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8.

「俺は何をしているんだろうな……」


 誰に呟くともなく、ふっと漏れた自分の声。今日も最寄りのドラッグストアで、ムクの喜びそうなおもちゃや興味を引きそうな小物や、いい香りのするシャンプーなんかを大量に買った。


 ムクが本当に部屋からいなくなったのか、確信が持てない俺はこうして毎日無駄な買い物をして自分を慰めている。こんなものを買ったところでムクが喜ぶのかはわからないが、ムクのために何かしていないと空虚な日々に耐えられそうになかったのだ。


「よ、っと」


 自分で使う物でもないのに金をかけて、それをただ部屋に積み重ねる毎日。こんな日々に、なんの意味があるというのだろう。そう思い至っても、それでもムクの存在を諦めきれない俺は、本当にどうかしているのかもしれない。


 おぞましく、恐怖の対象でしかなかったはずなのに、ペットだと定めてからは楽しくてしょうがなくなった。ムクの行動の一つ一つが、構ってほしいとじゃれついてくるように見えて、こんな俺にも慈しみの心が芽生えた。時々は面倒くさいこともあったが、それもこれも今となっては恋しい煩わしさだ。


「ただい……、ムク?」


 玄関のドアを開けた途端に今まで感じたことのない強い寒気が、一気に背中を駆け上がった。玄関から部屋へ続く廊下もその奥も、いつもよりどんよりと暗く闇が濃く見える。こんな感覚が心底恐ろしく、だが同時に懐かしい気持ちになる。


「ムク、やっぱりいたんだな。ごめんな、ムクのために色々買っておいたんだ。また一緒に仲良く暮らそう」


 震える足で歩を進めながら靴を脱ぎ、手探りで部屋の電気へと手を伸ばす。


 パチリパチリとスイッチを入れてみるが、一向に電気が点く気配がない。こんな時に蛍光灯が切れたか。ムクとの感動の再開だというのに。


「あの時は本当にごめんな。ムクが居なくて寂しかっ」


 吸いつくような黒い闇を進んでいたら不意に何かに足を取られ、無様に転んだ。


 起き上がろうと床に手をつくと、手触りでわかった。


 細くて太い、ムクの髪の毛だ。フローリングの感触がわからないぐらい、大量の髪の毛で埋め尽くされていた。


「ムク、お前成長したのか? こんなに髪の毛が長くなって」


 撫でてやれば、暗闇が生き物のようにうねる。足の震えは大きくなり、腰の辺りに力が入らず、それでも暗闇から逃れたいという本能のようなものだけが、俺を立ち上がらせようと躍起になっている。


「あんまり変わってたもんで、ちょっとびっくりしてるだけだよ。大丈夫、お前を怖がったりなんかしない」


 全身くまなく鳥肌が立っているのが自分でよくわかる。


 それを無視して、俺は自分の下に広がっている髪の毛を撫で続けた。ざわざわと暗闇のうねりが大きくなる。背中をたらりと汗が伝った。


「遊んでほしいよな、久しぶりだもんな。ボールとかもあるぞ、そこの奥に……」


 俺は息を飲んだ。


 気がつくと、目の前には無数の目玉が、俺のことを凝視していた。何十という目玉が果てのない暗闇にぽっかりと浮かび、俺のことをただひたすらに、じっと見つめている。


「お、お前、髪の毛だけじゃなくてめ、目もあったんだな。そ、そりゃそうか、お、俺のことも、わか、わかってたもんな」


 歯がガチガチと鳴って、上手く言葉を発することができない。


 ムクの変化を喜ぶ気持ちとは裏腹に、心の奥底から這い上がって来る純粋な恐怖に身体が支配されていく。


「よか、よかった」


 さわさわと意志を持った髪の毛が俺の首へとまとわりつく。ムクが自分からすり寄ってくることは何度もあった。でも今みたいに、こんなふうに、首にぐるりと巻き付くのは初めてだ。


「ど、どうした、あまえ、甘えん坊だな」


 嬉しい気持ちに口角が上がり、顔がほころぶ。きっと他人から見たら気持ち悪い程の笑みを浮かべているに違いない。同時に、口にしょっぱい水が入って来る。目の前の目玉たちが滲み、瞬きの度にクリアになる。ムクが帰って来て、懐いてくれて、甘えてくれてすごく嬉しいというのに、なぜか俺は泣いていた。鼻水を垂らしながら、とめどなく涙を流していた。


「ごめ」


 ぎゅっ。


 不意に首元の髪の毛が締まった。ざらついた不快な感触が首に食い込み、じわじわと俺の気道を狭めていく。


「お」


 おいおい、冗談はほどほどにしてくれよ。


 そう言おうにも、喉が締まって声を発することができない。


 視界には濃い暗闇と、ムクの無数の目玉たち。


 その目玉たちが、どこかいやらしく笑っているように見える。


 あれは嘲りの視線だ。


 いや、悪意に満ちた目だ。


 弱者をいたぶることに愉悦を感じている色だ。


 ムクのことを愛おしく思う気持ちは消えない。が、身体は酸素を求めて、首元にきつく食い込む髪の毛を一心不乱に搔き毟っている。


 ぶちぶち、ぶちぶちと、大量の髪の毛が千切れていくが、苦しさは変わらない。首から上に溜まった血液が、行き場がなくなって熱を発している。顔が熱い。圧力で目玉が飛び出そうだ。


 毟って。


 ふと、考えたくなかったことが頭をよぎる。


 毟って、毟って。


 消えないおぞけや、鳥肌や冷や汗、恐怖心。本能が告げていた、逃げろというサイン。いや、俺はムクのことを気に入って。


 毟って、毟って、毟って。


 勘違いか? どっちの? ムクは、俺のことなんて、どうでもよかったんだろうか。


 毟って、毟って、毟って、毟って。


 気が、遠くなる。

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