09/21/16:00――一ノ瀬瀬菜・隣にいる人
そろそろ一ヶ月になるのかと、昨日に妹と話したことを思い出した瀬菜は、休みの日を使って、蓮華の部屋に入り浸ることにした。
とはいえ、初めてのことではない。それなりの好奇心、つまり興味は持っているし、蓮華自身もそれを拒絶はしなかった。二階にある十畳洋間が蓮華の部屋で、反対側にある十畳和室が瀬菜の部屋。つまり、中央に階段を挟んで二部屋あるのだから、行き来自体はそれなりにある。
空間を利用したパイプベッドは高く、その下にテーブルがある。無造作とも思えるように積まれた本はテーブルの上で、敷かれた絨毯の上にはあれこれ物が転がっている様子はない。物はそれなりに多いが、それなりに片付いているとは思う。
椅子がなかったので、自室から座布団を持って行き、座る。小さな本棚にある本を読んだり、学校の宿題を済ませたりと、やることはあった。また、蓮華はよく紅茶を飲むので、それを代わりに淹れに階下へと降りるのも、瀬菜のやることだ。
十時頃から今まで――BGM代わりに、先ほどまで何かの洋画が字幕で流れていたが、それも消えて久しい。映画と呼ばれるものは、だいたい九十分くらいなものだ、それほど長続きはしないだろう。
この、蒼凰蓮華と呼ばれる人間の私生活を見た瀬菜は、実際に以前もこうだったのかどうかはともかくとして――。
――忙しない。
ただその一言に尽きる。
いや決して、忙しいわけではないのだろう。忙しい、忙しない、そういう雰囲気に見えてしまうのだ。ともすれば、急いているようにすら映る。
ぼうっとしている時間が、ない。
休んでいるように見えない。
だから。
「少し休憩したら?」
「へ? なんだよ、今ちょうど、休憩してたんだけどよ」
なんて言いながら、高等学校三学年の教科書を持ち上げて、ふらふらと揺らすのだから、どうかしてる。そして、続ける言葉はこうだ。
「躰が治るまでは、毎日が休日だよ。のんびりしなきゃなァ」
とてもじゃないが、そうは見えない。映画が終わればどこぞへと連絡なのか、携帯端末を片手に電話をして、それが終わればスリープ状態にしてあったノート型端末を起動させて、何か作業をする。何をしているんだと声をかけてから、覗き込んでみたが、決してゲームなどを起動しているわけでもなく、どこぞの掲示板なのか、あれこれと文章を読んでいるわけだ。
ともすれば、それを表示したまま手元の教科書を開いて読み始め、映画を再生したりもする――まあ、これが今なのだけれど。
「ねえ蓮華」
そんな状況でも、声をかければ。
「どうしたよ」
作業を中断することもなく、蓮華はきちんと、返事をする。
「いいぜ、暇だからちょっとくらい話すか」
「学校の勉強は退屈なの?」
「いいや、そんなことはないよ。退屈ならもっとほかのことをするしな。ただ、暇なのは確かだよ」
「そう?」
「おう。三回くらい読めば、ちゃんとした知識として身に付くからな。とはいえ、俺の場合は念を入れて、今日みたいに復習の意味合いで読書をすることもあるよ」
「――復習?」
「ああ、そうだよ」
「今の蓮華は、じゃあ一体、どこまで学んでいるのよ」
「あー……ん、そういえば、ちゃんと話したことはなかったか。しょうがねェな、俺は、話しておけよって茶茶を淹れられても仕方ねェよな、こりゃ」
「なんの話よ」
「俺の在り方について、だよ。知りたいか?」
振り向き、問われ、瀬菜はその視線を受け止めて――その時、どういうわけか。
「いいえ」
すとんと、その正解が、胸の中に落ちた。
「正直に言えば、まったく聞きたくないわね」
「どうしてよ?」
「どうして……そうねえ、どうしてかしら。どうであれ、なんであれ、秘密であろうが、明かされようが、まったく私には関係ないから……かしら?」
「疑問形かよ、ははは」
「笑うところ?」
「どういうわけか、嬉しかったから笑ったんだよ。まあいい、じゃあ簡単に言っちまうよ。パラレルワールドって、あるよな?」
「あるわね」
「人は生活をする中において、無数の選択を迫られている」
「言い方が嫌よ、選択をしていると言ってちょうだい」
「より緊迫感があっていいじゃねェかよ」
「露出癖もないし、SMも興味ないもの」
「あー……まあいい。普通の場合、過去に行くものだろうよ、そいつはな。けど俺の場合は先だ、未来だ。ある特定の選択を得て生活している二年後の俺を想定したとしよう。あるいは瀬菜でもいい」
「想像は、できるわよ」
「二年後の瀬菜は、瀬菜かよ?」
「その通りね。何をどう選んだところで、そこにどれだけの差異が発生したところで、まるで違う道を通ったところで、私は私よ。今までも、そしてこれからも、私はそう生きて行く」
「ん、だろうよ。でだ、魔術的にはその――今の自分と、二年後の自分を〝同じ〟だと定義することも可能になるのよな、これが」
「私が私であるように? それは、類似性がどうのというよりも、単に、私という人間は、いずれにせよ、私という人間である、ということでしょう?」
「そうだよ。で、違うものはなんだって問われれば、単純に時間そのものだろ。時間ってのはつまり、積み重ねた経験の差でもある」
「それは今の私と、二年後の私という話?」
「おうよ」
「確かに、時間が経過しているのだし、そこが大本でしょうね」
「今回の〝仕事〟で、俺は四年後の〝俺〟を、今に持ってきたのよな、これが。つまり、四年という時間を、今の俺に〝憑依〟させたとも言える」
「時間、つまり積み重ねた経験を?」
「あるいは、経験だけ、とも言えるよ。つまり実年齢は見ての通りだが、四年分は年齢を重ねちまったわけよ、自業自得でな。気軽に使えるもんじゃねェと、そう思ってるが――ま、そういうことよ」
「ふうん。理由はともかくとして、これから選ばなかったか、あるいは選ぶであろう未来の自分を、今のものにしたと。だから復習で、〝経験〟としては大学レベルでも現在進行形のようなもの――で、合っているかしら」
「おう、間違いはねェよ」
「……私個人から言わせてもらえば、別ルートであったところで、やりたい行為ではないわね」
「はは、そりゃそうだな。――このぶんじゃ、話さない方が良かったかもしれねェなァ」
「そう?」
「嘘は一つも言ってねェけどよ、経験も全てじゃねェのよな、これが。そうでなくとも、俺がこうやって暇な時に、学校の勉強を進めておくのは、以前からやってたしなァ」
「あら、そうなの?」
「姉貴がアレだし、VV-iP学園へ行くなら都合が良いだろうがよ」
何しろ、年間で一度しか試験がなく、日頃から授業に出ずとも問題がない。ただし、一度きりの試験に落ちれば、そこで終い。留年か退学かは自己申告。先に時間を費やせば、あとで時間が空く。
「そうすりゃァ――連中とも遊べるッてわけよ」
「男はこれだから……まさか、その仕込みをあれこれ、しているってわけじゃないのでしょう?」
「さすがにそいつはねェよ。仕込みをするなら――……と、まァ、言わないでおくか、こいつも」
「そうしてちょうだい」
「巻き込まれたくはねェのかよ?」
「蓮華に巻き込まれるなら、何の問題もないわよ。ここで聞いていても、聞いていなくとも、それは変わらない」
「嬉しいねェ」
「……興味がないわけでは、ないのよ?」
「知ってるよ。だから、今のは皮肉じゃなくて素直な気持ちだ。つーか、俺はあんまし感情を偽らないッて知ってるだろうがよ」
「そういえば、そうね」
「そうだよ」
「うん。ところで、忍やほかの子たちの動向は知っているの?」
「あれから一ヶ月、まだまだ残暑は厳しい――ッてよ、まァ調べちゃいねェな、それほど退屈はしてねェ。ただ予想はできてる」
「あら、答え合わせをしてみたいわね。それこそ、退屈凌ぎに」
「ほぼ無事だった涼と咲真は、実家に帰って鍛錬中だよ。あれだけのものを見せられたンだぜ、それこそ身に染みたろ。暁はいつも通り、そろそろ〝全快〟した頃合いだよ。調子に乗って雨の……暁の爺さんに、〝全壊〟三歩手前くらいになってるはずだ。いやマジで、こいつァ予想だが、そういう馬鹿だよ、あいつは。忍は――……こう言うのも嫌だが、精神的にも復調した頃合いだろうよ。ただ、まだ目の前のことで手一杯ッて感じだろうから――ああ」
そうかと、蓮華は一つ思いついたように頷いて、手元の教科書に再び視線を落とす。
「瀬菜から二ノ葉に、それとなく、家でも買うように示唆してやっても、面白いかもしれねェよな」
「――あら、そう?」
「VV-iP学園に缶詰なのは、仕方のねェことだと、忍は考えるだろうぜ。その上、舞枝為のことがあるから、二ノ葉もどこかのアパートへ……たとえば、舞枝為と一緒にしばらくは過ごして、なんてことを考えてるかもしれねェが、そいつァ逆に言えば、てめェのことまで見えてねェッてことよな」
「そうかもしれないわね」
「だから、二ノ葉からの催促だろうが、なんだろうが、忍がきちんと帰れる場所ッてのを、早いうちに作っておいた方がいい。遅くなっても問題はねェが、早くたッて問題はねェし、仕事に張り合いもできるだろうよ。二ノ葉が足手まといだ、なんて思い込み始める方が早いと、俺は考えてるけどなァ」
「よく考えてるわね」
「他人事だから、適当だけど、そう間違っちゃいねェよな?」
「ええ――だから、昨日買い物を一緒にした時に、二ノ葉には家を買えと、言っておいたわ」
「そりゃ俺の手間が減って助かるよ。じゃあ俺は忍に言ってやらなきゃなァ」
一拍、無言の時間が過ぎる。
「あら、驚かないのね?」
「悪ィな、そういう可能性も考慮しておくのが、俺ッて野郎なんだよ。こと驚きに対しては、まずしねェ。何しろ――可能性を考慮できなくて、驚く俺自身すら、考慮しているからよ」
「面倒な生き方ねえ」
「面倒な死に方をするよりゃ、よっぽど良いよ」
「皮肉ね。蓮華を驚かせたいとは思わないけれど」
「そうか? いや、驚く俺を考慮してるからって、べつに驚かないわけじゃねェよ?」
「変なところで張り合っても仕方ないもの。――ところで、私には言わないのね」
「家を買えッて? ははッ、まだそうなる段階でもねェだろ。ついでに言えば、一人暮らしがしたいなら、稼ぎを持って好きにしろと、俺は言うよ」
「でしょうね。私も一人暮らしがしたいなら、先に稼ぎを作って、目的の場所を確保してから、そう伝えるわ」
「そういうところが、良い女だよなァ、瀬菜は」
「ありがとう」
おう、と返事があって十五分ほど、無言の時間が過ぎて、そして。
「……あれ? 俺に対しての評価は?」
「いつもしてるじゃない」
「そうだっけ?」
「私が、今、ここに居るのよ」
「ああ……」
嫌ならとっくに出ているし、そうでなくては一日中、蓮華の部屋になどいない。最近では、移動やら何やらも、まったく手を貸していないし、それこそ紅茶を二人分運ぶ程度である。
けれど、でも、納得した蓮華は。
「そういや、そうか。そうだよな。嬉しいねェ」
なんてことを素直に言うのだから、参る。瀬菜だとて感情がないわけでは、なくて、あまり表に出さないよう配慮しているだけなのだ。好意を持った相手が、嬉しいと思ってくれていることが、同時に、嬉しくなることもある。
「怪我はどうなの?」
だから、話を変える。蓮華がこちらを見ていないのが救いだった。
――見透かされているような、気もするが、蓮華は追及しない。
「馴染の外科医のところには、絶対に行きたくねェよ」
「……いえ、それは蓮華の自由だし、私が口を挟む理由はないのだけれど、そんなに?」
「ああ、医者でサディストなんて最悪だぜ。その癖、腕が良いから文句も言えねェときた。さっき飲んだ薬は痛覚を倍加させる作用しかねェのかと、俺ァ両手の数ほど思ったよ」
「そんなに馴染みなのかしら」
「この前の治療の最中に、だ」
「そう、それはなんというか、私には紹介しないでちょうだい」
腕はいいんだよと言いながら、蓮華は頬杖をついて、ため息を落とした。
「あと一ヶ月もすりゃ、満足に動けるようにはなるよ。片足、片腕の生活にもだいぶ慣れたけどよ」
「そう――」
階下から声が聞こえた。重が呼んでいるようだったので、瀬菜は立ち上がった。
「そろそろ夕食の仕込みね」
「仕込みッつーよりも、何を食べるかを決める会議みてェなモンだろ、ありゃァ」
「なにかある?」
「中華なら俺が作ると言っといてくれ――あ、作れねェか」
「それ以外のチョイスにしておくわ」
といっても、瀬菜自身がそれほどレパートリーを持っていないのだけれど。
どうせなら二ノ葉とレシピの交換でもしようかしら、なんてことも考える。でも中華だけは、まあ、気長に待とう。蓮華の腕には勝てる気がまったくしない。
階下に行くと、いつもならば和室を使っている重、蓮華の兄の奥さんが、居間でごろごろしていた。大型のテレビに電源を入れているわけでもなく、ただ猫を両手に抱いている。視線だけはこちらにきた。
「瀬菜、ご飯どうしよ」
「やっぱりそれね……どうかしら。まだ一時間くらいは余裕があるでしょう」
「そうだけど、仕事も一段落したからさあ」
「そう。……ところで、氷鷲さんはともかくも、重さんもきちんと仕事はしているのよね」
「もちろん。ほら、蓮華も使ってるナンバリングラインってあるじゃない」
「ああ、それなら私も知っているわ。無作為に情報が集められるシステム――とか何とか、舞枝為が言っていたもの」
「瀬菜って……電子戦できなかったっけ?」
「……? よくわからないけれど、普通に使うくらいはできるわよ。困ったと舞枝為に泣きつかれることがよくあったの」
というか、どうして泣きついてくるのが自分なのか、よくわからない。家も離れているし、忍の方が詳しいとは思うのだけれど、もしかして自分は甘いのだろうか。
「仕事、してみる?」
「お誘いはいいのだけれど、重さんの仕事の話を聞いていたのだけれど?」
「あ、そっか、そだね。私はねー、情報収集専門狩人でね、ランクBだけど。ナンバリングラインの制作者で、管理人」
「あら、そうなの」
「驚かないんだあ、つまんない」
「実感がわかないもの。先にそちらを知っていれば驚いたかもしれないわね。今の私にとっては重さん、としか映らないわ。おかしいかしら」
「ううん、いいんじゃない? でねー、システム作ったら、すっげー暇になっちゃって。あとすげー馬鹿が、情報くれとか言ってきて面倒になって。誰が名付けたか知らないけど、私のこと〈鷹の目〉とか言い出して、なんか狩人名もそうなっちゃったし」
うん、それは愚痴だ。正直、どうでもいい。
「手伝ってくれると嬉しいなあ。責任者やらない? 私の代わりにぜーんぶ管理するの」
「嫌よ。普通の仕事なら引き受けてもいいけれど」
「普通の?」
「そちらに足を踏み入れるつもりはないの」
「でも蓮華はこっちよ?」
「なおさらね」
同じ立場になど、なりたくもない。
紅茶でも淹れようかと台所へ行く。既に落としてあるので、温かくはないが注ぐだけで済む。
「あ、そういえば、一ノ瀬はどーすんの?」
「ん、ああ、そうね、その件に関しては――」
そういえば、蓮華は訊ねなかった。既に知っているのか、あるいは、知らなくても良いと判断したのか。
後者のような気がする。それはきっと、瀬菜が言うところの、聞きたくはない、というやつだ。どうでもいいとも違っていて、興味がないわけでもなく――どちらでもいいというか。
「――まあ、一応雨天の御大に話を通したのだけれど、しばらくは通うわよ。私の代で終わらせても問題はないけれどと、そんな話をしたわ」
「瀬菜で終わるのに?」
「私の問題なのよ。つまり、中途半端な状態である自分を許せるかどうか、という話。それをいつか後悔すると言われた時に、何の反論も浮かばなかったから」
だから、せめて自身は一人前に、つまり一ノ瀬流小太刀術を修めようと、そう思ったのだ。
「仕事にはならないわね」
「ふうん」
「ちなみにそっちの仕事で必要なことは?」
「対外交渉技術と、情報処理技術」
「そう。大学卒業まで待っていて、その仕事がまだ残っているなら、前向きに考えるわ」
「あいおー」
本気なのか冗談なのか、よくわからない対応だが、たぶん本気だとわかる程度には、付き合いが生まれてしまっていた。
きっと長くは続かない生活だろうけれど、まあ、高校生の休日としては、ありきたりなんだろうと、瀬菜は一息落としてから、遅く、今日の夕食メニューについての思索を巡らすのであった。




