素敵な声の店主
外の張り紙に従って二階に上がると、塗装の剥がれた扉にも同じ張り紙があった。ビルの中は外の夕日の光がかろうじて入ってくる状態で、薄気味悪い雰囲気が漂っている。普段の自分であれば怖くて絶対に入ることはできないけど、また夢の中でスガッチに会えるかもしれないという期待が今のわたしを突き動かしていた。
わたしはドアノブにそっと手をかけた。そのままひねって力いっぱい押すと、扉はギイィと音を立てながらゆっくりと開いていった。
扉の奥に広がっていたのはお店というよりは一人暮らしの部屋のような空間だった。ここも明かりが点いていなくてよく見えないけど正面奥にはテーブル、そして椅子が二つ対面するように置かれている。右には大きな棚と隠れるように台所が見え、左には外から見えた黒いカーテンと黒か茶色か分からないけど大きいソファがある。
なにより目を引いたのはソファ上だった。暗くてよく分からないけど誰かが座って寝ている。
あれ? ここじゃなかったのかな。
いったん引き返そうと扉を閉めると、ギイィと音が鳴ってしまいソファで寝ていた人が唸りながら身をよじらせた。どうやら起こしてしまったようで、伸びをしながら立ち上がる。
「……いけない、うたた寝をしてしまいました」
寝ていた人は独り言のように言ってからリモコンで部屋の電気を点けた。パッと部屋が明るくなる。そこで初めてわたしの存在を認識し「あっ」と驚いた声を出した後、少ししてわざとらしい咳払いをした。
「いらっしゃいませ、お客さん。どうぞこちらへ」
まるでなにもなかったようにそう言って、奥のテーブルへと手招きする。
さっきまで暗くてよく分からなかったその人の容姿がはっきりと見えて、私はついじっと見つめてしまった。
二メートル近くある長身でスラッとした体形。長い後ろ髪は襟足のところで束ねられ腰の辺りまで下ろされている。服装は黒い無地のタートルネックに紺色のジーパンと落ち着いた装いで、モデルみたいに画になっている。中性的な顔立ちは男性か女性か区別がつかず、常に穏やかな笑みを浮かべているような表情は少し不気味にも見えるけど、怖さは感じなかった。
きっと声がいいからだろう。わたしは見た目以上にその人の声に引き付けられていた。少し低めのハスキーがかったやさしい声。似た声質の声優さんを知っていて、親近感のようなものも湧いていた。
「どうかしましたか?」
「あ、いえ、なんでもありません」
わたしは慌てて視線を逸らし、促されるまま部屋に入って手前側の椅子に腰かけた。
ハスキーボイスの人は「飲み物を用意しますね」と言って台所の方へ向かう。手持ちぶさたできょろきょろと部屋を眺めていると、嗅ぎなれた甘い匂いが立ち込めてきて、わたしは鼻を台所へと向けた。ほどなくして、ハスキーボイスの人はお盆に湯気の立ったカップを二つ載せて戻り、わたしとその向かいの席に置いた。
「ホットココアです。最近急に寒くなったので温かい飲み物が恋しくなって、よく作ってるんですよ」
わたしは思わず、わぁ、と小さく声を漏らした。やっぱりココアだった。いい匂い。
ありがとうございます、とお礼を言ってから両手でカップを持ちゆっくり口に運ぶ。口当たりがなめらかで、深い香りが鼻に抜ける。冷えた身体が内側から温まっていくのが分かり、一口飲み終えるとほっと息が漏れた。気づけばハスキーボイスの人も目の前の椅子に座りココアを堪能している。わたしと同じように一口飲むとカップをソーサーに置き、丁寧に頭を下げた。
「申し遅れました。私は夢野といいます。この店の店主です」
やっぱり素敵な声だな。名前は、夢野さん。
「天野千沙です」
わたしもぺこりと頭を下げる。同時に夢野さんの言葉も思い返していた。このお店の店主って言っていたよね。
「あの、ここってどういうお店なんですか?」
わたしが訊ねると、夢野さんはまるでその質問を待っていたかのようにニヤリと笑った。
「ここはですね。お客さんが望んだ夢を見ることができる店です」
それって、もしかして。わたしは期待を胸に夢野さんを見た。
夢野さんはしたり顔のまま続ける。
「天野さん。続きを見たい、もしくはもう一度見たい、そう強く願う夢はありませんか?」
……ある!
わたしは真っ先にスガッチと過ごした夢を思い出した。あの夢をもう一度見られるなら、さらに先の展開を願えるなら、わたしはその一心でここに足を踏み入れたのだ。
だからわたしは夢野さんの問いかけに「あります」と力強く返した。その答えに夢野さんは「おお!」と声を上げる。
「それは素晴らしい。即答されるお客さんってあまりいないんですよ」
夢野さんはそう言って席を立つと右側の大きい棚へと向かい、なにかを取り出した。なんだろうと思って目で追うと、夢野さんは取り出したものをテーブルの上に置いてそっとわたしの前に押し出した。
……紙とペン?
目の前に置かれたのはA4くらいの大きさの白紙と黒のボールペン。特に変わったところはなく、ここに来る前に寄った文房具屋にもありそうなものだった。
訳が分からず説明を求めるように夢野さんに視線を向けると、夢野さんは意図を察知したのか説明を始めた。
「夢を見る方法なんですが、実はとても簡単なんです。この紙に見たい夢の内容を書いて、それを枕の下に置いて寝る。それだけです」
え? それだけ? まるでおまじないみたい。
「それで、本当に好きな夢を見ることができるんですか?」
ぽろっとこぼれた疑問に夢野さんは大きくうなずき、詳しい説明を続けた。
どうやらこの紙には夢の内容の他に自分の名前と夢を見る日時を書く必要があるみたいで、書いた後は言われた通り枕の下に置いて寝るだけで目的の夢を見ることができるとのことだった。ちなみに紙は役目を果たすと自然に消滅するらしい。知れば知るほど魔法のような話で、わたしはワクワクしながら聞き入っていた。
「それでは、実際に書いてみましょうか。新規のお客さんということで、初回は無料とさせていただきます。書き終わりましたら教えてください」
夢野さんはそう言ってカップを手に席を立った。窓際でココアを飲みながら外を眺めている。
それが書きやすくするための配慮だとすぐに分かった。わたしはペンをとり、スラスラと書き進めていく。日時は今日の二十三時から明日の七時。内容はもちろんスガッチとのデートだ。あの夢をベースにもっと踏み込んだことができるようにしておいた。
「書き終わりました」
そう言ってペンを置くと、夢野さんは「さすが。見たい夢が決まっているだけあってお早い」と言って、残りのココアをくいっと呷る。
「紙は破れないように注意してください。折ってもらうのは問題ないです。あとは、枕の下に置いておくのを忘れずに」
わたしは学校でもらうプリントを入れるクリアファイルに紙を挟んで鞄にしまった。少し冷めてしまったココアを飲み干してから立ち上がると、夢野さんはいつのまにか扉を開けてわたしを送り出す準備を整えていた。
「今日はありがとうございました」
夢野さんは丁寧に頭を下げる。
「いえ、こちらこそ、ありがとうございました」
すかさずわたしも一礼した。
美味しいココアをごちそうになって、面白い話も聞けて楽しい時間だった。気持ちに余裕があったおかげで、外の階段は弱い照明のせいで薄暗かったけど怖くなかった。
ビルの外に出ると日はだいぶ落ちていて、夕方と夜の境目みたいな感じだった。商店街は街灯によってぼんやりと照らされている。
ずいぶん遅くなってしまった。わたしは焦りを感じ、小走りで帰路についた。




