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金の使い方を知らない男

神谷 恒一は、10億円を手にしてから三日間、ほとんど何もしていなかった。

正確には「何をしていいかわからなかった」。


銀行口座の数字は現実なのに、現実感だけがずっと遅れている。


「10億って……こんなに静かなもんなんだな」


コンビニのイートインスペースで、安いコーヒーを飲みながら神谷はスマホを見ていた。

画面には株価、ニュース、不動産情報、そして意味のわからない投資広告が並んでいる。


だが、どれもピンとこない。


「とりあえず使ってみるか」


その言葉は軽かった。

軽すぎたのが、後でわかることになる。


最初の散財は、あっさりしていた。


タワーマンションの内見。

高級車の試乗。

意味もなく高い時計。


営業の頃の自分なら絶対に入らない店に、普通に入れる。


「こちら、月額家賃は120万円ほどでして……」


「じゃあそれで」


営業マンが一瞬固まる。


「……即決、ですか?」


「他に何かあります?」


神谷は本気でそう思っていた。

迷う理由がなかった。


高級車のディーラーでも同じだった。


「こちらのモデルはオプション込みで約3000万円になります」


「じゃあそれで」


「……ローン組まれますか?」


「一括で」


空気が変わる。


店員の表情が、明らかに“客”を見る目に変わった。


神谷はそれに気づかなかった。


ただ、少しだけ思った。


「この世界、こんなに簡単だったのか」


夜。タワーマンションのモデルルーム。


夜景が広がるガラス越しの景色を見ながら、神谷は一人で立っていた。


「すごいな」


それだけ言って、ビールを開ける。


だが不思議と、何も満たされない。


むしろ、空白が広がっていく感覚があった。


その時、スマホが鳴った。


奈緒からのメッセージだった。


『久しぶり!この前の話、本当だったんだよね?』


神谷は少し間を置いて返信する。


『本当』


すぐに返事が来る。


『今どこ?』


『東京』


『それ答えになってない(笑)』


神谷は少しだけ口元を緩めた。


「……普通だな」


その“普通さ”が、なぜか心地よかった。


翌日。


神谷は投資のセミナーに参加していた。


きらびやかな会場。

自信満々な講師。

熱狂する参加者たち。


「これからの時代、資産はこう増やすんです!」


誰もが未来を信じていた。


だが神谷は違った。


「なんでそんなに断言できるんだ」


小さく呟く。


その瞬間、隣の男が話しかけてきた。


「兄さんも投資始める感じですか?」


「まぁ、そんなとこです」


「いや〜いいですね!今は仮想通貨がアツいですよ!」


その目は、少しだけ焦っていた。


神谷はそれを見て、なぜか冷静になった。


「焦ってるな、この人」


理由はわからない。


でも“勝てる側と負ける側”が、そこに確かにあった。


帰り道。


神谷はスマホで仮想通貨のチャートを見た。


上がっている。


さらに上がっている。


「今買えばいいのか?」


そう思った瞬間、ふと奈緒の顔が浮かんだ。


『それ、本当にあなたの幸せなの?』


「……知らないよ、そんなの」


神谷はアプリを閉じた。


その夜、神谷は初めて“投資”をした。


金額は小さい。

ただの実験のつもりだった。


だが翌朝。


画面には――


+320万円


「……は?」


声が出た。


たった一晩で、月給数年分が増えている。


意味がわからない。


なのに、確かに増えている。


「これ、ずっとやれば……」


そこで一度止まる。


そして、静かに思った。


「人間、これで壊れるな」


その頃。


奈緒はスマホを見ていた。


既読のつかないメッセージ。


そして、なぜか感じていた違和感。


「神谷くん……なんか変わった気がする」


窓の外は静かだった。


だがその静けさは、もう戻れない静けさだった。

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