【06】-5
その疑問を頭の中で突き詰めて考えながら、同時にそのまま声にする。
「なあ。俺思ったんだけど、お前がそこに行けないなら、他の水の姫達だって行けない場所なんじゃないの? だったら、何もそこまで警戒しなくても……」
「そういう問題ではないと言うておろう。いいからお主はもう黙っておれ」
「黙れ黙れってさっきから何なんだよ、お前。俺のことなのに俺の意思は全無視かよ」
折角浮かんだ糸口を頭ごなしに否定されて、思わずむっとして言い返す。フィーは聞く耳持たずといった感じに、ついと顔を逸らしやがった。喧嘩したいわけじゃないのに、その態度につい、むかっとして語気が尖ってしまう。
「お前は自分が傍にいられないことが不安だから、誰の意見も無視してダメだダメだって言ってるだけだろ。じゃあ逆に訊くけど、お前がいれば、俺は何があっても絶対に安全なわけ? そうじゃないよな? お前がいたって危ない時は危ない。お前は全知全能の最強スーパーマンじゃないんだから。そもそも、自分を守るのは最終的に自分だろうが。いくらお前が凄い力を持っていたって、最終的に俺を守るのは俺自身の判断であって、お前じゃない」
自分を守れるのは自分だけだと、昔から皐月さんがよく言っていた。確か最後の電話でも、そう言っていた。自分が守ってあげたいけど、俺を守れるのは俺だけだからって。俺なら大丈夫って、そう……。………ああ、そうか。皐月さんのあの最後の言葉。やっと分かった。俺なら守れるって、あれは俺自身のことを言っていたんだ。
思い出すと同時にたどり着いた解答に、苛立っていた感情がほんの少しだけ軟化する。その隙をつくように、フィーが噛み付くような声を遣した。
「じゃあ私も訊くが、お主は私なしでどうやって身を守るというのだ? その術を私に一から十まで説明してみせよ」
「それは…」
苛立ちを通り越して、フィーは完全に怒ってしまったらしい。ぎらつくような青い目に睨まれて、こんなはずじゃなかったのにと思ってももう後の祭りだ。
思わず口ごもって何も言えなくなる俺に、フィーが追い討ちをかけるように鋭い声をぶつけてくる。
「確かに私の力は全能ではない。だが、ならばその力で守られているお主は何だ? 私の力なくば、孝が穢れつきになった時点で、お主はあの強大な穢れに当てられてそれこそ死んでいてもおかしくないのだぞ? 自分が何によって命を落としたか、それすらも知らぬまま。それなのに自分を守るのは自分だと? 思い上がるな」
事実を突き出されて、反論が出来ない。最終的に俺を守るのは俺だという考えに変化はないものの、俺にはフィーみたいな力はない。そこを突かれてしまったら、悔しいけどぐうの音も出ないのが本音だ。その上、あの理由の分からない罪悪感のせいで、直視してくるその目を長く見返すことすら出来ない。フィーからしてみれば、何も言い返せなくて腹いせに目を逸らしている子供にしか見えないだろう。それが更に悔しかった。
小さく唇を噛んだ俺の前方で、溜まった怒りを噴出すようにフィーが鼻で息を吐く。さっきまでの和気藹々とした賑やかさから一変して、不穏な空気に染まった室内に、沈黙が静けさだけを響かせる。だけど、それも束の間だった。
「思い上がっておるのは、はたしてどちらかのう」
ぼそりと、だけど明らかに呆れを多分に含んだ声で、ゴロウさんが言葉を落とした。その物言いに、フィーが狭めた目を冷たく向ける。
「何か言うたか、誘い。よう聞こえなんだが」
フィーの静かな怒りの声を物ともせず、ゴロウさんはどこか冷笑するように軽く言って返す。
「いやいや、罔象三姫ともあろうものが、子離れできぬ母御のようでみっともないと言うただけじゃよ」
「は…。私が、何だと…?」
「おや、また聞こえんかったかね。永く耳を塞ぎ過ぎて声がもはや聞こえぬか。それとも言葉の意味が分からぬか。はて、みっともなくて恥ずかしいとは、古き星の囁きでは何と言ったかのう」
信じられないと言った面持ちでゴロウさんを見やるフィーを尻目に、俺もまた、やたら飄々とした態度でずばずばと失礼なことを言ってのけるゴロウさんに半ば呆気に取られて、思わず口を半開きに開けたまま見入っていた。多分、部屋にいる全員の視線が、ゴロウさんに集中していた。
ゴロウさんはそんな視線には構うことなく、フィーを見たまま、少しだけ口調を柔らかくした。
「わしに言わせれば思い上がっておるのは、お前さんじゃよ。今のお前さんは、子に対し盲目的な愛情を抱く母御そのものじゃ。可愛さゆえに片時も離したくないと視えぬ檻に子を閉じ込め、その檻が子の翼を折るやもしれぬことには目を向けず、更に愚かなるはそれを愛情と錯覚し義務を果たしていると思い込む。愚かだとは思わんかね? 空が危険だからと、己の嘴で雛の羽を毟る母鳥がどこにおる? 外が危険だからと、己の牙で子犬の足を折る母犬がどこにおる? そんなものは愛情ではない。ただの傲慢じゃ。子は母の所有物ではない」
柔らかな口調で、でもきっぱり言いのけて、ゴロウさんが続ける。
「お前さんが、その青年を大事に思う心は偽りではなかろう。無垢なるを愛し守りたいと願うは、わしらも同じゃ。じゃが今のお前さんでは守れぬ。愛情を錯覚し、思い上がっておる。いや、思い上がりゆえに、錯覚したか。どちらにせよ、今のお前さんに守れるものがあるとしたら、それはお前さん自身の心であって、この青年ではない」
じっとフィーを見つめて話すゴロウさんに、同じようにじっと視線を返しながら、フィーが閉じた口にぎゅっと力を入れたのが見て分かった。口だけじゃない。眉にも、肩にも、手のひらにも、見える限り体全部に力が入っている。
ゴロウさんは相変わらず柔らかな口調で、そんなフィーに向かって諭すようにゆっくりと話を続けていく。
「愚かな思い上がりは捨てなされ、罔象三姫。己の力だけで守れるものなど、この世には己の心だけじゃ。己の心だけを守っておっては、いずれ己が悔やむことになる。お前さんのように力あるものは尚更、己の無力さを忘れてはならん。そのようなこと、今更わしに言われるまでもなく分かっておるはずじゃ」
「………知ったような口をきくな。そなたに何が分かる。常に傍観者でいるしか出来ぬ者に指図を受ける筋合いはない」
やや間を空けて言い返したフィーの声が低く震えていた。多分唇も震えているのだろう、閉じた途端、小さく唇を噛んでみせたその行動が、怒りからなのか、傷ついたからなのか。それを判断することは俺には出来なかったけど、瞬き一つせず、それこそ射抜くようにじっとゴロウさんを見つめている青は、それこそ一瞬でも気を抜けば、泣き崩れそうなほど弱く見えた。
一方ゴロウさんは、その青い眼差しを真っ向から受け止めていた。その口元が、ほんの少しだけ微笑むように動く。
「指図ではない。傍観者であるがために、多くの大事なものを失うしかなかった朋友の願いじゃよ」
息を吐くようにそっと言って、ゴロウさんは、またゆっくりと口を開いた。
「なあ、罔象三姫。お前さんがもし自分の過ちに罰がいると思っておるのなら、それは過ちを犯した自分を許さぬことではない。過ちを犯した自分を受け入れ、前へ進むことじゃ。これは神ではなく、古き朋友からの言葉じゃ」




