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「くッ……!」
このままではいけない。隊長の脳裏に任務失敗の文字がちらつく。
彼は直ぐ様懐から二枚の紙を取り出すと、できる限り最速で筆を走らせる。その間にも着々と減っていく騎士たちの数。
「これを大神殿の教皇様とブルガルの町の兵士へ!誰でもいい!」
それを二羽のファルコンへそれぞれ握らせると、隊長は彼らを放った。飛行速度トップクラスの魔獣であるファルコンはすぐに空の点となる。
後方では騎士たちに連れ出されたクロアが、地面に書かれた小さな魔方陣の中心に立たされていた。これは非常事態のために前もって決められていた最終手段である。
隊長は覚悟を決めた。脳裏には聖国で暮らす家族の姿が過るが、すぐに振り切って目の前で部下を虐殺し続ける妖魔を名乗る男へ視線を向ける。
まだあの少年は加護を受けていない。ならばアレを相手取るのは不可能だ。
彼は背中に背負った愛剣を引き抜いた。
クロアは目の前で繰り広げられているあまりに突然で、現実離れした光景に目を奪われていた。
嘘だろ?聖国随一の騎士たちが、あんな簡単に?
自分の目の前で人が死ぬ。
例え勇者パーティーの魔術師に選ばれようと、今まで両親に守られ、学院の中で守られて育ってきた彼にとってそれは初めての経験だった。
死ぬ間際の人の声。
飛び散る血飛沫。
そして鼻腔を擽る生臭い血の臭い。
学院の授業では習わなかった、こんな、こんな……。
クロアの頭の中で正義感が囁いた。
「お前は仮にも勇者パーティーの一員だ。何してる、ヤツを攻撃しろ」
同時に恐怖心も囁いた。
「何もするな。攻撃すれば、標的にされるぞ」
勝負は一瞬だった。
クロアは何もしなかった。
当たり前だ。まだ17歳。
妖魔を相手に戦うなんて、まだまだ先の将来にあるかもしれない事象の1つに過ぎなかった。
彼の夢は魔術の研究者である。
魔法に関わることはあれど、命を賭けて戦うことなどありはしない。
それを仕事とするのは国の兵士や騎士、警備隊、傭兵など、戦いの中に身を置く者だけだ。
なんで、こんなことに?
もう護衛の騎士は十数人しか残っていなかった。
今は隊長格の騎士があの大男に応戦しているが、明らかに押されている。
ふとクロアは自分の周りを見渡した。
訳もわからず立たされたこの魔法陣の周りには3名の騎士。
この人たちまで殺されたら、自分はどうなる?
クロアの足は震えた。
生まれて初めて身近に迫った「死」の現実に。
まるで干からびた真っ黒な悪魔が自分の身体にしがみつき、虎視眈々とその心臓を狙っているようだった。
心拍数が異常なまでに上昇していく。
身体中から汗が噴き出す。
「ーー大丈夫ですよ。貴方は我々が護りますから」
トンっ、と肩に置かれた手。
クロアが咄嗟に振り向くと、場違いなほど穏やかな笑顔を浮かべた若い騎士の姿があった。
「あぁ、魔術師様には生きてもらわねば。こんなところで死んでよい人ではない」
「そうだな。短い人生だったが、貴方が生きていてくれれば私達の家族はきっと助かる。そう神が導いて下さる」
自分の周囲を囲む3人の騎士が口々に言う。
動揺したクロアにはよく意味がわからなかった。
しかし、彼の本能はなんとなく理解した。
助かるかもしれない。
彼らの命を犠牲にして。
足元の魔法陣が少しずつ光輝き、その光を増してくる。
魔力に敏感な彼は、周囲の3人がそこに莫大な魔力を込めているのを感じた。
そして、もう一人。
「ーーむ?転移か?」
ドゥヴーハがクロアの方へと視線を向ける。
「余所見している暇はーーッ!?」
「邪魔だ」
危うげに保っていた均衡は一瞬にして破られ、腹を切り裂かれた隊長は血の海に沈んでいく。
残った数少ない騎士達もドゥヴーハに決死の突撃をするが、誰の剣もその男に届くことはなかった。
「逃がしはせんぞ」
大地を滑るような特殊な動きでクロアと3名の騎士へと迫る妖魔の大男。
もはや彼の動きを止める護衛はいない。
「急げ!来るぞ!」
「術式展開完了!発動可能!」
「よしっーーーーぐぁッ!!」
目が開けられないほどの光が魔法陣より溢れ出す。
クロアの頬に切り裂かれた騎士の血が吹きかかった。
ドゥヴーハが円の中心で呆然と立ち尽くすクロアの胸へと右手を伸ばす。
残った二人の騎士は一人が欠けたことを分かりながらも、無理矢理術を発動させた。
俺は、何をしている…?
なんで、こんなことに?
記憶の最後までクロアの頭の中を巡っていたこの言葉。それらは妖魔の凶器がクロアの胸に届くと思われる寸前、その場の視界を一瞬にして遮った眩い閃光によって途切れた。
「……やってくれたな、人間」
光が消え、ゆっくりと視界が元に戻ったとき、果たしてその場に残っている人影は3つだけだった。
ドゥヴーハは手応えのない右手を下ろし、その巨体を怒りに震わせた。
残った二人は一瞬にして切り裂かれ、その地に身を落とす。
しかし、彼らの顔はどこか満足げであった。
「この"刹震"、最大の不覚」
彼は自分以外に生命の波動を感じられなくなった周囲を見渡した。
魔術師を運んでいた馬車は壊れ、護衛の騎士たちと彼らが乗っていた馬の死体がそこら中に散らばっている。
大量の血で真っ赤に染まった道を見ながら、ドゥヴーハはふと頭を掻いた。
あれ?勇者は?
急報を受けたそこから最も近い要塞都市、ブルガルの兵士たちが駆け付けた時には、そこは見るに堪えない惨状であったという。
勇者パーティーの一人、魔術師クロア・ダルディエはその後行方不明となった。
その情報はすぐに教皇を通して大陸中に知れ渡り、これから世界各国が聖国主導の元、血眼になって彼の捜索を続けていくことになる。
もし、この事件の時に勇者サラが魔術師クロアと共にいれば。
もし、この事件の時に魔術師クロアが勇敢にも妖魔に戦いを挑んでいれば。
もし、聖王騎士団二番隊隊長の判断が異なったものであれば。
もしかすれば、この事件は世界で初めて人型の妖魔が確認され、魔王に繋がる重要な情報を得られる1つのキッカケとなったのかもしれない。
しかし、現実はそうならなかった。
一人の男が運命に1滴の雫を垂らした。
それが水面に落ちた時、微かな波紋が水面を揺らすだろう。
その小さな小さな極小の波紋はやがて大きな津波となって、とある世界の運命を劇的変えていく。
今まさに、物語は本筋から大きく外れた。
激動の大戦が、まもなく幕を開けようとしていた。




