第1話:特売コロッケと、愛の女神の重大な勘違い
「いや、なんで俺がここにいるんだよ!!」
叫び声の主、佐藤ケンタ(28歳・社畜)が立っていたのは、アスファルトの道路でもオフィスのデスクの前でもなかった。
足元から広がるのは、常識も物理法則もすべてかなぐり捨てられた、荒涼たる神話の戦場。遠方では雷神の怒号が轟き、別の場所では軍神の放った一撃が大陸の地平線を綺麗に消し飛ばしている。
一秒ごとに世界が数回終わりを迎えているような、正真正銘の「神々の戦場」である。
ケンタの手に握られていたのは、会社帰りにスーパーで買った**「冷めかけた特売の惣菜コロッケ(2個入り)」**の入ったビニール袋だけだった。
残業で疲れ果て、今日は家でビールを飲みながらこれを食うんだと、それだけを楽しみに歩いていたはずなのだが、気がつけばこの有様だ。
「死ぬ、絶対死ぬ。数秒後に流弾が直撃して肉片すら残らないパターンだこれ……!」
頭を抱えて地面にうずくまったケンタの真上を、直径数キロメートルはある光の奔流がかすめていく。その衝撃波だけで耳鳴りがし、肺の空気がすべて押し出された。
――その時だった。
「きゃあああああっ!? また着地ミスったぁあぁっ!!」
「――は?」
空から、まばゆい光をまとった物体が猛烈な勢いで落下してきた。
ドゴォッ!! と盛大な音を立てて、ケンタの数センチ手前の地面に激突する影。土煙が晴れたあと、そこには頭から突っ伏してジタバタしている、誰もが知るギリシャ神話の美と愛の女神――アフロディーテがいた。
「いっててて……。あ、れ? 完璧な優雅さで舞い降りるはずが、また次元の座標がズレたぁ……」
「アフロディーテ……!? 本物の、あの世界の美の女神様だよな!? なんでこんなところに!?」
「あら? あなた、人間じゃない。どうしてこんな物騒な戦場に……って、まあいいわ!」
アフロディーテはパッと顔を上げると、汚れも気にせず輝くような笑顔でケンタの手をとった。
その容姿は確かに息をのむほど美しかったが、その瞳には「方向音痴」と「盛大な勘違い」の光が宿っていた。
「ねえ、あなた! 私の新しい『運命の愛の使徒』ね!」
「は? 違います、俺はただの帰宅途中の社畜です!」
「いいえ、言い訳は無用よ! この戦場のど真ん中で、私の降臨を恐れもせず、その手に『黄金色の丸い聖餅』を捧げ持って私を待ち構えていた……。間違いないわ、あなたは神々に選ばれた愛の戦士よ!」
「これコロッケだよ!! 聖餅じゃなくてただの惣菜の揚げ物だよ!!」
突っ込まずにはいられなかった。
周囲では今まさに、海原を割り裂くような神々の咆哮が響き渡っているというのに、この愛の女神様は致命的に話を聞かない。
「さあ、私の後ろに隠れなさい! このアフロディーテ様が、あなたの愛と命を完璧に……ええと、愛の結界で守ってあげるんだから!」
アフロディーテは胸を張り、華麗に両手を広げて神秘的なポーズをとった。
瞬間、彼女の周囲にピンク色のハートが舞うような「愛の結界」が展開される。
「おっ、すげえ! なんか守ってくれそう!」
「ふふん、見なさい私の圧倒的な――って、あれ?」
アフロディーテが首をかしげた。
結界の張り方が適当だったのか、その膜にはあちこち盛大な「隙間」が空いており、そこから容赦なく**神気の余波(猛烈な暴風と熱気)**が吹き込んできた。
「ぎゃあああ! 隙間から普通に風入ってくるぞ!? 愛の力なのに隙間風がエグいんだけど!!」
「あ、やばい! 結界の出力調整、昨日の夜にワイン飲みながら設定したから忘れてたわ!」
「忘れてたじゃねえよ!! ここ神々の戦場だぞ!? 俺の真横で今、メテオみたいなのが落ちてきたんだけど!!」
熱風に煽られ、ケンタの手から危うくコロッケの袋が滑り落ちそうになる。
絶望的な状況。しかし、恐怖のあまり逆に頭のネジが外れたのか、ケンタは震える手でその特売コロッケを掴み取り、目の前のポンコツ美神につきつけた。
「おい、アフロディーテ!」
「ひっ、なんですか愛の使徒くん、そんな殺気立った目で聖餅を……」
「これをやる! だから、死ぬ気でその怪しいハートの隙間を塞げ!!」
「えっ……? わ、私に人間界の油ぎった愛の貢物を……!? ぐっ、この香ばしい匂い、神々のネクターよりもそそるわね……っ!」
わけのわからない感動に包まれた愛の女神は、「任せてちょうだい!」と謎のやる気を爆発させ、両手を突き出して結界をフル稼働させた。
ドガガガガガッ!! と、背後で神々の戦闘がさらに激化していく。
全知全能がぶつかり合う混沌の戦場にて、こうして「ツッコミ役の社畜」と「ポンコツ化した美の女神」の、命がけ(主に人間の気苦労が)の奇妙な共同生活が幕を開けたのだった。
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