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セファリアの花  作者: 悠木裕
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第二章 淡い芽生え 1

第二章 淡い芽生え


 馬車で行く道が次第に整備され、旅は軽快に進んだ。

今日も寄り道することを我慢していたリシュナは、遠くに見える王都のおぼろげな姿を見つけるなり歓声を上げた。

「あれが、王都アスタルテね!」

 花の都であり、セファリアを治める王様がいる憧れの土地。

 リシュナは胸元のペンダントをぎゅっと握りしめた。

(ねえ、リシュナ。あなたの来たかった場所にようやく来れたのよ)

 青い花を宿した琥珀は何も返してはくれない。けれどその時、リシュナの胸には万感の思いが込み上げていたのだった。


 アスタルテに入り、まっすぐに王のおわすトランダフィル城を目指した。様々な珍しいものを取り扱う店と訪れる客で賑わう大通りをまっすぐ行くと、遠くからでも見えていた城の全容が露わになる。幾本もそびえ立つ高さの違う塔。白を基調とした壁に見える無数の窓には、花の都にふさわしく色とりどりの花々が飾られていた。

 想像していたものよりもずっと素晴らしい景観に、リシュナは呆然としたままそれらを眺めることしか出来ず、馬車が止まったことにも気付かなかった。

「リシュナ様、ペンダントを」

 ルキウスの声に弾かれたように意識を戻す。既に早馬で知らせはいっていたので話は通っている。確認のためにリシュナのペンダントを見せると、門番は重々しく頷いた。

「ようこそプリマヴェーラ。国王様がお待ちです」


 入城が許可された二人は、まずは控えの間に通された。そして王との謁見の前に旅の汚れを落とすため、リシュナは侍女に連れられ湯浴みをし、そこで真新しい服を着せられた。

 若草色の柔らかな生地で出来た可愛らしいドレスを着たリシュナは何度も鏡を覗き込んでは自分の姿を確認した。丁寧に梳かされた薄茶色の髪に、目を引く赤い花を飾ってくれたものだから、充分プリマヴェーラらしく見える自分に納得がいったように大きく頷く。

 王様の前でも、きちんと振る舞わなくてはいけない。ルキウスにもらった助言通り、プリマヴェーラでないなどと気付かれないように気をつけなければならない。しかしこのペンダントさえあれば誰もがリシュナをプリマヴェーラと信じることだろう。

 王様の謁見を待つ部屋でルキウスと合流できた。彼も身なりを調えられ、黒一色だった全身が夜明けに近づいたように藍色へと変化していた。

「ルキウスは黒以外も似合うんだから、もっといろんな色を着たらいいのに」

「黒が一番落ち着くんです」

 なんとか妥協して藍色に落ち着いたことが窺われ、リシュナは緊張がほぐれた。何より彼が一緒にいてくれることが心強い。

 重い扉が開かれ、二人はセファリア国王の待つ部屋へと足を踏み入れる。王直属の近衛騎士や政治を執り行う執政官や大臣が居並ぶ中、玉座に座る王の前に進み出て、膝をつくと頭を垂れた。

「そなたがこの度誕生したプリマヴェーラなのだな」

「はい、ダーナから参りましたリシュナ・フレールと申します」

 面を上げるようにと言われ、恐る恐る顔を上げたリシュナが目にしたのは、威厳のある面差しをしたセファリア国王ルティリクスだった。顔こそ厳めしいが、リシュナを呼ばわる声と見つめる瞳には温かさがあった。

「遠いところ、遙々ご苦労だった」

「もったいないお言葉です」

 事前に教えられていた台詞を口にする。故郷で普通に暮らしていたならば目にすることも叶わない人なのだ。

「そしてそなたがプリマヴェーラと使者を救ってくれた勇敢な星術師だな」

「ルキウスと申します」

「そなたがいなければプリマヴェーラはここに立ってはいなかったかもしれん。そなたには充分な礼を尽くそう。それから預かっている星魔石は、そなたの功績を称えたおり、式典のさなかで返そうと思っているのだが」

 ルキウスは少し考えるように間をおいてから口を開いた。

「ありがたきお計らい、痛み入ります」

「プリマヴェーラが到着したのだ。急ぎ式典の準備を行おう。だがその前に、プリマヴェーラも知っているとは思うが、そなたには自らを守護する騎士を選んでもらう習わしになっておる。そなたの歓迎会として近日中に祝宴を行うので、その際に選ぶといい。それまで城内で好きなようにくつろぐといい。何も気兼ねはいらないぞ」

「ありがとうございます」

 もう一度深く頭を垂れると、王は目尻の皺を深くして笑う。

「春を招く乙女よ、この国に豊かな実りと笑顔をもたらしてくれ」


「緊張した……」

 リシュナはあてがわれた部屋の寝台に突っ伏すと大きく息を吐いた。あまりにふかふかすぎて身体が沈んで溺れてしまいそうだ。

「大丈夫ですよ。きちんとプリマヴェーラのように見えていたと思います」

 一緒にいて欲しいからと部屋に呼んだルキウスがそう励ましてくれた。

「やっぱり王様ってなんだかすごかったわ。それに偉そうな人もいっぱい! ルキウスはどうして緊張したりしないの? あんなにいっぱい人がいるっていうのに」

「別に相手は私たちのことなど何とも思ってませんよ。こちらも気にしなければいいだけの話です」

「そういう風に思えないんだもの」

 リシュナは恨めしげにルキウスを横目で見たが、彼は別のことを考えているようだった。

「プリマヴェーラが初めて誕生したのは、三百年ほど前だと言われています」

 突然そんなことを言い出したルキウスに、リシュナは驚いて目を瞬かせた。

「現在までに五十名ほどのプリマヴェーラが誕生しているそうです。昔は数年おきに誕生していたプリマヴェーラも近年ではめっきりその数が少なくなりました。なぜだかわかりますか?」

「え……えーと……」

 リシュナの返事を待たず、ルキウスは言葉を続けた。

「確証はありませんが、年月と共に医療や農業の技術が進歩したことが一因ではないかと言われています。以前ほど、プリマヴェーラがもたらす知恵と知識が必要ではなくなったということでしょう」

「もう、時代遅れってこと?」

「そうとは思いませんが……少なくとも、今必要とされているのは、プリマヴェーラの力というより、象徴性だと思うのです。プリマヴェーラが誕生するのはセファリアだけ。少なくともこの国にとって、プリマヴェーラは必要なのです」

 ルティリクス王の優しげな眼差しを思い返し、リシュナは頷いた。少なからず自分は歓迎されていたように思える。

「リシュナ様の前に誕生したプリマヴェーラが今どこで何をしているかご存じですか?」

「え? そういえば、聞いたことがないけど……でもそれはダーナが田舎だから……」

「プリマヴェーラの力は一生ものではないそうです。年を重ねるごとに徐々に失われていく──個人差もあるそうですが、大体十年くらいだそうです。プリマヴェーラとしての力を失ってしまえば、彼女を噂に取り上げることもありません」

 その言葉に、なんとなく寂しさを感じた。一時の栄誉を得ても、時が過ぎれば誰も見向きもしなくなるということなのか。

 そんなリシュナの思いを感じ取ったのか、ルキウスは言葉を継いだ。

「私が申し上げたいのは……数年プリマヴェーラとして役目を果たし、力を失ったと言えば、あなたは自由になれるということです」

 その言葉の意味することに気づくと、リシュナは顔を上げた。

 覚悟を決めた人生だと思った。けれど、いつか解放の時はやってくる──そうルキウスは言っているのだ。

「ですから、あまり思い悩まないでください。私に出来ることでしたら、いくらでも力を貸します」

「うん、ありがとう……」

 この秘密を共有できる人が身近にいるだけで、どれほど救われることだろう。改めてリシュナはルキウスを心強い面持ちで見上げた。初めは親しみなど一切感じられないと思っていた彼だというのに、不思議なものだ。

「でも、どうしてそんなにプリマヴェーラに詳しいの?」

「星の託宣で告げられた時から、あなたをお守りする役に立つのならと調べておいたのです。けれど、やはりわからないことはまだまだあります。けれど、むしろ良かったのだと思うべきなのかもしれません。プリマヴェーラが希有な存在であれば、本当のプリマヴェーラがどんなものか、誰にもわからないのですから」

「そうね……そうかもしれない。ああ、本当にルキウスが一緒で良かった。わたし一人なら、多分早々に挫けていたわ。本当にありがとう」

 心からの感謝にも、ルキウスはいつものように目を逸らしてしまう。面と向かって感謝されることに、どうやら慣れておらず戸惑ってしまうらしいと、リシュナはようやく気づいた。

「いえ……それより、王都で会う約束をしている人とはいつ会うんですか? そもそもどうやって会うつもりなんですか」

「ああ、まだその問題が残ってた。そうなのよね……会う約束はしてるけど、日とか決めてないし。まあ嫌でも絶対に会っちゃうと思うわ……」

 あまり歓迎していない様子のリシュナにルキウスは眉をひそめた。

「どういうことですか」

「ええと……彼は騎士なの。プリマヴェーラを護る騎士になれる、王様直属の騎士団があるらしいんだけど」

 その言葉に、ルキウスはますます訝しげな顔をした。

「その人は何者なんですか」

「何者って、普通の人だと思うけど。お父さんが先生か何かしてるって」

 いつも手紙に書かれていたのは、他愛のない日常だった。それはリシュナもはっきりと覚えている。なにせ、もう何十回と読み返した手紙なのだ。

「常若の騎士団といえば、一般人が簡単に入れるところではないはずです。欠員がなければ入ることすらままならず、また推薦がなければまず候補にも選ばれない」

「そ、そうなの?」

 手紙で読んだ限り、そんなすごいところだと感じなかった。少なくとも彼に自慢げな様子は全くなかった。

「騎士団という名称でありながら、戦うのが彼らの主たる仕事ではありません。確かに王や王族の護衛をすることもありますが、もっぱら祭事や行事で王のそばに控え進行を手伝う役目です。年齢制限も厳しく確か全員で三十名ほどしかいなかったと記憶しています」

「そんなの全然知らなかったわ。だって彼一言も……」

「何か事情があったにせよ、手紙だけの絆が頼りの二人がプリマヴェーラとその騎士になるとは……運命とは恐ろしいものですね」

 星術師の口から運命などという言葉が出ると、どきりとする。確かに二人には運命的なものを感じる。

「彼は……ヘリオスは、あの子がプリマヴェーラになりたいって言ったから騎士を目指したのよ。本当に騎士になるなんて、しかもそんなにすごいなんて、わたしは全く想像もしてなかった」

 もし本物のリシュナがプリマヴェーラになりたいと言っていなければ、果たして彼は騎士になったのだろうか。そもそもプリマヴェーラは、なりたいからといってなれるものでもない。リシュナがプリマヴェーラになれる確証なんてどこにもなかったはずだ。それでも彼はプリマヴェーラを護る騎士になりたいと願い、夢を叶えた。二人の間にある決して自分が軽々しく分け入れない固い絆を思うと、リシュナは気分が滅入った。

「まあとにかく、彼が手紙の主の顔を知らないのであれば、あなたと手紙の主が違うとはそう簡単にはわからないでしょう」

 彼を騙すようで、もちろん罪悪感がないと言ったら嘘になる。けれどもう、決めたのだ。自分はリシュナとして生きるのだと。

「うん……わたしとあの子は性格も似てるって言われて育ったし。多分大丈夫だと思うの。でもやっぱり、プリマヴェーラの騎士には彼を選ぶべきよね……」

「そういう約束だったのでしょう? 選ばない理由がないのではないですか」

「そうよね……あーじゃあやっぱり危ないわ」

 リシュナは自分の髪を指先でもてあそぶと、そわそわと落ち着きをなくしている。

「何か危険なことがあるのですか?」

「ええ、危ないなんてものじゃないわ! だってね、こう手紙っていろいろ想像が膨らむじゃない。わたしの中で彼はかなり美化されてるのよ。だから実際会って格好良かったら、とっても危険だわ!」

「何か身の危険を感じるということですか?」

「んもう、そうじゃなくて! だって、わたしったら今までの手紙を読んだだけで危なかったのよ……実際会ってみて素敵な人だったら、絶対好きになっちゃうから!」

 力説するリシュナとは対照的にルキウスはまだことの次第を理解できていなかった。

「それのどこが危ないのですか?」

「だって……あの子がどんな思いでこの手紙を読んでいたか、わたしにはわかっているし、それにこの手紙を読んだことで彼がどれだけあの子のことを想っているか……それもわかるのよ。それなのに、あの子のふりしたわたしが彼を好きになるなんて、そんなの一番してはいけないことだもの」

「そんなものですか」

「わたしはリシュナとして生きると決意したわ。でも、あの子の想いはあの子のものよ。大切に守ってあげたいの」

 真剣な眼差しに、ルキウスもそれ以上何かを言うのをやめた。ただ、リシュナの強い想いだけは彼にも充分伝わったのだった。


 自由にして良いという言葉通り、好奇心旺盛なリシュナは城の中を早速探検することにした。目当ては珍しい花の発見だったので、城の裏手にある花畑へと一人で向かうことにした。旅の疲れかルキウスは顔色が悪いように見えた。無理もないと思いながら、そんな彼のため、式典の日に彼の胸に飾る花を探そうという思いもあったのだ。

「うわあ、すごい!」

 花畑には無数の花が咲き誇っていた。冬が近づいてなおこれだけの花が咲いているのはセファリアの誇りでもある。その声が聞こえないまでも、リシュナはそこにいるはずの精霊に感謝したい気持ちだった。

 リシュナはプリマヴェーラではないが、花が大好きな親友の影響で自身も幼い頃から花に触れ、勉強熱心な親友と共に街から来る行商人から字を学び、本を借り、知識を増やしていった。いつしかリシュナも花が大好きな少女となっていた。そして村の畑仕事を手伝うことが多かったリシュナは作物に関しても知識を深めた。

 同じように花を愛していた二人だが、花の精霊がプリマヴェーラに選んだのは親友の方だった。二人を分けたのは想いの強さだろうかと時々思う。リシュナには夢などなかった。何かを為したいという思いも。それは母親に捨てられたと思う自分の心から来るものだったのだろうか。母親にすらいらないと言われた自分が何かのため、誰かのために役に立つとは思えなかった。ただ漠然とこの村で日々を過ごし、一生を終えるのだと思っていた。けれど、だからこそこの運命を受け入れたのだとも感じていた。村人たちはリシュナの申し出を感謝して受け入れたが、それとなく引き留めてもくれた。けれど、それをやれるのは自分しかいないのだという強い思いが、夢を持たないリシュナに微かな光明として心の灯をともしたのだった。

 立ち止まってしまえば不安になる。だから、リシュナになった日から、深く考えないようにしていた。昔みたいに無邪気に笑っていればいいのだと。ルキウスと出会ってからそんな日々が続いていた。そうして秘密を知られても、自分を助けてくれると言った。だけど一人になるとやはり時々思い返してしまう。本当にこれで良かったのか。

 思いを振り切るように、頭を振っては花に手を伸ばす。大丈夫、ルキウスと一緒ならば。一人でないのだから、もう何も恐れる必要はないのだ。

「黄色い花もいいかも。ルキウスは黒が落ち着くなんて言ってたけど、式典の時はどんな服着るのかな。赤だったらいいのに」

 想像してくすくす笑うと気分がほぐれた。今の自分はきっと彼に救われている。

「リシュナ?」

 唐突に背後から声をかけられた。この旅で随分呼ばれ慣れたその名前に振り返ると、そこには見知らぬ青年が立っていた。白を基調とした上衣のところどころに若葉色の差し色が加えられた衣装はどうも騎士団の制服のようだった。

 リシュナが不思議そうに首を傾げると、胸元のペンダントも問いかけるように小さく揺れた。彼は一度眩しそうにリシュナを見つめると、とても親しげな笑みを浮かべた。

「ああ、やっぱり想像してた通りだ」

 確信を得たように彼は迷いなくこちらに近づくと、その勢いのままリシュナを両手で抱きしめた。

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