野心の代償
「触れずの地」を突っ切って、ヒュンナグ領を目指し西へと進むズーン軍。
その総指揮官であるホルガンの許に、物見の兵が駆け寄った。
「殿下。右手より野生騎竜の大規模な群がこちらに向かっております」
「来おったか」
先の「ボルドゥの乱」において、ボルドゥが仕掛けた野生騎竜の群を軍勢にぶつけるという奇策によりあやうく大混乱に陥りかけ、騎竜たちを操れるヒュンナグ人に救われた一件は、もちろんホルガンも知っている。
彼自身、あの時は兄王とともに陽動部隊の一翼を指揮していたのだから。
そして、ヒュンナグと事を構えるとなれば、前回以上に巧妙に操られた騎竜の群をぶつけてこられる可能性を想定してはいた。
しかし、所詮は矢を射掛けてくるわけでも刃を振り回してくるわけでもないただの群。あらかじめ心づもりをして待ち構えていれば、前回のような醜態を晒すことはない――。そう考えていたのだが。
エルウェヘーから夢の話を聞かされたホルガンは、今回の出兵にあたって秘密兵器を用意した。
「“砲”の準備を!」
右手を高く掲げて、ホルガンが号令する。
「砲」とは、簡単に言えば大型の投石器。五百年以上にも渡って繰り広げられた中原の戦乱の中で発明され改良されてきた攻城戦用兵器である。
バーブガイ王が中原の都市攻略用に作らせていたものが、中原のものに比べれば幾分小型ながら、ズーンに二基存在していた。
台車に乗せて馬に曳かせてきたそれを台車ごと地面に固定し、野生騎竜の群が確認されたという方角に向ける。
梢と呼ばれる棒の先に大きな岩を取り付けて、梃子の原理で投擲し城壁を破壊するこの兵器に、今回装填しているのは一個の大岩ではなく、籠に盛られた無数の石礫だ。
「げっ、何だあれ!?」
騎竜の群れを操っていたゾリグが驚愕し、傍らのツェレンも眉を顰める。
「“砲”ってやつ、かな? 中原の城攻めで使われるものみたいだけど、こんなだだっぴろい草原で大岩一つ飛ばしたところで……」
そう言いかけて、ツェレンは血相を変えた。
彼女の優れた視力が、梢の先に装填されているのが一個の大岩ではなく無数の小石であることを捉えたのだ。
通常の戦闘においても、石礫は簡易でありながら有効な攻撃手段の一つだ。
それをあんなもので大量に投擲されれば、まともに食らったらこの群れもまるごと壊滅してしまうことだろう。
「ゾリグ! 騎竜たちを散開させて! そしてあなたも一目散に北へ! 早く!」
ツェレンに怒鳴られ、ゾリグは慌てて騎竜たちに指示を出す。
「殿下、騎竜の群れが散っていきます!」
部下の報告に、ホルガンは鼻を鳴らした。
「ふん、敵もなかなかに敏いな。群れをバラけさせてしまえばその時点で目的は達したようなものだが、『砲』はこのまま発射させろ。竜使いを仕留めることが出来れば重畳だ」
「はっ!」
部下の男はすぐさま「砲」部隊の部隊長の許に赴き、ホルガンの命令を伝えた。
部隊長は頷き、配下の者たちに指示を出す。
梢の端には五十本の曳き綱が固定されている。
通常であればこの一本一本を人間が曳くのだが、今回は五本ずつ十頭の馬に曳かせる体制だ。
部隊長の号令一下、間合いを合わせて一斉に馬に曳かせるべく、各員が配置につく。
一方、ツェレンはまっしぐらに敵陣に向けて騎竜を駆っていた。
「ちぃっ! 間に合わないか!」
何としても「砲」の発射を阻止する。
伝え聞く話では、「砲」の射程距離は三十丈(約80m)近くにも及ぶという。大岩ではなく礫となると、さらに飛距離が伸びるのではないか。
騎竜の移動速度から言えば大した距離ではないのだが、射程から逃れるにはあまりに近付き過ぎた。
このままではゾリグが巻き込まれてしまう。
どうにか弓矢の射程圏内にまで接近したが、当然ながらズーン側からの矢もこちらに届く。
おまけに、「砲」の周りには魔道士を配置し、結界を張っているようだ。
「ええい、一か八かだ!」
ツェレンは一声叫び、矢を射放った。
狙いは馬たちの足元。
矢柄に火炎呪文を刻み込んだ一矢だ。
貴重な上に使いどころも難しいそれを、躊躇いなく射放つ。
矢は地面に突き立つと同時に、爆発的に燃え上がった。
魔道士たちが駆け寄り、すぐに火は消し止められたが、馬たちを恐慌状態に陥れるには十分だった。
ツェレンは敵の矢が頬をかすめるのを気にも留めず、次の矢をつがえ、馬を抑えようと奮闘している兵の一人を射倒した。
それをきっかけに、馬たちが相次いで暴走を始める。
暴走する馬たちによって、制御されない動きで引っ張られた梢は、一瞬浮き上がりかけたが、再び地面に叩きつけられ、籠に盛られた石礫がざぁっとこぼれ落ちる。
その間にツェレンは騎首を翻し、「砲」の射程圏内から離脱を果たした。
「ふん、厄介な竜使いを仕留めておきたかったが、やむを得まい。陣形が整い次第、進軍を再開する」
ホルガンが配下の者たちに告げる。
分散した野生騎竜の群れは、弓矢や魔法によって追い払った。
完全に散り散りになった群れをもう一度まとめ上げるのは、竜使いといえどもそう簡単なことではないはずだ。
「さて、エルウェヘー。お前が見た夢では、我が軍は騎竜の群れに押されてかなり南へ進路を変えさせられたということだったな。そして、ヒュンナグ軍と対峙し、攻めかかろうとしたところで落とし穴に落ちた、と」
「はい、仰せのとおりです。殿下」
エルウェヘーが見た夢の中では、数的優位でもってヒュンナグ軍を圧し潰そうとしたズーン軍は、長い帯状に掘られた落とし穴に落ち、ヒュンナグ軍の猛攻を受けて敗走に至ったのだ。
愛人の言葉に、ホルガンが首をひねる。
「ふむ。それにしても、いくら我が軍の進路を誘導したとはいえ、それほど長大な落とし穴を用意できるものだろうか。……いやすまぬ。お前の夢を疑うわけではない。それに、我が軍が踏みとどまったことで、ヒュンナグの思惑は狂ったはずだ」
「はい、おそらくは」
「よし。小賢しいヒュンナグ人どもに、目にもの見せてくれよう」
ホルガンは騎上でにやりと笑った。
ヒュンナグ軍が陣を張って待ち構えているとの報を受けて、ホルガンは眉を顰めた。
「数で劣る状況で、真正面からぶつかろうというのか? まさか、ここにも罠を張っているとでもいうのか」
いくら土魔法を使おうとも、千騎規模の軍勢を落とせるほどの落とし穴など、そう簡単に掘れるものではない。
だが、何らかの罠を仕掛けているというのでなければ、ヒュンナグ軍の陣構えは理解しがたい。
「まあいい。想定の範囲内だ」
そう嘯いて、ホルガンは配下に命じ、「砲」の準備にかからせた。
今度は曳き綱は騎竜に曳かせる。
貴賓の乗る車を曳かせるような場合は別として、騎竜に荷役をさせるのは草原の民の好むところではないのだが、やはりあの程度の火魔法で恐慌状態に陥ってしまう馬は扱い辛い。
騎竜十頭に綱を結わえつつ、落とし穴を埋めさせる工兵隊を前に出す。
その一方で、ヒュンナグ軍の態度がただのはったりで落とし穴など存在しないという可能性も想定して、騎竜部隊に突撃させる準備もしておく。
その隙のない陣構え、あるいは本来攻城戦兵器である「砲」の応用などを見るに、ホルガンも戦にかけては決して無能ではないといえるだろう。
エルウェヘーは内心安堵の溜め息を吐いた。
自分の予知夢で導いてやれば、確かにこの男は草原の覇者となれるのではないか。
さて、ヒュンナグ人どもはどう出るか。
このままじっとしていては石礫をまともに食らってしまうことくらいは理解できるだろうが、自分たちが掘った落とし穴に阻まれて、接近戦を仕掛けることもできない。
いや、落とし穴など存在せず、真正面から突っ込んでくるというのなら、それはそれで堂々と迎え撃ってやればよい。
一旦距離を取ろうとするなら、工兵隊が落とし穴を埋め終わり次第、一気に突撃を仕掛けて潰走させる。
どう足掻こうとも我らの勝利――。
ホルガンがそう確信した瞬間、突如として足元が崩れた。
帯状に地面が崩れ落ち、兵たちが騎竜ごと転落していく。
「な、何だ!? 何がどうなっている!?」
混乱しながらもどうにか穴から這い上がったホルガンが見たものは、怒涛の勢いで肉薄してくるヒュンナグの軍勢、そしてその先頭に立つ憎き甥の姿だった。
「やれやれ。青竜神殿も無茶を仰る。『偶々土の中を散歩しておっただけ、地面が崩れて人間どもが落っこちたのは不幸な事故』などという言い訳が、天帝陛下に通用するとは到底思えぬが……」
戦場から五里(一里=約400m)あまり離れた場所にひょっこりと顔を出して、白蛇――ムングが独り言ちる。
「まあいいか。全責任は儂が負う、というお言葉、信じさせてもらいますぞ」
そう呟いて、白蛇は再び地に潜った。
「叔父上もなかなかおやりになるが……。相手が悪かったな」
いささかの同情をこめて、エルデニは呟いた。
ヒュンナグ軍の陣中に、彼とその部下たちも参加していた。
サラーナは、読まれても負けない手を打てばいい、などと言っていたが、竜の力を借りるというのは少々ズルいのではないか――。
そう思わないでもない。
しかし、そのような感傷に囚われて勝機を見逃すほど、彼も甘い人間ではなかった。
あまり突出しては危険だと制しようとする部下たちを尻目に、真っ先に騎竜を駆り、叔父の陣に突撃を仕掛ける。
「叔父上―っ!」
雄叫びを上げてエルデニが射放った矢は、見事ホルガンの眉間を射抜いた。
ホルガンを討ち果たしたエルデニは、大声で呼ばわった。
「父上はどこにおられる? 私の話を聞いていただきたい!」
それに対し、一人の男が冷ややかに答えた。
「白々しい。陛下を弑し奉ったは、おぬしの差し金であろうが」
男の名はドルゴ。ホルガンの兄であり、エルデニにとっては叔父の一人だ。
元々彼は兄や弟に比べて、才覚においても気概においても勝るところは無く、今回もただ流されるままに弟に付き従ってきただけ、だったのだが……。
「弑……どういうことです!? 父上が害されたとおっしゃるのですか!?」
「そうだ。シュシェン族の矢で害された。おぬしがやらせたことであろう!」
「そんな馬鹿な! 濡れ衣です!」
「言い訳は聞かぬ。そもそも、ヒュンナグと通じておったというのも事実ではないか!」
「これはやむを得ぬ仕儀です! 決して、父上を、我が一族を裏切ったわけではありません!」
「まあまあ、お二方。ひとまず落ち着きましょう。一旦ズーンに戻り、長老たちも交えて話し合おうではありませんか」
二人の間に入って取りなしたのは、ズーン最大の氏族ダラエの族長であり、エルデニの舅でもあるウネグだった。
彼の調停により、エルデニはズーンに戻り、一族の長老たちの前で身の証しを立てることとなった。
しかし、父王が殺されたとあっては、彼の立場は著しく不利だ。
おそらくホルガン叔父の差し金だと察してはいても、潔白を証明できるかどうか心許ない。
怒りと焦燥と、父を喪った悲しみに苛まれながら、エルデニは部下たちと共に騎竜の背に揺られ、一路東へと向かうのだった。
ズーンへと向かう一行の中に、エルウェヘーの姿もあった。
(さて……。夢で見た状況よりはマシなようだけれど……)
夢の中では、ドルゴも乱戦に巻き込まれて戦死しており、エルデニに物申せる立場の人間は誰もおらず、ヒュンナグと手を組んだことも曖昧にされて、何事もなかったかのようにエルデニは復権を果たしてしまった。
そしてエルウェヘーは縄目を受けることとなり、そこで夢から覚めたのだ。
ドルゴという男はホルガンに輪をかけた小物だが、何とか彼を利用して自分やゲレルの立場を確保するしかない。
どさくさ紛れに逃げる、という考えも頭の片隅に浮かびはしたが、この期に及んで何処へ逃げようというのか。
腹を括ったエルウェヘーを守るように、ショルゴルジが傍らに騎竜を寄せた。




