25
カルデラエリアの上層、研究区画には物騒な気配が漂っていた。
フィーは闇に沈むその街並みを天井に設けられた点検用通路から見下ろしていた。
時刻は二十二時。既に展開を終えているらしきサバトの部隊にはまだ動きはない。ただ時折隠蔽しきれていない刻印のマナの揺らめきを見るに、あちらの手勢全てが手馴れているというわけではないらしい。
視認できるその緑の燐光は四つほど、転々とフルトの捕らえられている建物からを距離をとりつつ別々の方向に点在している。
ここに来るまでの途中、別区画でも同様にサバトの手勢らしき魔法使いをちらほらと見かけていたがあちらは恐らく陽動部隊なのだろう。
どの程度暴れてくるのかわからないが、たっぷりと暴れてこちらを楽にしてもらいたいものだ。
それに対して足元にそびえる今回の目標となる建物は驚くほどに静かだが、内部から漏れる明かりから人の存在は確認できる。
六階建てのその建築物の上部より侵入し、まずは三回、フルトの父、ゾンダー氏を救出。その後地下へとむかい、フルトを救出。
サバトと騎士団の戦いを尻目に事前に手はずした逃走経路から脱出。
穴だらけの作戦とも呼べないようなお粗末な計画。
それでも時間も人手も足りない自分に出来るだけのことはしてきた。これで駄目なら、どのみち打つ手はない。
白銀鎧の男に勝つための手もなんとか一晩で用意した。
コートの下、折りたたまれた腰に固定されたそれを指先でなぞってその存在を確認する。
半ばばくちのような賭けだが、他に手はない。
深呼吸を一つ。
視線の向く先は目標となる建物の屋上のツルツルとした平らな表面。
――はじめよう。
通路から空中に踏み出すように地を蹴る。
フィーの体は真っ直ぐに落下していき、着地の寸前に式が展開。身体能力強化と風の魔法によって静かに着地をしたフィーはそのまま屋上の端へ。
今の魔法の使用は恐らくサバトの側の魔法使いにも漏れている。
フィーとしてはそれで構わなかった。
あのシュテーネンと名乗った青年はもう一度勧誘に来たのだとのたまっていたが、恐らくあれは方便。こちらにわざと情報を流すことでなんらかのアクションを起こすことを期待していたのだろう。
フィーはそれをわかっていながらあえてこの場にいる事を隠そうともせずに魔法を使ってたの侵入を試みた。
動くなら動けばいい、こちらもそちらの陽動を利用させてもらうまで。
屋上の端からもう一度宙に身を投げる。
見取り図の通りであればそのフィーの身を投げ出した方向には明り取りの小さな木窓がある。
その方向へ落下しながらフィーはナイフを一本取り出して斜めに投擲、土壁につき建ったその上に風量調整をつかいゆっくりと着地するとそのまま木窓へと手を伸ばしてそこから内部へと侵入する。
内部は外観ののっぺりとした土壁とは違い床や天井、壁には板材が貼り付けてあり、いかにも金のかかった内装をしている、明り取りの銀板も十分な光量で等間隔に配置され、マナを潤沢につかった設備になている。
真っ直ぐに続く廊下には人影はない。
警備が厚くなったとはいえ、それはあくまで地下部分の話。
もともとこの手の建物は地上より上の階層にはそれほど重要なものは配置しないようにしてある。地下と比べ侵入経路がどうしても多くなってしまうからだ。
この研究施設もまた例外ではなく、警備の大半は地下へと通じる一階部分と、その地下一階以降に警備が集中している。
とはいえ、完全に手薄、というわけでもない。
記憶した通りの道順でフィーが廊下を進んでいくと、曲がり角の向こうから足音が響いてくる。
壁に背をつけるようにぴたりと立ち止まり、式を展開。
風の動きからこちらに向かってくる二人の人間の気配を感知。どちらも武装をしているようだ。相手がわかっていれば対処は簡単だ。
曲がり角の向こうから現れた二人が壁に張り付くようにしているフィーに気づくよりはやく、フィーが新しく展開した式から放たれた風の槍がその二人の首を音もなく貫く。
二つの死体を適当な部屋の中に放りいれ、再び目的地へ向けて歩き出そうとした瞬間。
轟音とと共に建物が震えた。
壁に手をつきながら外を確認しようと周りを見渡すがあたりに窓は存在しない。
音の遠さからしてこの建物自体に被害はなさそうなだが、思った以上にサバトの連中は思い切った行動に出ているようだ。うかうかしていたら巻き込まれかねない。
再びの轟音。
フィーは足音を殺す事をやめて、長い廊下を走り始める。
数度の警備兵との交戦を終えてフィーは目的地である部屋の前までたどり着いていた。
何の変哲もない鍵のかかったドア。それを思い切り蹴破ってフィーはその中へと入っていく。
明かりのない薄暗い部屋。
部屋の中を見回せばまず目に付くのは壁に寄せられた机、その上には羊皮紙が山のように詰まれ、ペンやインク瓶がおいてある。
そうしてその机の影、壁に寄りかかるように腰を下ろした人影がある。
その人影もフィーの事に気づいたのか、ゆっくりと歩いてくる。
「君は……だれかな?」
ボサボサの金髪に疲れの見える緑色の瞳m服はよれよれで髭は伸び放題。長らく軟禁されていたせいかその男の格好は酷いものだった。
「ゾンダー氏で間違いナイカ? 私はフィー、貴方ト貴方の娘ノ依頼を受けた者ダ」
言葉に驚いたように男は目を丸くすると、そのまましげしげとフィーの顔を見つめて何か納得するように頷く。
「なるほど君が……ところで娘の依頼とはどういうことかな?」
「フルトに貴方を助けて欲しいト頼まレタ。今の状況ハ理解されテいまスカ?」
「ある程度はな、娘も捕まってしまったのだろう?」
「スミマセン、私の力不足デ……」
「いや責める気はないんだ。こちらももはや金を払える状況でもない。ただ出来ることなら、もう一度娘を助けてここから連れ出してくれないだろうか」
ゾンダーはそう言うと深く頭を下げた、その様子はフルトに良く似ていて、フィーは慌ててその頭を上げさせる。
「私モそのつもりでココに来た。ダカラ頭を上げて速く一緒に来て欲シイ」
言葉と共にフィーが伸ばした手をしかしゾンダーは取ろうとはせず、小さく首を振った。
「すまないが僕は一緒にはいけない」
「何故?」
「僕には戦う力はなにもないし軟禁生活で運動能力も落ちている。ついて行ったところで足手まといになるだけだ。僕のことはいいから、しっかりと娘を助けてくれ、お願いできるかな?」
淡々と喋る彼のその顔つきもやはりフルトのあの決意を込めた表情にそっくりで、フィーは返す言葉につまる。
「君もわかっているんだろう? 君がどれほど優れた魔法使いでも大の大人と子供を連れて逃げる事はできないはずだ」
「ダガ、ソレではフルトはどうナル? 父モ母も失っテ、一人で生きて行かせるノカ?」
「あの子もそろそろ十五になる。少し速くても構わないだろう。なによりこの先本当の意味であの子を生かしていこうと思うのなら他に選択肢はないはずだ。それに、報酬がないのは君もわかっているんだろう?」
「アァ」
「それなのに命がけでここまでしてくれるような君がいれば、それでいいだろう。娘の事を頼むよ」
真っ直ぐに見つめてくるその視線からフィーは目を離せない。
我が子の為に覚悟を宿したその瞳の力はきっと何よりも強い。フィーは頷くことしか出来なかった。
「ありがとうフィー君。君に依頼を頼んで本当によかった」
嬉しそうに笑う彼にフィーはそう言えばと、ずっと聞きたかった疑問を投げかける。
「何故、私ニ依頼ヲ……?」
「君のその瞳」
フィーの赤い左の瞳を指差して、ゾンダーは続ける。
「その瞳はね、フルトの母、つまり僕の妻のものなんだ。妻がフルトを生んですぐに死んで、その瞳は貴族の手によって回収されて出回った。奴等は魔法使いの瞳を大事に扱ってるからね、そのルートを辿ることはそ難しくなかった。そうして今回、魔法使いの誰かに依頼をしようと思った時、君の事を思い出した。もし生きていれば君にしようと思った。もしかしたらあの子の母があの子を守ってくれるんじゃないかと思ってね。僕の選択は間違っていなかったようだ」
答えにフィーは思わず笑みをこぼす。体の緊張が抜け、口から笑い声が漏れるのが止められない。
そんな偶然、いったいどれほどの確率なのか
けれどそれは悪い気分ではない。
息を整えて首を振ると、視線を正面に向けて、しっかりと彼の顔を見つめる。
「たとえコノ瞳が誰の物だったとシテモ、私ハきっと貴方の娘を助けたダロウ」
誰かの意思など介在する余地もなく、フィーにはそれだけの意思があった。
後ろ向きな理由ではない、ただそのためだけに戦うと決めたから。
その気持ちは自分だけのものであり、ほかの誰かに感化されたものでは決してないと、そう強く断言できる。
「なるほど……フルトはいい人に出会ったようだ。僕もこれで安心できるというものだ」
そう言うと彼はずるずると再び壁にもたれるように座り込んで目を閉じる。
いつの間にか彼のその顔色は酷く悪く、憔悴しきっている。
「安心したらなんだかどっと疲れが出てしまったよ……刃物かなにかあれば一つおいて言ってくれると助かるな。これ以上足手まといになる可能性は潰しておきたい」
苦しそうな顔でそれでも笑い男はフィーを見上げる。
黙ってその横に腰を下ろしてその手にコートの裏から取り出したナイフを一本握らせる。
「フルトに伝えたいコトは……?」
男は少しだけ悩んで、フィーの耳元でそっとささやく。
「フルトの命はフルトのものだ、他の誰かの為にあるものではないと、伝えて欲しい」
満足そうな男の顔にフィーは深く頭を下げて、そうして、部屋を出る。
後ろ手に閉めた扉の向こう、そこからはもうなにも聞こえてはこない。
今、自分の力のなさを悔やんでもしかたがない。
悔やんだところで強くなれるわけではない。
自分の力で出来るだけのことをする。
そう決めたのだから。
迷いなく一歩を踏み出す。
ナイフ一本分軽くなった体。
変わりにその胸には重い言葉をしまう。




