日ノ本の歴史
俺たちが向かった蕎麦屋はまだ営業時間前だったのだが、弥生さんのサムライパワーで特別に蕎麦を打ってもらえた。
味は普通。たぶん日本にある大抵の蕎麦屋の足元にも及ばない味だと思う。不味くは無いが、別に美味くもなかった。薄味だし、具が麺とちくわしかないのも物足りない。けれど恐らくはこの世界ではそれなりに贅沢な朝食なのだろうと察することは出来たので、俺は奢ってくれた弥生さんに感謝しながら完食した。
腹も満たされたところで次は馬を調達しに貸し馬屋というところへ向かった。弥生さんが言うには、馬の負担を軽減するために各宿場にある貸し馬屋で馬を借りて、宿場ごとで違う馬へと乗り換えるのだそうだ。一人で1500メートル走るよりも、三人で1500メートルをリレーした方が速いし一人の負担が少ないということだろう。
貸し馬屋へ到着すると、弥生さんの顔を見た店主らしき女性が笑顔で寄ってくる。
「一振様。江戸へお帰りですか?」
「うん。それで相談なんだけど、馬車を借りる事は出来るかな?」
「馬車でございますか? そ、そうですねぇ……乗合馬車でしたら、出発の時間までお待ち頂ければご用意できますが……」
貸し馬屋の店主はチラリと通りに止まっている馬車へ目を向ける。
「……やっぱりそれに乗るしかない? 出来れば他人と同乗したくないんだけど」
そう言って弥生さんは店主の手を取って何かを握らせる。
何を握らせたのか見えなかったが、十中八九お金だろう。渡された物を見た店主が目に見えて顔色を変えた。
「い、今はまだ他のお客様はいらっしゃいませんよ?」
「今はね。このまま出発時間まで待っていたら、誰か乗りに来てもおかしくないと思うけど」
これはつまり、他に客がいない内に出発させろという事だろう。弥生さんの思惑がしっかりと伝わったのか、店主は握らされた金と馬車を交互に見た後でわざとらしく咳払いをした。
「そ、そうでした。私としたことが、本日は朝の馬車があるのを忘れておりました。どうでしょう、一振様。今すぐこの乗合馬車が江戸へ向けて出発いたしますが、お乗りになられますか?」
弥生さんは自分の要望が通った事に満足そうな笑顔を浮かべながら答える。
「もちろん。江戸までよろしくね」
ガタゴトと揺れる馬車の座席に座りながら、隣で満足そうな顔をしている弥生さんに声を掛ける。
「なんていうか、弥生さんのイメージが変わりました」
「えっ? どんな風に?」
「蕎麦を無理やり打たせて、馬車の出発時間を賄賂で早めたじゃないですか」
位の高いサムライである弥生さんが庶民に対してお願いすれば、それは命令になりかねない。ましてや馬車の件は賄賂までしていたので、あまり良い事だとは思えなかった。
「な、なんかそう聞くと悪い印象をもたれてそうだね……」
「俺を保護してくれていますし、感謝していますけど、あの蕎麦屋と貸し馬屋の人たちは可哀そうでしたよ」
「……健之助君のために頑張ったのに。私だって普段はあんなことしないんだよ?」
俺のためにしたことだと言われると、こちらとしてはあまり強く言い返せない。彼女の助けが無ければ俺は野垂れ死にまではいかなくとも、あまり待遇の良い職には付けそうにないからだ。
「すみません。俺のためにしてくれたことなのに、攻める様な言い方をしてしまって」
俺が謝ると、弥生さんは拗ねるように口を引き結んでそっぽを向いた。
「せっかく、寝床も、服も、ご飯も面倒見てあげようと思ったのになぁ……」
「本当に申し訳ありませんでした」
今の俺に彼女のやることに文句を言う権利など無かった。だいたい、前の世界で政治家が賄賂をしていたら大問題だが、この世界でサムライが賄賂をしていたところで、恐らくは罪に問われることはないのだろう。そもそもこの国で賄賂が罪なのかどうかも分からない。
蕎麦屋の件にしても、基本的にはお願いベースだったので、蕎麦屋側がサムライだという事を考慮して特別待遇してくれただけで、弥生さん側からサムライと言う地位を利用して特別待遇を強要したわけではないのだ。
俺は自分の中で即座に弥生さんの行動を弁護すると、素早く頭を下げる。
弥生さんは俺がしっかりと頭を下げて謝罪したことで、逆に恐縮するように両手を上げた。
「あっ、じ、冗談だからね? そんなに謝らなくても大丈夫だよ?」
「いやでも、俺も立場を弁えていませんでしたから……」
「江戸に付いたら、下働きの仕事を手伝ってくれたらそれで良いよ」
「はい。マジで何でもします! よろしくお願いします!」
「な、何でもって……」
ん?
何か妙な間を感じて顔を上げると、弥生さんが悩むような表情で唇に手を当てていた。
「弥生さん?」
「健之助君。その……色々誤解されるから、あんまり何でもするなんて言わない方がいいよ。特に私の姉様たちにはね」
「あっ、そ、そうですね。気を付けます」
家事くらいなら何でも頑張るが、魔獣退治を手伝えとか言われても無理だ。弥生さんの口ぶりからして、彼女の姉たちは結構な無茶ぶりをするタイプなのかもしれない。
「たぶん、江戸に着くのは夕方前くらいになるだろうから、それまでに私が色々教えてあげるね」
「そんなにかかるんですか?」
「歩いたら3日はかかる距離だからね。でも、正直助かったかも。健之助がさっきみたいな発言をしないように色々と教えておきたいからね」
弥生さんに会う前に幽霊に教えられて常識を身に付けたつもりではあったのだが、やはりまだまだ頓珍漢な発言が散見されるらしい。寛大な弥生さんが教えてくれるうちに色々と教わっておいた方が良さそうだ。
「それなら、まずは鬼が西からくるって話の続きを教えてください」
「歴史の話だね。1000年前くらいの話になるんだけど――」
こうして、弥生さんの日ノ本歴史授業が始まった。
1000年前と聞いて、あの幽霊が人族に封印された時期の話だと思いながら耳を傾ける。
「――当時の日ノ本にはまだたくさんの小国があって、領土を奪い合うように戦争している国もあったの。その中でも最も強大だったのが西にある『山城』って国」
国全体が山に囲まれていたため、それ自体が城のような役割を担えたことからそう呼ばれていたらしい。俺の乏しい地理の知識では確証が持てないが、確か日本にもそんな名前の地域があった気がする。
「実のところ、本当は別の国名だったんだけど、私たち人族からは山城って国として認識されていて、今でもその名で伝わっているんだ」
「もしかして、人族以外の種族の国ですか?」
「うん。山城は西の大陸にある魔人族の国からやってきた人たちが作った国なの。まあ実際は領土を日ノ本まで広げたって感じだったのかもね」
幽霊から聞いていた情報があったので、俺はそこまで驚くこともなく話を聞いていた。設定上、俺が奴隷になっていたのも西の大陸にある魔人族の国のはずだ。あの時に幽霊は特に語らなかったが、彼女は山城の魔人族と獣人族のハーフで、人族に負けてあの地に魔法で封印されたのだろう。
「『フランメギド魔王国』。西の大陸で最も古い歴史を持つ大国で、魔人族が貴族として敬われている、私たち人族の敵対国家。1000年前は海を隔てた島国である日ノ本すらあいつらに占領されかけていたの」
「フランメギド……魔王国」
名前からして悪魔の王が支配して良そうな国名だが、魔人族というものを見たことが無い俺は日本のRPGに出てくる角が生えてマントを身に纏った魔王の姿を思い浮かべた。
「そして山城で魔人族を率いていたのが、『鬼王』と呼ばれた赤い二本角を持つ魔人族で、そいつは『古代魔法』を使って多くの鬼を生み出していたの」
「鬼を生み出す? そんなことが出来たんですか?」
「らしいよ。実際、西にある山城の地では、いまだに鬼王が残した古代魔法が発動していて、鬼が生まれ続けているから」
「え――」
一瞬、俺の頭がフリーズする。
発動し続けている?
鬼を生み出す魔法が?
「待ってください。1000年前の話ですよね? その鬼王はまだ生きているんですか?」
「まさか。もし生きていたら今頃ここはフランメギドの領地だよ。鬼王は当時の人族によって討ち取られ、残された魔人族たちも大陸へ撤退した。だからこそ、この日ノ本は人族の国として存在出来ているんだから」
「じゃあ、死ぬ前に使った魔法が1000年間発動し続けているってことですか?」
俺の問いに弥生さんは困ったように表情を崩して腕を組む。
「理解しがたいけど、そういうことになるんだよね。原理は全く不明だけど、本当に鬼は生み出され続けているわけだからね」
どうやらその件に関しては弥生さんたちにすら解明できていない問題らしい。弥生さんに分からないものが俺に分かるわけがないので、俺はすぐに考えるのを止めて続きを促した。
「鬼が今でも西の地で生まれているって現状は理解しました。でも、それがどうして江戸を目指して移動してくるんですか?」
「江戸の中心――江戸城に、鬼王の骨が封印されているの。鬼たちは本能的にそれを取り返そうとしているんだと思う」
封印と聞いて、俺は幽霊の事を思い出した。もしかして、鬼王も同じ状態になっているのだろうか?
「封印じゃなくて、破壊は出来ないんですか?」
「もちろん、昔の人たちも破壊しようとしたんだよ? でも、どんなに鬼王の骨を砕いても、時間が経過すると元の状態に戻るんだって。だから困り果てた1000年前の人たちは鬼王の骨を江戸に移動させて封印したの。骨を取り返そうとする鬼たちから遠ざけつつ、江戸に強固な守りを敷いて確実に鬼を倒すためにね」
「魔人族っていうのは、みんなそんな化け物みたいな感じなんですか?」
「まさか。魔人族だって人間だし、普通は首を斬られたり心臓を突かれたりしたら死ぬよ。ただ、伝承によると鬼王は普通の魔人族とは違うらしいんだよね。私もあまり詳しくはないんだけど、『妖魔』っていう変異種らしいよ」
俺はここでその言葉を聞くとは思わなくて心臓を掴まれたような緊張感に襲われた。ごくりと生唾を飲み込む音が鳴る。
「……よ、妖魔族ですか?」
「そうそう。よく知ってるね? あっ、もしかしてフランメギドで魔人族から聞いたのかな?」
「……直接聞いたわけでは無いですけど、まあそんな感じです」
幽霊が言っていた1000年前の妖魔族は鬼王の事だったのだろうか?
1000年前から現代にいたるまで鬼を生み出し続ける古代魔法とやらを使い、更には異世界へと繋がる空間の裂け目までも作り出す妖魔族。
その強大な力もさることながら、人族と敵対しているという事実が俺の恐怖心を煽る。そんな途轍もない力を持った鬼王を当時の人々はどうやって倒したのかと考えを巡らせていると、俺たちを乗せていた馬車が次の宿場町へ到着したのか動きを止めた。
鬼がどうして存在するのかという話でした。
そして、妖魔族が健之助の想像していた以上のとんでも生物だったことが分かりました。
次回はスキルと魔法についての話です。




