24
自分の酷く細い腕を見て、身に着けているボロ布を確認し、軽く顔や髪に触れる。
フィーはそうして自分の体が子供の頃に戻っている事に気がつく。
――また、夢か。
もう幾度となく繰り返し見た悪夢。
今日はいったいどこからだろうと辺りを見回して、いつもとは違う事に気づく。
そこは知らない場所だった。
小さな小屋が後ろに建っている。足元には緑の草が一面に広がり、頭上を見上げれば岩の天井に吊り下げられた光を放つ銀色の板が点在している。
柔らかな光につつまれたそこは自分の住んでいた隠れ家に少し似ている気がしたが、やはり見覚えのない光景だ。庭園に生える木々の種類も別物であったし、なぜか家のすぐ横には柵に囲われた空間に鶏が跳ねている。
不思議に思いながらフィーはゆっくりと一歩踏み出す。
思えば夢の中こうして体を動かせたのははじめての事だ。
夢の中でなにか出来たとしても、現実がなにか変わるわけでもないのだけれど。
溜息を一つついてフィーはその場に腰掛けてじっと庭園を眺めている。
この夢は何時になったら覚めるのか、覚めたとして別になにかする事があるわけでもない。
フィーにはもうこれからどうすればいいのか全くわからなかった。
師匠を失い、フルトは君主と総司教の手に落ち、魔法使いとして自分の弱さを知り、フィーにはもう本当に何も残ってはいない。
いっそこの静かな夢から覚めないのもいいかもしれない。
眠りについたまま覚めることなく死んでしまえば苦しむことなく逝けるだろうか。
本当は痛いのも苦しいのも嫌いだった。それでも必死に生にしがみついてきた。
だけどもう、疲れてしまった。
なにかをがんばろうという気概はフィーの中には残っていない。
ぼうっと庭園を見つめていると、いつの間にか隣に見知らぬ女性がいた。
綺麗な服に身を包んだ女性。
背はフィーよりも高く、金色の髪に白い肌。右の瞳は緑色で、左の瞳は赤い。
やさしげな笑みを浮かべる彼女の姿に見覚えはないのに、何故だか強い既視感を覚えた。
その女性はフィーの隣に腰掛けて、その頭をゆっくりと撫ではじめた。
ゆったりとした仕草にくすぐったそうにフィーは目を細める。
いったい誰なんだろうと記憶を探ってみてもやはり該当する人物はいない。
やがて女性はフィーの頭から手を離すと、ゆっくりとその手で庭園の中を指差した。
「あそこにいけばイイノ?」
問いかけに女性は静かに首を縦に振ると、そのまま虚空に掻き消えていく。
どうせ当てのない夢の中、フィーは暇を潰すつもりで立ち上がるとぶらぶらと歩き出す。
緩やかに吹く風に微かな緑のにおいが香る。
夢の中なのにおかしな話だ。
思い出すのは自分の隠れ家や、師匠の家。胸がぎゅうっと痛くなる。
しばらく庭園の中を歩いていく内に、フィーはぴたりと足を止める。
その視線の先には、自分と同じ格好をした人影が佇んでいる。一生忘れることのないだろうフィーを助けてくれた奴隷仲間の女の子。
フィーは黙って恐る恐る女の子へと近づいていく。
女の子はフィーの存在に気づくと自ら歩み寄りフィーを強く抱き絞め、小さなその手で背中をゆったりと撫でる。
誰かにそんな事をされたことなんて一度もないのに、暖かくてくすぐったくて、とても心地よかった。
フィーは女の子から体を離すと、ずっと聞きたかった疑問を投げかける。
「ドウして助けテくれタノ?」
女の子はただ微笑むだけ。
当たり前だった、これは夢だ。自分に都合の良い夢。強く望めばきっと彼女は求める通りの答えをくれる。だけどそんなものは望んだところでむなしいだけだ。
けれど、そんなものはなくとも、今なら少しだけわかる気がした。誰かを守りたいと思うその心を。
本当の所はわからない、ずっと、ずっとわからないままだろう。
でもその答えに少しでも近づけたらと思う。許して欲しいとか、贖罪のためではなく、純粋に彼女の心を知りたいと思ったから。
「ありがトウ」
フィーがそう言って頭を下げると、女の子は庭園のさらに奥を指差す。その笑顔を脳裏に焼き付けてフィーは指し示す方向へと歩を進める。
柔らかな土を踏む素足の感触。
揺れる木々の音。
記憶にないその光景と感触。
不思議な夢。
庭園の先、その出口には、良く見知った大事な人の姿がある。
体に合わないサイズの灰色のコート、ぼさぼさの赤毛、小さな体。
「師匠……」
呼んでも返事はない。
師匠の声は今でも鮮明に思い出せるのに師匠は何も答えてはくれない。ただいつものようにニヤニヤと笑ってこちらを見ている。
フィーの瞳にじわりと涙が浮かぶ。
夢の中でも何でもよかった、その姿を間近で見る事が出来てただただ嬉しかった。もうこの夢が覚めなくてもいいとさえ思う。
たとえこれが自分の作り出した夢でも、そばに大切な人がいればそれでいい。
フィーはクルークに駆け寄ってその体に抱きつこうとするが、その前にクルークの小さなその手で頭を叩かれた。音だけは派手に響く、そのくせ全然痛くないいつもの叩き方。
そうしてクルークはフィーの顔に浮かぶ涙を拭くと、やさしく叩いた部分を撫でる。
それは泣くなと、昔叱ってくれた時と同じ仕草。ただ言葉だけがなかった。
思い出してまた泣きそうになって、それでも師匠の言いつけを思い出してフィーは必死に泣くのを堪える。
その様子をみてクルークは優しく微笑む。
そしてその手で、やはりその先の道を指し示す。
クルークが指す先には、扉があった。
両開きの鉄の扉。
こちらが内側のはずなのにその扉には鍵穴が見て取れた。まるで表と裏を逆に取り付けてしまったような不思議な扉。
クルークの指し示すその扉、フィーはその先に進みたくはなかった。
このままここに居たい。
そう強く願っていた。
瞬間、クルークの手がフィーの頬を強くうった。音だけではない確かな痛み。
もう一度クルークは扉の方を指差す。
行けと訴えかけるようにフィーを睨みつけながら。
「でモ、もう私ニ出来ることハ……」
言い訳のようにつぶやいた言葉にクルークは自分の胸に手を当て、口をゆっくりと動かした。
音はなく、たた唇の動きだけをゆっくりと目で追う。
『我のように、なりたいのだろう』
読み取れたのはそれだけの言葉。
涙がまた溢れそうになる。
自分の夢なのに全然思い通りにならなくて、師匠は私の知っている師匠そのもので。
いつだって助けてくれた、行くべき道を指し示してくれた。
もう何でもよかったこの夢がたとえなんだったとしても。
師匠のように、誰かを助けられるように。
正しいとか、正しくないとか、何が出来て出来ないのか。そんなこともどうでもいい。
もう一度、フルトに聞かなければならない。
本当の気持ちを。
彼女がもう一度助けて欲しいと願うのなら。
「行って来マス、師匠」
師匠の微笑む顔を脳裏に焼き付ける。
もう大切な人は二度と戻ってこない。
だが失ったものでももう一度手に出来るものがあるのなら。取り戻さなければならない。
行って来ます師匠、そうして、さようなら師匠。
振り返らずとも、その顔はもう胸の中にある。
鉄扉に手をかけて強く押した。
何をしているんだろうと問うことは何もしていないのと同義だ。
だからずっとなすべき事を考えていた。
何をしたいのか、それが重要だった。
師匠の死を無駄にさせないために戦うのか、フルトが助けを求めたから戦うのか。
どちらも違う、今更戻れないから戦うのではない、望まれたから戦うのではない、自分が望んだから戦う。
自分の意思で、一歩ずつこの道を進んでいく。
絵空事であろうと、困難な道であろうと、踏み出さない限り、前には進めない。
そうして何かの為に戦うのは誰もが同じ。
いずれ道は繋がり、あるものとは共に歩み、あるものとは蹴落としあい、それでも進まなければいけない。
エゴを貫き通す覚悟は出来た。
力届かなくとも、私の道はまだ途切れてはいない。
一度二度躓こうとも、道が続くのならばその先を目指して何度でもぶつかって、そうして自らの道を切り開いていかねばならない。
一度くらい転んだからといって、止まらないこと、共に行く人を失っても、それでも進み続けること。
それがきっと探し続けてきた答え。
夢から覚めた後は、いつも左の瞳がゴロゴロと居心地悪そうに蠢いていたのに、今日はそれがない。
今頃になってようやく馴染んできたのか、それとも心の整理がついたからなのか。
ボロボロのコートを脱ぎ捨てると割り当てられていた自分の部屋へと向かい、服を着替える。真新しい黒いシャツにパンツ、それに黒いコート。
着替えを終えると部屋を出て、師匠と二人で作業に使っていた部屋へと向かう。
使えそうなポーションをいくつか拝借して、傷を癒す効果のあるものをその場で飲み、塗り薬の方も使っておく。傷だらけの体は相変わらず動きが鈍いが戦えないほどではない。
今使ったポーションのおかげであと数時間もすれば普段どおりに動けるようにはなるはずだ。
家中をひっくり返して使えそうな物をまとめて行く、その作業を終えて居間へ。
準備に不備がないのを確認しながら夜闇に溶ける自分の体を見下ろす。行動に支障がないのをもう一度確認。
時間は少ない。
体をなぞるようにコートの内の装備も確認しながら深く息を吐く。
もう一度、彼女の声を、彼女の意思を聞きたかった。本当の言葉を聞いて、諦めるのはそれからにしようと決めた。
この一晩で準備を済ませて戦いに挑まねばならない。
時間は押している。
まずは情報が必要だった。
フルトの今現在の居場所、サバトがどれ位の規模で作戦行動を起こすのか、敵の戦力。上げだせばきりがない。
それにあの白銀鎧への対策。
未だに師匠があの男に負けた事が信じられない。
どんな戦いだったのか、それを知れば勝てる糸口が見えるかもしれない。
ともかく今はまず目指すべき場所は図書館だ。
もう手持ちの金は心許ないが、何も情報がないよりはましだろう。
自分で荒らしてしまったその部屋の中を見回して、少しだけ後悔する。
けれど今更片付けている時間もない。
もう戻ってきて片付ける事もできないだろうけど、目を瞑り心の中で師匠に謝る。
しばしの静寂。
目を開けて、長く息を吐く。
もう迷いはなかった。
しっかりと踏み出して、扉を開ける。
扉の向こうに広がっていたのは木々の立ち並ぶ庭園の光景ではなかった。
そこは左右を書架に阻まれた長い通路。
薄暗い明かりの中にぼんやりと浮かぶカウンター。
そうしてそのカウンターに腰掛ける青いローブの少女。
「こないだはどうにも遅かったようだから、こっちから迎えに来たよ。急いでるんだろうシメーレ?」
館長の抑揚のない声。
どこまでも続く長い廊下にその声が消えていく。
フィーは驚きながらゆっくりと館長の前まで進み出て頭を下げる。
「アァ、助かル」
その仕草を視界に納める事もなくカウンターから飛び降りた館長はフィーに椅子を勧めながら、自分も向かいの席に腰掛けて両手を組む。
「気にする事ではない。さて、今日は何を聞きたい?」
いつものように感情の読み取れない平坦な声でしゃべる館長のフードの奥を真っ直ぐと見つめるように、フィーは視線を向けながら、自分の頭の中の情報をゆっくりと整理して行く。
「とりあエズ、フルトが捕らわれてイル場所ハ?」
「フルトの父が捕らわれているのと同じ、上層部B-2ブロックのあの研究施設だ。侵入経路に関してはクルークから聞いているだろう? ただ、警備は依然より相当厚くなっているよ。この羊皮紙にある通りにね、そいてゃサービスだからもっていくといい」
ざっとそれらに視線を通してみるとたしかにその警備は厳重だがどれも警備に当てられているのは一般の騎士団員である。これならフィー一人でも突破することはそう難しくないだろう。
たしかに動員されている人数自体は多いが、どうにもやつ等にとってのフルトの価値を考えるとそれでも手薄に見える。
羊皮紙を睨みながらフィーは爪を噛み、館長に問いかける。
「警備はこれダケなのカ?」
「表向きはそうなっているよ。君主様と総司教様の部隊に魔法使いなんかいたら大変なことになるからね。恐らく別働隊としてどこかに魔法使い達も潜伏しているはずだよ」
そう考えるのがまぁ当然だろう。そうなるとやはりあの白銀鎧との男との戦いは避けられない。
既に二度の戦いの後。こちらの手が全て届かないのはもうはっきりとしていた。師匠にすら勝ったあの男を倒す方法も何とかして見つければならないない。
「クロイス・エハル、機密魔法隊、ソレに白銀の鎧。この辺りデ、何か情報ハ?」
「さっきも言った通り、あまり外に漏らしたくない情報だからね、あっちも相当この辺りについては情報を極力漏らさないようにしてる。それほど有益な話はないね。ただ……」
「タダ……?」
「君の隠れ家と、クルークと交戦したブロックでマナが枯渇している。地上程ではないがそれでも人が住める状態ではないらしい、どうにも嫌な感じがしないかい」
「アァ……」
フィーは重苦しく頷いて返す。やはりあの男には何か秘密があるのだ。
崩落に巻き込まれても、師匠と戦っても傷一つなく生き残る何かが。
ただでさえ歯が立たないというのに敵はまだ何か秘密を隠し持っている。
最大の障害にどう立ち向かうべきか。
マナを大量に消費して、いったい何を……。
そこでふと、フィーの中に引っかかるものがある。
マナを消費する。
可能性を一つずつ吟味して、潰して、残った最後のそれをもう一度頭の中でもう一度よく考察する。
――いけるか……?
たどり着いたそれは確実性にかけるが、フィーはそれ以上に効果のありそうな作戦を思いつけない。
ならばそれを実行する以外の手はない
「サバトの行動開始時間ト、その作戦規模ハ……?」
「正午と同時に行動を開始、襲撃は夜間の予定らしい。規模としては戦闘技術を持つ魔法使いを全員投入、ざっと二十人といったところだね。研究区画は当分機能停止におちいりそうだねこれは」
時間は限られているが、準備はぎりぎり終えられそうだが、サバトの魔法使いの多さだけが懸念だ。貴族連中の魔法使いの手駒一体どれだけいてどれだけの戦力なのか。それに全てがかかっている。
出来ることなら痛み分けが望ましいところだが、そう都合よくはいかないだろう。勝ち目があるからこそサバトは攻撃を仕掛けているはずだ。
動くならサバトが動くより先。
必要な準備を今すぐにでも始めなければならない。
「館長イロイロと助かっタ。アマリ中身ハナイが、代金は足りるだろウカ?」
フィーがカウンターに置いた皮袋から金属のぶつかる済んだ音が響く。中身がないといってもそれは情報に対する対価としての量であり、その中に入っている金貨があれば、一年は何もせずに暮らせる位の金貨が入っている。
それを館長は持ち上げるとつまらなさそうにフィーの方へと投げて寄越す。
驚きながらフィーはそれを受け取って眼を白黒させる。
「代金はこいつで結構だよ、クルークが残していったこいつでね」
館長がそう言ってみせたのは、小さな赤い林檎。
「かわりといってはなんだが、必ず生きてかえってきてほしいシメーレ。これ以上、我々に寂しい思いをさせないで欲しい」
林檎を眺めながら呟く彼女の声にははっきりと寂しそうな感情が浮かんでいる。それほどまで感情をあらわにする館長の姿をみるのははじめてで、フィーは、重く頷いて返す。
「アァ、必ず生きて帰ル」
「必ずだぞ、フィー……」
席を立って背を向ける。
祈るように手を組む珍しい館長の姿に苦笑を返してフィーは扉を開けた。
戻ってきたのは小さな庭園の前、既にフィーの出てきた扉は消えてなくなっている。
それを振り返る事もなくただ真っ直ぐに歩き出す。
迷いのない瞳はただ前だけを見据えている。




