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無能聖女は、醜い獣から逃げまくる  作者: ゆいみら


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皆既月食の後に

「つ、う………」


 右腕を庇いながら、ヤトは歩いていた。


「あいつ、よくも………」


 蘇芳………ルーファスに二の腕を斬られた。布で縛って止血しているし、これぐらいなら命に関わる傷ではない。だが痛い。


 神殿にいた頃よりも、かなり剣の腕が上達していたので驚いた。

 邪魔だとばかりに容赦なく攻撃してくるルーファスに圧倒されてしまったが、技量は互角だったはずだ。それなのに負かされてしまった。


 必死だったんだな。

 あいつ、焦っていた。必死で泣きそうな顔をしていた。俺なんかよりずっと強く願っていたのだろう。


 痛みで顔をしかめつつ、草の掻き分けられた跡を辿った。その途中ルーファスの声を聴いた。

 水の中に、後退するルーファスと立ち止まるリナが向かい合うようになっていた。こちらからは腰まで水に浸かったリナの表情が見えた。目を見開き、何か言おうと口を開きかけたようだった。


 その直後、皆既月食はピークを迎えた。


 暗闇が舞い降りて何もかもが見えなくなって、手探りで一歩ずつ泉に近付く。小さく嗚咽が聴こえて、重くやるせない気持ちが胸にわだかまった。


「……………おい」


 声を掛けて、でも次の言葉が喉をつかなかった。

 再び月光が細く注いだ先には、ルーファスが1人泉の岸に手をつき座っていた。


 月食が終われば、この世界にはリナという存在が最初からいなかったかのようで、酷く虚ろな気がする。

 蹲るようにして、背中を震わすルーファスを見つめて、自分でもこんな気持ちなら、この男は今どんなに苦しいだろうと思った。


「…………何が聖女だ」


 長いこと泉を見ていたルーファスが、ポツリと言葉にした。


「何が心を治す、だ」


 ハハ、と乾いた笑いを漏らす彼の背を、ただ見守ってやるしかできない。見なくても、泣いているのが分かったから。


「どうして僕の心を助けない?どうして、こんなにも掻き乱して…………僕から逃げて、僕を置いて、見捨てて、僕を………」


「無能な聖女」と、ルーファスが呻いた。

 リナを誤解した人々が、よく口にした悪意ある言葉だ。それなのに聞く者の心を揺さぶり、ヤトは目の奥が熱くなるのを感じた。


 ああ、そうかと思った。

 唐突に、ルーファスの想いに自分は敵わないのだと知った。ライオネルもだ。

 周りの者に、浅ましく貪欲で醜くさえ映るルーファスの想い。それが彼にもどうしようもないほどの『想い』なのだと気付いた。


 お前は、そこまで…………


 ただただ哀れで、ヤトはルーファスを慰めようと手を伸ばし肩に触れようとした。


「あ…………?」


 そこに白い影のようなものが薄く見えた。見間違いかと、目を擦り見直すと今度は人の形をはっきり取っていた。

 次第にルーファスを後ろから抱きしめている人が輪郭を明確にして、それがリナだと分かるとヤトは声も出せずに立ち尽くした。


「蘇芳!」


 自ら付けた名を呼び、弾かれたように振り返った青年の頬をリナが両手で包んだ。


「私……………帰る場所を見つけたの」


 そう笑った彼女の顔を見て、ヤトは『追いかけっこ』が終わりだと悟った。


 遠回りもいいとこだな。


 彼女の肩に顔を埋めるルーファスを見届けると、ヤトは苦笑いを抑えて踵を返した。


 ************************



「どうして逃げるの?行かないで行かないで」

「いや、怖いし」

「僕はこんなに君が好きなのに」

「うん、それ違うから、執着ってやつ?」


 毎度のやり取りに、私もかなり投げ遣りな口調になってしまう。


「執着だったら何だと?」


 彼は絶対に引き下がらない。

 言うことは強めだが、常に私に向ける心が宿っているのを知っているから、私は腰を捕まえる彼の手に手を重ねた。


「……………わかってるよ」


 彼の隣に帰って来た時から、私は分かっている。

 人の心を疑い不安になりがちな私には、彼ぐらいがちょうどいい。


「でもあまり力を入れないで。ぎゅっとしてもいいから、加減してね。そうでないと赤ちゃんが苦しくなっちゃうから」

「あ!ごめん…………」


 ハッとして、今度は怖々と私のお腹を撫でた。


 この世界に生きると決め、春になり二人で植えたチューリップが咲き始めた頃、私は聖女の力を喪った。


「…………私、この子をちゃんと育てられるかな?」


 育て方も知らない私が、母になる。

 自分の母のようになったらどうしようかと思って不安になることがある。


「それを言うなら、僕もだよ。良い父親になれるか分からない。でも、そうだな…………」


 手を取って私を椅子に座らせた蘇芳が、優しく私にキスをした。


「僕がいて君もいる。君がもう逃げなくて、僕も追いかけなくて、いや、追いかけてもいいんだけど…………二人でずっといられたら、きっと大丈夫だよ」

「うん」


 微笑む彼を見上げて、私は死ぬまで彼に捕まっていられるようにと祈った。













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