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王太子だった彼と彼女の未来

本編終了後の、ウィリアムとヒロインの話です。

 王都から遠く離れた国境沿いの地、ヘンゼル辺境伯の領地へ“元”王太子、ウィリアム・ラル・スレイアが秘密裏に送られてから早くも二年半の月日が経過していた。


 ウィリアムが元王太子だと知っている者は、ヘンゼル辺境伯と側近の侍従長ゲイルのみ。表向きにはヘンゼル辺境伯と遠縁貴族の遺児、という設定でウィリアムは屋敷に身を置いてもらっている。

 辺境伯領は国防の最前線。国境の護る砦に放り込み、屈強な兵士たちと数か月寝食を共に過ごし心身を鍛えなおす、という苛烈な心身の矯正処置を受けたウィリアムは、学生時代の彼を知る者が見たら同一人物とは思えないほど精悍な雰囲気を纏い、どこか陰がある憂いを帯びた瞳を持つ美丈夫と成っていた。

 王太子として周囲から特別視されることも無く、屈強な兵士達に揉まれて厳しくも楽しい砦での日々を過ごしたウィリアムは、学生時代の自分が王位継承権を持つ王子の地位に胡坐をかき、努力を嫌い叔父の警告を無視して享楽に溺れていたことを、今は十分過ぎるほど理解していた。


 学園卒業前、一方的に婚約破棄宣言をした元婚約者マリアンヌは、二年前に叔父と婚姻して王妃となり昨年待望の王子が誕生したと、ヘンゼル辺境伯から教えられた。ひと月前には、王妃の第二子懐妊という吉報が辺境のこの地へ届いていた。

 遠い存在となった元婚約者と鬼神のごとく恐ろしい存在だった叔父。

 再び二人と相まみえることは無いだろうが、ウィリアムは今更王族へ戻る気は微塵もない。

 王宮の中枢で狡猾な官僚達に囲まれ精神をすり減らすより、辺境の地で過ごす方が自分に合っている。今では、牢獄への離宮への幽閉ではなくこの地へ送ってくれた叔父に感謝の思いを抱いていた。



 辺境伯代行として執務室で黙々と仕事をしていたウィリアムは、突然部屋を訪れたヘンゼル辺境伯からリンガットの視察へ行くように命じられた時は、何故自分なのかと首を傾げた。


「今から、ですか?」


「リンガットで旅行者を狙ったスリが数件起きたらしい。旅行者を装って様子を見てきてくれ」


 転移魔法でやって来た港町は平和そのもの。カラフルな屋根の建物が建ち並ぶこの町で犯罪が起きているとは思えない。

 雲一つない青空を見上げれば、海鳥が気持ちよさそうに羽ばたいている。


「視察、ねぇ」


 凶悪事件までいかない犯罪は警備隊に任せればいいのに、この町へウィリアムと従者だけで行かせたのはおそらく執務に追われている自分を息抜きさせようという、ヘンゼル辺境伯の気遣いなのだと素直に受け入れられる。

 以前ならば、面倒なことを押し付けられたと思い悪態の一つも吐いていただろうと、自分を嘲笑ってしまう。辺境伯の厚意に甘えることにして、日頃多忙な従者にも自由時間を与えてウィリアムも町を自由に散策することにした。

 海からの潮風に少し傷んだウィリアムの髪が舞う。乱れた髪を直しながら海辺特有の強い陽光に目を細めた。

 海から離れた王都から出たことが無かったウィリアムにとって、記録石の映像ではなく実物の海を見たのは初めてで、流刑地へ送られる罪人のごとく沈みきった気分が一気に上昇したのを覚えている。


 大通りから一本奥の路地へ入った時、ふと海風に混じり甘い香りがするのに気付き足を止めた。近くに菓子の販売店でもあるのかと、ウィリアムは辺りを見渡す。


「邪魔だ」


 ドンッ!


「うわぁ?!」


 背後からの衝撃に一瞬息が詰まり、身構えることも出来ずにウィリアムの体は前方へ吹っ飛んだ。


 ガッターン!!

 顔面から勢いよく、歩道の端に積み上げられていた木箱の山に突っ込む。

 痛みのあまり目の前が真っ白に染まり、光がチカチカと点滅する。呻きながら崩れた木箱を掴み、あちこち打ち付けて痛む上半身を起こした。


 揺れる視界の中、走り去っていく黒いローブを羽織りフードを目深に被った男の後ろ姿が見えた。

 甘い香りの元を探して完全に油断して歩いていたウィリアムは、走って来た男に背後から体当たりされたのだ。


「何なんだ、彼奴は……」


 今の男がスリを行っている実行犯なのか。スリにしては吹き飛ばすほどの体当たりは強烈過ぎで、これでは財布は奪えないだろう。スリというより当り屋ではないのか。

 未だ揺れ続けている視界を戻そうと、ウィリアムは頭を左右に振った。


 その時、石畳の歩道をパタパタ走る軽い足音と「きゃあ」という小さい悲鳴が聞こえ、ゆっくりと顔を上げたウィリアムは大きく目を見開いた。


「大丈夫、ですか? あの、これを使ってください」

「き、みは……」


 顔を上げたウィリアムへ心配そうに声をかけ、ハンカチを差し出したのは……眉尻を下げて小動物めいた表情をする、肩より少し長い茶色の髪の小柄で可愛らしい顔立ちをした女性。

 傲慢で愚かだった自分がかつて幼い恋心を抱き、もう二度と会うことはないはずの少女。

 共に歩む未来を諦めた少女と他人の空似にしては似すぎた容姿の女性に、ウィリアムの頭の中は真っ白になった。


「アンジェッ?!」


 ガタンッ!

 ウィリアムが立ち上がった勢いで、木箱が大きな音を響かせ石畳の歩道へ落ちる。音に驚き肩を揺らした女性は一歩後退った。


「え、と、その、私のことを、知っているのですか?」

「俺が、分からない、のか?」


 困惑の表情で胸元に握った手を当て頷く彼女の様子は、分からない振りをしているようには見えずウィリアムは落胆のあまり肩を落とす。


「そうか……。すまない、怖がらせてしまって。知っている女の子に似ていたから勘違いしてしまった。それと、ハンカチをありがとう。助かるよ」


 鼻孔の奥から垂れてきた鼻血をハンカチで拭い、止血のため鼻翼を人差し指と中指で摘まむ。


「あの、大丈夫ですか? 誰かに暴力を振るわれたのでしたら警備隊を呼んできましょうか?」

「いや、俺の不注意だったし、警備隊は呼ばなくてもいいよ」


 鼻を摘まんだままでは、安心させるために笑いかけても見苦しい顔になっているのは分かっていた。


「そう、ですか?」


 ぎこちない笑みを返してくれる女性は、記憶の中にある彼女の表情とは似ていて異なる。鼻をハンカチで拭い、ウィリアムは立ち上がった。


「君の名前を、教えてくれないか?」

「アンジェっていいます。あの茶色の屋根が私の家で、お菓子屋さんをやっています」


 “アンジェ”は後ろを振り向き、白壁に茶色の屋根の店を指差す。

 甘い香りの発生源が彼女の家だと知り、ウィリアムの両目の奥がチクリと痛みだす。


「……どうかしました? 怪我が痛むの?」


 キョトンとして見上げてくるアンジェと、記憶の中の学園の制服を着たアンジェの顔が今度は重なった。



『国王陛下の真似をしようとする貴方より、ありのままのウィリアムが好きよ』


 たとえ打算で言っていたとしても、王太子だったウィリアムにも物怖じせず励ましてくれた彼女の言葉に何度心を救われたことか。

 溢れ出そうになる涙を堪え、ウィリアムは無理やり唇を動かして笑みを形作る。


「丁度、甘いものを食べたかったんだ。お店まで案内してくれるか?」

「ええ。ご迷惑でなければ、怪我の手当をさせてください」


 一瞬戸惑ったウィリアムが頷いたのを確認して、アンジェは焼き菓子の甘い香りがする自宅へ向かって歩き出した。





 高台からリンガットの町を見下ろしていた黒いローブを羽織った男は、頭の上から顔の半分を隠していたフードを外す。

 海風で乱れる蜂蜜色の髪を押さえ、小さく息を吐いた。


「此処にいらっしゃいましたか。陛下」


 転移魔法の光と共に現れた銀髪の青年は、眼下の町並みを見下ろして目を細めた。


「今のお二人だったら、普通の恋人関係になれるのでしょうかね」

「さぁな。親しくなれるかはウィリアムしだいだろう」


 さも興味なさそうに言い放つへそ曲がりでお節介な上司に、青年は「そうですか」と苦笑いを返した。


「では、そろそろ王宮へ戻ってください。王子がお昼寝から起きたと、マリアンヌが陛下を探していましたよ」

「もうヴィンセントが起きたのか」


 可愛い盛りの息子の名前を口にして、昼寝から起きたら息子の相手をするという妻との約束を思い出した。懐から懐中時計を取り出し時間を確認し、側近の青年へ「戻る」と一言告げる。

 魔力を練り転移魔法を発動させる直前、ローブを羽織った彼は首を動かして肩越しに町を見下ろし、姿を消した。



何だかんだ言っても甥っ子を気にかけていた陛下は、お節介にも二人の出会いを手伝ってあげたみたいです。

この二人がどうなるのかは、ご想像にお任せします。

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