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 コートの裏から抜き取ったナイフをまとめて三本男に向けて投擲。その後を追いかけるように疾走。

 男は避けるそぶりもなくゆっくりと大剣を構えて、向かってきたナイフを鎧で受ける。


「いたしかたあるまい」


 男の言葉になど耳を傾けるつもりもない。

 地を蹴る足に力を込めて男に肉薄。

 既に敵の間合い。

 構わずそのまま真っ直ぐに突き進みこちらの間合いまで踏み込み、頭を狙う打点の高い蹴りを放つ。

 男はそれを上体を逸らしてかわすとそのまま逆に踏み込んでくる。

 素直に体当たりを食らってやるつもりもない。

 高く上げた足のブーツ、そこにエーテルを流し靴底の銀板の刻印を起動する。

 重量を増したそれを踵落としの要領で男の鎧の胸元に落とすが、相手にダメージはない。敵の踏み込んでくるのに合わせてその足を曲げ、地についた片足で地面を蹴り、相手に押されるままに宙を移動。胸元についた足にも力を込めて距離を取り、着地と同時に再び前進。

 男が迎え撃つように袈裟に切りつけてくる。

 やはり速い、が、風読みの式で来るのがわかっていれば、避けることは出来る。

 男の剣の軌道上に風を展開。左に剣が流れるように設定。

 そのまま身を右側に滑り込ませ、体の横をかすめていく大剣に目もくれず再び男の懐へ。

 振りぬかれた直後の男の右腕を取りながら体を回して相手の左足にこちらの右足をかける。そのまま全体重をかけ、男を引き倒そうとするが、鎧のせいもあってかそう易々とは投げさせてくれない。


「あ、アッァァアアアアア!」


 叫びと共に力を込める。敵の体を後ろから風で押す位置へ式を展開。さらに、自分の体への負担を省みず身体能力強化の効果を引き上げる。

 錬度の足りない身体能力強化の魔法では体が受ける反作用を受け止めきれず、激痛が体を襲う。下手をすれば体中が破壊され動かなくなるかもしれない。それでも構わない。

 男の体が浮き上がる。瞬間、男は大剣を手放して受身をとる姿勢に。

 勢いのまま前転の要領で男の体を投げながらその足に自らの両足を絡ませ、伸ばした片腕で足を上げる用になる形で男の足を胸元に抱く。

 一切の手加減はしない。そのまま背中を逸らせるようにして膝関節を極めてその足を奪いに行く。

 しかし男とてそれを黙って見ているわけではない。一瞬の全力で何とか男と投げたたフィーと男の身体能力強化は底力が違う。

 男の抵抗にフィーも必死に食らいつくが、膝を砕く前に抜けられてしまう。

 弾かれるように距離を離して立ち上がる。

 男も立ち上がり剣を拾うと、そのまま真っ直ぐにフィーに向けて突っ込んでくる。

 先ほどの攻防だけでフィーの体は既にボロボロ。

 それでも足さえ奪えば勝てると、そう思っていた。

 だがシメーレの力ではとどかなかった。半端モノの力では、同じ力にぶつかったところで勝つことは出来ない。

 だが、フィーの持つ残りの力も目の前の男には何一つ効果を成さない。出来るのは自分の身を守ることだけ。

 師匠が何でも出来るようにと教えてくれた力が目の前の男に通じない事が悔しくてしかたがない。

 胸が熱くなる。

 体の痛みも疲弊も関係ない。

 ただ目の前の男を倒さないと、戦わないと、自分の中の何かがあふれてしまいそうで。

 フィーは向かってくる男に対して銃のトリガーを引く、だがそれはあっさりと白銀の鎧に弾かれる。

 肉薄した男の横薙ぎの一撃を後ろに一歩下がって回避。

 余裕をもってかわしたつもりでも体のほうがついてきていない。コートの端を浅く切り裂かれ、フィーは自身の体の状態を再度認識する。

 フィーは身体能力強化の魔法の効果をさげ、変わりに風読みにエーテルを集中する。

 視認してから避けるのではなく、風読みで感じ取った瞬間に回避行動を取る事で、敵の隙を伺い反撃を叩きこむタイミングを探す。

 男の矢継ぎ早に繰り出される攻撃をかわし、逸らし、しのいでいる内に、風読みに頼る部分はどんどんと多くなる。

 上段からの振り下ろしを横にかわして瞬間、次の男の攻撃を感知。

 大きく身を回しての足を狙った斬撃。

 それを飛び越えるように踏み込んで反撃の蹴りを頭に。

 そう考え、軽く地を蹴った瞬間、襲い来た衝撃に目を白黒とさせながらフィーは地面を無様に転がった。

 風読みに頼りすぎて攻撃を決め付けすぎた。

 自分が回し蹴りを食らったのだと気づいて、フィーが起き上がった瞬間、その喉元にはすでに大剣の切っ先が突きつけられていた。


「貴女の負けだシメーレ」


 抵抗を試みようにも、少しでも動いた瞬間にフィーの首にその切っ先が突きこまれることは明白。

 完全に詰んでいる。

 それでもフィーは男の顔を睨みつける。屈するつもりは全くなかった。


「大人しく投降してほしい。流石に、涙を流す少女を手にかけるのは気が引ける」


 言われてフィーは自分の頬を流れ続ける暖かい涙の存在に気づいた。

 最後に泣いたのは何時だったか、フィーは覚えていない。

 泣くのは嬉しい時だけにしろと、師匠は教えてくれた。泣くことは自分の弱さを認めることだから、魔法使いは決して泣いてはいけないと。

 それを思い出しても、涙は止まらない。

 自分がどれだけ弱くても、目の前の男がどれだけ強くても、それでも心は折れない。

 滲む視界で男の兜の奥の瞳に視線を送り続ける。

 そのフィーの態度に男は息を吐いて、大剣を握る手に力を込める。

 そのまま男が切っ先を突き入れようとした、その瞬間。


「待ってください」


 割って入ったのは震えたフルトの声。

 二人の視線が吸い寄せられた先、そこに立つフルトの手にはフィーが取り落としたナイフが一本握られている。

 その柄を握る小さな手は先ほど発した声と同じように震えている。

 今にも泣き出しそうな彼女はそれでも何とか男の方に視線を向けて、深く荒い呼吸を繰り返している。


「そのナイフで何をするつもりかね? まさか、戦うなどとは言うまいな」


 男の言葉にフルトはびくりと体を震わせる。

 幼い彼女にとっては、男の威圧的な言葉ですらも刃を突きつけられるのと変わらない恐怖。

 それでもひるむ事なく、フルトは言葉を上げる。


「はい、戦ってわたしが貴方に勝てるなんて思いません。戦いかただって知りません。だから、こうします」


 深呼吸をしてフルトは両手でナイフを握ってそれを、自分の首に突きつける。

 それをみて、フィーも男も息を呑む。

 フルトの手は相変わらず震えたままで、揺れる刃先がフルトの白い喉を浅く引っかき、薄く赤い線を残す。


「フィーさんを解放してください。わたしが死んだら貴方も困るはずです。フィーさんさえ見逃してもらえるならわたしは、大人しく投降します」


「駄目ダ、フルト」


 フルトを止めるために今すぐでも駆け寄りたいに喉元に突きつけられたままの冷たい刃がそれを許さない。


「貴方ハ、貴方はわかっているノカ! 奴等ノ所に行けバ貴方の自由は何一つ無くナル。誰モ貴方の事を人としテは扱ってくれナイ。タダノ兵器としテ生きていく何テ、そんな道ヲ選んではいけナイ」


 どうにか思い直して欲しいと、フィーは必死に叫ぶ。奴隷として生きていた頃の自分、そしてそれから師匠に出会うまでの自分の過ごしてきた時間はまさに地獄と呼ぶに相応しい毎日だった。

 フルトにはもしかしたら、それ以上に酷い待遇が待っているかもしれない。世界をろくに知らずに生きてきた彼女にはきっとそれは耐えられない。

 心の壊れた奴隷と同じように、言われることだけを命令のままに実行する魔法を使うだけの人形になってしまうかもしれない。

 なんの罪もない彼女がそんな風に扱われて言いわけがない。

 だが、フィーの言葉はフルトには届かない。


「最初から、きっとこうしてればよかったんだと思います。だけどわたしは全然何も知らなくて、怖くて、助けてくれるフィーさんに甘えてしまったんです。最初から全部知ってれば、こんな風にフィーさんが傷つくことも、クルークさんが死んじゃうことも、お父さんが捕まっちゃうこともなかったんだと思います。最初からわたしが大人しく捕まっていればよかったんです。そしたら誰も傷つかずにすんだはずなんです」

「フルトソレハ、違う。何も悪くナイ貴方が犠牲にナル必要なんテ何処にモない」


 それは違うと、フィーは言いたかった。

 フルトのせいではないと伝えたい。

 たまたま数奇な運命の元生まれてしまっただけで、彼女自身は何一つ悪くないのに、なぜ彼女が犠牲にならねばならないのか。

 そんなことはおかしいと、力ある誰かのせいで誰かが犠牲になるだなんてことはおかしい。


「でも、他にどうしようもないなら……わたしが我慢して、これ以上傷つく人が出ないなら、わたしはその道を選びたいんです」


 フルトは瞳に涙を貯めながら、それでも笑ってフィーを見つめる。


「フィーさんとクルークさんと一緒に過ごした時間、とっても楽しかったですから。知らないことたくさん教えてもらって、一緒にいった買い物とか、三人で食べたご飯、忘れないです。それだけ覚えてれば大丈夫だと思います。すこし、怖いですけど」


 もう一度彼女は笑うと、視線を男へと戻す。その表情からは笑みも怯えも消えて、ただ静かな決意だけが見て取れた。

 フィーはその表情を良く知っていた。

 何度も夢に見る、自分を逃がしてくれたあの女の子の最後に見せてくれた顔。

 それでわかってしまった、いくら止めてもきっともう彼女を止めることは出来ないのだと。


「クロイスさんもフィーさんの事を殺したくないって最初に言いましたよね。だったらこの条件どうか飲んで欲しいです。できればお父さんも助けて欲しいですけど……」


 自分の首にナイフの切っ先を向けるその手はもう震えてはいなかった。

 しっかりと両足で地を踏み、たった一本のナイフを自分の首に向けているだけの少女がこの場を支配している。


「こちらとしては飲んでも構わない条件だが。彼女はそれで納得するのか?」


 男はフィーを指して聞く。フルトはフィーの方を向いて頭を下げる。


「身勝手ですけど、フィーさん今まで本当にありがとうございました。お父さんのかわりにこの依頼、取り下げさせてもらいます。わたしのことは忘れてどうか幸せに生きてください。わたしはわたしの判断でこの事態を終わらせます」


 もう心は折れていた。

 師匠を失い、目の前の敵に負け、守りたかった人に命を助けられ。自分の弱さを痛感した。こんな事ではエリアに喧嘩をうったところで絶対に勝てなかっただろう。

 いつも、そうだ。力がないから誰も守れない、誰かに助けられる。

 力が欲しかった。何者にも勝てるだけの力が。

 だけどそんなものはない。

 半端モノの魔法使いに出来ることなんて限られている。

 皆を幸せにするだけの力を持つのは勇者だけ。悪役の魔法使いにはどんな力もありはしない。

 片手で涙の流れる顔を覆って、フィーはなにもできない半端な自分が嫌でしかたがなかった。

 フルトは目を伏せて唇を噛み締めて、視線を外した。

 男はそれをみて突きつけていた大剣を腰に収め、小さく礼をする。


「クロイスさん、行きましょうか」

「あぁ……さらばだ、シメーレ。もう会うこともないだろう」

「さようならフィーさん、どうかお元気で……」


 フルトはナイフをそっとフィーの手に握らせると立ち上がりクロイスに背を押されるように歩き出す。

 フィーは手の中のそれをぎゅっと握り締めて、去っていくその二人の姿を見つめていた。

 そうして二人の姿が見えなくなると、声を上げてフィーは涙を流し始める。

 どうしようもなく悲しくて、悔しくて、抑えきれない感情を声にして、涙にして、ただ泣き続けた。

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