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ダンテが街にやってくる  作者: ことぶき神楽
冥界・冒険篇

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34/52

第34話 世界の素はホラーの香り

主な登場人物


 ダンテ・アリギエーリ

  48歳 1265年生、イタリア・フィレンチェ出身

 栃辺とちべ 有江ありえ

  24歳 梶沢出版編集者

 西藤さいとう 隆史たかし

  36歳 調世会調査員、亡くなっている


「『OK』と返信しますか」

 ダンテは、通信機に表示された「AROK?」を見ながら、有江たちに尋ねた。

「そうですね……わたしのことを『AR』と省略してきたので、多くの文字は送れないのだと思います。必要な情報を最小限の文字数で伝えるようにしましょう」

 そうだねと西藤さんも同意した。


 差しあたって、調世会に一番知らせたいことは、これだろう。

「SAITO」と返信した。


「では、地獄の門をくぐって行きますか」

 西藤さんが一歩前に出たところを、ダンテは止めた。

「他の道を探してはどうでしょう。『神曲』では、この先、魔獣や悪魔が数多く登場します。安全な道を探すべきです」

 しかし、西藤さんは首を横に振る。

「他に道があれば、ここに『地獄の門』は登場しないはずでしょ。これは、有江さんが最適化したルートか、神が示すルートかのどちらかなんですよ」

 神と同列に語られ畏れ入る。


 そうかもしれませんがと、ダンテはぶつぶつ言いながら西藤さんに続く。

 有江も、尻込みするモフ狼を押し、遅れまいと門をくぐった。


 門を抜けた先は、大河の岸辺だった。アケローン川か、三途の川か。

 水は悠々と流れ、ときおり風に吹かれた場所が白く波立つ。空は薄暗いが、大きく渦を巻いた雲の合間から、光が大地に注ぎ神々しい。地獄らしからぬ光景は、有江のイメージが反映されているのだろう。

 風に運ばれる魂はなく、遠くに列をつくり一方向に歩く魂たちが見える。

「有江さんが描く地獄がこれで、安心しました」

 ダンテは、ほっとしたようにつぶやく。


 しかし、有江は気がついていた。

「ごめんなさい。わたし、ホラー映画マニアなんです」


 有江たちは、岸辺を歩いているが、魂たちの列に近づくほどに、引き返したい気持ちが強くなる。

 列をなす魂たちの歩き方は、ぎこちなかった。手と足は棒のように固く、一歩踏み出すたびにバランスを崩して身体が揺れている。

「あれ、ゾンビですよね」

 有江が遠慮して言わなかったことを、西藤さんは口にする。

「たしか、ゾンビって生きている人間の脳を食べるんですよね。ダンテさんと有江さんは喰われるにしても、私はどうなんだろうな、死んでるしな」

「試してみましょうか」

 呑気なことを言っている西藤さんに、ダンテがチクリと言う。

「そうですね。でも、喰われて痛いのも嫌だしな」

 西藤さんに厭味は効かないようだ。


「気がつかれる前に川を渡る場所を探しましょう」

 有江がそう言ったとき、川の中ほどから岸に近づいてくる小舟が目に入る。

 小舟には、上半身も露わに櫂をこぐ男が乗っている。男がひと漕ぎするたびに、腕の筋肉は盛り上がり、小舟のスピードが上がった。

 男は、ホッケーマスクを被っている。

 名前は、ジェイソンに違いない。


 岸辺を歩く魂たちが、小舟に気がついたようだ。列は一斉に向きを変え、有江たちに向かって歩き始めた。

「これはピンチですね」

 正体を知らないダンテでさえ、この状況はわかるようだ。


 小舟は、間近に迫ったところで、川底につかえて止まる。

 向かってくる魂たちは、口から緑の何かを吐き出している。

 小舟の男は、櫂を置き一歩踏み出した。


「モフ狼、行け!」

 ウォンと吠えながら、モフ狼は男に飛びかかる。

 男はバランスを崩し、後ろ向きに川に落ちた。

「今です!」

 有江の合図とともに、三人は小舟に乗り込みながら岸を蹴り、川の流れへと押し返した。

 小舟は、有江たちを乗せ、滑るように岸から離れる。

「モフ狼~やるな~」

 有江は、モフ狼を抱きしめ、顔をうずめた。


 男は、川から立ち上がり、まとわりつく魂たちを払いのけながら、こちらに向かって雄叫びを上げていた。


 対岸の第一の圏には誰もいなかった。

 有江の地獄には「原罪」はない。


 暗がりの中、坂を下っていく。

 明かりのある場所へ出た。

 第二の圏なのだろう。

 そこには、見上げるほどの背丈の、おそらく、ミノスが立っていた。


 ミノスは、立ち並ぶ魂たちを順に裁き、堕ちるべき圏を決めている。魂たちは、ミノスの前では恐怖のあまり生前に犯した罪を正直に話す。ミノスは、骨のような尾を自らの身体に巻きつけ、その回数で堕ちるべき圏を示していた。

 有江たちに気づいたミノスは、裁きを中断し、嚢胞のうほうのような頭をもたげ、有江の前に突き出した。目の前まで迫った口から、さらに小さい口を伸ばし、粘液を垂らしながら言う。

「グガガック、グガガッガアグア……」

 何を言っているのか、わからない。


「ジャンルは、ホラーではなくSFだと思うんですよね」

 呆れたように、西藤さんは言う。

「それにしても、有江さんの構築能力が強すぎて、冥界の住人でさえもイメージを変えられていますね。もっと力のある者が、本来の姿で現れて、言葉を発してくれないことには、なんのヒントも見つかりません」

 さあ進みましょうと、西藤さんはひとり先に行ってしまった。

 ミノスを無視して西藤さんの後を追う。


 第二の圏は、肉欲に溺れた者が、風に飛ばされていた。

 魂たちは、風にさらわれ、地上から上空までいっきに連れていかれると、円を描いて互いにぶつかり合っては落ちていく。

 昇っては落ちる動きを、永遠に繰り返していた。

「だれか、呼んでみましょうか」

 ダンテは「神曲」でもしたように魂を呼び寄せるか尋ねたが、西藤さんは首を横に振る。

「ここの魂に話を聞いても、ゴシップや艶話しか聞けないでしょう。重要なことを知っているのであれば、同じ意識体である私に、真っ先に共有されるはずです」

「そうですか」とダンテ。

「盛り上がりませんね」

 小さくつぶやいた声が、有江には聞こえた。


 空を飛ぶ魂たちが見えなくなったところで、ダンテは通信機を取り出した。「2」とだけ送信する。


 有江もまた、スマホを取り出し、この世界の様子をメモした。

「記憶がなくなってしまうのなら、記録しておけばいいと考えますよね」

 西藤さんは、有江に話し掛ける。

「しかし、神が冥界のことを知られたくないと思えば、神はメモする前の有江さんを元の世界に帰すのですよ。元の世界に帰れるとしても、ですが」

 さらりと話すが、最後の「帰れるとしても」が重い。


「帰り方を探るには、どこに向かえばいいのでしょうね」

 有江の言葉を聞き、ダンテも不安を口にする。

「『神曲』の中では、私は神の意志によって冥界を巡りました。ウェルギリウスに導かれ、ベアトリーチェからことわりを学びました。しかし、ここでは西藤さんが現れました。有江さんが生まれ変わりなら、ベアトリーチェも現れることはないのでしょう。この旅の針路がわかりません」

 ダンテは、うつむく。


 厭味の効かない西藤さんが口を開く。

「だいじょうぶだと思いますよ。悪魔に取り入って冥界に入り込んだおふたりですが、その後も滞在し、こうして話していられるのも、神が許可しているからだと思うんですよね。神って、ここの統治者で、なんでもできるのだから、意向に沿わないなら、現世に戻すか、私と同じようにしてしまうとか、いくらでも排除できるはずなんです」

「神様は、わたしたちを見逃しているということですか」

「そうです、そうです。見逃すにも理由があるので、今に、あちらから接触してくると思います。それまでは、ダンテさんの『神曲』をなぞって、有江さんの『地獄』巡りをするまでです」


 西藤さんの説明はいつも軽いが、妙に説得力がある。

 有江もダンテも反論できず、頷いた。

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