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第二話「『壁際が安全』は間違いでした」

 昨日潜りながら、もう一個引っかかっていたことがある。壁際の話だ。


 ダンジョン攻略における「安全地帯」という概念がある。壁際、後方、部屋の隅。そういった場所が安全だとされている。理由は単純で、背後や側面からの奇襲を防げるからだ。壁を背にすれば、敵が来る方向が限定される。視野が広くなる。逃げ道を確保しやすい。


 それも、最初の話としては正しい。


 でも昨日、菫野洞の二層を歩きながら、俺はずっと引っかかっていた。


 壁際にいる探索者が、ブルーボアの体当たりで戦闘不能になる場面を何度か見た。動画でも見ていた。あれは壁際に追い込まれた場面だと思っていた。でも昨日、実際に二層を歩いてみると、最初から壁際に張り付いている探索者も多かった。安全地帯として選んでいるのだ。


(待てよ)


 壁際で初心者が戦闘不能になっている動画を探す。あるにはある。多くはないが、探せば出てくる。


 見ていくうちに、パターンに気づいた。


 ブルーボアの体当たりは、正面からまっすぐ突っ込んでくる攻撃だ。突進と似ているが、突進より射程が短く威力も低い。ただし、壁際では話が変わる。壁を背にした相手に体当たりを食らわせると、逃げ場がない。壁がクッションになるどころか、衝撃の逃げ場がなくなる。スロー再生で見ると、壁際で体当たりを食らった探索者は、壁に叩きつけられたあとそのまま崩れ落ちている。同じ体当たりでも、オープンスペースで食らうより明らかにダメージが大きい。


 さらに気になることがあった。


 ブルーボアは、壁際の探索者に対して体当たりを選ぶ頻度が高い気がする。動画を五本、十本と見ていくと、壁際にいる探索者にはほぼ必ずと言っていいほど体当たりが来ていた。


 偶然か。それとも——


(壁際にいると、体当たりを誘発するのか?)


 仮説が浮かんだ。


 ブルーボアは突進の助走距離を本能的に計算している、と俺は昨日の検証で感じた。距離が足りないと判断すれば突進をやめる。それと同じように、壁際の相手には「体当たりが有効」と判断する何らかの行動原理があるのかもしれない。


 壁際にいることで、逆に特定の攻撃を引き出している可能性がある。


 安全地帯が、攻撃パターンを固定するトリガーになっているとしたら。


(試してみるか)


 また潜りに行くのか、と思った。


 でも、一度気になったら駄目なのだ。


 ただ、昨日のコメントが頭に引っかかっていた。装備なしはまずい。昨日だってぎりぎりの場面が一回あった。あれでタイミングが少しずれていたら、検証どころじゃなかった。


 問題は金だ。


 俺はしばらく天井を見てから、リビングに降りた。


 母親が朝食の片付けをしていた。


「なに、めずらしい」


「装備、買いたい」


 母親が振り返った。


「ダンジョン用の。また潜りに行くから」


「またって、昨日も行ったじゃない」


「検証したいことがある」


 母親はしばらく俺の顔を見ていた。値踏みするような間があった。


「動画、続けるの?」


「続ける」


「誰も見てなくても?」


「見てなくても」


 また間があった。


「いくら」


「初心者向けのセットで、安いやつなら一万くらいだと思う」


 母親は少し黙ってから、財布を取り出した。一万円札を一枚、テーブルに置く。


「ちゃんと続けなさいよ」


「わかった」


「領収書持って帰ってきて」


「……わかった」


---


 ダンジョン用品を扱う専門店は駅前にある。初心者向けの基本セットを見ると、安いものでも一万二千円だった。


 二千円足りない。


 俺はしばらく棚の前に立っていた。


 結局、セットを買うのをやめて、胴体を守る薄いボディアーマーと手袋だけを買った。合わせて九千八百円。二百円余った。


 完璧じゃないが、昨日よりはましだ。


---


 菫野洞の受付は、昨日と同じ女性だった。


 俺の顔を見て、一瞬だけ目が止まった。それから胸元のボディアーマーに視線が落ちた。


「……昨日よりはましですね」


「まあ」


「次回までのオンライン講習は受けましたか」


「あ、まだです」


 また小さく息を吐かれた。


---


 二層に降りて、今日は最初から壁際に張り付いた。


 スマホを固定して、自分が映る位置を確認する。


「安全地帯、という概念があります。壁際や後方は敵の奇襲を防げるので安全だとされています。今日は、それが本当かどうかを確かめます。具体的には、壁際にいることでブルーボアの体当たりを誘発するかどうかを見ます」


 言ってから、少し補足した。


「昨日の動画で、懐に入ると突進を防げると言いました。それと同じ話で、こっちの位置取りが敵の攻撃パターンに影響している可能性があります」


 ブルーボアが通路の向こうからやってきた。


 俺は壁に背中をつけたまま、動かなかった。


 距離が詰まる。五メートル。四メートル。三メートル。


 ぐ、と地面を蹴る音。


 突進ではなかった。低い体勢のまま、まっすぐ突っ込んでくる。体当たりだ。


 速い。そう思ったときには、もう近かった。


 俺はぎりぎりで横に跳んだ。直後、ブルーボアが壁に激突する鈍い音が背後で響いた。壁が震えて、細かい砂が肩に落ちた。


 半歩遅れていたら、まともに食らっていた。


 心臓が飛び出るかと思った。


 でも、来た。壁際にいたら体当たりを選んだ。


---


 五体で試した。


 壁際にいると、四体が体当たりを選んだ。一体は突進を選んだが、そいつは距離が遠かった。


 オープンスペースで同じ距離から相手をすると、突進が三体、体当たりが二体だった。


 サンプルが少ないので断言はできない。でも、傾向はある。


 壁際にいると体当たりを誘発しやすい。そして壁際での体当たりは、逃げ場がない分だけ危ない。


(安全地帯が、一番やばい攻撃を引き出してる)


 帰りの電車で動画をつないだ。


 タイトルは迷わなかった。


 「『壁際が安全』は間違いでした」


 投稿ボタンを押す。


 家に帰って領収書を渡すと、母親は金額を確認して、二百円のおつりを受け取って、それだけだった。


---


 その夜、スマホを見ていたら、昨日投稿した動画に新しいコメントがついていた。


 「半信半疑で試したら、前より被弾しなかった」


 俺はしばらく画面を見つめた。


「あ、見てるやついたんだ」


 小さくつぶやいた。


 再生数は14になっていた。


 少しして、今投稿したばかりの二本目にも通知がついた。


 開く。


 「それ、ブルーボア以外でも起きるのか?」


 俺はその一行をしばらく見ていた。


 再生数より、そっちのほうが妙に嬉しかった。


 見ているだけじゃない。次を待っているやつがいる。


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