52話・倒れたキリギリス
ヒロインのアリーズの実兄(家を勘当された)の話です。
「あ、気が付いた?」
アデマールは温かな部屋の中で目が覚めた。固いベッドの上で身じろぐと、側から声がかけられた。
「あなたは倒れたのよ。覚えている?」
そう声をかけてきたのは、赤毛に青い目をした女性。アデマールが時々買いに行くアベーリャというパン屋の看板娘で、童顔の彼女は誰にでも愛想が良くて、町の皆に好かれていた。
「きみは確かパン屋のハーラルさん家の?」
「そうよ。あたしはルル。吟遊詩人さんったらパンを買いに来たと思ったら、店頭で倒れて驚いたわ」
「それは迷惑をかけた。済まない」
アデマールは廃嫡されて家を追い出されてから、行く当てもなく、趣味のリュートを手に弾き語りをして暮らす吟遊詩人になっていた。
家を勘当された時点で、先に王籍を外され一臣下となったジグモンドからは一緒に地方へ行かないかと誘われたが断った。
本当は元王太子であったジグモンドの元へ行き、彼の手伝いでもすれば衣食住には困らないし、真面目に仕事をしていれば収入だって見込めたに違いない。でも、アデマールは汗水流して働くなんて、馬鹿げたことだと思っていた。
時々、侍従長を勤めていた父から苦言をもらうことも多かったが、別に宮殿に出仕なんかしなくても、生活には困らないし、一生できれば遊び暮らしたいと思っていた。だから廃嫡されてもなんとかなるさ。と、深く考えることもなく、自分に好意を抱いてくれている女性の間を渡り歩いた。
でも、金の切れ目は縁の切れ目。アデマールと深い関係にあった女達は、アデマールが廃嫡されて伯爵家を追い出されたと知ると、掌を返したように家からたたき出した。
アデマールには何も残されてなかった。顔の良さと、二番目にお邪魔した女性から何か引いてよ、と、乞われて引いた趣味のリュートしかない。すぐに行く宛てがなくなり、アデマールは困窮した。
たまたま公園で歌を歌い、リュートを引いていたら「上手だね」と、通りすがりの紳士からお金を頂いたのをきっかけに、得意な歌とリュートで、吟遊詩人の真似事をするようになった。街角に立ち、歌を歌いリュートを弾けば、その曲に感じ入った人たちがお金をくれた。
そのお金でアデマールは生計を立てていた。野宿が多いが、お金を貯めて時々は浴場行くことも出来たし、安宿にも泊まれた。
時には裕福な商人に頼まれて、家族の誕生日やお祝いに何曲か披露すれば、食事にもありつけた。
でも、それは長くは続かない。自分は一時の余興で呼ばれるだけ。役目が終われば報酬としてお金や食事にあり付けるが、家族の為に用意されたお祝いの席の片隅で頂く食事は実に味気なく感じた。
恐らくその時から具合が悪かったに違いない。空腹を覚えてパン屋に入ろうとした事までは覚えている。
「迷惑をかけたね。済まない」
「良いのよ。ちゃんと食べているの? 具合が悪いんじゃないの?」
ルルが顔を覗き込んで来る。その仕草に妹のアリーズを思い出した。幼い頃は「おにいちゃま」と、舌足らずな言葉遣いで自分の後をついて回っていた。
────アリーズ。
妹のことを思い出していたアデマールのお腹が無情にも大きくなる。恥かしさに俯きたくなったが、ルルは馬鹿にしなかった。
「ちょっと待ってて」
そう言うと部屋を出て行き、すぐに食事の乗ったお盆を運んできた。
「お腹空いていたのね? 口に合うか分からないけど良かったらどうぞ」
その言葉にそう言えば昨日は食事を取っていなかったなと思い出す。最後にまともな食事を口にしたのはいつだっただろうと思う。ここの所は稼ぎも良くなくて、水と屋台で出る廃棄処分の野菜の切れ端をただでもらって済ませていた。
ルルの運んできたお盆がベッド脇のサイドテーブルの上に乗せられる。そこには温かそうな湯気を立てたミルクシチューと、白く丸いパンがあった。それを見て食欲をそそられたアデマールは、お皿の中身を掻き込むように一気に食べた。あっという間に無くなると、ルルがお代わりを運んできてくれる。
「美味しい? まだまだいっぱいあるから遠慮しないでね」
「有り難う。ルル。ほっぺたが落ちるくらいに美味しいよ」
「それなら良かった」
白パンも美味しかった。実家で出ていたパンのようにふかふかしていて遜色ない味で、ぺろりと軽く三個も平らげてしまった。お腹が満たされてくると周囲のことを見渡す余裕が出来てきた。
「ここはきみの家?」
「そうよ。あなた店先で倒れたからお父さんとこの部屋まで運んだの」
「それは申し訳なかったね」
「お父さんと二人でびっくりしちゃった」
自分が店先で倒れたことで、パン屋としては多大な迷惑を蒙った事だろう。一客でしかない自分を部屋の中にまで運び入れ、食事まで提供してくれた。その相手に自分はお代わりまでしてしまって急に恥ずかしく思えてきた。
「済まない。僕は今、稼ぎがなくてね、御世話になっておきながら今持ち合わせがなくて。でも、このお礼は必ずするから……」
「気にしないで。困ったときはお互い様よ。吟遊詩人さん」
「……?」
アデマールは、困ったときはお互い様だと言ってのけた彼女を凝視した。今まで特権階級の女性達には好かれて良く言い寄られた。皆、羽振りが良い時は媚びて来たくせに、アデマールが勘当されたと知ると潮を引くように去って行った。
初対面にもかかわらずルルは優しかった。アデマールが毎日の食事にも事欠いているのに気を遣わせないように、気遣ってくれたのだ。この言葉にアデマールは胸の中が温かなもので満たされるような気がした。
「なに? あたしの顔に何かついている? あの、あのね。お父さんがね、吟遊詩人さんは成人男性にしては体が生チョロ過ぎるって。大した良いもの食べてないだろうからしばらくここに居てもらえって」
アデマールがじっと見ていたせいか、ルルが目を反らすと早口に言い放った。
「えっ? 良いのかい?」
「また、店先で倒れられたらたまったもんじゃねぇからな。しっかり食って栄養をつけろ。この部屋はあんたに貸してやる。でもただとは言わねぇ。給金が入った時に支払ってもらおうじゃないか。仕事が無いときは店を手伝ってもらったら助かる」
「父さん」
「……!」
ルルの話に驚くと、赤毛に青い目をした厳めしい顔つきの中年男が入ってきた。パン屋の主人でルルの父親ハーラルだ。ルルの父は顔つきの割には気の良い人のようだった。アデマールには、二人の好意が身に染みた。
「有り難うございます。しっかり働かせてもらいます」
今までは一日が楽しく過ごせれば良いと、明日のことまで考えることはしなかった。自分にとって今日一日、何とか生き残れれば構わないと思っていた。でも、段々とそれでは行けないと思いつつも、そんな生活から抜け出せずにいた。
自分が楽な方へと逃れてきたのだ。
「ねぇ、吟遊詩人さんの名前は何と言うの?」
屈託のない笑みを向けられて、アデマールはルルに気を許した。その日からアデマールは、今までの自分を捨てることにした。




