくださいね」
と答えてくれた。
「ああ、もちろんさ。よろしくね、マリーラ」
「はい、こちらこそよろしくお願いしますね,アル。でも、あくまでパートナーの振りだけですよ? 昨夜みたいな真似をしたらだめですからね?」
「わ、分かってるよ。もう何度も謝ったじゃないか」
「修道女が人前で肌をさらすことは禁じられています。修道服がこのように顔や手以外の体全体を覆い隠す形になっているのには宗教上の理由があるんです。ですから、服の中を覗くようなことは絶対にしないでくださいね。まあ、アルは本当に奥手みたいですから、信用しても大丈夫そうですけど」
「はいはい、二度としないと約束しますよ」
アルフォンスは、奥手と言われたことに不満を感じながらも、マリーラから今後の協力について何とか約束を取り付けられたことにほっとした。