パニックin theスカイ
第九話 空の上
魔界、霊界、人間界の時間の流れは恐ろしいほど違う。
時差なんてものじゃない。
とある二人の会話を取り上げると、こういうものだ。
「今クリスマスだって?いや、こっちは鏡開きだぞ!」
という感じだ。
それが繰り返されるとどんどん差が開いていく。一番面倒なのが、うるう年だ。四年に一度といっても平成なんてものになっているのだから相当離れているだろう。
しかし体感の時間ではあまり変わっていない。メカニズムはわからないが、とにかくよくわからないことになっている。
そんなよくわからないことを師匠に教授してもらいながら僕たちは海外出張のため、飛行機の出発を待っていた。
師匠は隣に座って饅頭を頬張っている。
「あ、アナウンスが流れ出しましたよ。そろそろですね、師匠」
「ん。ほうはは」
「……飲み込んでくださいよ。飛び立つとき、Gがかかって大変なことになりますよ」
そう言って僕はお茶のペットボトルを差し出す。彼は頷いてお茶を飲み出した。
「そういえば師匠は飛行機に乗るのは初めてなんですか?」
「おう。楽しみだな」
「怖いって言うかと思いました」
「オレに怖いものなんて無いぞ」
師匠はぶっきらぼうに答えるが、ガッツリ窓の外を見ているので相当楽しみなのだなと思い、顔がほころんだ。
しばらくしてポーンと音がし、飛行機が動き始めた。僕は興奮する師匠を押さえながら携帯の電源を切った。
そしてGがかかりだした。
「うぐぐ……この絶対に耐えなければならない試練……人間は自らこんなに大変な試練を作り上げたのだな……」
いかにも苦しそうな顔をする師匠。だが、僕は慣れたもので雑誌に手を伸ばそうとしていた。
「黒池!やばい!アンコが!!」
「だから言いましたよね?!食べないでって!!」
僕は師匠の胃からアンコが逆流してきているのかと想像した。
「違う!落ちそう!」
「……また買ってあげますから」
師匠は箱を抱えている。
……あ、はい。察しました。
というか本当に和菓子が好きだな……さすが昔の人……。
しばらく空の旅を楽しんでいると、師匠が肩を叩いた。眠っていた僕は不機嫌そうに「何ですかぁ……?」と言ったが、師匠の嬉しそうな顔に、その不機嫌さは掻き消えた。
「見ろよ!海だ!知ってるか?この広大な海の先にはあの魔界が広がってるんだぞ」
「そうなんですか?確かにスクーレさんが『海』がどうたらこうたらって言ってましたね……」
僕はスクーレさんと初めて会ったあの時を思い出しながら言った。
この師匠の喜びよう……嘘ではないようだ。
「……いつかあの部署のみんなと海に行きたいな」
師匠の珍しく大人しげな声に驚いた。
窓の外を見る瞳は寂しさと希望に満ちていた。
「……そうですね」
僕はその光景を想像しながら眠りにつこうとした。
……その時だった。機体が激しく揺れたのだ。
「な、なんだ?!」
「師匠!!」
周りの乗客たちも驚き、騒ぎ出した。もちろん師匠も然り。
「まずは周りの人間の安全と己の安全だ!恐らくこんな揺れではパイロットも何が起こったのか調べる前にお陀仏だろう!黒池!叫べ!」
師匠はすごい剣幕で叫ぶ。少しパニクっていた僕は我に返り、乗客たちに指示を投げ掛けた。
「皆さん!落ち着いてください!まずは深呼吸して、僕の指示に従ってください!」
叫んでいると、ガラの悪そうな男の人が僕に向かって叫び返した。
「おい、兄ちゃん!さっきから偉そうに、何なんだ、お前!」
「僕は刑事です!皆さんの命を守る義務があります!」
「刑事だぁ?ならこの揺れを止めろよ!『命を守る義務』があるんだろ?!」
「ぅ……それは……」
こんな大きな飛行機を支えるなんて人間にできることじゃない。でもそうでもしないと……。
僕が下を向いて尻込みしていると、背中を師匠に叩かれた。
「どけ」
「で、でも……」
「いいから、お前は後方座席の人らを助けろ」
僕は師匠に押され、師匠は僕と男の人の間に入った。
「なんだ、お前。チビなんかに用はないんだ。後ろの刑事を出せよ!」
「まぁ落ち着けよ。あやかしに目をつけられたくなければさっさと助けを乞うことだな」
「何を____」
顔を真っ赤にした男が師匠に飛びかかろうとした瞬間、再び機体が揺れた。師匠と男はバランスを崩し、師匠は座席に体をぶつけ、男は座席と座席の間に倒れ込んだ。
乗客たちは恐怖を露わにして叫ぶ。僕も腰が抜けて上手く立てなくなっていた。
もうここまでだ、と覚悟したその時、アナウンスが響いた。パイロットからだ。
『皆様、落ち着いてください。頭上にある酸素マスクを指示通りに装着してください。本機はこれより予定通り、ドバイの空港に着陸します。繰り返します。本機は____』
「ドバイ……?これから行くエジプトまでの経由空港ですか……」
僕はやっとの思いで座席に座り、酸素マスクを装着したあと呟いた。
師匠は、と見ると足を曲げたまま床に倒れ込んでいた。
「師匠、大丈夫ですか?立てますか?」
僕は手を伸ばす。すると師匠は両手で足を庇うようにしていた。
「くそっ……さっきの揺れで足を挫いちまった……こんなとこに下駄で来るんじゃなかった……」
なるほど、不安定な下駄のせいで倒れた時に足を捻挫してしまったのか……って、なるほどじゃない!どうにかしないと……!
「おい、兄ちゃん」
「!」
先程口論していた男だ。一体何をしようというのだろうか。
「さっきはよ……すまんな。兄ちゃんの剣幕と勇気、すごかったよ」
「そ、それはどうも……あの、何か?」
僕は恐る恐る聞くと、男は酸素マスクを外し、師匠の方へと向かった。
「く、来るなっ……!」
「安心しろ、オジサンは医者だ。……ふむ、捻挫しているようだ」
「……だから何だってんだよ。そんなこと百も承知だ!……痛っ!!」
師匠は焦って身をよじるが、逆効果で、さらに足を痛めることになった。
「動くな。誰か雑誌を持ってないか?添え木代わりにするからな」
男の言葉にやっとのことで落ち着いた乗客たちはまたざわめきだした。すると一人の少女が座席に入っていた雑誌を手に、細い腕を伸ばした。
「……これ、着物のお兄ちゃんに使ってあげて」
「ありがとう」
男はテキパキと師匠の右足に雑誌を添え、シャツを食い千切って包帯代わりにしてくれた。そして僕の隣に座らせてくれた。
そんな男を見て、師匠は目を逸らしながら口をモゴモゴとさせた。
「……なぁ。その……ありがとな。助かった。まさか医師とはな……江戸とはまた違った治療法だ。時代の流れを感じたよ」
師匠の一言に僕は固まった。
心情を簡単に言えば、明日槍でも……いや、隕石でも降るのではないか、ということだ。なぜなら師匠は人間を恨んでいるらしいからだ。
「……あの師匠が人間に礼を……!」
「な、悪いかよ!オレだって成長してるんだからな!」
「えぇ?師匠ってば一体何歳なんですか……」
「お、教えられるわけねーじゃねぇか!」
僕と師匠の掛け合いを見た男は、戦場の兵士を癒したナイチンゲールのように微笑んでいた。……まぁ男だが、まさにそんな彼女のような存在だと僕は思ったのである。
そしてギリギリでドバイの空港に到着した。
飛行機はすぐに修理に出され、当分は出発できないだろう。
僕と師匠は飛行機から降り、僕は師匠を背負いながらダッシュであの男を探した。
「黒池!あそこだ!見えるか?」
足以外は元気な師匠の指示が飛ぶ。
よく見ると、師匠が指差す方向にあの男が見えたので、僕は彼の元へと駆け寄った。
「あのっ……先程はありがとうございました!あの……なんて礼を申し上げたら……」
「いいんだ。医者として当然のことをしたまで。お代もいらないよ。それに……」
「それに?」
ついさっきまで笑顔だった男の顔に陰りが見えた。そして僕に耳打ちしてきた。
「兄ちゃん、川崎さんのとこの子だろう?あの人に少しでも恩を売ろうと思ってね」
「先生のこと、知ってるんですか!?」
僕は周りの目も気にせず、大きな声で叫んだ。
先生。大好きな先生。僕が刑事になるための試験の直前に姿を消した先生。
そんな先生と繋がっている人が目の前にいるなんて信じられない。夢みたいだ。
「……先生、先生ねぇ。随分と懐かれたもんだな。だが、今の居場所はオジサンにもわからん。ましてや……いや、やめておこう」
「やめておこうって、何でですか?!教えてください!僕……何でもしますから!!」
僕は頭を下げた。
後ろにいる師匠のことなんて考えもせずに。
数秒間頭を下げていると、耳元で師匠が呟いた。怒気を含んだ低い声に思わず背筋がビクビクっとなる。
「黒池。仕事中だ」
「……で、でもっ……」
「その川崎って奴にはあとからぶつかる気がする。帰ったら調べよう。だから今は仕事に集中しろ。わかったな?」
早口で捲し立てる師匠。僕は勢いに乗せられ、「……はい」と答えてしまった。
「そういうことだ。世話になったな、医師よ」
師匠は無邪気に手を振り、再び僕の背中に体を預け、眠ってしまった。
「もう、師匠ってば……なんかすいません」
「いいんだ。ほら、そろそろ飛行機が来るだろう。早く乗りに行きなさい」
「はい!では、ご縁があれば」
僕は師匠を起こさないように一歩ずつゆっくり歩いていった。
その背中を男はずっと、ずっと見ていた。
どうも、グラニュー糖*です!
現在、「怪奇討伐部完結直前・pixivと同じところまで進める祭り」を開催しております!
こっちでは表紙を載せられないことが本当に残念ですが、楽しんでいただけると幸いです。
本当はイラストを見て読むほうが良いんですけどね!
なお、pixivからそのままドンしてるのでルビやら何やかんやがpixivのコマンドのままになっている場合があります。それを見つけた際はお手数ですがお知らせしていただくととても嬉しいです。もちろんコメントなどもお待ちしております!
ではでは〜