24 成長と現実
ずしーん、ずしーん。
石の通路の向こうから、巨体を左右に揺らして影が迫る。
《重鈍鬼》トロール――。
動きこそ鈍重。
だが、じりじりとバックしてくる大型トラックのような迫力があって侮れない。
「トロールは、第1階層の魔物の中じゃ飛び抜けて高レベルだからな。普通は戦いを避けるものだが――よっ!」
地面を蹴った次の瞬間には景色が変わっていた。
振り返ると、ついさっきまでいた場所がずっと後方に見える。
真っ二つになって左右に分かれるトロールの向こう側で、ネコカとチユが凍りついていた。
「倒すほうが早いんだよな。断然」
「あなたの場合はそうでしょうね……。1秒かかんないもの。実際」
ネコカが地面の赤くないところを踏んでやってきた。
微妙に距離感が遠いのは、俺に近づくと三枚おろしにされると思っているかららしい。
「トロールって良モンスだよな。町から徒歩数分で会えるし、素材もそれなりの値で売れる。俺用の飯代になっていたんだが、最近はめっきり数が減った」
「誰かさんが飯代にするからよ。トロール素材も値崩れしていたわ。誰かさんが馬鹿みたいに持ち込むから」
「その誰かさんは剥ぎ取りで忙しい。ネコカ、あっちのほうは任せた」
今日はトロール・デーらしい。
気前よく2体もやってくる。
「任せたって私が2体ともやるの?」
「いけるいける」
討伐推奨Lv.15。
単純計算だと、足し合わせてもネコカが上だ。
「辛くてつまらん剥ぎ取り作業は俺がしておくから、楽で楽しいトロール狩りはお前に譲るよ」
「私の価値観とは逆ね……」
「ぜひとも前回の課題、ツインケティ連携を見せてほしいところだな」
発破をかけるとネコカはすぐ乗った。
魔爪がギュン、と伸びる。
「いいわ! 私たちの阿吽の呼吸でド肝抜いたげるッ!」
「盛大にズッコケるフラグ?」
「違うわよッ!」
クラウチング・スタートの姿勢から小さな体が動き出す。
「練習通りいくわよ、スマホッ!」
「ご主人、了解ですニャ!」
「ごひゅ、りょニャァー!」
ツバメのような低い軌道から一気に壁を蹴って上へ。
トロールに向かって大跳躍。
やがて、体は落下に転じ、十指の先で爪がその熱量を増す。
ヒヤッとした。
あれではトロールの石柱棍棒フルスイングでカッ飛ばされる、と。
柵越えして外野スタンドに突き刺さるネコカの姿を幻視した。
しかし、そうはならなかった。
ネコカの肩口から黒い影――スマホが飛び出す。
「「ニャロリッ!」」
と4つの眼が紅輝を放てば、途端にトロールは石化したように動きを止める。
その顔は恐怖におののいていた。
俺直伝《畏怖の魔眼》をくらったのだ。
「双剣技《溜め叩々鬼斬り》――ッ!!」
エビ反りジャンプ姿勢からネコカの魔爪に必殺の力が乗る。
チラ見えしたおへそがSOキュート!
トロールの脳天から股間まで十本爪が残酷な赤線を刻み込む。
肉のファスナーが開いた。
むわっとした熱気とともに中身がこぼれ出て、とぐろを巻く。
超グロい……。
腸だけに。
「あと、もう1体ッ!」
ずしぃん、と巨木のようにトロールが倒れるその横を抜け、ネコカは再度加速する。
「あれ、やるわよ! スマホ!」
「承知ですニャ! ご主人!」
「しょちニャア! ごニャア!」
ドロン――!
スマホの姿が忽然と消えた。
通路に積もった砂の上に肉球のスタンプが点々と押されていき……。
不意に何もない空間から青と黄の閃光が飛び出す。
《隠霊身の術》からの水雷ブレス。
もともと鈍重で的がでかいトロールにこれは必中同然だ。
首の後ろ――頸椎に、もろ直撃。
白目剥いて前のめりに倒れるトロールを輝く爪が迎え撃つ。
大岩の罠みたいに首が通路を転がった。
お見事。
流れるような連携だった。
「完封勝利だな!」
「ケンゾーのおかげよ!」
振り返りざまに勝利のV。
血の桜吹雪の中、ネコカは白い犬歯を輝かせている。
「正直、持て余していたのよね、《溜め叩々鬼斬り》って。大威力は魅力だけど、溜めが長すぎて実戦向きじゃないもの」
「チラ見せじゃモンスターは喜ばないしな」
「ど、どこのことよ……!?」
「おへそ」
「ひっ……」
ネコカは血色をよくして裾を引き下げた。
「でも、うまい組み合わせだったな。溜めモーション中は移動に制限がかかる。だが、ジャンプ中なら関係ない。放物運動に従って距離を詰められる」
「あとはこの子の魔眼で隙を埋めてもらえば、大技を安心して真っ正面からブチ込めるってわけ! 尻尾でバランスを取るのもコツよ! いつも逃げるしかなかったトロールをまとめて2体も倒しちゃったわ! ああー、痛快って感じ!」
ネコカはスマホを万歳して創作ダンスで快哉を叫んでいる。
また、おへそがチラ、チラ……。
俺は心のいいねボタンを連打した。
チャンネル登録も忘れない。
「連携って大事ね、ケンゾー。いいアドバイスをありがと。少し自信がついたわ」
「なんのなんの。俺もお腹いっぱいなんで」
「……何か食べたの?」
魅惑のへそチラが布に隠された。
俺は明けぬ夜が来たような気分になる。
悲しい。
「お二人とも、すごいです!」
チユが無邪気な子ウサギみたいに俺たちの周りを跳ね回っている。
「もしかして、ケンゾーさんとネコカさんは凄腕の冒険者さんなんですか!?」
「おうとも。そうさ。まさしく。すなわち。俺ほどの冒険者はまあ浜の真砂を千々に砕いたくらいしかいないんじゃないか」
「だいぶ多いわね……。胸焼けがするわ」
ネコカはすごく嫌そうだ。
自転車を漕いでいたら蚊柱に突っ込んだって表情。
実際、俺レベルのプレイヤーはそのくらいいる。
かつては、の話だが
「ネコカさんもかっこよかったです! あんなに大きなモンスターをあっという間に倒してしまって! わたし、尊敬します!」
「ニャたくしもご主人を尊敬してますニャ!」
「ニャーもごしゅニャけ、まますニャあー!」
「別に尊敬なんていらないわよ。私はケンゾーのアドバイス通りにやってるだけだし……」
ネコカは初めて女子と話した男子みたいなウブな色めきを見せた。
しかし、不意に虚無顔になる。
「はあ、何やってんだろ私。ノンプにヨイショされて気持ちよくなっちゃって。凶悪なデスゲームの最中だってのに」
ネコカの目の奥が赤く明滅している。
俺からは見えないが、視界には警告表示が出ているのだろう。
「明日の保障もないのに命懸けでノンプなんか助けてさ。ほんと馬鹿みたい。ねえ、知ってるケンゾー。プレイヤーの中にはノンプと結ばれて子供を作った人もいるのよ。いくら本物そっくりだからってダッチワイフと夫婦ごっこなんて人類の汚点すぎるわよ。気持ち悪い……」
「すげえ毒吐いたな……。おいで、スマホ。汚言葉が会話ログに残ると大変だ」
浮かれた分だけネコカは沈んでいるようだった。
友達と遊んでいる最中に大学受験のことを思い出した限界受験生みたいな顔をしている。
「目的意識が大事だと思うぞ」
俺は駆け出し塾講師風の曖昧で無責任な助言をすることにした。
「回復役のチユがそばにいてくれるんだ。医者同伴と思えば安心してレベリングできるだろ。千里の道も一歩からだ。4.2光年かかるからってずっと地球に留まっていたらプロキシマ・ケンタウリbには一生たどり着けないぞ。宇宙人に逢いたいんだろ?」
「……そうね。ごめんなさい」
ネコカの焦りもわからなくはない。
現実に戻りたい人間にとって、ゲームでの1日は現実と引き換えに得たものだ。
ネコカは殺処分されるかも、という愚にもつかない妄想を抱いている。
ふとした瞬間に、ギロチンの下で踊る狂人の気分になるのだろう。
「あ、あの……」
チユが不安そうに俺たちを見つめている。
わたし、余計なこと言ってしまいましたか? と表情に書いてある。
「いや、悪いな。メタ発言って没入感を台無しにするまあまあ最低な行為だよな。マナー守れってネコカにはキツく言い含めておくから」
と言った俺にも無慈悲な警告の雨が降り注いだのだった。




