いつものお客がおかしい
バーテンダー目線
いつも一人でふらりとやってくるお客様がいるのだが、彼がおかしい。
何を隠そう彼の存在が理由で、私はバーテンダーを続けることにしたのだ。
私は、一流ホテルのバーで修行をしており、中々に才能もあったのだと思う。
バーを持つとなった時も支援してくれる方もすぐ見つかり、修行の時の伝手で酒の仕入れもできたため比較的良い品質の酒を入荷することもできた。
そのおかげか開店後の評判も良好で経営自体も問題はなかった。
しかし、評判が高まるにつれ、酒を味わわずに飲む客が増えた。
それどころか泥酔して店内で騒ぐ客や無茶なサービスを求める客などもいた。
自分の出す酒の味に自信があっただけに私はショックが大きかった。
何のために修行したのか、店を出したのか、もう店を畳んでしまおうかなどと考えていた。
そんな時、ふらりと彼が来たのだ。
彼の容姿は極めて平凡で、ごく普通の一般人としか言えなかった。
彼は、特に酔っている様子もなく、カウンターにつく際にカウンターを傷つけないように時計を外していた。
そんな姿を見て、久しぶりにマナーの良い客だと思い気を良くした私は、彼のオーダーに従って手際良くウィスキーのロックを出した。
彼は、酒を目前にすると目を爛々とさせ、香りを楽しンんだ後、口に含むと本当に嬉しそうな顔をしていた。
その後、彼は、私にお勧めの酒はあるかなどと楽しそうに聞いてきたので、私なりのお勧めやその特徴を話したりと会話を楽しませてもらった。
そんな酒自体を楽しむ彼の姿を見て、私は、一握りでも私の出すお酒を楽しんでいてくれる限りは店を続ける価値があるのだと思うことができた。
それ以来、彼は不定期でやってきては、美味しそうに酒を飲みながら私と会話をするようになった。
不思議と彼が来たあたりからマナーの良くない客の数が減るようにもなったので、私にしてみれば色々と恩義を感じる客である。
今のところ、特に接点はないようだが、実はうちの店でも彼に好意を持つ他の女性客がいる。
彼は静かに飲んではいるが、飲んでいる姿は本当に嬉しそうで、見た目が平凡的なのもあって安心感があるせいか、見ていて癒されるので気持ちは分からなくもない。
好意を持つ女性客らも良い子が多いので、誰かと付き合うようになったら良いのではないかなどと思ってはいた。
しかし、そんな彼が突然変わった。
といっても、何かが変わったかというと言いづらい。
こう言うと失礼だが、平凡的な容姿も変わらないし、不定期にやってくることも変わらない。
けれど、まずお酒を出す際に言いようのないプレッシャーを感じるのだ。
彼自身はいつもと同じように本当に嬉しそうに飲んでおり、普段と変わらないのだが、酒を造っている方々にあえてそのお酒を出すというか師匠に酒を出すというか、お酒を出すのに一つのミスも許されないような気がするのだ。
また、これまでは飲んでいる姿が本当に嬉しそうでこちらも癒されていた。
最近では、飲んでいる姿を見ているだけでこちらの悩み自体が解決し、今後も問題ないと思えるだけの安心感すら感じる。
お酒を出す際のプレッシャーもあってか、私にとっては至高の幸福感すら感じるのだ。
いつも彼の姿に癒されていた他の女性客も、これまでは話しかけようとしていたのに、最近では近寄っていいのかどうかためらう様になったが、それでも目を離せないようである。
彼に何があったのか?気にならないと言えば嘘になるが、本人が話そうと思わない限り、バーテンダーとして聞き出すような真似はしようとはしない。
それが私のバーテンダーとしての矜持だからだ。
私はバーテンダーとして彼に最高の酒を提供し続けるだけだ。
そして、今夜も私は彼にお酒を出して、プレッシャーと得も言われぬ幸福感を感じるのだ。
行ってらっしゃいませ、お客様。