19話:あの時の……
二人きりになれた今、アレクは何を……?
「僕はね、クリスティ。ここに、アイゼン辺境伯領に、子供の頃、お忍びで来たことがあるんだよ」
「え、そうなのですか……?」
「僕の乳母は、王都に領地を持つ由緒正しい伯爵家の人間だった。とても優しく、僕のことも可愛がってくれていた。でも体調を崩してしまい……」
まさか亡くなってしまったのかと心配になると。
「アイゼン辺境伯領は、自然豊かで空気も綺麗だ。王都はね、その当時、様々な産業が発展している最中だった。沢山の工場が稼働し、連日そこからもくもくと煙があがり……。ここに比べると空気が悪かった。今は規制をしたからね。昔よりましになった。でも療養するには地方がいいとなり、この地で乳母は体を休めることになったんだよ」
「そうだったのですね。でも確かにここは、自然に恵まれ、空気も水もとっても美味しいです」
「空気も美味しいの?」とアレクがくすくす笑うので、恥ずかしくなり「言葉のあやです」と言うと「分かっている。クリスティが可愛いから、からかっただけだよ」と手をぎゅっと握る。
まだ、手をつないだままだった。
「僕はこの地で療養する乳母に、会いに来たわけだ」
「あ、だから子供の頃にここへ来たわけですね」
「そう。王都では見たことがない高い山が連なり、天気もよく、青空が広がっている。僕はお見舞いのためにここへ来たのに、すっかりアイゼン辺境伯領が気に入ってしまった。そしてお見舞いをした帰り、森へ向かったんだよ」
なんだか幼い頃のアレクの姿が脳裏に浮かぶ。空を見上げ、笑顔になっているまだ幼い彼の姿が。
「でも慣れない土地だ。僕は……護衛の騎士や侍女達とはぐれ、森の中で迷子になってしまった」
「え、そうなのですか!? 大丈夫だったのですか? あ、大丈夫だったから、今、ここにいるんですよね」
「迷子になった僕を、クリスティ。君が助けてくれた」
そう言ってアレクは再び私の手をぎゅっと握るが、私は「え……」と完全に固まっている。
「幼い頃の僕は、髪が長くて、これぐらいあった。覚えていないかな、僕のこと」
アレクが自身の手で耳の下あたりを示す。
つまり幼いアレクはおかっぱ頭だった。
その顔をじっと見たまま、その姿を想像し……。
「え、まさかあの時の!? 令嬢友達と一緒にピクニックに行った時、確かに迷子の少年と出会いました。も、もしかしてあれが……」
「どうやら思い出してくれたようだね。あの時の会話は、覚えているかな? 迷子になり、心細くなり『森なんて嫌い! 怖いよ』という僕に、クリスティはこう言った」
私はその時の会話を思い出し、王太子相手になんてことを言ったのかと、震撼している。
「迷子になったから怖い。それは当然よね。でも森が怖いのは、あなたが森に関して無知だからよ。森とはどんなものか。どんな獣がどんな場所にいるか。注意するべき点は何なのか。ちゃんと勉強していれば、怖くはないはずよ。森で迷ったからって、森を嫌いになったら勿体ないわ――そう、クリスティは僕に言った」
その通りだ。しかも「どうして、勿体ないの?」と問うアレクに対し、私は――。
「森は沢山の恵みをくれるの。木の実や狩りの獲物。木材で家が建つし、暖炉の燃料にもなるわ。これは分からないかもしれないけど、この世界が循環するのに必要なものを供給してくれている。森は大切よ。だから嫌い、怖いではなく、森のことを知るといいわ――そうもクリスティは言っていたよね」
そうなのだ。しかもその後、私はニッコリ笑い「でも迷子で心細いのはよく分かるから、森の出口まで案内するわ。一緒に行きましょう」と言い、アレクと手をつないで歩き出したのだ。
子供のくせに、私がやけに森に詳しいのには、理由がある。
この世界では童話は教訓を含むもので、寝る前に読み聞かせるようなものではなかった。そこで父親はよく私がベッドに横になると、森に関する話を聞かせてくれたのだ。おかげで森に住む動物や植物に詳しくなっただけだ。普通、知らないと思う。当時の私は……何を偉そうに王太子相手にのたまっているのよ!と思う。
「クリスティは僕と手をつないで歩き出し、その間、いろいろなことを教えてくれたよね。『これは食べられる実』『これは毒キノコ。触るだけでも危険』『見た? 今の鳥の名前はね……』。そんな感じで沢山、僕の知らないことを教えてくれた」
今すぐ土下座したい気持ちになっていた。同時に。
あの時、お互いに名乗り合わずに別れていたことを思い出す。
無事、森の出口が見えてくると、そこには大勢の護衛らしい騎士や侍女がいるのが見えた。それを見た私は、アレクにこう告げたのだ。「私はお友達が待っているから、ここで戻るわ」と。対してアレクは照れた様子で「あ、ありがとう……!」と言い、それで終わっていた。
「あの時の僕は、クリスティみたいにしっかりしていなかった。だから大切なことを聞きそびれてしまった。君の名前をね。後日、部下に調べさせ、君が誰であるか分かった。直接会い、御礼をしたいと思ったけれど……」
「直接会うことはありませんでしたが、翌日、碧い宝石を贈ってくれましたよね? 匿名でしたが……」
「そうだね。自分がまだまだ未熟だと分かった。森についてまだ学んでいない。それどころか王太子教育はこれからだった。ちゃんと勉強して、一人前になってから、クリスティに会いたいと思った。その前に名乗るのは……気が引けたんだ」
そこでアレクは私がつけている髪飾りを見て微笑む。
「僕が贈った宝石。髪飾りにしてつけてくれていると分かった時。とても嬉しかった。それに上級生に呼び出しをされた時、その髪飾りを必死に守ろうとしたよね? 宝石のため、ではないか。母君を思ってのことだったよね」
「勿論、お母様への感謝の気持ちもあります。でも私はこの宝石のこと、とても気に入っていました。それにこの髪飾りを見る度に、思い出していましたよ。あの森で出会った迷子の少年のことを。でも名前も分からず、その一度きりの出会いでしたから……」
幼い頃に出会った少年。アレクの子供時代。
でも今とは違い、幼く、とても可愛らしい感じだった。
「思い出してもらえただけで、僕は嬉しいよ」
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夏のホラー2024のために書き下ろした久々の短編がございます。
【4,159文字とサクッと読める】
本当にあった怖い話『団地の噂話』
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これは私が東京の会社に就職が決まり、東北から都内の古い団地へ越して来た時の話です。団地には幽霊にまつわる噂話がよくありますが、気にせず、引っ越しをしたところ……。
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