胡散臭い店主
人生には終わりがある。
それは誰もが理解しているはずの事実だが、目の前に突きつけられなければ普段は意識することがない。
定年退職してから半年。突如眼前に迫ってきたその事実をワシは平然と飲み込んだ。
さて、残りの人生をどう生きるか。
次の瞬間にはそんなことを考えていて、しかし頭にはなにも浮かんでこなかった。
夢のつづきを見にいこう
そう手書きで書かれた張り紙が目についた。一月も半ばの昼下がり、本格的な冬の寒さに身体が堪える頃、医者の帰りにふと立ち寄った商店街の中でそれを見つけた。
「なんだこれは。夢のつづきを見にいこう?」
思わず書いてある文字を読み上げながら、ワシは張り紙が貼られているビルを見上げた。
年季の入ったみすぼらしい三階建ての雑居ビルだった。経年劣化によって色褪せたコンクリートはヒビだらけでもう役目を終えているように見える。
ふと張り紙に目をやると「この先、二階」と書かれていることに気づいた。すこし小さめの文字だったから最初は気がつかなかった。加齢による視力の衰えは侮れない。
二階という文字に導かれるまま再び雑居ビルを見上げると、黒いカーテンがついていることに気づいた。今は開かれていて、窓の両側でまとめられている。
張り紙で案内されているということは、なにか店でもあるのか? こんな古びた建物に?
不思議と気になってしまい、ワシの足は吸い寄せられるようにしてビルの中へと向かっていった。目の前の階段から二階を目指す。古い建物だからか階段は一段一段がやたらと高く、二階まで上がる頃には息が切れた。年寄りには重労働だ。さっき身体を労わるようにと言われたばかりなのに。
息を整えながら左側にある扉を見ると、表にあったものと同じ文言の張り紙があった。
丸いドアノブに手をかける。ぐっと押し込むとそこまでの重みはなかったものの、ギイイという腕に伝わる感触には似つかわしくない重い音が響いた。
中は店か事務所のようになっているのかと思ったが、目の前に広がっていたのはやけに生活感のある空間だった。右側には台所とそれを隠すように大きな棚があり、左側には外から見えた黒いカーテンのついた窓と味のあるこげ茶色のソファがあった。正面にはテーブルが一つと椅子が二つ対面で置かれており、ワシと向かい合うようにしてお茶をすする人物がいた。
「お客さんですね。いらっしゃいませ。こちらの席にどうぞ」
正面の人物はお茶をテーブルに置いて立ち上がった。そして向かいの席をワシに勧めると、「お茶を用意しますので少々お待ちください」と言って台所へと向かった。
ここまでの道のりで歩き疲れていたワシはその勧めに応じて椅子に腰を下ろし、背もたれにコートをかけた。ややあってお茶がテーブルに置かれる。にごりのある薄緑色からほんのりと湯気が立っている。緑茶だ。一口すすると、ちょうどよい渋みが感じられた。
「初めまして。私は夢野と申しまして、ここの店主をしております」
向かいの席からうやうやしく頭を下げられた。
ふむ、夢野さん、か。
ワシはしばし夢野さんから目が離せなかった。自分の人生の中では出会ったことのない風貌の人物だったからだ。まず長い髪を後ろで括っていた。服装は奇抜ではないが、とても背が高い。なにより印象的なのは、まるでお面を被っているかのように表情が変わらないところだ。切れ長の目と上がった口角は常に微笑んでいるようでかなり胡散臭く見える。
「どうしました? 私の顔になにかついてますか?」
かすれた声はどこか落ち着いた雰囲気もあるが、見た目のせいでそれすらも怪しく感じる。
「いや、なんでもない」
ワシが言うと、夢野さんは「そうですか」と笑った。
「お客さんのお名前をお伺いしても?」
「ワシか? ワシは石原だ」
「石原さんですね。今日はようこそいらっしゃいました」
夢野さんは再び頭を下げる。
ふむ、礼儀はしっかりしているらしい。少しは話を聞いてもいいかもしれない。
「ここはどういう場所なんだ? 店なのか?」
「はい。ここはお客さんが願う夢が見られる店です」
「夢?」
「そうです。つかぬことをお訊きしますが、石原さんには見たい夢はありますか?」
「見たい夢、だと?」
夢。それは今のワシにとって最も縁遠いものだ。
「そんなものはない。ワシには必要ないものだ」
「ほう? それはなぜでしょうか?」
少し間をあけて、ワシは淡々と答えた。




