3-2
「弌ノ瀬、大丈夫か!」
蜘蛛が地面に倒れたことで少しだけ立ち直ったのか、貴臣に声を掛けてくる。
「僕は大丈夫です! それより、まずはあの子を助けましょう。黒咲さん、あなたは蜘蛛の様子を見張っていてください」
「……うげぇ」
黒咲は心底嫌そうに目を細めながら、ピクピクと痙攣している蜘蛛を睨みつける。
貴臣は蜘蛛の巣に絡め取られている少女に歩み寄った。
「お怪我はありませんか?」
「え、ええ。でも……」
少女は戸惑いがちに身動ぎをする。蜘蛛の巣が複雑に絡まり、動けば動くほど、体を締め付けているようだ。
「黒咲さん、何か刃物のようなものは持っていませんか?」
答えは分かっていつつ、一応昴に尋ねてみる。
「悪ぃ! そういうのは持たねぇ主義なんだ!」
想像通りの答えが返ってきて、貴臣は表情を緩めた。
「ふふ。そうだと思ってました」
「……何笑ってんだ、お前」
「すみません。つい、嬉しくなってしまって」
(ヤンキー漫画において刃物を持ち歩く不良は基本的に敵対キャラ。先程はがっかりしたが……黒咲さん、やはりあなたには主人公としての格がある!)
試しに蜘蛛の巣を掴んで引っ張ってみるが、千切れる様子はない。見た目の割に、かなり頑丈に作られているようだ。
「あのぉ」
少女が戸惑いがちに声を上げる。
「私の鞄の中に、ナイフがありますわ。もしかしたら糸が切れるかも……」
少女は鞄を肩から下げたまま蜘蛛に捕らえられていた。鞄は難なく開けられそうだ。
(人の鞄を漁るのは抵抗があるが、迷っている暇はないか)
貴臣はその場にしゃがみ込んだ。
「失礼します」
金具を外し、鞄の中を探る。少女の言った通り、中にはカバーのかけられた小型のナイフがあった。少女の肌に傷をつけないように注意を払いながら、糸を切っていく。
「大丈夫ですか?」
少女は解放された腕を軽く回しながら、小さく頷いた。少女の頬は赤く染まっている。
「助けてくださってありがとうございます。ところであなたのお名前は_____」
「失礼。今は雑談よりも、この場を離れることを優先しましょう。ここに留まったままでは危険です」
「えっ」
戸惑う少女を置き去りにして、貴臣は踵を返すと、昴に駆け寄り、ナイフで彼の拘束を解いた。
貴臣は地面に倒れている蜘蛛がまだ生きているのを確認して、急いで立ち上がる。
「黒咲さん、来た道は覚えてますか?」
「おう、バッチリ任せとけ」
黒咲が先導し、貴臣達は後をついていった。森を抜け、モンスターが追ってきていないことを確認して、ようやく足を止める。
「ここまで来れば、もう大丈夫そうですね」
昴は貴臣の手に視線をやった。蜘蛛の糸が当たった箇所が、みみず腫れのように赤くなっている。
昴は貴臣の手首を掴むと、「カミノゴカゴ」と呟いた。先程から手首に走っていた引き攣るような痛みが、すっと引いていく。
「悪い、弌ノ瀬。俺がついていながら、お前に怪我させちまった……」
申し訳なさそうな昴を見て、貴臣は首を横に振る。
「解釈違いではありますが、予想の範囲内です。ギャップ萌えは漫画の手法として良くありますからね」
「……ギャップ萌え? んだそりゃ」
「安心してください。虫がちょっと苦手なくらいで、あなたの格が落ちることはありませんよ。あなたは立派な総長です」
貴臣は昴の背中に手を添え、何度か軽く叩く。
「僕、あなたにはすごく期待しているんです、黒咲さん」
「お、おう……? 何言ってんのか良く分かんねぇけど、さんきゅーな」
困惑する昴を尻目に、貴臣は少女に向き直った。
「安全な場所までお送りします。道の案内をお願いできますか?」
「え、ええ……」
少女は頬を赤くさせ、戸惑いがちに頷いた。
少女は仕立ての良い服を着ている。金色の髪もまめに手入れされているようで、日の光を反射して艶々と輝いている。
いかにも上流階級に属していると思われる美しい少女は、この場所では浮いていた。道路脇にたむろしている男達は少女に不躾な視線を送るが、黒咲が傍にいるからか、絡んでは来ない。
昴は少女に熱心に話しかけた。
「なあ、何であんなとこにいたんだ? 女が一人でこんなトコ出歩いちゃ危ないぜ。何か悩みでもあんのか? あ、そういやよ、俺この辺りでおすすめのサ店知ってんだが、良かったらそこでゆっくり話でも_____」
昴が話しかけているのにも気が付かず、少女は貴臣に熱烈な視線を送っていた。一方の貴臣は、無言で前方を睨みつけた。
(……メンチを切られてる、わけではないよな)
一瞬だけ少女を一瞥する。目が合うと、少女は貴臣から慌てて目を逸らした。そのくせ、貴臣が前方を見ていると、こっそりとこちらの様子を窺ってくるのだ。
少女に見つめられている理由が理解できない貴臣は、ひたすらに気まずさを享受していた。
困惑している貴臣の隣で、少女はようやく貴臣から目を離し、昴の方を見た。
「お兄さんのお名前を教えてくださる?」
「俺か? 俺は黒咲昴だ。黒色の黒に花が咲く時の……って、ここでんなこと言っても通じねぇか」
「あなた、クロサキさんとおっしゃるのね」
少女は昴の手を両手で包み込むように握りしめる。
「先程は助けてくださってどうもありがとうございます。あなた達が来てくださって良かったですわ」
昴は浮かれ切って「それほどでも」と言いながら鼻の下を伸ばしている。
少女は昴からぱっと手を離すと、恐る恐ると言った様子で貴臣に話しかけた。
「ねえ、あなたのお名前は?」
少女は貴臣の服の裾を軽く引っ張る。観念した貴臣は、少女の方をぎこちなく振り向いた。
少女は赤い唇を尖らせながら、上目遣いに貴臣を見つめる。
少女は客観的に見て、とても整った外見をしていた。綺麗というよりは愛らしい顔立ちをしている。
そんな美しい少女に見つめられているにも関わらず、貴臣は眉ひとつ動かさなかった。それは表面上だけのことであり、内心では大粒の汗を流しまくっている。
(何が目的なんだ、この子は。お礼を言うだけにしては、やけに馴れ馴れしいぞ)
貴臣は極力ルクレツィアを視界に入れないようにしながら、努めて淡々とした口調で答える。
「人に名前を聞く時は、まず自分から名乗るべきでは?」
「おいおい! お前、そんな言い方しなくたって良いだろ! せっかく、こんなマブい娘が話しかけてくれてんのによぉ」
「相手によって態度を変えるのは失礼でしょう。男性だろうと女性だろうと、僕は自分の思ったことを率直に伝えるだけです」
「ロボットかよ、お前」
呆れる昴の横で、少女はうっとりと瞳を潤ませ、手を組む。
「なんて素敵なお方……!」
「はぁ!? 今の態度のどこが!?」
「何があっても顔色ひとつ変えない、その冷静な態度。私、男の人にここまで冷たくあしらわれたのは初めてですわ!」
「あしらわれてんじゃねぇかよ」
少女はコホンと咳払いをする。
「あなたの言う通りですわね。失礼な態度をお詫びします」
少女はスカートの裾を摘み、慣れた仕草でお辞儀をすると、
「私の名前はルクレツィアですわ。あなたのお名前は?」
人好きのする笑みを浮かべた。
「僕は弌ノ瀬貴臣と言います」
「イチーノノセ? あまり聞き慣れない名前ですわ。チーノ様と呼ばせていただきますね!」
「チーノ様……」
「あら。何か文句でも?」
「いえ、別に」
ルクレツィアは楽しそうに、何度も「チーノ様」と呟く。それに対して貴臣はやはり無表情を貫いた。
「この辺りまで来れば安全でしょうか。それとも、家までお送りした方が_____」
「い、いえ! ここまでで大丈夫ですわ!」
喋っているうちに、治安の悪い場所は抜け、貴臣が召喚された王宮近くの街まで戻ってきていた。昼頃に通りがかった時よりも、多くの人で賑わっている。
ルクレツィアは二人に向き直ると、頭を下げた。
「私、借りはすぐに返す主義ですの。ささやかですけれど、受け取っていただけると嬉しいですわ」
ルクレツィアは鞄から大量の硬貨を取り出した。
助けようと思って助けたわけではないので受け取らないことも考えたが、金銭に困っているのは事実なので、貴臣はお礼を言って数枚だけ受け取った。
「ごきげんよう! チーノ様。またお会いすることがあれば嬉しいですわ!」
ルクレツィアは大きく手を振って、人混みの中へと消えていく。昴は頬をだらしなく緩ませ、ルクレツィアを見送った。
ルクレツィアの姿が完全に見えなくなると、昴は笑みを引っ込め、貴臣の肩に腕を置いた。
「お前なぁ、もう少し女には優しくしてやれよ」
「ちゃんと安全なところまで送り届けましたよ?」
「お前、それマジで言ってんのか?」
貴臣が頷くと、昴は盛大にため息を吐く。
「あんなにマブい娘とお近づきになれたんだぜ。せっかくのチャンスなのに、どうしてお前はそう冷てぇんだよ」
「チャンス? 何の?」
昴は小指を立てた。
「これだよ、これ」
貴臣はこれまで読んできた数々のヤンキー漫画を想起しながら、「ああ」と得心がいったように呟いた。
「女の子を助けて一目惚れされる展開は、漫画につきものですよね。僕はそういう展開に興味がなかったんで、いつも流し読みしていましたが……」
そこまで言って、貴臣は目を見開き、昴を見た。
「……まさかですよね?」
「……この童貞野郎め」
昴は呆れと怒りが綯交ぜになったような表情を浮かべ、舌打ちをする。
「ちょ、ちょっと待ってください。まだ確定はしていませんよ。もしかしたら蜘蛛に捕まってたのも、僕等を騙すための罠かもしれないじゃないですか。僕の好きなヤンキー漫画にもハニートラップ的な展開はあって_____」
「へぇへぇ。分かった分かった。お前が鈍感野郎なのは良ーく分かったよ」
貴臣は顔を真っ青にさせる。
「黒咲さんは女性の怖さを知らないから、そんなに呑気でいられるんですよ」
「そういうオタク君は女の何を知ってるってんだ?」
「中学の頃、バレンタインにチョコを貰ったことがあるんです。ですが、実際に食べてみようとしたらそのチョコの中にけ……いや、この話はやめておきましょう」
「気になるところで止めてんじゃねぇよ!」
「僕が言いたいのは、好意に見せかけた罠というのは、世の中にたくさんあるということです。簡単に他人を信じちゃいけないんですよ」
「何でお前はそう、他人に恨まれてることに謎の自信があるんだよ……」
昴はムスッとした顔をして街を歩いていたが、しばらく経って、
「ところでよ、お前、こっちに来たばかりなんだろ。泊まるとことか決まってんのか?」
と尋ねてきた。ルクレツィアの態度を思い返していた貴臣は、ハッとした顔をして昴を見遣る。
「それがまだ決まってなくて。ルクレツィアさんからいただいたお金でしばらくは事足りるんでしょうが、この辺りに宿はあるんですかね?」
「お前、この辺りで暮らすつもりなわけ?」
「はい」
「王都の宿の方が治安良いぜ?」
「でも、つまらないじゃないですか」
「……つまらない、な」
昴は腕を組み、考え込む。
「あー……だったらウチ来るか? ウチっつーても、宿だけどな。ちょっとした縁で安く住まわせてもらってんだ。良かったら俺の方から言っとくぜ」
願ってもない提案だった。
今まで読んできた数々のヤンキー漫画が頭の中を駆け巡る。これからのことを思い、貴臣は期待に胸を膨らませた。
(黒咲さんとここで別れるのは惜しい。彼の近くにいれば、もっと面白い場面に出くわせるかもしれない。……それに、ラルメリアのことなど、色々と気になることもある)
貴臣は丁寧に頭を下げた。
「よろしくお願いします」
*
時を同じくして。貴臣達と別れたルクレツィアは、鼻歌を歌いながら人混みの中を歩いていた。
「……チーノ様、この私に見つめられて動じないなんて、なかなか手強い方ですわ」
先程出会った青年は、この辺りでは見たことがない姿をしていた。
目にかかるくらいの長さでまっすぐに切り揃えられた前髪。優しげな顔立ちに反して、常に冷静さを宿している瞳。
青年、弌ノ瀬貴臣のことを思い出すと、顔が熱くなってきて、ルクレツィアは恥じらうように両頬に手を当てた。
ああ、きっとこれが恋なのだ。これが恋でなければ何だと言うのか。
(ダメよルクレツィア。あなたは恋なんてしてる場合じゃないのよ。ああ、でも……チーノ様♡ あの方を、何とかして振り向かせてみたいわ♡)
踊るような足取りで歩いていたルクレツィアは、人混みの中に見知った姿を見つけた。
(まずいわ、どこかに隠れないと!)
ルクレツィアは慌てて駆け出した。




