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左の瞳がゴロゴロと蠢く。
その気持ち悪さに体の感覚が戻ってくる。
全身の痛みに神経が焼ききれそうだ。
それでも、まだ動く。腕も、足も、頭で思った通りに動いてくれる。
戦える。
――そうだ、こんな風に、こんな所で死ぬために生きてきたわけじゃない。
まるで自分と別の生き物のように蠢いていた瞳の動きがピタリと止まる。
全身傷だらけで満身創痍の体、唇からは色が抜け、そこから漏れる息は弱々しい。
血溜りからゆっくりと少女の体が立ち上がる。
口に溜まった鉄の味を吐き出して、それを乱暴に拭う。
色のない唇を血の朱が彩る。
その暗い赤色の唇でフィーは笑う。
「なぜ、そうまでして立ち上がる」
畏敬を含んで震える男の声にフィーはその笑みをさらに強くする。
痛みも何も全てを無視して、地に突き立ったままのナイフを抜き取り、少女は答える。
「ただ一人ノ幸せの為ニ」
たった数日を一緒に過ごしただけの少女。
命をかける義理などないのかもしれない。
過去の自分を重ねているのかもしれない。
助けられなかった人達への贖罪なのかもしれない。
理由は探せばきっと沢山出てくるだろうけれど。
助けたいと思ったから。
それだけで十分なんだ。
「貴方ヲココで倒ス、クロイス・エハル」
フィーの両腕がコートの裏へ伸びる。
八つの厳重に梱包された薬瓶、それらを掴み取ると、フィーはそれを空中に放り投げる。
咄嗟に男は距離を取ってサーコートを引き寄せ口元を覆う。
瞬間、地に落ちた薬瓶が砕け散るキレイな音を響かせ、その中身を撒き散らす。
だが、何も変化は起こらない。
ただ撒き散らされた粘性を持つ銀色の液体がゆっくりと屋上を流れ、所々に空いた戦闘の跡を埋めていくだけだ。
クルークとの戦いでその中身を警戒していた男は、それらに害がないと見るや、フィーの元へと走りこみ、決着をつけようとするが。
「チェックだ」
フィーの発した言葉と共に、緑色の燐光が屋上に溢れ始める。
それは魔法使いなら誰もが知っている、マナの輝き。
このブロック中の大量のマナがこの屋上に集中していた。
マナが集まっているのはこの屋上。
男はそこでようやく気がつく、フィーのその策略に。
起伏のなかったそこに、いつのまにか広がっているのは巨大な刻印。
フィーの様々な攻撃によって地面に刻まれた溝、そこに流れ込んだ銀色の液体。
刻印の形に彫られたそこに水銀という触媒を流し込むことで、戦いの中敵に気づかれることなくこの巨大な刻印を完成させる事が出来たのだ。
ブロック中から集中したマナは刻印の効力を維持する事に消費されて、次から次へと消えていく。
地に掘られた刻印は、隔離の刻印。
これほど巨大な建物を丸々隔離しようとすれば、かかるマナは計り知れない。
「この土地を不毛の大地にするつもりか!?」
叫びながら男は、フィーの狙いに気づく。これだけ大掛かりなことをしたその理由。
「この鎧へのマナ供給を断つためだけに、貴女はこんなことを……」
「貴方モ、似た様ナコトをシタだろう? このブロック一つ、それダケのマナがなくなればそれでイイ」
兜の奥、男は唇を噛みながら刻印を破壊しようと大剣を振り上げる。
だが、フィーがその行動を易々と見逃す訳がない、力ませにふりぬかれたハルバードが大剣を弾き飛ばす。
「コレデ、貴方ヲ守る物は何もナイ」
やがてマナの奔流は収まる。
辺りにマナの存在はほぼ感じられない。
男の鎧の修復に費やしたマナとは比にならないほどのマナがフィーの展開した隔離の刻印へと注がれ、そしてなんの効果も及ぼさないまま無駄に消えていった。
そうして目の前、男の白銀の鎧が振りまいていた緑の燐光も当然目には見えなくなっている。
マナによって常時稼動していた男の鎧の刻印。
刻印が稼動さえしていればそれは強力な防御の効果を発揮するが、マナがなければそれはただの鎧となんら変わりはない。
たとえどんな秘密がその鎧に隠されていてもマナがなければ何も出来ない。
対して、フィーが手に握るハルバードは青い燐光を纏っている。
エーテルによって起動するその刻印は術者のエーテルを食らう変わりにマナを必要としない。
マナの薄くなった土地で、身体能力強化の魔法を持続させ続けるだけでも体内のエーテルの消費量は馬鹿にならない。
それに加えて尚、フィーは武器にもエーテルを込めなければ目の前の男には勝てない。
男が鎧を封じる為にマナを消失させた今、フィーは風の魔法を使えない。
互いに扱える魔法は身体能力強化の魔法のみ。
その差は歴然である。
となれば、フィーにのこされた唯一のアドバンテージはその刻印を刻んだ武器だけ。
だが、それだけでいい。
魔法使いは決して無敵の存在ではないのだから。
「決着を、ツケヨウ」
フィーの言葉に男は大剣を拾い上げて、構えなおす。
「こい、強き魔法使いよ」
倒れそうな体を奮い立たせ、フィーは一歩踏み出す。
男も一歩を踏み出す。
三度めの最後の戦い。
互いの手札は暴かれ残ったのはその自力だけ。
二人の戦いの幕が下ろされようとしていた。
天井の銀板が微かなマナを集めて明かりを点す先から、またすぐにマナ不足に陥り、不規則な明滅を繰り返す。
そんな明かりに浮かぶ二つの影。
踏み出した足が地を蹴る、互いの距離は一瞬でゼロに。
フィーが力任せにハルバードを振り回す。もはや場所を選ぶ必要はない。もっとも狙いやすいその体目掛けて懇親の力で武器を振りぬく。
無敵ではなくなったその鎧でフィーの攻撃を受けるわけにはいかない、クロイスはその攻撃を大剣で受け流し、そのまま肩からぶつかるように体当たり。
風読みの力を失ったフィーはその速度の攻撃を完全に避けることは出来ず、体のバランスを崩しながらもなんとか後ろに飛び退る。
空中で身を回しながらナイフをクロイスに向けて投擲。
クロイスはそれらをことごとく大剣で弾き飛ばしそのまま真っ直ぐに突っ込んで横凪ぎの一撃。
ほとんど勘と体の反応でその攻撃を回るように回避。体の回転を利用してそのまま槍を突き出す。
しかしクロイスはあっさりとそれを横に避けて大剣を振り上げる。しかしフィーが放った突きはブラフ、すぐに引き戻されたハルバードの鉤爪はクロイスの握る大剣の柄を上手く引き寄せる。
大剣を振り下ろそうとした踏み込みの力と、ハルバードに引かれた事により、クロイスはそのままバランスを崩してフィーの方へと倒れこむ。
それを待ち構えていたフィーの蹴り。
狙うのその頭。
ハルバードを引く力をそのまま利用して放つ蹴り。
残り少ないエーテルを注ぎ、ブーツの刻印を起動。その蹴りがクロイスの頭を捕らえようとした瞬間、クロイスは自ら前に倒れこみ受身を取る形になる。
自ら前に進んだ事によりフィーの狙った打点からそれた蹴りはその鎧の背中を蹴りつける。
それでも十分な威力。
だが後ろ向きに地を転がったクロイスの巨体は、すぐさま立ち上がり再び剣を構える。
ダメージがないわけではない、ただクロイスもまたフィーと同じく、体を支えているのはもはやその精神力。
魔法使いに一番、必要な物。
誰にも負けないというその心。
目指すべき自分のイメージを持つ彼等は、そう簡単に折れることはない。
フィーはふっと笑みを浮かべる。
クロイスもまた鎧の下で笑顔をつくる。
次の攻防で全てが決まる。
そんな予感が互いにあった。
ハルバードを手にフィーは走り出す。青い燐光が尾を引いてその後に続く。
クロイスはそれを迎え撃つように大剣を構える。
速度をのせ、体を回しながらフィーがハルバードを下から救い上げる。クロイスの大剣がその一撃を受け流す。流れた体からフィーは体を縦方向に回すように大上段からハルバードを振り下ろす。
迎え撃つようにクロイスの下からすくい上げるような大剣の一撃。
青い光を失ったハルバードが宙に舞う。
クロイスが前に踏み出す。
放つのは最短距離を貫く、真っ直ぐな突き。
その攻撃を避けようとフィーは身を回す。そのあとを追うようにコートの裾が流れる。
クロイスの攻撃がコートを裂きながらフィーの胸元を掠める。
新たな痛みが神経を焼く。
衝撃に体が揺らぐ
次の一撃がくれば回避することはかなわない。
だが、フィーのその顔から笑みが消えることはない。
裂かれたコートの裏。
フィーが体を回して跳ね上げたコートの裾から滑り出すのは、クルークが残した薬瓶。
次の手を繰り出そうとしていたクロイスがそれに気づいて目を見開く。
回避はもう間に合わない。
その中身がクロイスの足元で弾け、その体を屋上に縫い止める。
ふらつく体を引きずってフィーは間合いの外。
ボロボロのコートの裏から抜いたその銃には青い光。
バレルと弾丸に加速の刻印を刻み込まれたその銃であれば、刻印のない鎧を貫通する事など容易い。
「見事だ、魔法使いよ」
「貴方モ、敬意ヲ表するニ、相応しい敵ダッタ」
トリガーに指をかけて狙いをつけ、ゆっくりと引き絞る。
銃声が、激しい戦禍の中に消えていった。




