第45話 神の企み(現世)
主な登場人物
ダンテ・アリギエーリ
48歳 1265年生、イタリア・フィレンチェ出身
栃辺 有江
24歳 梶沢出版編集者
任廷戸 愛永
27歳 梶沢出版編集者、有江の先輩
常磐道 勝清
42歳 梶沢出版編集部長、調世会調世部長
下根田 陽人
26歳 駅前交番に勤務する巡査
船越川 瑠理香
40歳代 調世会調査員
神楽 伝次郎
40歳代 調世会企画部長
「クエン酸と重曹を混ぜると二酸化炭素が発生するから、地獄の底で反応させるのは危険だね」
神楽は、通信記録を解析しながら言う。
「密閉された場所や窪地だと、二酸化炭素が充満して酸欠になるんだよ。二酸化炭素を消火剤とする不活性ガス消火設備の誤作動で時折事故があるじゃない。危険なんだよね。反応式全部『C6H8O7+3NaHCO3→Na3C6H5O7+3CO2+3H2O』を送っておこう。さすがにこれを見れば、二酸化炭素が発生するのはわかるでしょ」
「たくさんの文字を送っても大丈夫なのですか」
陽人が心配して、神楽に尋ねた。
「今回の通信に追跡コードを埋め込んで、障害箇所を突き止めようと思うんだ。突き止められれば対処できそうだから、文字数が多かろうが少なかろうが一緒だと思うんだよね」
「相変わらず、適当ですね」
船越川は、手元のキーボードを操作しながら、呆れたように言う。
「準備できました」
神楽の注文に手早く応えたようだ。
「では、送りますよ」
「お願いします」
その言葉を合図に船越川は、反応式を送信する。
ヘルフォンの電源ランプは、緑色のまま点滅し送信を示していたが、ほどなく赤色の点滅に変わった。
画面に「E3」と表示される。
「案の定、通信エラーだね」
神楽は、自席に戻りコンピュータを操作し始めた。
「反応式は届いたのですか。届く前に壊れたのですか」
神楽は、モニターを見ている。
「届いているけど、表示されていないね。ダンテさんの持つヘルフォンまでパケットは届いているけど、そこでエラーになっている。ということは、プロトコル解析の誤りかなあ」
神楽は、両手を頭の上に載せ、全員に聞こえるように独り言を口にした。
通信エラーで、ダンテと有江への唯一の連絡手段も途絶えてしまった。
「ダンテ先生は、酸欠に気がつくでしょうか」
「有江さんは料理が好きだから、ベーキング・パウダーは重曹で、生地が膨らむのは二酸化炭素が発生するからだと知っているでしょう」
常磐道は、愛永の心配を察して答えた。
「一体、神は何を考えているのだろう」
愛永は、ずっと気になっていた考えを口にする。
「通信の記録を見ると、ダンテ先生に冥界での目的が知らされたのは第九圏に着いてからじゃない。第一圏から一緒だった西藤さんは目的を知らされてなかったわけでしょ、おかしいじゃない」
「何がおかしいのですか」
「だって、ダンテ先生に冥界で何かして欲しいのだったら、来たらすぐに目的を伝えるよね」
「そうですね」
「コーキュートスに着いてから、ここを冷やせなんて頼まれても準備できないじゃない」
「そのとおりだと思います」
陽人は、愛永の疑問に全面的に同意した。
常磐道や船越川、エラーの原因を探している神楽も、ふたりの会話に耳を傾けている。
「神は、冥界に来たダンテ先生とアリッチに、取って付けたような目的を伝えたのかもしれない」
「ダンテさんがこの街に現れたのは、コーキュートスの冷却化とは関係なかったのでしょうかね」
常磐道が、会話に入ってきた。
「関係は、あると思います。まったく意味のないことは頼まないでしょうから……そもそも、神自身が冷やそうとしないのがおかしいですよね。なぜだろう」
話しながら、愛永の思考は整理されていく。
「神はできない? 神が冷やしても意味がない?」
「神にできないことも、あるんですかね」
陽人は、完全に聞き手に回った。
「対症療法でしかない……根本的な原因が他にある……氷を溶かす原因……温暖化」
氷山が溶け崩れ落ちる映像が、愛永の頭の中で再生された。
「ダンテさんは、地球温暖化を止める役割を担っているか、メッセンジャーですか」
常磐道は話をまとめるが、愛永はすっきりしない。
「ダンテ先生ひとりに託すのには、荷が重過ぎます。先生には、冥界の記憶がありませんから、メッセンジャーとしても心許ないですよね。しっくりきません」
もう一度、考え直す。
「ダンテ先生が冥界で果たす役割も、この街に来た理由も、前提が違うのかもしれません」
「ダンテさんがこの街に現れる理由が、他にありますか」
常磐道が、問いかける。
「現世の誰かが呼んだとか……いや、冥界にダンテさんがいたことは誰も知らないから、それはありませんね」
答えるそばから誤りに気がついた船越川は、そのまま否定した。
「事故などで、偶然来てしまったとかは、どうでしょう」
「それは、あるかも」
陽人の答えに、つまらないけどと付け加えた。
「冥界から追い出されたんじゃないの」
プログラムリストを熱心にチェックしている神楽が、ぼそりと言った。
「それ、ありえない話でもないです」
コーヒーを淹れながら、愛永は考える。
「ダンテ先生が、堕天使や悪魔にとって目障りな存在なら、現世に追いやられることは十分考えられます。でも、それでは違和感ある神の対応の説明がつきません」
カップになみなみに注いだコーヒーを慎重に運びながら、愛永は続ける。
「神が、冥界から先生を追いやる理由は……神にとって邪魔な存在……神が根本的に解決を図ろうとしている……神が現世の地球温暖化を止める。どうやって? 氷河期の再来? エネルギー源の消滅? それができるのなら、もうやっていますよね」
愛永の思考は、暗礁に乗り上げた。
「バグはないな。あれば取り除いて解決なんだけどね」
プログラムチェックを終えた神楽は、また大きな独り言を口にする。
愛永は、ひらめく。
「神は、冥界のバグであるルチーフェロを取り除けば、すべて解決します。どこに取り除きます? もちろん、冥界ではない場所。ルチーフェロを現世に送り込み、支配させれば、ルチーフェロも満足して、冥界は安泰です」
唯一の可能性があった。
「だとすると、ダンテさんと有江さんは危険じゃないの。陽人くんが神だったらどうする?」
神楽に振られた陽人は答える。
「そうですね、まず、作戦に失敗したら、ダンテさんと有江さんを、即、ルチーフェロともに現世に送り返しますね。成功したら、まあ『よくやった』と誉めておいて、ふたりを現世に戻した後に、ルチーフェロを送り込みます」
「そうだよね、ふたりが戻るとは限らないけど、ルチーフェロは来るよね」
モニターを眺めながら、神楽は……
「あっ、これか! 原因がわかったよ!」
今までで、一番大きな独り言を口にした。
通信エラーの原因がわかったよと説明を始める。
「ヘルフォンは、未知のノイズに備えて、ふた組の粒子を観測して誤りチェックしているんだ。それぞれのタイムスタンプを見ると、同時に観測しているはずなのに、一方が早かったり、遅かったりと『時間』が一定していない。だから、再観測を繰り返すから時間もかかるし、文字数が増えると時間の誤り幅も大きくなってエラーになったんだね」
「よくわかりませんが、直るのですか」
愛永は尋ねる。
「そうだね、それぞれの観測結果をマージすれば、再観測回数は減らせるだろうね。そう、素晴らしい、天才かも」
答えながら、キーボードを打っている。早速、プログラムを直しているようだ。
「まずは、データクリアしてから、ひと組だけの送信モードにしてみよう」
モニター上に、プログラムらしきリストが下から上へと高速で表示されている。
コンピュータに接続されているヘルフォンの電源ランプが緑色に点灯した。
「僕って、天才かも」
神楽は、自画自賛しながら不具合を解消したようだ。




