5話
ビクトリアは、ポケットの中から、一枚の封筒を取り出した。
「…ビクトリア嬢、それは?」
場の流れを読む事に長けているアレクシスが、おもむろに訊ねてきたので、ビクトリアはありがたく彼からのバトンを受け取り、その場ににいる全員にわかるように封筒を見せる。
「これは手紙です。昨日、手元に届きました。―――ナンバル王国の印が押された、わたし宛の手紙です」
「…印を確かめても?」
「もちろんです」
アレクシスの申し出に、ビクトリアは快くうなずいた。
アレクシスは、ビクトリアの傍へ寄り、彼女の細い指が持っている手紙の印を確かめる。
「……確かに、ナンバル王国の印のようですね」
「ナンバル王からの手紙…。そ、それで、何と書いてあったのだ、ビクトリア」
「………」
謎の期待の目を向けてくるベルンハルトを、ビクトリアは冷たく見据えた。
「呼び捨てはお止めください。ベルンハルト殿下。もうわたし達は婚約者ではないのですから」
すると、ベルンハルトは、ビクトリアのつま先から顔を、舐めるような下品な目で眺めつつ言った。
「まあそう言うな。わたしが王になったら、お前を公娼として城に上げてやってもいい。何なら、第二王妃の位を与えてやってもいいぞ?」
「…ベルンハルト、わが国では、国王と言えど、公娼を抱え込む事は認められておりません。ましてや、第二王妃として迎えるなど…。明らかに国の法に反していますよ」
ふるふると怒りに肩を震わせながら王妃が言う。
しかし、ベルンハルトはそんな母の様子を面白そうに眺めながら、飄々と言い返した。
「何をおっしゃいますか、母上。法律など変えてしまえばいい。何より、大恩あるナンバル王国の血族の姫を、王以外の所へと嫁に出すなんて、失礼に値しますよ」
どうやら、先ほど、自分はナンバル王に気に入られていると思い出して、自信を得たのだろう。
ベルンハルトは、唯我独尊状態になっていた。
「ビクトリア。お前は頭がいい。よく見れば、顔も体つきもそこそこいい方だ。わたしの治世を助ければ、悪いようにはしない」
まるで決め台詞のように言ってのけたベルンハルト。
…口説き文句としては、マイナス100万点ね。
心の中でつぶやきながら、ビクトリアは、にっこりと笑って答えた。
「必要ありませんわ」
「なっ!?」
ビクトリアの返答に、両手を上げながら、大きく身体をのけぞらせ、盛大に驚くベルンハルト。
どうやらわざとではないらしいその驚き様を、半ば引き気味に眺めながら、ビクトリアは言った。
「つい昨日の事ですけれど、わたし、新しい嫁ぎ先が決まりましたので」
そして、封筒の中から手紙を取り出し、まずはこの場で一番位の高い王妃に渡す。
「王妃様は、もうご存知でしょうが…」
「ええ。昨日、我が王宛に、2国間文書が届きましたから」
手紙をちらりと眺めて、内容が同じ事を確認すると、王妃は、手紙をアレクシスに渡した。
「えっ、母上?」
ベルンハルトは、焦った表情で王妃を見る。その目は語っていた。自分は王太子なのに、何故、弟のアレクシスに先に手紙を見せるのだと。
そして、疑問を言葉にしようと口を開いた時、王妃が先に告げた。
「すぐに分かります」
「兄上」
「…っ!」
アレクシスから渡された手紙をひったくるように受け取ると、ベルンハルトはその内容を確かめる。
「……!!」
見る見るうちに、ベルンハルトの顔が青くなり、唇がぶるぶると震え出した。
「は…、母上…。こ…、これは…」
震える口で問う息子に、王妃は少し沈んだ声で言った。
「書いてある通りです。ナンバルの王家の血筋を持つビクトリア・レイカルトと、アレクシス・プラストの婚約をここに締結する。なお、この婚約の成立を持って、プラスト国は、王太子ベルンハルトを廃嫡とする」
「…な…、な…」
それは、ベルンハルトにとっては、寝耳に水の出来事だった。
「は…、廃嫡…、だと…? そ…、そんな訳がない! そんな訳が…!」
ベルンハルトは、怯える瞳で何度も手紙を読んでみるが、結果は同じ。
先刻、王妃が言った通りの事が、記してあるだけだ。
手紙に押されている2つの国印も、どうやらナンバル国とプラスト国のもので間違いないと気づき、ベルンハルトは、絶望のあまりに崩れ落ち、床に膝をついた。
「な…、何よ…! 何なのよこれ!」
たまらず大声をあげたのは、ベルンハルトの婚約者、テレシアだった。
「ベルンハルトが王様になれないってどういう事よ! …あ、でも、王子なんだから、廃嫡になったとしても、公爵にはなれるわよね…」
怒鳴ったと思えば、捕らぬ狸の皮算用を始めるテレシア。
……国の情勢は知らなくても、爵位の決め方には詳しいのね…。
ビクトリアがふっと息をつく。
確かに、過去の例を見ると、この国では、王位を継がない王子達には、決まって公爵の地位と王を補佐する仕事が与えられていた。
だが……。
テレシアの期待に膨らむ声に、待ったをかけたのは王妃だった。
「残念ですけれど、今回はそうはなりません」
「ひうっ?!」
きっぱりと言い切って王妃が睨みつけると、恐ろしいのだろう、テレシアが息の詰まったような、おかしな叫び声をあげた。
……だからそれ、不敬ですってば。
ビクトリアは、またしても心の中でつぶやいてみる。
ただ、やっぱり少しだけ気持ちがわからないでもないのは、内緒の話だ。
テレシアは、王妃恐ろしさに、素早い動作で、床に座り込んで打ちひしがれている、ベルンハルトの後ろに隠れた。
だが王妃は、怯える彼女の様子など気にも留めない様子で話を続ける。
「2国間の同盟を揺るがす事態を起こした人物に、公爵という重要な位を与える事は出来ません。サッセン嬢、あなたは既にベルンハルトに嫁ぐ事が決まっているので、婚姻後は平民として暮らす事になります。心しておくように」
「…! そ、そんな…!」
テレシアは、ベルンハルトの背中にすがりついたまま、髪を振り乱して首を振る。
そんな彼女に、王妃は首を傾げて訊ねた。
「あら? サッセン嬢は、王子ではないベルンハルトとの婚姻を、望んでいないのかしら?」
「…!」
王妃の問いに、びくりと肩を震わせるテレシア。
だが、答えを発する事はなく、ただ、がくりとうなだれるだけだった。
恐らく、望んでいないのが本音だろうが、ここでそれを言ってしまえば、王妃の怒りを買う事は目に見えている。
さすがのテレシアも、そこまで場を読めない人間ではないようだ。
ようやく問題の2人が大人しくなった所で、ビクトリアは、ベルンハルトの傍に寄った。
「ベルンハルト殿下、お手紙を返していただけます? クラウドおじい様からいただいた、大切なお手紙なのです」
「……、…」
先程アレクシスからベルンハルトに渡された手紙は、未だ、肩からだらんとぶらさがった、ベルンハルトの手が握っている。
「殿下?」
「………」
もう一度声をかけても、ベルンハルトに動く気配がなかったので、ビクトリアは仕方なしに少し屈み、手紙を引っ張った。
軽く握られていた手紙は、意外にあっさりとベルンハルトの拘束から逃れ、ビクトリアのもとに帰ってくる。
「……」
わずかな体の変化を感じ、ベルンハルトがのろのろと顔をあげた。
と、彼の目に、ビクトリアの美しい瑠璃色の瞳が映る。
「……」
無言のまま、ビクトリアを見上げるベルンハルト。
彼の目には、願いのような、救いを求めるような色が浮かんでいた。
それは、ベルンハルトが困っている時―――例えば、賭博で大負けして、ビクトリアに助けを求めた時と同じものだったが、今回は動く必要を感じなかった。
だって、ベルンハルトはもう、ビクトリアの婚約者ではないのだ。
ベルンハルトが賭博で背負った借金を肩代わりしたり、ベルンハルトが一方的に言い寄ったが為に、王太子に近づく不埒な女とレッテルを貼られ、貴族社会から爪弾きにされつつあった令嬢の結婚相手を探す、何てことをする必要はないのだ。
「――――ああ、そう言えば」
ただ、ベルンハルトと目が合った事で、ビクトリアは、ひとつ解いておきたかった誤解を思い出した。
屈んだ状態から、よどみない仕草で立ち上がると、ビクトリアは、ベルンハルトを見下ろす。
「ベルンハルト殿下は、わたしが、あなたのご寵愛や、王妃の座欲しさにサッセン嬢をいじめたと仰っていましたが……。わたしはあなた様に恋愛感情を持っていなかったので、ご寵愛も必要ありませんでしたし、先ほど申し上げました通り、わたしは、生まれた時から、プラスト国の王妃になる事を定められていたのですから、王妃の座欲しさに策を巡らせる必要もなかったのです」
「…、…」
ビクトリアの言葉に、ベルンハルトは、口を小さく動かしてはいたが、それが彼にとっての返事なのかどうかは、誰にも分からない。
でも、別に分かる必要はないのだ。
ビクトリアはただ、元王太子とその恋人によって傷つけられた名誉を、回復できればいいのだから。
「――――というわけですので、サッセン嬢」
ビクトリアは、もはや立場も居場所もなく、ベルンハルトの背に隠れるばかりのテレシアへと視線を向けると、まるで嵐すらも退けるような、輝かしいばかりの笑顔を浮かべて言った。
「わたしに、あなたをいじめる理由なんて、最初からどこにもありませんのよ?」
Fin
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(C)結羽2017
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これにて、「わたしにあなたをいじめる理由などありません」完結です。
このお話も、たくさんの方に読んでいただきました。
確認したところでは、日間総合ランキング最高2位、日間・週間異世界ランキング最高1位、月間異世界ランキング2位をいただきました。…ていうか、月間は、たった今、念のために確認してびっくりしてます。
さらに、あこがれのレビューまでつけていただいて、うれしいです。ありがとうございます。
字書きとして、まだまだ未熟な部分は山ほどありますが、もっとみなさんに楽しんでいただけるお話が書けると信じて、毎日、少しずつでも、小説の事を考えていこうと思いますす。
では、最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
新作で、またお会いできたらうれしいです。