第1話 プロローグ
——未知から背くことは臆病かそれとも勇気か。相棒、さぁ行こう。
そんな遠い声が、聞こえた気がした。
っつ!
左後頭部に鈍い痛みを感じ、朦朧の中、ゆっくりと目を開ける。
……はあ。
もう、何回目だろう。
視界が、紫にひらける。
耳の奥で、丸くつまるような感覚。
水の冷たさが、身体の表面をなぞり、まとわりつく感触だけが、後から押し寄せてくる。
少し頭を起こし、空を見上げる。
桃色に発光する白い月が、空を支配していた。
圧倒的な存在感の光の円が、今にもこちらへ落下してきそうだ。
……近いって。
重い身体を起こした。
耳の奥で、ゆっくりと水が抜けていく。
肌に服がまとわりついている。
気持ちが悪い。
不快感を拭おうと、僕は服に手を伸ばす。
なぜだか、濡れていない。
ひたひたとまとわりつく感触は、確かにあったはずなのに。
僕は、鈍い違和感を覚えた。
ぼやけていた意識が、一気に形を取り戻す。
月の光に照らされ、空と海の境界線が溶け合い、あいまいになっている。
水面は淡い桃色に染まり、辺りは紫から桃色へと、綺麗なグラデーションを描いていた。
ここは浜辺で、立っているのは僕だけだ。
月明かりに照らされ、砂粒は一つひとつが微細な結晶のように輝いている。
それ以外は、何もない。
——いや、違う。
微かな記憶が、残っている。
ここに、誰かいた記憶が。
足跡の大きさ。
風に溶け込む匂い。
月光で輝く、髪の毛先。存在の痕跡だけが、空間に焼き付いている。
声も、温度も、匂いも——すべてが溶けて、抜け落ちている。
僕には、記憶がない。
思い出せないのではなく、初めから、知らないのかもしれない。
だが、不思議と焦りはなかった。
喪失への恐怖も、知りたいという衝動も——ない。
それなのに、求めている。
理由はない。
それでも——
背を向けることだけは、できなかった。




