ガーラン
ミストとサウンは足早に戻ってきたが、誰も連れてこなかった。
「メイは? いなかったのか?」
「それが⋯⋯あいつ、実は⋯⋯」
レグルスをちらちらと気にしながら、サウンは言いにくそうに口ごもる。それを見てミストがため息まじりに口を開いた。
「⋯⋯“白衣長官”の大ファンで、『化粧直したらすぐ行くから適当に言っといて! 本当にすぐ行くから!!!』って言ってました。⋯⋯すぐ来ると思います」
ポラリスとアルテミスは吹き出した。“白衣長官”というのはもちろんレグルスのことだ。長官と名のつく役職の人間は何人もいる。その中で白衣など着ている風変りなのはレグルスだけだ。言い得て妙といえる市民のつけたあだ名である。誰も何の意味があって着ている白衣だかは知らないという、不思議な人なのだ。
「レグルス、人気者になったねェ?」
「はいはい、どうも。⋯⋯ああほら、あの娘でしょう、走ってきましたよ」
少しうんざりした様子で、適当に返事をしながらも、レグルスの表情は薄笑いのままである。
リゲルの治療に、と呼ばれたその人は、いちばんにレグルスに駆け寄った。
「わ~! えっ、やば、ガチじゃん、うわ~⋯⋯待て待て落ち着け⋯⋯深呼吸⋯⋯」
彼女はまるで街中でアイドルにでも会ったかのように挙動不審になって、手のひらをスカートに押し付けて手汗を神経質すぎるくらいに拭ってから、面接にきた就活生みたいに元気いっぱい挨拶した。
「はじめまして! メイです!! ヒーラー志望の17歳、よろしくお願いします!」
「うん、よろしくお願いしますね、メイさん」
レグルスはただ微笑んで握手をしてやっただけだが、彼女の健気な挙動不審と緊張と紅潮を一瞬にして真っ白にしてしまった。キャパシティオーバーにさせるという暴力だ⋯⋯。
メイは真っ赤な顔で、ふおお⋯⋯と唸って固まってしまった。リゲルは、なんでもいいから治すなら治すで早くしてくれよ、と思った。
「そこに座り込んでる坊やの肋が折れちゃってね。このバカ二人のせいでさ。治してやってほしいんだけど⋯⋯ちょっとメイ、聞いてんのかい?」
「⋯⋯先生ぇ⋯⋯⋯⋯」
「は? なんで泣いてんのこの子、おい、レグルス!!」
リゲルは、なんでもいいから早くしてくれよと思った。
でも改めて顔を見ると、確かに目の前に現れるだけで女の子を泣かせそう⋯⋯に見えなくも⋯⋯わからない。整った顔、イケメンではあるな、と思う。俺が東洋人だから、西洋顔の男性を見ると、ないものねだりで顔が良く見えている説は否定できないが、メイのこの様子を見ると、やはり顔が良いのだろう。
「私、なにもしてないですよ⋯⋯」
「いやこいつマジで引くほど長官のこと好きっすよ。好きすぎて、新聞記事とかスクラップ帳に五冊くらい集めてんすよ。⋯⋯なんだっけ、ラジオ? 聴いてるみたいですよ、欠かさず」
半笑いで早口に説明したのはミストだ。半ギレのメイにわりと本気の蹴りをくらっている。
よく反芻するとちょっとおかしい、レグルスは公人のはずだから、彼が出ている新聞記事は、スポーツ新聞のエンタメ記事みたいな感覚のものではないはずだ。それを、スクラップ⋯⋯五冊⋯⋯、それはどのような代物に仕上がっているのだろう⋯⋯。というか、ラジオも新聞もこの世界に存在していることをいま初めて知った。へんなとこが近代的だが、上層の人に向こう出身の人がいるのだから、当然といえば当然か⋯⋯。
「ラジオまで聴いてるなんて、物好きですね。あれはFCRの人間が、ちょっと雑談するだけでいいから⋯⋯って言い出したやつなんですけど、よく知ってますね、深夜放送ですよ?」
「おっさんがボソボソ喋ってるラジオの何がいいんだかね⋯⋯」
ポラリスがメイの背中をさすりながら呆れた声を出したとき、リゲルは見ていた。なにか言おうと、半笑いでミストが口を開いたのを、メイが目線だけで制した。憧れている人の前で余計なことをベラベラと喋るな、と目が言っていた。ミストの挙動のひとつひとつが、誰かを思い起こさせるのだが、それが誰なのかはまだわからない。
「さあ、そろそろやってやんな、メイ」
「はい先生、」
メイの得意魔法はもちろんヒーリング。薬師志望の珠春は食い入るように彼女の挙動を観察している。
彼女の魔法は、レグルス達のようなやり方ではなく、もっと、“魔法使い”っぽかった。楽器の音に呪文をのせるタイプの魔法使いがヒーラーに多いことはフェッカが少し話してくれたが、彼女はまさにそれだ。
メイはまず、背中に背負っていた長剣をすらりと抜いた。鞘をはらうと、それは剣ではなく、刃のついた琴、という方が相応しい。剣というのは通常は両刃だが、それが片刃だけのこされて、細い弦が十数本張られている。だから少し、幅は太めになっている。それを、慣れた手つきで半回転させ、地面に突き刺す。その状態での高さはおよそ120センチほど。
彼女はひざまずいて、弦を爪弾きはじめた。軽く、心地の良い音が幾重にも重なり合って響くような不思議な音色だ。そして彼女の声がのる。伸びやかな安定した声で、意味のとれない言葉を歌う。どこかで聞いたことのあるような、ヨーロッパの古い音楽を思わせるような旋律⋯⋯。そしてなんだか、甘い香りが漂いだした。お菓子屋さんのにおいだ。
聴いているうちになんとなく心が軽くなったような気がした。プラシーヴォ効果だと言われてしまえばそれまでだが⋯⋯。
歌い終わると彼女は剣琴に一礼し、地面から引き抜いて、鞘に納めた。
全ての動作が儀礼めいていて、荘厳で、彼女が息をつくまで誰もなにも言えなかった。
「どうですか? 痛くはなくなったと思うんだけど」
「えっ、あ、痛くないです⋯⋯すごい、」
もともとどこも痛くはないのだが、あんなものを見せられてしまえばそんなことは口が裂けても言えない。息苦しさはたしかに、嘘のようになくなっていた。
「えへへ、よかったぁ⋯⋯。痛みをとる呪文くらいしか暗誦できなくて、⋯⋯それ、痛くないだけで、治癒しきってるわけじゃないので、あと一日くらいじっとしててくださいね」
彼女はちょっと自慢げに髪の毛を撫でた。肩につくギリギリのあたりで切り揃えられた髪の毛は、内側の髪がパステルピンクに染まっている。襟の詰まった、袖口がフリルのブラウス、ハイウエストのふんわり膝丈スカート、踵の高いエナメルパンプス。なんかこういう格好の人、週末の街中で見かけても全然違和感ない。逆にこういう服を着ている人がこの世界にいることが珍しいので、わりと見覚えのあるファッションに安心してもいいはずなのに、複雑な気持ちになっている。
「あれはなんという楽器なのですか?」
メイに話しかけたくてうずうずしていたのであろう珠春が、珍しく大きめの声で質問した。元楽士というだけあって、そこに興味津々だ。
「これは、ガーラン。花の国の長琴と、砂の国の月泉琴の弦の張り方を参考に、武器に転用することができるように、剣を竪琴にしてしまったっていう、戦場ヒーラー専用のハープなの。こっちの刃に触ればちゃんと切れるし、力づくで振れば弦側でも人くらい切れる強度はあるんだ。でもあんまり実戦向きじゃないかも。
さっきのは丁寧にやるときバージョン。戦場でこんなことしてたら死ぬから、実戦では、短縮音、いくつかの和音を使って呪文の詠唱をするんだけど」
メイはものすごく早口になって、ガーランという楽器の説明を始めた。珠春も熱心に聴き入っている。
「リゲル、大丈夫ですか?」
アルテミスがそれとなく確認しにきた。痛覚がまだ鈍いのを知っているから、さっきのリゲルの返答に、嘘が混ざっているのを知っている。
「息苦しいのがとれたのは本当です。すごいですね」
「ヒーリングというのは、半端な攻撃よりもよほど難しい魔法です。破壊は容易くても、修理にはさまざまな知識と技術が必要になるように、これには相当な練度を必要とするのです。中でも、ガーランはあのように弦が多いでしょう、短縮音の組み合わせをすべて覚えるのに、大変苦労をするのです。メイはそれを知りながらガーラン使いのヒーラーを志したのですから、きっと良い魔導士になるのでしょう」
そう言いながら、アルテミスの表情は硬かった。
ところ変わって、こちらはフェリア城内。侍女たちの仕事部屋である。
「侍女長、この猫は?」
「レグルスに、面倒見てて、って預けられたのよ~、子供ができたらこんな気持ちになるのかしら~!」
侍女長アテナは朝からずっとこんな感じでご機嫌であった。物静かで、仕事が早い、もちろん理不尽に機嫌を悪くすることもなければ、部下に当たり散らしたりする人ではない。いつもどちらかといえばご機嫌な、フェリア城の侍女たちにとって理想の上司である。そんな彼女が、いままで見てきたどんなときよりも、ご機嫌なのだ。ちょっとおかしくなってしまったんじゃないか、という若干の恐怖すら感じる。
アテナの機嫌は、正確に言えば昨夜から最高であった。女王に呼び出されたので行ってみたら、めちゃくちゃかわいい少年の世話を今後しばらくの間、と頼まれたのだ。彼女には旦那があるが、旦那が子供にあまり興味がないらしく、いつまで経っても子供が授からない。子供を望む気持ちは年々大きくなっていく。城内に幼児がいたなら、その世話に邁進することで少しは発散できたのだろうが、あいにく城内には王女三姉妹以外は大人しか住んでいない。城内に住んでいる魔導士フェッカは、見た目こそ14、5の少女だが、彼女はあちら側出身で、年をとらないので、アテナが生まれる前からあの姿のままだ。それを子供とは思えない。
そんなところで、珠春がアテナの前に現れた。年は14だという、もうちょっと小さい方がお世話のし甲斐はあるけれど、贅沢なんて言えない。とてもとても甘やかしたい気持ちがあるが、お仕事だから、と頑張って自粛して、でもお食事に毎回果物をつけてしまう。たくさん食べて大きくなってほしい⋯⋯。礼儀正しくて、ふるまいが小動物っぽくて、どこがというのはわからないが、とっっっても可愛い。早く夜になってほしい、早くご飯食べさせたりお風呂のお世話をしたり、お召し替えのお世話をしたい⋯⋯。
「ナァ―⋯⋯」
足元で猫が鳴いた。しゃがみ込んで、抱き上げる。この猫もアテナの機嫌をよくしている。もともと猫が好きなところ、猫を預かってくれ、と仕事として頼まれたのである。天国だ。ここは天国だ。愛想はいいし、人懐っこい。さっきからずっと魚のすり身を食べさせている。自分の子供の世話をしているのだ、という妄想を重ねると、もう楽しくて楽しくて、毎日こういう仕事をしたいものだと思った。
そしてその様子をドアの隙間からうかがっている男がいた。アテナの夫、フェリア神聖軍副将軍のアレスである。この男、我が妻が子供を熱望しているのを知りながら、妻のことが好きすぎて、まだふたりきりの生活がしたいというだけのことで、子供を作るというステップに踏み切れない。アテナに深く深く恋をしているのは城内では有名で、いまもこうして、侍女部屋の前で、アテナの様子をうかがっているのを誰も咎めないし、アレスの従者であるカヤフという青年に至っては、昨夜読んでいた本のことを考えては、口許を緩ませている。この状況を知らないのはアテナだけだ。
「そうか⋯⋯そんなに猫が好きだったとは、俺はまだまだ君のことを知らないんだな⋯⋯」
見当違いもいいところであるが、彼は大真面目に懐から紙を取り出し、『ねこちゃんのクッション』と“アテナさんへの贈り物リスト”に書き加えた。普段はスマートで、冷酷さを漂わせる涼やかな顔の彼が、ここまでになるのを実際知っているのは、従者カヤフただ一人である。妻であるアテナすら知らない顔。カヤフはその事実に、優越感で、笑ってしまうのだった。




