第漆話 父なる神
現在、夜の九時を少し過ぎた頃。
望海達は生田にある異国料理店が集まる場所までやってきた。
都築程の規模ではないにしても、地元民や観光客もまだ滞在しており各々、楽しんでいるようだった。
望海は周囲を警戒し、辺りを見渡しているが瑞穂が彼女の肩を二度軽く叩き、警戒心を和らげる。
「大丈夫よ、望海ちゃん。夜間とはいえこれだけ人がいたら相手も何も手出し出来ないわ。ただ...どこからか視線を感じるのよね」
そのあとの事だった、聴覚の良い隼はこの人混み、様々な方向から話し声が飛び交うにも関わらず不気味な声をキャッチする。
『いるぞ、あいつらだ』 『黒蜥蜴』 『女もいるのか』
『中々の美人だな。俺の花嫁に』 『子供を産ませれば』
「...これはまた。大変な事になったな。人魚は男を狙って来たが、向こうは女を狙ってくるのか。こんなのが町中にいたら出歩けなくなる。威嚇射撃でも入れておいた方がいいか?」
隼の隣にいた剣城はその会話を聞いて、彼にこんな案を出した。
「隼、今のまま敵を攻撃するのは危険だ。相手も何人いるのか分からない。肥後でも目撃情報がある以上、増援を呼ばれる可能性もある。まずは偵察だ。試してみたい事がある」
剣城はトンボの模様が彫られた弾丸を拳銃にセットする。
【Code:007 承認完了 メガネウラを起動します】
古にして最大のトンボであるメガネウラは羽を広げれば三十センチにも及ぶ種族だ。
希輝達も行動範囲が増えた事により、偵察の重要性を察知し剣城がその役割を担っているようだ。
それがこの街中に飛び立つ、相手はどんな反応をするだろうか?
「まぁ、剣城君凄い!やっぱり名前にメガネが入ってるからシンパシーを感じちゃったのかしら?」
「瑞穂さん、メガネ・ウラじゃなくてメガ・ネウラと区切るんだ。ほら、最大の物をメガと言うだろう?それと一緒だ。成る程、一箇所だけ、特に人が集まっている場所があるな。コイツらのアジトという事か。海鴎が言っていた教団の支部かもしれない。隼、まとめて蹴散らすなら此処だ。望海や瑞穂さんは出来るだけ此処から離れた方がいい。狙われる可能性がある」
しかし、望海は首を横に振った。彼女には何か策があるようだ。
「いいえ、私も行きます。女性が狙われるというのなら男性に変身すれば良いだけの話ですから。折角なら、強そうに見える男性がいいですね。何かリクエストがある方は?」
「咲ちゃん!」 「...颯先輩」
「じゃあ、じゃんけんで決めましょう」
【Code:700 承認完了 狸の八変化を起動します】
「...全く、面倒な事に巻き込まれたな。おい、隼!早く、奴らをぶっ倒しに行くぞ」
「凄い、颯先輩そっくりだ。流石、望海。演技も上手いんだな。でも、颯先輩はもう少し口調は優しいと思う」
じゃんけんの結果、隼が勝ったようで望海は颯に扮しているようだ。
負けた瑞穂は少し、しょげた顔をしているようだ。
「瑞穂、あんま落ち込むなよ?後で、やってやるからさ。意外だわ、皆んな本物の方が良いとか言いそうなのにな」
「そうそう、颯先輩はそんな感じ」
瑞穂への会話をまるで自分の事のように隼は思い、望海の発言をチェックしているようだ。
「えぇ!だって、咲ちゃんが側にいてくれたら心強いに決まってるもの。でも、本当に凄いわ。細部まで颯君にそっくり。私は大丈夫、心配しないで。これでも鍛えてるんだから!」
瑞穂は腕まくりをし、立派な筋肉と力こぶを見せている。
「これでも、と言えるレベルではないと思うけどな。さて...この場所か。銀河、君はここで瑞穂さんと待っていてくれ。何かあったらその場から脱出出来るように。俺と隼達二人で向かう」
「分かりました。お気をつけて」
三人で教団のアジトに潜入すると、磯のような異臭がする。
まるで自分達が海の中にいるような錯覚に陥った。
「ヤバいなこれ、想像以上だぞ。うっ、吐き気が」
無理もない。その証拠に隼も剣城も顔を顰めている。
そんな時だ、三人は更に奇妙な物を見る事になる。
何かブツブツと呟きながら、何かに祈りを捧げる男達がいるのだ。
その崇拝する先にいたのは、目の前の男達の二、三倍の大きさの化け物。それが描かれたタペストリーだった。
その姿は魚人そのものであり、魚のように剥き出しになった二つの瞳、鱗で覆われ、鰓のある体。二足歩行を貫いているものの足には水掻きがある。
この異様な光景に三人は恐怖した。
しかし、立ち止まってもいられない。
この中ですぐさま動いたのが望海だった。
「...さあて、コイツらがもし人魚と一緒なら。コイツも勿論、効くよな?」
懐から赤い弾丸と拳銃を取り出し、それを怪物達へと当てがった。
『誰だお前たちは!?まさか、例の黒蜥蜴か!?』
『そんな拳銃で俺達が殺せるとでも!?寿命など意味をなさない俺達に向かって!恥を知れ、黒蜥蜴ども!!』
しかし、その意を介さず望海は発砲を開始した。
【Code:700 承認完了 磯天狗を起動します】
河童からの火の玉を受けた魚人達は悲鳴を上げ、恐れ慄いていく。
「ビンゴ、児玉のおっさんに習った甲斐があったぜ。おい、隼!今のうちだ思いっきりやれよ!」
「言われなくとも!」
隼は見慣れない桜の紋にその色をした弾丸を詰める。
それを上空へと放った。
地面には稲妻が迸り、上からは桜の花弁は儚くも舞い散る。
そのあと、仲間達が動かなくなってしまった。
いつものような力強い隼には見慣れない、美しく繊細な技である。それを見た魚人達は彼を嘲笑った。
『グェ、グェ。ギャハハ!!何だよ!黒蜥蜴も雑魚だな!早くコイツらを捕まえてあの方に...』
「...そうだな。俺も以前はそう思ってた。でも、あの人は強く美しい。この桜のように」
【Code:005 承認完了 日願桜を起動します】
突如として周囲に結界がはられる。
そこで隼は仲間達を外に置き、自分と魚人達だけで対峙していた。これは隼の固有結界、彼の心を示す場所でもある。
夜空の元に一つの枝垂れ桜が舞う。
それは全てを魅力する。隼もその敵達も。
しかし、それは無慈悲にも崩れ去った。
天から、地面から周囲を包み込むように電磁波が起きる。
隼以外は皆痺れ動けなくなり、中には感電し焦げ臭い匂いを放つ者もいる。
広範囲、周囲を巻き込む事のない強さと優しさを兼ね備えた彼の新技だ。
「俺らしくないと言われればそうだけど、皆の思いを受け継いて先の未来へと繋げるのは嫌じゃないかな」
結界が解ければ、目の前には倒れた敵が現れる。
時間が止まっているが為に、周囲の人達は皆、隼が技を発動する事を知らない。まさに秘められた技ともいえよう。
そのあと、魚人達の意識が全員ないことを確認し、望海は変装を解く。
そのあと、瑞穂や銀河とも合流し、教団及びその会場である改造された教会内を探索する事にした。
窓はステンドグラス以外、全ての窓の入り口が木の板や釘で打ち付けられており、規則的に並べられた数台の蝋燭立てが目印だ。
やはりと言うべきだ、この魚人達は闇夜。深海のように暗い場所を好むのだろう。
そして、やはり目に留まるのは先程信者が拝んでいた大きなタペストリーだろう。瑞穂さえも、この絵を見て思わず息を呑んだ。
「これを...この人達?は崇拝していたという事よね?」
目を見開き、周囲に彼女が問いかけると剣城が状況説明をしてくれた。
「俺たちが此処に入った時、この絵がまず目に止まった。折角だ。証拠品として協会に持って行こう。愛さんやDr.黄泉が鑑定してくれるかもしれない」
「皆さんに見せるのは忍びないですけどね。だとすれば、都築辺りも危険。と言うより、この騒動でこの魚人達が警戒度を上げてくるのは目に見えています。出来るだけ、早くこの場から立ち去りましょう。銀河さん、どこか良い隠れ蓑はありますか?」
望海が銀河に話を振ると、参区の地図を開きある場所を指差す。
「元々、天体観測の会場にと思ったんですが。望海さんや隼さんが読書をされたいと言うことで夜間に解放している図書館があるんですよ。此処を隠れ蓑にすると言うのは如何ですか?」
「良いわね!正直言って私達もパニックになってるし。精神的にもそうだし、肉体的にも疲労してる。調べ物もしたいし、行ってみましょう」
瑞穂の言葉に従い、五人は次の地点。夜間図書館へと向かった。