(6)電子感染
食欲がない。黒人形を見た時からずっと、お茶以外を口にできなかった。
それでも私は吐きそうになりながら、思い思いに大阪の料理を口にした。濃い味付けのおかげで、薄らと美味しいと思えるのが救いだった。
たこ焼きを食べているはずなのに母の豚の角煮の味がした時は笑ってしまった。写真を撮って家族に送ろうとしたが、やめた。
日が暮れてきたのでホテルへ戻る。
路地の暗がりが、車の照明に照らされるたびに不気味に蠢く。私は何度も悲鳴を飲み込みながら、できるだけ明るくて人が多い道を選んだ。
朝川はもう私の手を引いてくれない。だが、ネイルが手の甲に食い込むぐらい、私を掴んで離さなかった。その痛みがまだ救いだ。肩がぶつかるだけで化け物扱いされるより、遥かにマシだ。
蛍光ピンクに怯える人垣を切り抜けるのは、もう私の仕事だった。
煌々と、余すことなくライトに照らされたホテルのエントランスへ入る。
数時間前と変わらずに受付に立っていたお姉さんは、私たちを見て静かに笑った。
「おかえりなさい」
「ただいまー」
言ってから恥ずかしくなった。私は笑顔で誤魔化しながら、お姉さんから部屋の鍵を受け取った。
それからふと、どこかにしまったはずの家の鍵を思い出した。
「えっと、どこにあったかな」
私は部屋に戻るなり、鞄をひっくり返して家の鍵を探した。しかしいつも入れている場所にも、ポケットの裏側にも鍵が見当たらない。
散乱した荷物とペシャンコになった鞄の前で、私はしばらく呆然とした。
「ねぇ朝川。私の鍵どこだか知らない?」
「教室に置いていったんじゃない? 教科書と一緒に」
「ああ、そっか」
急いで荷物を軽くしたから、ひっくり返した拍子に落ちてしまったのだ。
そうと理解した途端、私は無我夢中でスマホを手に取りLINEを開いた。母のトークには真っ赤な通知が二桁まで並んでいる。
衝動的に名前をタップして、言いたいことを書き殴る。だけど途中で冷静になって全て消し、上から順に母から送られてきたメッセージを目に焼き付けた。すべてのメッセージに返事を送りたい。だけど、送ってしまったら母まで死んでしまう。もしかしたら家族全員を殺してしまうかもしれない。
電話したい。声を聴きたい。
ブルーライトで網膜が滲む。
「……朝川」
「ん?」
「ぎゅってして」
「……うん」
両腕を伸ばして待つ私に、朝川はわざわざ跪いて抱擁してくれた。硬いセーラー服の質感が顎に当たって、私の肩にも、朝川の顎が触れた。
暖かくて、ほっと息を吐くと、込み上げていた感情がボロボロと両目から溢れてきた。
私はしゃくり上げながら、より強く朝川を抱きしめた。
「お父さんがね、私のこと聞いて、会社で暴れたんだって」
「うん」
「たくさん鏡持って、迎えに行くって。でも、身内は会っちゃいけないって決まりがあるから」
「うん」
「会いたいなぁ。最後かもしれないのに。電話もメールもダメなんだよね。おかしいよ。ただの病気なのに、どうしてダメなの? メールで感染るわけないじゃん。なのになんで感染るの? なんで私なの? 家族は誰もかかってなかったのに、どこで感染っちゃったの?」
「……どうしてだろうね」
「……朝川も死んじゃうの?」
「……分かんない」
「早く帰りたい」
「うん……帰れるよ」
「……置いてかないで」




